ギリシア語で「Forethout〔ギリシア語で「前-慮」の意〕」を意味する。おそらく神の本来の名ではなく、サンスクリット語のpramanthaに最も音の近い語として用いられたと思われる。 pramanthaはカーリーの水の要素に豊穣をもたらす水の神アグニに捧げられたまんじ、すなわち火起こし棒を意味した。プロメーテウスは、ルシフェルと同様に、オリュムポス山に住む天界の父(ゼウス)の意に反して、人類に火、あるいは「光」をもたらした。しかしゼウス自らも、まんじを手に持ち、ゼウス・プロメーテウスとして、トゥーリオイ〔南イタリアの都市〕に出現している[1]。
ヒンズー教の創造の概念の1つに、万物は女性の木立(アムピカー-カーリー)の中でくるくる回る男性の燃え木(アグニ)の動作から生まれる、という考え方がある[2]。ダヤク族は男女間の創造について同様のイメージを持っている。彼らは「洪水」のあと女性が1人だけ生き残ったという。彼女は火起こし棒を作り、それを男根として使った。そして身体の中の火起こし棒の動きによって彼女は人類を懐胎したのであった[3]。このような神話は、明らかに精液が妊娠の力を持つと信じられるより以前の時代のものである。父性に関する初期の考え方の1つとして、性的な「動き」だけが子宮の中の生命を刺激するとされ。
ギリシア人はプロメーテウスがどこから来たのか知らなかった。ディオドロス〔紀元前1世紀後半のギリシアの歴史家〕は、彼はエジプト人だと言った。オルペウス教の領歌は、彼をサトゥールヌスと同一視している。リュコプローンは、「エジプトの神プロメーテウス」と呼んだ[4]。プロメーテウスはリビアのアテーナーの夫で、プロメーテウスが粘土から人類を形造り、アテーナーはそれに生命を与えた。Potter. プロメーテウスはアテーナーから文明の技術の秘密を学び、彼が盗んだ「天界の火」とともに、庇護者である人間に伝えた。「天界の火」とは稲妻、あるいは啓発、あるいはゼウスが人類には秘密にしておきたいと望んだ神々の知恵のことである[5]。
ルシフェルと同じく、プロメーテウスは、天界の父に従わず、人類に対して天界の父より恵み深かった。アイスキュロス〔紀元前525-456。ギリシアの悲劇詩人、劇作家〕の『鎖につながれたプロメーテウス』Prometheus Boundは、明らかに,叛かれて憤る神よりも,叛いた者に対して共感を示している。ゼウスはプロメーテウスを罰し、コーカサス山の山頂に鎖でつないだ。その山頂で彼の肝臓は、彼自身のトーテム鳥であるワシによって食い尽くされるが、夜になると旧に復し、再び食い尽くされるのであった。海のニンフたちは声を挙げて泣いた。オーケアノスの娘たちはゼウスを傲慢な専制君主として呪った。もう1人の稲妻の神へーパイストスは、「ゼウスの心は引き返すことを知らず、新たに支配権を握ったその手は過酷だ」と批判の言葉をつぶやいた。
プロメーテウスは瞑想する。「私はハーデス(冥界)に投げこまれるという大きな不幸から人類を救った。……私は人類を助けたが、自分自身を助けることはできなかった」。彼はゼウスが、古代の女性の持つ正義(あるいは因縁)の力、すなわち「運命の三女神と執念深い復讐の女神」の手によって破滅することを予言した。そして同じようにゼウスに虐げられている「月の雌ウシ」イーオーに、彼女の子孫がゼウスの運命を決する者となろうと語った。
プロメーテウスの神話は、グノーシス派がルシフェルに寄せる共感を予告するものであった。ルシフェルはプロメーテウスと同種の英雄であり 博愛心に富み、神に反抗して、人類に「光」あるいは「啓発」を与えたことによって不当に罰せられた。グノーシス派のイコンは、プロメーテウスが粘土から最初の男性を形造り、アテーナーが生命の精をその像に吹き込もうとして待っている古い時代の絵を模倣している。アテーナーの背後には木があり、彼女の知恵を表すトーテムのヘビが巻きついている[6]。エデンの園の物語は、まさにこのようなイコンをもとにして作られたものであった。
他の神話によると、プロメーテウスはゼウスを謀って、生贄の動物の食用に適さない部分である脂肪と骨を、神々の分け前として受け取らせ、人間には肉を食べることを許した。これはゼウスの意図とは異なるものであり、ゼウスはプロメーテウスと、その友である人間の両方に復讐を誓ったと言う[7]。
しかし脂肪と骨を選んだのはゼウス自身であり、彼は自らの選択に従わなければならなかったのである。聖書のヤハウェの神は同様の選択を行い、生贄の動物の脂肪と内臓だけを受け取り(『レビ記』4)、残りは聖職者たちが食べた。ギリシア人のユーモア感覚は、ステュクスの川の流れにかけて自らの選択を守ることを誓い、そうせざるを得なかったために、くずの部分を受け取ったゼウスを描き出した。しかしユダヤ人は、単にヤハウェがそれを好んだからだと主張するのみである。
プロメーテウスは、ゼウスとオリュムポスの神々より古い時代の、巨大な大地霊の一族であるティーターンの1人とされている。ティーターン族は大体において神々に敵意を抱いていた。ゼウスの率いる神々とティーターン族との間の戦いは、ティーターンが神々の座を剥奪されて、地底に鎖でつながれる結果となって終わるが、この戦いが、ユダヤ-キリスト教徒の描く「天国における戦い」の原型の1つとなっている。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
「前-慮」という意味のプロメーテウスの名前は、サンスクリットのプラマンタpramanthaあるいは彼が発明したと考えられていた火おこしの錐を、まちがって解釈したギリシア語からでているのであろう。なぜかというと、トゥーリオイにあるゼウス・プロメーテウスの像は、この火おこしの錐を手にしているからである。
プロメーテウスは、もともとインド=ヨーロッパ民族の英雄であるが、それが(女神の霊感をうけて)あらゆる文明の技術を発見した、あるいは伝達したカーリア人の崇拝する英雄パラメーデースか、それともバビロニアの神エアと混同されるようになったのである。このエア神というのは、母神のアルルが粘土から下等な人間をつくったときに、キングー(一種のクロノスとみてよい)の血から優秀な人間をつくったといわれる神である。サンスクリットの叙事詩『バーガヴァタ・プラーナ』にあらわれる二人の兄弟プラマントゥとマントゥが、プロメーテウスとエピメーテウス(「後-慮」)の原型であるかもしれない。しかし、ヘーシオドスが述べているプロメーテウスとエピメーテウスとバンドーラーの話は、ほんとうの神話ではなく、女性蔑視の寓話であって、デーモボーンとビュリスの話にもとづいているとはいっても、おそらくヘーシオドス自身が考えだしたものであろう。
パンドーラー(「全-贈」)は、ほかならぬ大地母神レアーのことで、レアーはこの名前でアテーナイやそのほかの土地で崇拝されていたのであった(アリストバネース『鳥』971、ピロストラトス『テュアナのアポローニオス伝』第六書・39)。そして、その悲観的なへーシオドスは、人間の死すべき運命や、人生をめぐるすべての不幸、それに妻たちのあさはかではしたない行動をすべてこの母神の罪に帰している。生贄の雄牛を神と人間にわけたというへーシオドスの話も、やはり神話的ではない。プロメーテウスのうけた罰を説明し、犠牲獣から切りとった大腿骨と脂身だけを神々にささげたという異例を説明するために彼が考えだした滑稽な逸話といったところであろう。なお『創世記』では、ヤコブが天使と組打ちをしたとき、天使がヤコブをびっこにしたことから、大腿骨の神聖なことを説明している。
パンドーラーのつぼ(小箱ではない)に最初閉じこめられていたのは、翼のある魂たちだった。(グレイヴズ、p.217)