父権制になってから文化に現れた主要なものが戦争であり、新石器時代や初期青銅器時代の母権制社会には、全くといっていいくらい存在しなかった[1]。女神崇拝が徐々に攻撃的な神々に対する信仰にとって代わられているときでも、女神が姿を現すと、敵対しているすべての集団は鉾を収めざるを得ないという時期がかなり続いた。タキトゥスによれば、ヨーロッパのゲルマン諸部族の間では、慣習によって決められた季節に女神が戦車に乗って、決められた聖所に出かけるときはいつでも、人々は「戦いを控え、武器を携えない。武器はすべてしまい込んで錠をおろしである。人々は平和と静寂の到来を知り、これを歓迎する」[2]。のちの世紀において、封建制下のヨーロツパの女性の地位が下落した理由の1つは、封建制というものが、女性は犠牲者となる以外には何の役割も果たせない戦争の上に成り立っていたからである[3]。
父権制社会の神々は、最初から好戦的な傾向があった。ユダヤ-キリスト教の神を含めて、というより、とくにこの神はそうであった。スタントンによれば、神の性質、目的、その選民のためのさまざまな御業についての旧約聖書の記述は、要約すると、「戦争、堕落、略奪、肉欲の長々とした痛ましい記録となる。異教徒を自らの宗教に改宗させようと願うキリスト教徒が何故、異教徒に聖書を贈るのか、まったく理解に苦しむ」[4]。
しかしキリスト教は決して平和主義の宗教ではなかった。教会は戦争をその迫害の武器として用いたが、これは教会の政治カがそこまで高まるとすぐに行なわれた。教皇インノケンティウス1世(417年没)は、「神は教会に殺す権利を授けられた」と宣言し、教皇軍が「罪を犯した者を罰するために」剣を用いることを認めたが、これは非正統派の大虐殺を意味した[5]。キリスト教の宗派聞の戦は止むことがなかったので、これを見た異教徒は、キリスト教徒はお互いに対して残忍な野獣のように振舞っていると語った[6]。このような傾向は、聖戦、十字軍、征服、剣による改宗などの御旗のもとにキリスト教時代を通じて弱まることはなかった。骨の髄まで男性的なキリスト教は武力によって広まったのであった[7]。
一方、女性の宗教上の力が衰え、彼女たちの女神が抹消されるにつれて、彼女たちは、今日の多くの女性と同じく、不満を唱えたが詮無いことであった。あるアメリカの黒人女性は最近、次のように語った。
「少数の人たちがすべてを支配すべきじゃないと思うわ。女が横になって息子を生むと、金持ちが2、3人出てきて、あなたの息子たちに、祖国のために死地に赴かなければならないと宣うなんておかしいと思うわ。祖国のために死ぬんじゃないわ。ひと握りの連中がお偉いままでいられるために死んでいくのよ。こんなこと必要ないと思うわ。こういうことって、まったくうんざりだわ。今必要なのは人間らしくなるってことだと思うわ」[8]。
このような意見に対して、マリネッティ*の「未来派宣言」で、次のような言葉で発表されたもっと男性的な意見がある。「我々は危険を愛することを称揚したい。……葛藤を離れては美などは存在しない。攻撃性のない傑作などはあり得ない。……我々は称揚する、戦争(世界で唯一の健康法)を、軍国主義、愛国主義、無政府主義者の破壊的身ぶりを、栄光に満ちた、死をもたらす理念、そして、女に対する侮蔑を!」[9]。
*フィリッポ・トマソ・7リネッティ(1876-1944) 文学における未来派運動を推進したイタリア人。ファシズムの支持者で、「行動神秘主義者」と自称。
女性のなかにはこの侮蔑を受け入れ、戦争を称揚する神と男におとなしく服し、果ては、主婦ジェスシタ・ノヴァロのように、一切反抗せずに自分の子供を手放したものもいた。
「お願いです。お願いですから神よ、私に力をお与え下さい。万一、神が私から子供をお取り上げになるとしても、それを受け入れるカをお授け下さい。その子は神の子です。神は私にその子を貸し与えてくれただけなのです。……
この子たちは生まれたいと頼んだわけではありません、この子たちはやがて大きくなって、ある日、その生命を俸げるでしょう。……戦争の絶えることはないでしょう。何故かしら。実のところ私にはわかりません。誰も教えてくれたものはありません。……私にもわかればいいのですが。思うに、お偉い人たちが戦争を決定したのです」[10]。
もっとはっきりとものを言う女性たちは、生命を肯定したいと思う女性の気持を、その将来計画から外すように思われる「お偉い人たち」に腹蔵なく異を唱え、彼らの権力への執着心を、女殺し、それゆえ民族皆殺しに等しいものと呼んでいる[11]。女性だけがその子を救うために、戦争屋たちに立ち向かう責任を負うことができる、とほのめかされることはしばしばであるが、この場合もまた、彼女たちが果敢な抵抗を試みる力がないときには、勝ち目の全くない状況に置かれることになる。
周知のごとく、技術文明の進歩とともに、戦争は以前にも増して悲惨な様相を帯びるようになってきたが、これはまるで人聞の心が、武器の近代化と反比例して、ますます野蛮な状態になっているかのようである。いったい人聞には安定した平和な世界をつくり出す能力があるのか疑うものもでている。ベッカーは「1つの試みとしての人類が進化の袋小路となり、手に負えない動物となるのももっともであるように思われる」と述べた[12]。ジュール・アンリは次のように語った。
「完成を追い求める文化を持つ社会には、絶えざる戦い以外に何もないのであろうか 衝動の十全な表現としての、外界に対する戦いと、その衝動を外に逃さず変形させていくための内面の戦い以外に。過去の、完成を追い求めた諸文化のすさまじい歴史を見れば、この問いには肯定の答え以外はない。「そう、絶えざる戦争以外にはない」。内面の戦いと外界への戦いはそれぞれ継続して行くが、これまでのところ、後者の方が優勢であり、完成を追い求める衝動の歴史は、ホモ・サピエンスが完成のゆえに死に瀕し、おそらくそのために絶滅種となるであろうことを示している」[13]。
ティヤール・ド・シャルダンは何か歴史上の誤りのため、人間は進歩の道筋の間違った分岐点で道をそれたのかもしれないと思っていた。それゆえ、現代世界の暴力は、「まるで、進化がもたらす正常な効果に、ある何らかの破局あるいは板本的な逸脱がもたらす途方もない効果がつけ加えられたかのように、我々の理性では説明がつかないある一定の過剰性」を露呈している[14]。「教母」社会と「教父」社会との対比に、とくに、基本的な思いやりのある行為にそれぞれの社会が与える評価に、上述のような逸脱を見出すのはむずかしいことではない。
「人類の根本的な問題は、個人の必要とするものが彼の周囲の人間の必要とするものとつねに補足的な関係になるような文化を発展させることである。子供が泣いたからといって平手打ちをくらわせることのないような文化、悲しみが同情によってつねに相殺されるような文化、恐怖心が他人の激励によって相殺されるような文化、愛されたいという気持が、愛が望まれているときに、望む形で、かつ望むだけ、愛してやりたいという気持によって補われるような文化を発展させなければならない。以上のことはアメリカ的な考え方ではない。というのは、アメリカ人は葛藤を神に祭りあげているからだ。社会学はおびただしい数の『葛藤理論』を有することを誇っているが、他人への思いやりに関する理論を1つも持たない。……葛藤のない人生は、アメリカのエリートたちにとっては気が抜けているように思える。わずかな代償で手に入る思いやりという感情は文化の、わずかな代償で築かれた部分のそのまた周辺部に追いやられてしまい、研究対象になったこともない」[15]。
アーサー・ミラーが述べたように、きわめて大きな代償を払って行なわれる、現代の諸々の営みは、暴力を直接ないしは象徴的に利用する傾向がある。
「我々が日々暴力行為を賞賛してきたからこそ暴力行為が起きるのである。上等なスーツを着こんだ、半端な教育しか受けていない男でも、残虐行為をぞっとするほど詳細に撮影したテレビ・ショーをでっちあげてー財産作ることができる。このようなショーをプロデュースするのは誰か。スポンサーは誰か。ショーに出演して人気をとるのは誰か。この連中は貧民街をこそこそ歩きまわる、社会規範からはずれた精神病者なのか。いや違う、彼らは社会の大黒柱であり、我々の誉れであり、功成り名を遂げた手本である。我々がなしてきたさまざまな悪しき行為に対して恥や悔恨の情を感じるようになって初めて、平和な世界はもちろんのこと、平和な社会を分別を持って建設する仕事にとりかかることができるのである。通りを安全に歩けないような国は、他の国の国民を爆撃し焼き殺す権利はもちろんのこと、国を統治する方法を教える権利をも有していないのである」[16]。
現代の状況をつぶさに観察する者のなかには、次のような危倶を抱くものもある。すなわち、我々の攻撃的な社会で「娯楽Jとして通っているものに広く行き渡っている、象徴化された暴力行為は、象徴的な形態を自分の行動の手本にするという人間の性向のゆえに、社会にそれと対応するものを実際に生み出すであろうと。マンフォードは次のように言う。
「力と秩序は、極限にまで押し進めると、逆に、秩序の崩媛、暴力、精神異常、心の混乱という自己破壊的な逆転作用を生み出す。この傾向はすでにアメリカでは、映画、テレビ、子供の漫画などに表れている。これらの娯楽様式はすべて、冷酷な残虐行為や虐待をこととする傾向が増している。つまり、殺人や皆殺しを実際に行なうときのために、あらかじめ教育を施しておこうというわけである。……『科学的実験』の形で組織的な拷問が行われたのは、軍国主義、絶対主義、自然科学などによって、この上なく鍛えられた国においてではなかったか。ドイツは強制収容所での皆殺しという酸鼻極まる惨事を引き起こしたのではなかったか。冷静な科学的合理主義と途方もない非合理主義とが相俟って、この死をもたらす毒(ドイツ)は、同じく死をもたらす解毒剤(アメリカ)を生み出した」[17]。ヒトラー/ドイツの興隆は興味深い適例であり、神聖な使命感と結びついた軍国主義的な心情が蔓延した国を我々に見せてくれる。教会はこぞってヒトラーの戦争挑発を敬虔な喜びをもって受け入れた。 1937年4月、ライン地方のあるキリスト教団体は、ヒトラーの言葉は神の法であり、 「神のごとき権威」を有するという決議を通した。第三帝国教会問題担当相ハンス・ケルルは宣言した。「キリストやキリスト教が実際には何か、という問題に関しての新しい権威が現れた それはアドルフ・ヒトラーである。アドルフ・ヒトラー……こそ真の聖霊である」[18]。それゆえ聖職者は彼に祝福を与え、教会は神の祝福を与えた。「組織化された宗教は、つねにあらゆる理由をつけては血まみれの戦争におりる勝利を願って祈りを俸げ、勝った際にはその勝利に感謝を捧げてきた。……さらに最近の歴史を見ても、組織化されたどこの宗教にせよ、両陣営の兵士を祝福する以外のことをしたという証拠が1つでもあるだろうか」[19]。
実際は、ナチズムはヒトラー1人の手になるものではなく、また、ドイツだけが創り出したものでさえもなかった。「純粋アーリア人主義」というナチ神話はドイツ人ではなく、ゴビノー伯爵というフランス人によって初めて唱えられた。彼は1853年に、チュートン族の、神に選ばれた支配者民族は、ラテン民族、黒人、セム族などの浅黒い劣等民族との雑婚により汚されてしまっていると主張した。これらの劣等民族がひとたびアーリア人の血統から除かれれば、チュートン族は「当然」世界を支配することになるであろう、というわげである。
ドイツ人は国じゅうにゴビノー結社を創り、チュートン的超人Übermensch 神話から新たに国家主義的な自尊心を育て上げた。この神話はH・S・チェンバレンというイギリス人によってさらに練り上げられた。彼は1899年に『19世紀の土台』という本を書いたが、この本は人種の混交、とくに、 「高貴なアーリア人」をセム族の血で汚すことによる恐るべき結果に対して「科学的」根拠を与えている。チェンバレンはワーグナーの娘、エバと結婚してドイツ市民となった。皇帝ヴィルへルムは彼を賞賛し、彼の本は愛読書であると語った。明らかにヒトラーの愛読書の1つでもあった。
ゴビノー-チェンバレン-ヒトラーの超人理論は、最もありふれた潜在的な戦争原因の1つを我々に示している。すなわち、自分自身と自分の属する集団が他の集団よりも優れており、故に他の集団は標準以下であるから撲滅に値するとみなそうとする人間の性向を示している。ひとたび宣伝機構が動き始めると、その機構が敵のせいにすることのできる悪行には限りがなくなる。これはまったく理由のないことではない。というのは、戦争は味方の軍隊も含めてすべての人を堕落させるからであるが、この事実はいつも見落とされている。戦争は我々対奴隷症候群 救済されたもの対地獄に落ちたもの、神の選民対異教徒、神の戦士対悪魔の軍隊(神が両陣営の味方となっているときでも) の顕著な例である。ヒトラーは、自分の政敵たちは人間以下の存在Untermenschen で、それゆえ、彼らを皆殺しにするのはまったく理にかなっている、と自分の支持者たちに見事なまでに、まんまと信じ込ませた[20]。
ある意味では、こうした教化は敵国にも及ぶ可能性がある。つまり、敵国は非国家とみなしうるのに対して、自国は、愛国主義者の理想に従えば、大地母神の身体で最良の場所、原始人が信じていたように、真の陰門cunnus、地上の楽園である。戦時において望ましい攻撃的な感情を助長させるに際して、このような母親象徴が効果的に用いられさえしてきたが、その一端は、カリフォルニアのある教育長が書いたものにも見られる。
「善良なる市民と国家との関係は立派な息子と母親との関係に等しい。
彼が母親に従うのは、彼女が年長者だからであり、彼女が自身の中に多数者についての観念を内包しているからであり、彼が生まれ育ってきたのは彼女のおかげだからである。
彼は他の人々にまして彼女に敬意を表し、心の奥底の特別な壁がんに彼女を収め、その前に尊敬と賞賛のろうそくの火が永遠にともされ続ける。
彼はすべての敵から彼女を守り、自分の一生は彼女のために捧げたものとみなす」[21]。
このように軍国主義のために強力な母親象徴を用いると、真の攻撃者をその実際の犠牲者の目から隠すのに役立つ。女性にはほとんど本能的にわかっているようにみえるが、前者はあの「お偉い人たち」、すなわち権力の座に座る大人の男たちである。後者は前者の、若くてハンサムで強健なライバルであり、また、従順な兵士に仕立てて戦場へ送り出し、戦死させることもできる息子たちでもある。(そうすることで前者のオイディプース的嫉妬が和らぐこともある)。戦争というのは事実上、両陣営の権力者たちの間の暗黙の協定であり、その内容は、お互いに相手国の若者を皆殺しにし、それに対して社会から賛同または追従さえも得よう、というものである[22]。
父権制社会の男たちはつねに若者に敵意を示してきたが、それは若者のために、妻にせよ母親にせよ、女たちの注意が彼らから逸れるからである。西洋では、若者に対する成人男子の攻筆性は女性に向けられることもある。たとえば堕胎したとき、女性を殺人のかどで、また産児制限の場合は罪を犯したとして告発するなどである。この堕胎と産児制限という2つの処置は、家父長たちの手持ちの消耗品としての兵隊の数を減らすのに役立った。マーガレツト・サンガーは女性が戦争を終わらせることができると考えたが、その方法は、「余剰人口を削減することである。もちろん、軍国主義国家は子供の数が増えることをつねに執鋤に求めるが、それは最初は祖国を守るため、次いで、人口が急婚した際に、増加した数百万の人間が住むための領土を征服するためである」[23]。しかし軍国主義的な国家に不可欠な人口基盤を与えることを故意に拒んだ女性たちが、そういう国家の目的に奉仕するはずもなかった。国家が望んだのは量であって質ではなかったのだから。
父権制的な宗教はつねに家父長たちの味方であったし、現在もそうである。ヴェターによると、「ある一定の地域で捕獲される鳥獣によって養える人間の数を抑える首狩りと、同じくきわめて重要な経済資源を支配下に置くための戦争で、『文明人』によって周期的に行なわれる大虐殺との間には大した違いはない。そしてこのような大虐殺に対して、諸宗教はすぐさま祝福を与えてきたのである」[24]。
戦争はエリートの男たちが始め、地位の低い男たちが遂行する。一方、聖職者階級がその努力を祝福する。「1900年以降の戦死者の数が1億だというのは適切な概算である。この大量虐殺の責任はまったく男たちにある」[25]。しかし戦争は、男たちが自分の行為をそう思っているのとは違って、決して理にかなっているものではない。「もてあましてしまうくらいの富を獲得するために、白人の小集団によって世界が彼減に追い込まれるなど馬鹿げている。我々はここで権力獲得衝動、支配の必要性について語っているが、これらは検討の余地がある。……女性のエネルギーを抑圧するために、父権制社会は破壊的で死を志向するような文化を創りあげる」[26]。今日、「20年にわたる軍備縮小の試みを経た今、私たちは、核による絶滅の脅威が以前にも憎して深刻なものになっているのを知っている。私たちには科学とテクノロジーは私たちを救うことはできないということがわかっている。少なくとも現在のように、この2つが男たちによって管理されている限りでは駄目である。現在私たちが直面している大きな不幸の見取り図を書いたのは女性ではない」[27]。
おそらく(少なくとも一部は)女性が作り出したタントラの道徳律では、戦争はまったく容認できないものである。タントラの達人は、戦いあるいは武器の製造には手を染めることはできない。彼は兵士の勇敢な行為を賛美したり、狩りや戦での殺生をたたえたりしてはならない。こうした行為は「他の者たちを鼓舞して殺人を行なわせ、その精神的な成長をさまたげることになるので、単なる殺人にも憎して悪質な殺人の一形態である」[28]。現代の映画やテレビがいまだに暴力行為を賛美しようとしているのと比べると、タントラの聖者たちはとうの昔に、「文明開化した」現代世界の聖人たちよりも、人間性に対して深い理解に達していたように思われる。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔一般〕 戦争は、全般的な災禍と理不尽な暴力の勝利のイメージを作り上げた。古代から現代まで、自己破壊の手段が、戦争とともに桁はずれに増えた。それでも、戦争には、非常に重要な象徴的意味がある。
理念的にいえば、戦争の目的は、精神面でも、宇宙的、社会的にも悪の破壊、平和、正義、調和の回復である。
〔中国〕 とくに古代中国の場合には、戦争の目的は、宇宙的、社会的であり、生命を守ることを明示している。
〔インド〕 戦争はクシャトリヤ(王族)の職務である。しかし、クルクシュートラの戦いでは、『バガヴァッド・ギ一夕ー』に書いてあるように、「殺す者も殺される者もいない」。戦いは、行動によるカルマ・ヨーガ(解脱への道)の領域で行われ、存在の統一のためである。クリシュナも、プッダもクシャトリヤ(王族)である。
〔イスラム教〕 イスラム教でも変わりなく、「小さな聖戦から大きな聖戦」への移行は、宇宙的均衡から内面の平静への移行である。真の「勝利者」(ジナ)は、心の平和の勝利者である。
〔中世〕 同じ象徴的意味が、中世の軍隊秩序、さらに、とくにテンプル騎士団の行動でも指摘できる。聖地の征服は、勝利者(ジナ)と象徴的に違わない。
〔インド〕 『マハーバーラタ』は、〈ヴイシュヌ〉について、彼は、「すべてを征服する」という。彼が「戦う」相手は破壊する力である。
〔チベット・中国〕 チベットでは、リンの国の英雄ケサルの冒険、漢代の中国の「黄帽派」の戦争の儀式は、悪魔的な力に対する戦いの目的しか持っていなかった。中国の秘密結社の伝説的な「戦い」は、(そこではモモの木でできた魔法の剣を用いるが)秘儀を伝授された人々の戦いである。「清を倒し、明を復興する」ための戦いは、実際、「光」(明)の復活を目指す。神秘的意味でも、宇宙的な意味でも、戦争という言葉は、光と闇の戦いである。
少林寺の奥義を伝授された人々の中心に、闘技の学校があり、いくつかの坊には闘技の手引書があった。拳士の同音異義は、「戦い」の象徴的意味に基づいている。それは闇と光の戦いの別の様相、つまり、チェスの戦いのようなものである。
〔仏教〕 仏教の平和主義は、よく知られているが、仏教でさえも戦争の象徴的意味を広く用いる。『法句経』の中で、ブッダは「戦士は甲冑をつけて、輝く」と語る。〈アヴュロキテシュヴァラ〉(観世音菩薩)は、戦士の姿で、アスラ(魔族)の世界に入り込む。ここでは、知識の成果を無理に手に入れるという意味である。天国が乱暴者のものなら、仏教の暴力は、日蓮宗に固有のものでもない。『阿含経・増支部』の中では、次のように書かれている。「戦士よ、私たちは自らを戦士と呼ぶ。私たちは高い徳、高い努力、崇高な英知のために戦う。また、自らを戦士と呼ぼう」。自己抑制の勝利、名誉の戦死は、〈クシャトリヤ〉の勇気、同じく日本の〈侍〉やス一族の戦士の勇気も思い起こさせる。プッダは、勝利者(ジナ)である。それは、ジャイナ教の創始者の尊称でもある。内面の戦いの目的は、外見と幻想が分散した世界を唯一の現実が集中した世界、多数を1つ、無秩序を秩序にそれぞれ圧縮することである。
〔インド〕 戦争の激しさは、象徴的に「怒り」と「熱さ」で表現される。〈クラトゥ〉は、〈インドラ〉の戦争のエネルギーだが、霊的なエネルギーでもある。平和(シャーンテイ)は、消火である。さらに生贄は、その死で鎮められる。伝統的に「和解」は、情念と生贄自体にとって、1つの「死」である。生贄が〈戦争の儀式〉に同化するのも、火と関係がある。パラシュラーマが『ラーマーヤナ』で行った供犠は、『ヴェーダ』の供犠と同価値である。「矢の奉納は、弓で放たれる」。軍隊は、「燃料」である。敵の君主は、「生贄にされた家畜」である。
〔道教〕 道教では、武器こよって戦死者は解放される。この解放は、死に先立つものに直接、関係がある(COOH、DAVL、ELIY、GOYM、GRIB、GRIH、MAST、MATM、SCHO)。
〔キリスト教〕 伝統的なキリスト教の文献で、戦争について語られる場合、この表現を、内面の戦争の意味でも理解しなければならない。
聖戦は、現実の武器を手にして始めた外的な戦いのことではなく、人間が自分の内で始める戦いである。自分の中の闇と光の対決である。それは、無知から知への移行の中で行われる。聖パウロの表現によると、「光の軍隊」という意味が生まれる。
物質的に武装した戦いでありながら、聖戦のことを語るのは、言葉の反対の意味、誤用である。伝承によると、この種のどんな戦争も、聖戦ではない。十字軍に使われた言葉は、重大な過ちである。聖戦の武器と戦いは、宗教上の秩序に従う。
〔北米〕 インディアンのオジプワ族では、戦争の準備は、単なる肉体の訓練ではない。苦行して、神秘的生活に入ることである。志願者は、「1年間、森の中で断食と独居をし、幻覚を求め、手に入れる。戦争はなによりも血の潅奠、聖なる行為と考えられているからである」(SERH、160-161)。スーステルは、戦争の象徴的様相を必ず強調する。「戦士の普通の運命は、生贄を神々へ捧げ、次いで自分自身が生贄用の石の上に倒れることである。そこで、彼は天の太陽につき従う」(SOUM、21)。
(『世界シンボル大事典』)