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back.gif第5巻・第3章


Xenophon : Hellenica



第5巻






第4章



[1]
 じっさいのところ、ヘラスのことにおいても異邦人のことにおいても、ひとは他にも多くのことを語り得よう、――神々は涜神者たちをも神法に悖る行為をする者たちをも、決してなおざりにはなさらない、ということについて。だが、今は、とにかく目下話題にのぼっていることを語ることにしよう。すなわち、かたや、ラケダイモン人たちは、諸都市の自治を認めると誓いを立てながら、テバイのアクロポリスを占拠していたが、不正された者たちの単独の戦力によって懲罰を受けた、それまでは、かつての人間たちの中の誰一人にも征服されたことがなかったのにである。かたや、市民たちの中で、彼らをアクロポリスに手引きし、この都市をラケダイモン人たちに隷従させ、かくすることによって自分たちが僭主支配することを望んだ連中は、自分たちの支配を解体するのに、たった7人の亡命者たちで充分であった。そのようなことがいかにして起こったか、詳述することにしよう。

[2]
  ピッリダスなる男がいた。この男は、 アルキアス一派の軍令官たちの書記官を勤め、その他にも、どうやら、最善に奉仕していたようだ。ところが、この男が何かの所用でアテナイに赴いたとき、以前からも知己であった メロン――アテナイに亡命していたテバイ人たちの一人――が会見し、軍令官のアルキアスのことや、 ピリッポスの僭主制について問いただし、相手〔ピッリダス〕が家郷の事態を自分よりもなおいっそう憎んでいることを知り、保証を交わして、諸事いかにあるべきかを申し合わせた。

[3]
そういう次第で、メロンは亡命者たちの中でも最も適任の者たちを仲間に加え、短剣(xiphidion)を持たせ――だが他には何の武器も持たず――、先ずは夜陰に乗じて〔テバイの〕領地に赴いた。次いで、ある人気のない場所でその日を過ごしてから、城門のところに出かけた。田舎から帰ってきた者のごとくに、仕事から一番最後に〔帰る〕者たちが帰るちょうどその時に。そうして、市内にもぐりこむと、その夜は カロンなる者のところで一夜を過ごし、次の日も一日過ごした。

[4]
ところで、ピッリダスの方は、軍令官たちの任期の切れるときには彼らは アプロディテ祭を執り行うのを常としていたので、他の点でも彼らの世話をやいていたが、特に、テバイの女たちの中でも最も上品で最美なのを彼らのために連れてくると約束していたことがあり、それをこの時に連れてくると申し出た。そこで彼らは――そういうことの好きな連中であったので――大いに快適に夜を過ごせるものと期待した。

[5]
かくて、晩餐をし、彼もいっしょになって盛り上げたので、彼らはすぐさま酩酊し、妓女たちを連れてくるようしきりに命ずるので、出て行ってメロン一派を――三人は女主人のように、他は召使い女のように装ったのを――連れに行った。

[6]
そして彼らを軍令官の前室に手引きすると、自分は入っていって、アルキアス一派に向かって、妓女たちは侍従たちが一人でも中にいたら、入ることを拒んでいると言った。そこで彼らはすぐさま全員に出て行くよう命じ、ピッリダスは侍従たちに酒を与えて、その中の一人の家に彼らを送りだした。そうしておいて妓女たちを案内し、一人一人のそばに座らせた。申し合わせでは、座ったら、着物をかなぐり捨ててすぐに襲撃をすることになっていた。

[7]
そのとおり、彼ら〔軍令官たち〕は殺されたという人たちもいるし、メロン一派は酔漢のように押し入ってきて軍令官たちを殺したという人たちもいる。とにかく、ピッリダスはそのうちの3人を連れてレオンティアデスの家に向かった。そして扉を叩いて、軍令官たちのところからの連絡をしたいことがあると言った。彼は、たまたま、〔他の軍令官たちとは〕別に晩餐のあとまだ横たわっていて、その妻も羊毛仕事をしながらそばに座っていた。そしてピッリダスを信用して、入るよう命じた。そこで彼らは押し入るや、彼を殺し、妻は脅して黙らせた。さらに出て行くとき、扉を閉めておくようにと言った。もしも開いたままなのを見つけたら、家の中の者全員を殺すぞと脅迫して。

[8]
これらのことが実行された後、ピッリダスは男たちの中から2人を連れて牢獄(anakeion)に赴き、看守に、幽閉する必要のあるやつを軍令官たちのところから連行してきたと言った。〔看守が〕開門するや、これを彼らはすぐに殺し、囚人たちを解放した。そしてこの連中を、柱廊から武器を引き下ろしてただちに武装させ、 アムピオン神殿に連れていって、戦闘準備をするよう命じた。

[9]
やがて、彼らはすぐに触れを出した、――テバイ人たちは、騎兵たちも重装歩兵たちも、全員が出てくるように、僭主たちは死んだのだから、と。しかし市民たちは、夜の間は、信じずに平静を保っていた。だが、夜が明けて何事が起こったかが明白となるや、ただちに重装歩兵たちも騎兵たちも武器を身におびて救援に駆けつけた。そこで、帰還者たちは、国境地帯のアテナイ人たちの二人の将軍たちのもとへも騎兵を派遣した。彼らは〔騎兵〕派遣の事由を知るや、救援に駆けつけた。

[10]
 ところで、アクロポリスの総督は、夜の間の触れを察知するや、ただちに プラタイアテスピアイとに救援要請の使者を送った。そして、テバイ人たちの騎兵は、プラタイア人たちが接近中と察知して、迎撃してその20人以上を殺害した。そしてこれを実行したうえでもどり、国境地帯からのアテナイ人たちもすでに来着していたので、アクロポリスに突撃した。

[11]
対して、アクロポリス〔にたてこもった〕者たちは、自分たちが少数であると判断し、また、攻め寄せてくる者たち全員の熱意を眼にして――じっさい、最初に攻め登った者たちには莫大な褒美が触れられてもいた――、それやこれやで恐れをなして、自分たちが武器を持ったまま退去することに安全を与えてくれるなら、退去してもよいと申し出た。彼らは悦んで相手の要求を認め、その条件で献酒をし、誓いも立てたうえで、撤退させた。

[12]
ところが、出て行くとき、仇敵たちの一員であった者を見つけては、逮捕して殺害した。そのため、国境地帯から来援したアテナイ人たちに匿われて落ちのびた者たちもいたほどである。ところがテバイ人たちは、処刑され者たちに子どもがいれば、それをもつかまえて喉をかき切ったのであった。

[13]
 これをラケダイモン人たちが聞き知るや、総督はアクロポリスを見捨て、来援を待たなかった廉で処刑する一方、テバイ攻撃の動員令を発令した。ところがアゲシラオスは、自分は兵役について以来40年以上になると言い、他の同年輩の者たちなら、もはや自分たちの国の外へ出兵する必要はないように、王にも同じ法が適用されると説明した。ところが彼がこんなことを言ったのは、出兵する気がないからではなかった。彼が残留しようとしたのはもちろんそのためではなく、彼はよく知っていたのである、――自分が出兵したら、アゲシラオスは、僭主たちを救援するために、国に面倒をもたらすと、市民たちは言うだろうということを。だから、この件について何なりと望ましいことを評議するよう彼らに一任したのであった。

[14]
そこで監督官たちは、テバイにおける殺戮の後に追放された連中に教えられて、 クレオムブロトス――嚮導するのはこのとき初めての人物――を、冬のさなかであったけれども急派した。ところが、 エレウテライを通る道は、カブリアスがアテナイの軽楯兵たちを率いて守備していた。そこでクレオムブロトスは、プラタイアへ至る道のところで〔キタイロン山に〕登った。かくして前進を続けていて、頂上で、牢獄から解放された〔囚人〕たちおよそ150人ばかりが守備しているのに遭遇した。そこでこれらを、逃げのびた者がいないかぎりは、全員を軽楯兵たちが殺害した。そして彼〔クレオムブロトス〕はプラタイア方面に下山した。まだ友邦だったからである。

[15]
さらにテスピアイに到着した後、そこから キュノス・ケパライ(「犬の頭」という意味を持った丘)――テバイの領地である――に進発して宿営した。ここにおよそ16日間駐留し、再びテスピアイに退却した。そしてそこには総督として スポドリアスを残置し、同盟者たちの中からそれぞれ三分の一を〔残置した〕。そのうえ、家郷から持ってきていた有り合わせの金銭を彼に渡し、外人部隊を追加雇傭するよう命じた。そこでスポドリアスはそのとおりにした。

[16]
他方、クレオムブロトスの方は、クレウシスを通る道を、家郷へと配下の将兵を連れもどそうとしていた。いったい、テバイ人たちと戦争しているのか、それとも平和なのか、大いに困惑している将兵たちを。なぜなら、テバイの領地に軍隊を引率しながら、できるかぎり何も仇を成すこともなく退却していたからである。

[17]
ところが、彼が退却しているとき、尋常ならざる風が見舞い、これを、将来起こること〔 第6巻 第4章 2-15節〕の前兆と占った者たちもいた。というのは、〔この風は〕他にも多くの狼藉に及んだが、彼がクレウシスから将兵を伴って、海の中に切れ落ちている山を越えようとしているときには、多数のロバたちを荷物もろとも転落させ、多種多様な武器はもぎ取られて海に落ちたのである。

[18]
結局は、多くの者たちが武器を身につけて前進することかなわず、頂上のそこかしこに、楯を裏向けにして石を詰め込んで残置したのである。そして、このときは メガリケアイゴステナで可能なかぎり夕食をとった。次の日には、もどってその武器を持ち帰った。やがて各人が家郷へ引き上げてしまった。彼らをクレオムブロトスが解散・放免したからである。

[19]
 ところで、アテナイ人たちは、ラケダイモン人たちの力を眼にし、もはや戦闘はコリントス領内にとどまらず、すでにラケダイモン人たちがアッティケを通過してテバイに侵入しているのを〔眼にして〕、恐れをいだいたあまりに、二人の将軍たち――レオンティアデス一派に対する内乱に内々で関与した――までも裁判にかけ、一人は処刑し、もう一人は、〔裁判まで〕とどまらなかったので、追放刑に処したのであった。

[20]
 さらにまた、テバイ人たち自身の方も、ラケダイモン人たちと戦うのは自分たち以外、他に誰もいないのではないかと恐れをなし、次のような策を見つけた〔BC 378〕。つまり、テスピアイの総督スポドリアスを、金銭を与えてだが、説得した。予想されるところでは、〔彼を〕アッティケに侵入させれば、アテナイ人たちをラケダイモン人たちとの戦争に巻き込めるはずであった。そして彼も彼らに聴従し、ペイライエウスを、まだ門がない状態だったので〔 第4巻 第8章 9-10章〕、占領すると広言して、夜明け前に朝食を取らせると、将兵たちをテスピアイから引率した。日が出る前にペイライエウスまでたどりつくと称してである。

[21]
しかし、彼が トリア〔区〕についたときには日が昇り、しかもそこにおいて気づかれないようにするどころか、引き返す道すがら、家畜を掠め取り、家屋を破壊した。一方、遭遇した者たちの何人かは、夜の間に市域に逃れ、アテナイ人たちに軍隊が大挙押し寄せてくると伝達した。そこで彼らは、騎兵たちも重装歩兵たちも、ただちに武装し、国の守護に当たった。

[22]
ところで、たまたま、ラケダイモンの使節団もアテナイに、保護役(proxenos)のカリアスのもとにいた。 エテュモクレスアリストロコスオキュロスである。これをアテナイ人たちは、事件の報告を受けるや、この連中も共謀したとして、逮捕して見張りを付けた。しかし彼らは事件に驚倒し、かつは弁明した、――ペイライエウスが占拠されるのを自分たちが知っていたとしたら、市域にいて、それも保護役のところにいて、自分たちを相手の手にゆだねるような、それほどの愚か者ではない、すぐに見つかるであろうから、と。

[23]
なおそのうえに、ラケダイモン人たちの国家もこの件には関知していないことは、アテナイ人たちにも明白となるであろう、とも言いつのった。なぜなら、彼らの主張では、スポドリアスが国家によって亡き者にされてしまったと聞くことになるであろうことは、よくわかっている、というのである。そこでこの者たちは、関知していないとの裁きを得て放免された。

[24]
他方、監督官たちは、スポドリアスを召喚して死刑を求刑しようとした。しかしながら、彼は恐れをなして聞き入れようとしなかった。そして、裁きを聞き入れようとしなかったにもかかわらず、無罪釈放となった。この裁判は、ラケダイモンにおける最も不正な裁きだと、多くの人たちにも思われた。こんなことの起こった原因は、次のとおりである。

[25]
 スポドリアスには、 クレオニュモスという息子がいて、これは少年時代から抜け出したばかりの年頃であるばかりか、同輩の中では最美にして最も評判高い青年であった。ところで、たまたまこれを恋したのが、アゲシラオスの息子 アルキダモス(2)であった。さて、クレオムブロトスの友たちは、スポドリアスの同志であったので、彼を無罪にするつもりでいたが、彼らの気がかりは、アゲシラオスとその友たちであり、また中間派の人たちであった。〔スポドリアスは〕恐るべきことをしでかしたと思われていたからである。

[26]
そういう次第で、スポドリアスはクレオニュモスに向かって言った。
 「おお、息子よ、おまえには父親を救うことができるのだ、アゲシラオスが裁判でわしに好意を示してくれるようアルキダモスに頼んでくれればな」。
 これを聞いて彼は思いきってアルキダモスのもとに赴き、自分の父親の救主となってくれるよう頼んだ。

[27]
アルキダモスはと言えば、クレオニュモスが泣いているのを眼にしたときには、そばに立ち尽くしたまま、ともに涙を流していた。そして、相手の頼みを聞くと、答えた。
 「けれども、おお、クレオニュモスよ、いいかい、ぼくはぼくの父親と眼を合わせることもできず、国家においてひとかどのことを仕遂げたいと思っても、父親以外なら誰にだって頼むよ。そうはいっても、君が命じるのだから、君の頼みが実現するよう、ぼくはあらゆる熱意を傾けるつもりだと思ってくれたまえ」。

[28]
 こうして、その時は友愛会食場(philition)から家に帰ってやすんだ。だが、未明には起き出して、父親が自分の知らない間に出かけることのないように見張りをした。そして、彼が出かけるのを見ると、先ず第一に、市民たちの誰かが居合わせれば、彼らが父と対話できるよう脇によけ、第二に、誰か外国人の場合も〔同様で〕、さらには、召使いたちの中で頼みのある者にさえ席をゆずった。しかし、最後に、 エウロタス河から引き返してアゲシラオスが家の中に入ると、離れていて近づこうともしなかった。しかし、次の日には、また同じことをした。

[29]
アゲシラオスは、何のために彼がまとわりつくのか怪しんだが、何も訊かず、彼を放任しておいた。しかし逆にアルキダモスの方は、尤もなことながら、クレオニュモスに会うことを欲した。けれども、彼が頼んだことを父親に話せぬまま、いかにして相手のところに出向けるのか、彼はそのすべを知らなかった。他方、スポドリアス一派の者たちは、アルキダモスが、以前には通い詰めていたのに、来るのを見かけなくなったので、アゲシラオスに叱られたのではないかと途方に暮れていた。

[30]
しかし最後にアルキダモスは思い切って〔父親のところに〕近寄って言った。
 「おお、父よ、クレオニュモスがわたしに命じたのです、彼の父親を救うようあなたに頼んでくれと。わたしも同じことをあなたに頼みます、できればですが」。
 すると彼〔アゲシラオス〕が答えた。
 「もちろん、おまえのためなら、わたしは赦しを与えよう。しかし、わしは、国からの赦しにどうして与り得ようか、国家に悪さを企てたやつに、その罪で不正なりとして有罪判決を下さないとしたら?」。

[31]
 この時は、これに対して彼は何も言わず、義しさに負けて立ち去った。だが後に、自分で考えてか、誰かに教唆されてか、やってきて言った。
 「もちろん、おお、父よ、スポドリアスが何ら不正していなかったら、あなたが彼を無罪放免なさるであろうことはわかります。しかし今は、何らかの不正をしてしまったとして、わたしたちのためにあなたの赦しがいただきたいのです」。
 すると彼は言った。
 「それなら、そうするのがわれわれにとって美しいことになるのなら、そうなるだろう」。
 これを聞いて彼は、すっかりがっかりして立ち去った。

[32]
 一方、スポドリアスの友たちの一人が、エテュモクレスと対話したおりに言った。
 「あなたがたは、わたしの思うに」と彼は言った、「アゲシラオスの友たちはみな、スポドリアスを処刑するつもりであろう」。
 すると、エテュモクレスが〔言った〕。「神かけて、とんでもないことだ」と彼は言った、「〔そんなことをしたら〕われわれはアゲシラオスと同じことをしないことになろう。だって、少なくとも彼は、今までに対話してきた相手全員に向かって同じことを――スポドリアスが不正でないなどということはあり得ない、しかし、子どもであれ、若造であれ、成年であれ、いかなることでも美しいことを実行して達成したような者、こんな人物を処刑するのは困難だ、スパルテはそういう将兵たちを必要としているのだから――と言っているのだから」。

[33]
 これを聞いて、彼はすぐにクレオニュモスに伝達した。彼も悦んで、すぐにアルキダモスのところに出向いて言った。
 「あなたがわたしたちのことを気にかけてくれていることは、以前から知っていました。よく承知しておいてください、アルキダモスよ、わたしたちも、わたしたちの友愛ゆえにあなたに決して恥をかかせぬよう気をつけようとしているのだということを」。
 じっさい、彼は〔この言葉を〕欺くことなく、存命中も、スパルテにおいて美しいことをすべて実行したばかりか、 レウクトラにおいても〔7年後。いわゆるレウクトラの戦い。 第6巻 第4章 14節〕、軍令官の デイノンとともに王を守って闘い、三度倒れ、市民たちの中で最初に、敵たちのまっただ中で戦死したのであった。そして、アルキダモスを極端な落胆に陥らせたのであるが、約束どおり、恥をかかせるどころか、むしろ光彩を添えたのであった。とにかく、こういうしかたで、スポドリアスは罪を免れたのである。

[34]
 しかしながら、アテナイ人たちのうちボイオティア贔屓の者たちは、民衆を教唆して、ラケダイモン人たちは処罰しようとしなかったどころか、スポドリアスを称賛さえした、やつがアテナイ人たちに策謀したからだ、と言った。そういうわけで、アテナイ人たちはペイライエウスに城門をつけ、船を建造し、ボイオティア人たちに対しては熱心このうえなく援助した。

[35]
逆に、ラケダイモン人たちの方は、テバイ人たちを攻撃するための動員令を発し、自分たちにとって嚮導にかけてはアゲシラオスの方がクレオムブロトスよりも分別ありとみなして、遠征隊を引率するよう彼に要求した。すると彼は、国家にとってよいと思われることなら何も反対しないと言って、遠征の準備をした。

[36]
そして、 キタイロン山を先に占拠しておかなくては、テバイに侵入するのは容易ではないと判断し、 クレイトル人たちがオルコメノス人たちと戦争状態にあり、外人部隊を養成しているのを知って、彼らと協議し、もしも自分に何か必要性が生じた場合は、外人部隊を差し向けてくれるようにした。

[37]
かくして、越境の生け贄が〔吉と〕出たので、自分がテゲアに入る前に、クレイトル人たちのところの外人部隊の指揮官に使者を送り、2ケ月分の報酬を与え、彼らがキタイロン山を先に占拠するよう命じた。その一方で、オルコメノス人たちには、遠征が続く間、戦争を中止するように言った。もしも、外征が続いている間に、どこかの国に出兵する国があれば、同盟者間の議定にしたがい、その国に先に向かう、と彼は言った。

[38]
 こうしてキタイロン山を越えると、テスピアイに赴き、ここを発進基地にして、テバイ人たちの領地に進撃した。ところが、平野部ならびに最も価値ある領地の大部分がぐるりと濠をめぐらされ防御柵で仕切られているのを見て、あちらこちらと宿営地を変え、朝食後に出陣して、領土の中の自分に面した防御柵や濠の前を荒らした。というのは、敵たちは、アゲシラオスが現れる地点で、囲いの内側で防衛のために彼に対面し続けたからである。

[39]
そして、ある時、彼がすでに陣地へ道を引き上げようとしていたとき、テバイの騎兵たちが、それまでは見あたらなかったのに、突如、囲いに作られた出口から撃って出てきて、それも、軽楯兵たちは夕食のために帰隊しようとして荷造りをしており、騎兵たちもあるものはまだ下馬したばかりであり、あるものは乗馬している最中というようなときに、突進してきた。そうして、軽楯兵たちのおびただしい数を斃し、騎兵たちのうち、 クレアスとエピキュディダスといったスパルテ人、周住民の一人 エウディコス、およびテバイの亡命者たちの何人かを、まだ馬に乗りきっていないところを〔斃した〕。

[40]
しかし、アゲシラオスが方向を転じて重装歩兵たちといっしょに来援したので、〔味方〕騎兵たちは〔敵〕騎兵たちの反撃に疾駆し、重装歩兵たちのうち兵役10年層の者たちも彼らとともに躍りかかった。ところが、テバイ人たちの騎兵は、昼日中にいくぶん酩酊してしまった人のように見えた。というのは、突進してくるのを待って相手に槍(dorata)を投げなければならなかったのだが、〔あまりに早く投げたために〕届かせることができなかったのである。そのために、〔ラケダイモン人たちは〕これほどの距離を引き返してきたにもかかわらず、相手の12人を殺した。

[41]
しかし、アゲシラオスは、敵たちも朝食の後いつも出現することに気づき、夜明けと同時に供犠をしたうえで、できるかぎり速やかに引率して、囲いの中の人気のないところを通過した。その後で、内側にあるものを市域に至るまで切り倒し焼き払った。こういったことをした後で、再びテスピアイに引き上げ、彼らの市域に城壁を築いた。そうして、ここにはポイビダスを総督として残置し、自分は再びメガラに山越えをして、同盟者軍は解散し、市民軍は家へと連れもどった。

[42]
 やがて、ポイビダスは掠奪部隊を遣って、テバイ人たちを奪略・蹂躙する一方、襲撃を仕掛けて領地に仇を成した。対して、テバイ人たちは、仕返しを望んで、全軍でもってテスピアイ人たちの領土に出兵した。しかし、彼らが領地内にあるとき、ポイビダスは軽楯兵とともに肉薄し、彼らを密集隊より他のどこにも展開させなかった。これにはテバイ人たちは大いに悩まされ、侵入したときよりも速やかに撤退に移り、騾夫たちも手に入れた収穫物を投げ捨てて家郷へ逃げ帰った。かくして恐るべき恐慌が軍隊を見舞った。

[43]
この時の彼〔ポイビダス〕の攻撃ぶりは大胆で、麾下の軽楯兵部隊を率い、重装兵部隊には戦闘配置のまま追随するよう命じた。もちろん、彼は敵兵たちの潰走が起こるものと予期していた。なぜなら、自分は断固先頭に立ち、その他の兵たちにはついてくるよう督励し、テスピアイ人たちの重装歩兵にも追随するよう命じていたからである。

[44]
だが、撤退するテバイ人たちの騎兵は、渡河不能な峡谷にさしかかったので、先ずは密集し、次いで向きなおった。渡河できる地点〔を見つけるの〕に窮したからである。この時、〔相手前衛の〕軽楯兵たちは数が少なかったため、相手に恐れをなして逃げた。逆に〔テバイ人たちの〕騎兵はこれを眼にして、こういった連中に対する攻撃の仕方を亡命者たちに教わっていた。

[45]
かくして、ポイビダスと彼の麾下の二、三人は闘って戦死し、これが起こるや、傭兵たちはみな敗走した。そして、敗走して、テスピアイ人たちの重装歩兵たちのところまで達するや、この連中もまた、先ほどまでは、テバイ人たちには我慢ならないと大いに尊大になっていたにもかかわらず、敗走した。追撃されているわけでも何でもないのにである。〔追撃されなかった〕というのは、すでに日が暮れてしまっていたからである。それで、戦死した者は多くなかったにもかかわらず、テスピアイ人たちは城内に達するまでは、とどまることをしなかった。

[46]
やがて、今度は再びテバイ人たちの意気が盛んとなり、テスピアイならびにその他周辺諸都市に出兵した。ところで民衆派は、ここからテバイへと退去していた。なぜなら、これらの諸都市においては、テバイにおいて〔 本章 1節〕と同様、すでに権勢者たちが地歩を固めていたからである。そのため、これら諸都市にいるラケダイモンの友たちは救援を必要とした。そこで、ポイビダスの死後、ラケダイモン人たちは軍令官と1軍団(mora)とを海上から派遣し、テスピアイを守護した。

[47]
 しかし、春になったので〔BC 377〕、再び監督官たちはテバイ攻撃の動員令を発令し、前回と同様、アゲシラオスに嚮導を要請した。彼は侵入にあたって〔前回/ 36節と〕同じ判断から、越境の生け贄もまだ供犠しないうちから、テスピアイにいる軍令官に使いを遣って、キタイロン山麓の道を見おろす頂上をあらかじめ占拠し、自分が行くまで守備しておくように命令した。

[48]
そしてこれを越えてプラタイアに達するや、再び、先ずはテスピアイに赴くようなふりをして、使いを遣って、市場の準備を進めるよう、また、使節団もそこで待機するように命じた。そのため、テバイ人たちはテスピアイへの入口の守備を強化した。

[49]
ところが、アゲシラオスは、翌日、夜明けとともに供犠をし、 エリュトライへの道を進軍した。そして、軍隊にとって2日かかる行程を1日でたどり、テバイ人たちが前回の進入路の守備からもどる前に、 スコロスにある防御柵をすばやく越えてしまった。これを成し遂げると、テバイ人たちの国の東側を、タナグラの手前まで荒らした。なぜなら、〔タナグラを荒らさなかったのは〕この時まだ タナグラを領有していたのは ヒュパトドロスの一派で、ラケダイモン人たちの友だったからである。そのうえで、〔タナグラの〕城壁を左手に確保しながら引き上げた。

[50]
対して、テバイ人たちは、転進してきて グラオス・ステトス〔「老女の胸」を意味する丘〕で迎撃態勢をとり、背後には塹壕と防御柵とを確保して、ここで危険を冒すのは美しいと信じた。というのも、この地点は都合よい程度に狭いうえに、歩きにくいところだったからである。しかしアゲシラオスはこれを見て、相手の方には引率せず、迂回して〔テバイの〕都市に向け進撃した。

[51]
そこで、今度はテバイ人たちの方が、都市が孤立無援なので、恐怖にとらわれ、すでに攻撃態勢をとっていた地点を捨てて、駆け足で、都市へと急ぐために、 ポトニアイに向かう道をとった。この道の方が安全だったからである。アゲシラオスの思案が美しいとの評判を得たのは、まさしく、彼が〔部隊を〕敵たちから遠くへ引き離し、相手を駆け足で退却させたことであった。それでも、軍令官たちの何人かは軍団を率いて、走り過ぎようとする相手に躍りかかった。

[52]
しかしながら、テバイ人たちは丘の上から長柄を投擲し、ために、軍令官の一人 アリュペトスが、長柄に当たって戦死した。とはいえ、この丘からもテバイ人たちは転進した。そこで、スキリタイ人たちや騎兵の何騎かが登ってきて、テバイ勢の殿が都市に向かって駆け抜けようとしているのに吶喊した。

[53]
しかしながら、城壁の近くになるや、旋回したのはテバイ勢であった。スキリタイ人たちはこれを見て、行軍速度よりも早足で後退した。だから、彼らの中で戦死した者は誰もいない。にもかかわらず、テバイ人たちは勝利牌を立てた。〔丘に〕登ってきた相手が退却したからというわけである。

[54]
ところでアゲシラオスは、時機であったので、引き返すと、先ほど敵たちが攻撃態勢をとっていたのを目の当たりにしていた当の場所に宿営した。そして次の日、テスピアイへの道を連れもどった。一方、テバイ人たちの傭兵であった軽楯兵たちは、勇ましく随伴し、〔アテナイの軽楯兵を率いてエレウテライ守備していた。第4章 14節〕カブリアスにも――彼が追随しようとしないものだから――呼びかけをしていたが、オリュントス人の騎兵たちが――というのは、すでに誓約に従って共同出兵していたものだから――、相手が同じように追尾してきたところを、急旋回して坂道の方に追撃し、殺害した相手の数はきわめて多かった。なぜなら、それは騎乗には容易な斜面で、そこで歩兵隊がたちまちのうちに騎兵につかまったからである。

[55]
さて、アゲシラオスがテスピアイに着いてみると、市民たちは党争中にあり、ラコニケ派と称する連中が、反対派を殺すことを望んでいた――その中の一人が メノンである――が、しかし彼〔アゲシラオス〕はこれを認めなかった。むしろ、彼らを和解させ、お互いに誓いを立て合うことを強要し、かくして再びキタイロンを通ってメガラへともどった。そうして、そこで同盟者たちを解散し、市民部隊は家郷へと連れもどった。

[56]
 一方、テバイ人たちは、2年間にわたって耕地からの収穫物が手に入らなかったために、穀物の欠乏に駆り立てられ、三段櫂船2艘で、10タラントンを与えて、穀物を求めて人員を パガサイへ派遣した。そこで、 オレオスを守備していたラケダイモン人 アルケタス(1)は、彼らが穀物を買い集めている間に、三段櫂船3艘を艤装した。情報が漏れないように気をつけてである。そうして、穀物が帰路についたとき、アルケタスは穀物と三段櫂船とを捕獲し、人員を生け捕りにした。その数、300人を下らなかった。そしてこれをアクロポリスの、自分が幕営している当の場所に閉じこめた。

[57]
ところで、オレオス人たちのある者の子どもが〔アルケタスに〕随伴していて、噂によれば、非常に善美な子で、〔アルケタスは〕アクロポリスから降りてこの子にまとわりついていた。捕虜たちはその不用心さをつぶさに観察して、アクロポリスを占拠した。かくてこの都市は離反した。その結果、テバイ人たちはもはや穀物の供給に困らなくなった。

[58]
 さて、再び春がきざしてきたが〔BC 376〕、アゲシラオスは病床にあった。というのは、軍隊をテバイから連れもどり、メガラで彼が アプロディテ神殿から役所にのぼっていったとき、静脈のようなものが破裂し、身体から血が健康な方の膝にほとばしった〔アゲシラオスは跛足であった。 第3巻 第3章 3節〕。そして脚全体が腫れ上がり、苦痛は耐え難く、あるシュラクウサイ人の医師が彼の静脈を足首のところで切開した。ところが、ひとたび〔流れ〕始めるや、彼の血は夜も昼も流れ続け、いかに手をつくしてもその流失をとめられず、ついに彼は失神した。しかし、この時はそれでやんだ。こうして彼はラケダイモンに運ばれてもどり、残りの夏と冬中いっぱい、病がちであった。

[59]
 しかし、ラケダイモン人たちは、春がきざすと、再び動員令を発令し、クレオムブロトスに嚮導を命じた。そこで彼が軍隊を率いて、キタイロンに達したので、彼の軽楯兵たちが道の上の高みをあらかじめ占拠しようとして前進していった。ところが、テバイ人たちとアテナイ人たちの何人かがその高みを先に占拠していて、しばらくは相手が登ってくるにまかせていた。そして、相手が自分たちのそばまでたどりついたとき、突如現れて追撃し、およそ40人を殺害した。こんなことが起こったために、クレオムブロトスはテバイへの道を山越えすることは不可能と考え、軍隊を連れもどして解散した。

[60]
 さて、同盟者たちがラケダイモンに集まったとき、同盟者たちの間から出た話は、優柔不断さのために戦争で消耗しきりそうだということであった。すなわち、自分たちには、アテナイ人たちよりもはるかに多くの船を建造して、やつらの国を飢えで攻略することができる。また、この同じ船で、テバイへも、望むならポキス経由なりと、また望むならクレウシス経由なりと、軍隊を移送することができる、と。

[61]
こういったことを思量して、彼らは三段櫂船60艘を艤装し、ポッリスがその艦隊指揮官となった。たしかに、このような判断を下した人々は欺くことなく、アテナイ人たちは攻囲された。すなわち、彼らの穀物輸送船はゲラストス方面まで達していたのだが、そこへはもはや出帆しようとはしなかった、ラケダイモンの艦隊がアイギナ島、 ケオス島、アンドロス島あたりにいたからである。そこでアテナイ人たちはやむを得ぬことを悟って、自分たちの方から艦船に乗り組み、カブリオスが嚮導して、ポッリスに海戦を仕掛けて、この海戦に勝利した。かくのごとくにして、穀物はアテナイ人たちに輸送されるようになった。

[62]
他方〔BC 375〕、ラケダイモン人たちがボイオティア人攻撃のために軍隊を渡海させる準備を整えている間に、テバイ人たちはアテナイ人たちに対して、ペロポンネソスに軍隊を送るよう要請した。これが実現すれば、ラケダイモン人たちにとっては、彼らの領地を守備するばかりか、自分たちの領地を取り巻く同盟諸国をも守備するのは不可能であり、まして軍隊を自分たちに差し向ける余裕はあるまいと考えたからである。

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ところでアテナイ人たちも、スポドリアスの所行〔本章 20〕が原因でラケダイモン人たちに怒っていたので、ペロポンネソスへの艦船派遣に熱心となり、60艘を艤装して、その将軍にティモテオスを選任した。しかし、クレオムブロトスが遠征軍を引率し、 ティモテオスが巡航している年には、敵国人たちがテバイへ侵入することはなかったので、大胆にもテバイ人たちは周辺諸都市に出兵し、これを再び取りもどした。

[64]
しかしながらティモテオスは、巡航しながらすぐに ケルキュラ島を支配下においた。しかし奴隷人足にすることなく、人々を追放することもなく、法の改編もしなかった。このために、この周辺の都市すべてに好意を持たれた。

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しかし、ラケダイモン人たちも艦隊を反撃出航させ、艦隊指揮官としてニコラコス――非常に大胆な人物であった――を急派した。この男は、ティモテオス麾下の艦船を眼にするや、逡巡することなく、アムブラキア人たちの艦船6艘は自分のもとになかったにもかかわらず、55艘の艦船を率いてティモテオス麾下の艦船60艘に海戦を挑んだのである。そして、この時は敗れ、ティモテオスは勝利牌を アリュゼイアに立てた。

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だが彼〔ニコラコス〕は、ティモテオスの艦船が揚陸され補修されている間に、アムブラキアの三段櫂船6艘も自分に加わったので、アリュゼイア市に向けて航行した。そこにはティモテオスがいた。しかし、相手が反撃に乗り出してこなかったので、今度は彼が勝利牌をすぐ近くの島々に立てた。一方、ティモテオスの方は、手持ちの艦船を補修し、さらにケリュクラ島からも別に追加艤装したので、彼の〔艦船〕は全部で70艘以上となり、艦隊〔の数〕でははるかに凌駕した。しかしアテナイへ金銭を催促した。多くの艦船を所有したため、多くの金銭を必要としたのである。
                         1997.09.26.
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