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紅葉の秋
一段と秋らしくなり,11月に入ると紅葉が盛んになる季節でもある。
紅葉も桜と同様に本当の見頃はほんの僅かの期間しかない。
赤くそまった紅葉を見るには余程のチャンスが無いと見ることは出来ない。
何回か訪れている粟生野光明寺も紅葉の名所として有名である。
本当の見頃の紅葉はまだ一度も見たことがない。是非今年はなんとかその機会を持ちたいものだ
写真に写して来てこのホームページにて是非紹介したいものです。
御影堂 御影堂の前の紅葉 総門を境内から
勅使門の左側を上から 勅使門の横の紅葉 総門より御影堂への階段
今回知った事は一度に紅葉になるのでなく,次第に少しずつ紅葉に移り変わって行く事です。
平日の日でも大勢が紅葉を見るために訪れて,いつもは静かな境内が俄に賑やかになるのを感じた。
心に響く話
まだ読んでいない人に是非お伝えしたい話です。
平成11年11月3日の天声人語からの全文引用です。
『葉っぱのフレディ――いのちの旅』(レオ・バスカーリア作、童話屋)が出たのは1年余り前である。
以来、ベストセラーリストに座り続け、すでに70万部も売れた。絵本としては希有(けう)な大ヒットだ。
春、フレディは太い枝に生まれる。同じように見えて、どの葉も違う。そんなことを学びつつ生き生きと暮らすが、やがて冬。
葉っぱたちは、この世界から自分がいなくなってしまう予感におびえる。でも、大きな葉のダニエルが言う。
「変化しないものは、ひとつもないんだよ」。変化して枯れ葉となったフレディは土にとけ込み、木を育てる力になる。
老人、中年、若者、子どもたち。年齢、性別の隔てなく読まれている。
読者カードの最高齢、兵庫県の101歳の男性は〈久しぶりに童話を読んだ。感動しました〉と書いてきた。
絵本を買うのは、ふつう女性。ところが少なからぬ数の大人の男性も読んでいるという。なぜ、これほど迎えられるのか。
自分が生きてきたこと、働いてきたことの意味がわからなくなった。そんなことなど考えもしないで、わきめもふらず仕事してきたのだが。
――経済的にも不安に満ちたいま、そういった男たちが一段とふえている。
その人たちは、とりわけダニエルのことばに心の落ち着きを見いだすようだ。
読者カードを読みながら、出版した田中和雄さん(64)は、そう考える。
女性の読者には、身近な人の死を体験した人が目立つそうだ。〈落ち込んでいましたが、安らぎを得ました〉と。
若い人には人生論ふうに読まれるらしい。いつの世も若者は、なぜ生きるか、なぜ勉強するのか、悩むものだ。
中身は、日本人の古くからの死生観に重なる。
それがこれほど読まれるのは、愛情を込めた、丁寧な本づくりにもあるだろう。
納得できるまで、と翻訳(みらい なな)と絵(島田光雄)に3年が費やされた。
一度実物の絵本が読みたくなってきた。我々世の中を難しく考えすぎてはいないだろうか,
案外真理なんていうものは極めて単純で判りやすいことなのかも知れないと思いました。
このことは20歳代の若い頃,遥か年齢の違った人生の大先輩から聞いた話で,最近そのことが
少し判りつつあるような気がしてきました。
葉っぱのフレディ
石山寺
滋賀県大津にある石山寺に始めて訪れたのは中学校の遠足で訪れた時である。
浜大津まで京阪電車の京滋線で,そこから改め乗り換え石山寺駅が終点。
そこから石山寺まで歩いて行った記憶がある。
ごつごつとして岩が印象的で,その上にお寺が有った位の印象しか残っていない。
最近は何度か石山寺を訪れている。西国13番の霊場で1200余年前,聖武天皇の勅願によって
良弁僧正により開基され,日本唯一の巨大天然記念物,世界的にも珍しい桂灰岩が聳え立っている。
又紫式部が世界最初の長編小説「源氏物語」を執筆した源氏の間が有る。
紅葉の季節に訪れたので,写した何枚かの写真を掲載してみました。
_石山寺(私が撮影する)
情報過多時代へ?
以前書いた事があるかもしれないが,現在一番情報の媒体で利用されているのは新聞とテレビで次にラジオ,雑誌,本などになる。
インターネットはこれからだが米国ではかなり普及しているようだ゛,日本も次第に加速度的に普及し出している。
各家庭にテレビと同じ位に何時かは普及することは間違いないと思う。それが数年後か,もっと先の話になるかは判らない。
インターネットの普及につれてホームページも増えて来ると思う。
各家庭がホームページを持つようになって,色んな情報を発信するようになると,団欒の時にテレビを見ようかホームぺージを
見ようかと迷うことになるかもしれない。現在でも昔に比べ,ご近所同士の付き合いなどが疎遠化しつつある。
しかし各家庭がホームぺ―ジをもつことにより,それを見ることによって,ある程度疎遠化を補う手段として,
ホームページが大いに利用される時代が来るだろう。インターネットには色んな可能性を秘めている部分がある。
世の中が改善される手段になることを大いに期待したい。
図書館へ行かずして本を探して,読むことは一部では実現している。
世界の美術館・博物館などについても次第にバーチャルで体験見学出来る事も実現可能になりつつある。
ホラー映画
ホラー映画はあまり見たことがない。全く見る気がしない。時々テレビなど見ているとドロドロとした感じの
映画の予告などで見ることが有る。
ホラーなどと外国名がついている所をみると多分にアメリカ当たりが発祥の地なのかも知れない。
これでもかこれでもかといったかなり刺激的な映画が上映される時代になってきた。外国からの輸入作品に多いように思う。
欧米文化が優れているとは言うが,そこまで日本が真似をする必要はないのではなかろうか。
それにつれてかどうか,新聞 雑誌でもかなりドギツイ記事を見かける。
これらの影響によるものかどうかは判らないが,新聞などにも殺人記事が興味本位で日常茶飯事に書かれている。
そういったことではなく,心温まる善行をもっと大きくとりあげ,刺激的でなんとかして,売らんかなーとしたような記事は出来るだけ
避け小さく報道するのが報道人としての良心ではなかろうか。
昔から朝日新聞の天声人語は愛読している。
ピカチュウとかの映画がアメリカで大ヒットしている記事を読むが.刺激的なところが受けているのかもしれない。
ホラーまでとは言わないが日本化されてのドギツさが逆輸出されたものかも知れない。
オウム事件を持ち出すまでもなく,人間は思い込むと何処までも変わりうる部分がある。良識の線を何処までで
線を引くかの選択が重要な要素となってくる。
人間は本能の侭に行動する一般の動物とは違っているのだから。
悪質ないたずらか又は犯罪なのか?
HTML言語について良くわかっていないが,時々ソースを見てみると自分が書いたのとは違ったソースに変わっている。
かなり以前から認めるところであるが,しかし表面に書かれている内容は変わってはいない。
外部から書き換える事の出来るエディターでもあるのかも知れない。
表面に何も変化無く,読む人にわかってもらえればそれで良しと思うこととする。
それを防ぐだけのインターネットに関する知識,HTML言語に関する知識を持ち合わせていない。
ソースを仮に元にもどしても,そのような犯罪心のある人にとっては,又侵されるだけのことである。
それだけの関心を持って頂いているものと喜ぶことにしよう。
盗人にとりのこされし窓の月
恩を知る(松下幸之助の言葉より)
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恩を知るということは、人の心を豊かにする無形の富だと思います。
猫に小判ということがありますが、せっかくの小判も猫にとっては全く価値なきものにすぎません。
恩を知ることはいわばその逆で鉄をもらってもそれを金ほどに感じる。
つまり鉄を金にかえるほどのものだと思うのです。
ですから今度は金にふさわしいものを返そうと考える。みんながそう考えれば、
世の中は物心ともに非常に豊かなものになっていくでしょう。
もっとも、この恩とか恩返しということは決して要求されたり、強制されるものでなく、
自由な姿でお互いの間に理解され浸透することが望ましいと思います。
以上は努力目標で中々にそのような境地になれるものではないものです。
松下幸之助がこのように気ずかれたのは立派なことで,
そのような考え方もあるものかと大変感心致しました。
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