間歇日記

世界Aの始末書


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2002年3月中旬

【3月20日(水)】
安部公房といえば、以前にも書いたけれど、あの“読めない電子本”をどうしてくれよう。新潮電子ライブラリーの『飛ぶ男』である。若い方は仰天すると思うが、この電子本は NEC PC-9801シリーズでしか読めないのだ。黎明期の電子本は、機種依存本だったのである(まあ、いまでも電子本はみな機種依存本だと言えば言えるけど)。そんなマシンはもう家にはない。むろん、紙の本でも出ているからさしたる実害はなく、読みたくなったら買えばいいだけの話だが、なんだか癪に障る。暇ができたらハックしてテキストを取り出してやろうかと思う。老後の楽しみだ。

【3月19日(火)】
「世界征服を企む悪のユープケッチャ」というフレーズを突然思いつく。「今月の言葉」のストックにしようかと思ったが、SFファンならともかく、一般の読者にはわかりにくすぎるネタなので、ここに書いてしまうことにする。いや、ひょっとすると最近は、SFファンでも安部公房に手を出している人は少ないかもしれないから、若いSFファンには通じないかも。“ユープケッチャ”は、安部公房がもともとは短篇で発明した怪生物だが、『方舟さくら丸』(新潮社/新潮文庫)で大活躍(?)するので、興味のある方は、ぜひ読まれたし。
 おれくらいの年齢を下限とする年寄りのSFファンは、安部公房をSF作家の一種だと思っているはずだが、若い人はそうでもないんじゃないかという気がする。下手をすると、なんだか小難しい純文学作家だと思われていそうな気もしないではなく、そのような誤解をしている方には、『方舟さくら丸』あたりが比較的読みやすいSFとしてお薦めだ。たしかに、たいへん読みにくい安部公房作品も少なくないけれど、『方舟さくら丸』くらいから安部公房は「歌うのをやめ」ているため、じつに平易な文体で読みやすい。独特のユーモア感覚は、ときどき夜中に突如稲荷寿司が食いたくなるような感じで、発作的に触れたくなる類のものである。あと、古い作品では、いまだにSFオールタイムベストの上位にランクインする『第四間氷期』(新潮文庫)がすごい。数年前に読み返したときにも改めて仰天したが、いま話題にしてみて、はたと気づいた。あのころの(といっても、おれの生まれる前だけど)安部公房は、まさに日本文学にとっての早すぎたグレッグ・イーガンだったのだ。

【3月18日(月)】
▼このところ「W32/Fbound」というウィルスが流行している。例によってファイルが添付されたメールで感染するのだが、メールのサブジェクトが日本語である点が特徴である。この手のメールは、まず英語のタイトルでやってくるものであって、「I LOVE YOU」ウィルスのときもそうだったが、日本人は言語の壁のおかげで助かっていたところが大きい。ついに、日本語で攻めてくるやつが出現したわけである。「重要なお知らせ」「Re: 例の件」などといったタイトルでメールが来ると、ひっかかる人も少なくないかもしれない。
 このウィルスが送ってくるメールのサブジェクトには、「重要なお知らせ」「Re: 例の件」のほかにもヴァリエーションがあるのだが、どういうわけか「うんこ」「蛙」などがあるのである。「うんこ」なんてタイトルのメールが来たら、たいていの人は「これはもう、いたずらかウィルスにちがいない。怪しい、じつに怪しい」と警戒するだろうが、「蛙」というタイトルだったら、多くの人々が非常に重要なメールだと思うことであろう。思うにちがいない。人間心理を研究し尽くした、じつに怖るべき凶悪な手口である。
 とはいえ、せっかく「蛙」があるのだから、ひとつくらい「蛙」が来ないものかと待っているにもかかわらず、おれのところに来るのは「重要なお知らせ」みたいなのばかり。つまらん。「うんこ」が来たら“当たり”、「蛙」が来たら“大当たり”ということにして、期待に胸をうちふるわせて待っていたのである。
 おお、来た。今日、ついにケータイに「蛙」が転送されてきた。送信者を見ると、おなじみケダちゃんである。はて、ケダちゃんがウィルスに感染したのであろうか、と中身を見た(ケータイで見たからといってどうということはない。ついでに言うと、おれのメール環境では、このウィルスはまったく怖るるに足らない)――「ども、ケダです。ご要望があったようなので、蛙というメールをしました」
 あわわわ。そうだ。「蛙」が来なくて残念だといったことをケダちゃんとこの掲示板に書いたのだった。ご、ご親切にどうも。
 おれは感謝の意を込めて、ケータイから返事を出した――「Re:重要な蛙」
 すると、今度は直接ケータイに返事が来た――「蛙のうんこ」
 なんのこれしきと、おれはまた返事を出した――「Re:例の重要な蛙のうんこの件」
 するとまた返事が来た――「Re:蛉の蛙のうんこは重要の件」
 いったいおれは、人妻相手になにをやっているのだろう?
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『フリーウェア』
ルーディ・ラッカー大森望訳、ハヤカワ文庫SF)
「Treva」で撮影

 『ソフトウェア』『ウェットウェア』に続く、ルーディ・ラッカーの《ウェア》シリーズ第三弾。『ウェットウェア』の翻訳が出てから五年くらい経っているので、まさにお待ちかねという感じである。とはいえ、ラッカーの作品は数年ずれたくらいで内容が陳腐化するようなものではないから、いつ読んだっていいのである。何年か経ったほうが、SFになじみのない読者にはかえってわかりやすくなるくらいのものだ。
 この作品については、またまたおれの予知能力によると、〈週刊読書人〉2002年4月12日号の書評で取り上げるにちがいないから、詳しくはそちらをご参照ください。「詳しくは」っつっても、分量が分量だから、あんまり詳しくないけどね。

【3月17日(日)】
▼日曜日だというので先週のニュースをダイジェストで紹介するテレビ番組は、鈴木宗男の離党会見ばかり、何度も何度も放映している。もう見飽きた。それにしても、鈴木宗男の肩を持つわけではないが、外務省ってのも厭らしい役所だなあ。六年も七年もむかしの事件を、よく掘り出してくるよ、ほんと。やればできるじゃないかと言ってやりたいが、そういう事件が起こったそのときに出せよな、そのときに。離党会見の映像に「宗男怨み節」といったコメントばかりがつくので、ついつい自動的に替え歌を作ってしまった――

ムネオハウスとおだてられ
咲いてみせれば すぐ散らされる
馬鹿な 馬鹿な 馬鹿な議員の怨み節

 もちろん、梶芽衣子に唄ってもらおう。「馬鹿な」のところにため息のような喘ぎのようなものを混ぜて唄うのがコツである。本家「怨み節」は、たしか五番か六番まであったはずなので、暇な人は続きを作ってください。

【3月16日(土)】
▼さて、例の「日本のファーストフード店でチキンナゲットを先に出したのはKFCだったのかマックだったのか」2002年1月11日の日記参照))という大問題に関していくつか情報を頂戴しているので、今日はチキンナゲット特集ということにする。
 まずは、修理屋アさんからの情報。『マックが売りにだした直後、KFCのCMで「骨のないチキンなんて……」で終わるものがありました。20年近く前のことですから、定かではありませんが、当時住んでいた北海道においては、マックの方が先にナゲットを売り出したように記憶しております』とのこと。そんなCMあったかなあ? こっちではやってなかったのかもしれない。二十年前といえば、暗にでも他社と比較するタイプのCMは珍しかったはずで、かなり大胆な試みだ。北海道は地理的なハンディもあるだろうから、商品が発売される順番が本州とはちがうことがよくあるはずで、修理屋アさんのご記憶も正しいのかもしれない。
 余談だが、ケンタッキー・フライドチキンにはときどき“ハズレ”があって、「骨だけのチキンなんて……」とつぶやきたくなることが何度かあった。まあ、あれはスパイスだけ舐めていれば飯が食えるから、“コロモ”さえついていればなんとかなるんだよね。こんなふうに書くと、おれはKFCが嫌いみたいに見えてしまうが、チキンの味なんかどうでもよいほどにキャラの立った安っぽいスパイスがおれは大好きである。毎年、クリスマスには必ずKFCのフライドチキンを食う。納豆くらいに安ければ、毎日食ったっていいくらいだ。
 おなじみケダちゃんは、リサーチをして報告してくださった。まずは、株式会社コムサネットなるところの会社概要によれば、この会社が一九八一年『日本で始めての冷凍「チキンナゲット」コンシューマパックをKFC店舗向けに発売』したことになっている。「始めて」と表記がまちがっているところはご愛嬌だ。一方、昨年9月7日の毎日新聞サイトのプレスリリースによれば、「この『チキンマックナゲット』は、1980年に米国マクドナルドのシェフ・ルネが日本の天ぷらにヒントを得て開発しました。1984年に日本でも販売開始となりましたが、骨がなくて一口大で食べやすいチキンマックナゲットは、発売以来瞬く間に超人気商品となり、この爆発的ヒットが原動力となって、日本マクドナルドが外食産業として初の1000億円企業となったという逸話をもつ商品でもあります」となっている。ああ、これだこれだ、そういえば、この話がトレイに敷く紙にも書いてあった。「日本の天ぷらにヒントを得て開発」ってあたりがどうも後づけ臭いのだが(おれは発明秘話は鵜呑みにしないやつなもんで)、これが正しいとすると、KFCもマックも少なくとも開発は同じころにしていたことになるが、日本での発売はやはりKFCが早かったのかもしれない。山本さんとおっしゃる方からも、前述の(株)コムサネットの証言(?)と、日本マクドナルドの沿革(1984 2月 「チキンマックナゲット」全国発売開始)が寄せられた。山本さんはさらに、Keynote Foods という米国資本の会社の社史にある 1980's の部分に、「An R&D group is formed and the development of the first chicken nugget takes place at Equity's recently acquired manufacturing facility in Tennessee. Pioneered by Keystone, mass-produced, boneless, chicken nuggets are another first in the food industry.」の記述があることも教えてくださった。つまり、チキンナゲットの骨なし・大量生産の技術はこの会社が先鞭をつけたというのである。これが事実だとすれば、マクドナルドの証言と合わせて、米国では八十年代初頭にチキンナゲットが開発され、大量生産の技術も確立したことになる。コムサネットの証言の「日本で始めて」は、いったいどの語にかかるのか曖昧ではあるが、日本国内での大量流通に寄与した会社のひとつではあるのだろう。
 これらの情報から、どうやら日本でチキンナゲットを先に発売したのは、やっぱりKFCであるらしいことが推測できる。さらに邪推すれば、日本マクドナルドは、自社を支える人気商品を日本で初めて流通させたのがKFCであることを忌々しく思っていて、結果的にチキンナゲットではKFCを完膚なきまでに撃破したにもかかわらず、アメリカでは一九八○年に開発していたことを強調する開発秘話を、なにやら誰かに対する言いわけででもあるかのようにムキになって語っているのではあるまいか。日本マクドナルドのリリースを読むと、KFCとどっちが先だったかなどということよりも、なぜアメリカで八○年に開発していたものを日本で発売するのに三年以上もかかったのかのほうがはるかに気になってしまうのだが、そう突っ込まれる危険を冒してでも、「日本では売り出すのが遅かっただけなのだ」と言いたいようだ。会社のトラウマなのかもしれん。
 ともあれ、確証が得られたわけではないが、長年気にかかっていたことにかなり有力な傍証が得られた。情報をお寄せくださった方々、ありがとうございました。いずれにせよ、KFCもマックも、おれの人生にとってはなくてはならないものであり、よきライバルとして相互に刺激を与え合っていただきたいものである。

【3月15日(金)】
▼鈴木宗男議員が自民党を離党。それでも、まだ議員を辞めるつもりはまったくないらしい。記者会見で泣いておったけれども、そりゃあ、泣きたくもなるだろう。先日も書いたように、本人には悪いことをしたという自覚はまったくないにちがいないのである。衆議院議員とはまさにこういうことをするための仕事であると信じて生きてきて、地元のためによかれと思ってなんの良心の呵責もなく国政を食いものにし、エラい人たちの靴を嬉々として舐めては、弱い者を恫喝する、おお、これこそが政治家たるものであるぞ、おれは立派な政治家だぞ――と、心の底から思っているだろうから、靴を舐めた連中や“子分”にしてやった連中が、いっせいに掌を返してそっぽを向くのはおろか、足蹴にせんばかりにしている状況は、おそらく鈴木宗男にとって主観的には不条理以外のなにものでもない。こんなに一所懸命いいことをしてきたのに、なぜ世間はおれをいじめるのか?? そう思っていることだろう。だから、あの涙はホンモノである。鈴木宗男はウソ泣き、ウソ怒りの名人だそうだが、あの涙に関しては、おれは疑っていない。ほんとうに「世の中、理不尽だ」と思って泣いているのだろう。じつに哀れだ。気の毒だ。ま、要するに、アホとしか言いようがない。あのような記者会見でいい爺いが泣いているのを観ると、もっと泣けもっと泣けと思ってしまう自分がちょっと可愛い今日このごろである。

【3月14日(木)】
▼世間はワールドカップで持ちきり。おれはサッカーにはまったく興味がないものだから世間が騒げば騒ぐほどしらけるのだが、政治的に大きな意味のある催しでもあることだし、少しくらいはサッカーの勉強をせねばならんなあと思っているところである。が、たぶんしないに決まっている。『ニュースステーション』(テレビ朝日系)だけ観ておれば、いくらサッカー音痴のおれでも基本的なことは勝手に頭に入るだろう。あの川平とかいう、やたらめったらテンションの高い男が教えてくれるにちがいない。彼を見ると、なぜか帰ってきたウルトラマンを連想する。団時郎(当時は団次郎)になんとなく似ているのである。
 それはともかく、サッカーには、ほかのスポーツより好感の持てるところがある。ルールもなにも知らなくても、どうすれば勝ちでどっちが勝っているかがよくわかる点だ。テニスやらバスケットやらのようなややこしい点の入りかたをしない。とにかくいつも誰かが走り回っているから、相撲のようにいらいらと待つ時間がなくてよい。まったく、サッカーほどわかりやすいスポーツはないのではあるまいか。
 あれだけわかりやすいのだから、一度TOTOというやつを買ってみようかとも思うのだが、いまだに実行していない。ビギナーズラックは、非常のときのために残しておこうとも思うからである。

【3月13日(水)】
菊川怜JビーフのCM――「美女と和牛〜」
 やられた! これはおれが考えついて然るべきネタである。不覚じゃ。さすが東大出、侮れん。「和牛一族の陰謀」くらいなら誰にでも考えつくのでいかにも凡庸なのだが、「美女と和牛」は意外と出ないものだろうと思う。どこがちがうんだって言われてもねえ。なんとなく難易度がちがうのである。わかる人にはわかるのだ。なに、そんなもの、わかりたくもない? まあ、そんなことおっしゃらず。常にこんなことばっかり考えていると、人生、濃密で楽しいぞ。
 で、またまたどうでもいいことなのだが、菊川怜という名前は言いにくい。おれはつい kikkawa と発音してしまう。ウェブサイトのローマ字表記を見ると、どうやら kikukawa が正しいらしい。自分で言いにくくないのかなあ?

【3月12日(火)】
“マダム・フユキの宇宙お料理教室”を最近やってないが、お料理教室で取り上げるまでもないが、うまい料理というやつはあるのだ。“マダム・フユキの宇宙お料理教室”がB級・C級グルメのための企画だとすれば、D級以下の、しかし、うまい料理がたしかにある。たぶん、たいていの人が実行していることと思うのだが、米にシーチキンをぶっかけて食うのは異様にうまい。米に添えて食うのではない。あくまで、“ぶっかけて”食わなくてはならない。なんとなれば、シーチキンそのものよりも、あのを米にからめるのが目的であるからだ。米にからめたシーチキンの脂! あんなにうまいものはそうそうないであろう。米に牛乳をかけて食うのもけっこううまいが、シーチキンの脂にはとてもかなわない。お釈迦様にご馳走したいくらいである。この料理(?)に唯一欠点があるとすれば、見るからに品のない食いものであることくらいであって、どう見ても猫の餌にしか見えない点にさえ目をつぶれば、日本が世界に誇れる料理のひとつである。日本に長年暮らしていて、よもややってみたことがない人がいるとも思えないのだが、念のため、ご紹介しておこう。

【3月11日(月)】
鈴木宗男衆議院議員の証人喚問。録画してまで観たいとは思わないので、夜のニュースでハイライトシーン(?)を観る。あいかわらずこの男は、なにを言っているのかさっぱりわからん。鈴木氏の証言を聴いていて呆れ果てたのは、やっぱりこの男、地元への利益誘導こそが衆議院議員の使命だと思っているらしいのである。国政の場に出てくる議員として、そのことを恥ずかしいともなんとも思っていないらしいのである。それどころか、そういうスタンスを誇りにすら思っているらしいのである。で、本人は、そのことをまったくヘンだともなんとも思っていないらしいのだ。本人がヘンだとも悪いとも思っていないことを責めても柳に風なのはあたりまえで、バカバカしいことおびただしい。今日の証人喚問でそのことがよくわかった。何度も言うが、やっぱりこの男は、団地の自治会の世話役かなにかに留まっているべき器の人物であろう。一般的に、こういう人物は身近な人々からはけっして悪人とは思われていないし、もっと言えば、悪人になれるほどの器ですらないわけだ。会社でもなんでもそうだが、面倒見だけが異様によい太鼓持ちを必要とする場とそうでない場とがある。そういう人物が留まっているべき、分相応の役柄というものがある。北海道にかぎらず、われら有権者はそのことを肝に銘じ、国政の場に送り出してよい人間と悪い人間とを見極めてゆく必要があるだろう。分不相応に能力があると勘ちがいさせられ、不適な場所に出てゆく本人だって可哀想なのである。鈴木宗男だって、地元の世話役にでも留まっておれば、適材適所、それなりに尊敬されながら一生を終えたかもしれないのだ。しかし、永田町が鈴木宗男のような人材を常にトカゲの尻尾として必要としていることはどうやら事実らしく(なあ、野中さんよ)、そうした需要があるかぎり、第二、第三の鈴木宗男が出現するのは必定だろう(というか、すでにたくさんいるんだろうな)。それを止められるのは、有権者だけだ。鈴木宗男に石を投げて喜んでいる若者よ、選挙にだけは行ってから石を投げよ。


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