ギリシアにおける虹rainbowの女神で、ヒンズー教のマーヤーと同じように、現象界の色とりどりのヴェールを擬人化したもの。ヴェールの背後では、自に見えない女神の精霊が、生成の仕事に従事していた。この虹の女神は、数々の神話において、大地と天界との間にかげられた橋を体現していた。この橋は、北欧の異教では「虹の橋」、メソポタミアでは「イシュタルの首飾り」、日本では「神々の道」、ペルシアでは「キンヴアッド橋」だった[1]。
ギリシア人によると、虹は、「天の高みから降る雨の源」であると同時に、愛の神エロースの母親でもある女神イーリスのシンボルだった[2]。イーリスの名にちなんで名づげられた眼球の器官(虹彩)がコレー(瞳)と同一視されることがあったように、女神イーリスも、女神コレー、「処女神」、あるいは「女性霊」であって、視覚器官であると同時にそこに映った可視的世界でもある「大いなるシャクティ」の異形の1つだった。イーリスのスペクトルは、すべての色を包含していた。メソポタミアの7層のジッグラトは、虹の色と同じ7色のスペクトルで彩られていた。ジッグラトの7層は、 7つの天球層を意味しており、信者たちは、入信時の巡礼の儀式の一環として、象徴的な形で「第七天国」(最上天)まで昇った[3]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ギリシアの虹の女神。ハルピュイアの姉妹とされる。彼女は長衣の上に軽衣をまとい、有翼の姿で表されている。
虹の一般的な象徴的意味については
〔一般・媒介〕 虹は、地上と天上とを結ぶ〈道〉であり、〈媒介〉である。神々と英雄たちが、あの世とこの世を行き来するのに使う〈橋〉である。このような、ほとんど普遍的ともいえる機能は、ピグミー族にも、ポリネシアにも、インドネシア、メラネシア、日本にもあることが確認されている。ヨーロッパ以外の文明に限ってもこれだけある。
〔象徴・橋〕 スカンジナヴイアではビフロストの橋、日本では「天の浮橋」。プッダが天から降りてきた7色の階段は、虹である。同様の概念は、イランからアフリカまで、北アメリカから中国にまで見出される。チベットでは虹は橋(pont)そのものではない。昇天する君主の魂なのである。そこで間接的に〈ボンティフエクス〉(大神宮)つまり天と地の橋渡しの概念に導かれる。虹と天の両者は語源的にも象徴的にも関連があり、天のブルトン語〈kanevedenn〉は、古ケルト語の原型〈kambonemos〉「天の曲線」を前提とする。それで、虹の象徴的意味は〈天〉と〈橋〉の象徴的意味と結びつく(OGAC、12、186)。
プリヤート族のシャーマンが利用するリボンは、虹と命名され、「一般にシャーマンの、天への上昇を象徴する」(ELIC、132)。中央アフリカのピグミーの信仰では、神は彼らと親交を結ぶ意図を虹によって示す。
虹は、天界の神の属性が、太陽神へ移った例なのだ。「虹は天界の神が顕現する場と考えられて、太陽と結びつき、フェゴ島人にとっては太陽の兄弟になる」(ELIT、SCHP、79)。
ドゴン族の場合、虹は、太陽を生み雨を放尿する自羊宮が地上に降下する〈道〉とみなされる。カメレオンは虹と同色なのだから、虹と関係がある。やはりドゴン族の信仰では、虹には黒・赤・黄・緑の4色があり、白羊宮が木靴で走ったときにできた足跡である(GRIE)。
ギリシアでは、虹は神々の使者の女神イーリスだ。また一般に天と地の、神々と人間の関係を象徴する。虹は神の言葉である。
〔5色の虹〕 中国では、虹にあるとされる5色の結合は、〈陰〉と〈陽〉の結合に当たる。これは宇宙の調和のしるしであり、また宇宙の豊饅のしるしである。シヴァ神の弓は虹に似ているが、インドラ神の弓はまさしく虹とされる(インドラ神の弓を意味する〈エイントナ〉は、今日でもカンボジアではインドラを指す)。ところでインドラ神は地上に雨と雷を放つが、この2つとも天の活動の象徴である。
〔7色の虹〕 5色でなく7色の虹は、イスラム神秘主義において、宇宙に反映された神の美点のイメージを表す。なぜなら、虹は「雨という不安定なヴェールに映った太陽の逆のイメージ」(ジーリー)だからである。インドやメソポタミアでは虹の7色は7天と同一視される。チベットの仏教によれば、雲と虹は〈サンボーガ・カーヤ〉(報身)と、その雨への解消〈ニルマーナ・カーヤ〉(化身)を象徴する。
〔旧約聖書〕 反対物の結合(l'union)とは、分離した両半分の「再結合」(la réunion)でありき容解である。そこでゲノンが示唆するように、ノアの方舟の上方に現れた虹は、「世界卵」の片割れである「下の水」と「上の水」とを再結合し、宇宙秩序の再生と新しい循環の懐胎を象徴する。聖書はもっとはっきりと虹を「契約」の具体的表れとする。「さらに神はいわれた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる」」(『創世記』9、12-17)。
〔新約聖書〕 ド・シャンポーは、同じイメージを新約聖書の中に見出す。ペテロの舟がノアの方舟を引き継ぐのだ。「この貝殻の内部に教会の秘跡が封じ込められている。秘跡はその使命からいっても、正方形に象徴される宇宙と共通の外延を持つ。ノアとともに、神はく新しい宇宙〉の正方形を、神意の虹色に輝く〈円〉の中に前もって組み入れた。神は新しいエルサレムの計画案を立てた。この契約はすでに成就であり、聖母の被昇天である。なぜなら神は約束を違えないから。光背をつけたビザンティンあるいはローマのキリスト像は、しばしば虹に包まれて君臨する」(CHAS、108)。
〔ヘビ〕 雨と虹が結びつくことから、多くの伝承では、虹が神話のヘビのイメージを連想させる。東アジアでは地下世界から出てきた〈ナーガ〉〔ヘビ、竜〕になる。この象徴体系はアフリカや、ゲノンによればおそらくギリシアでも見られる。というのはアガメムノンの鎧に、虹が3匹のヘビで表されるからだ。それはともかく、この象徴は天地の間に展開される「宇宙的交流」と関連する。ブッダの虹の階段は2匹の〈ナーガ〉を段にする。同様の象徴的意味はアンコール(アンコール・トム、プレア・カン、バンテアイ・サムレ)にも見出され、ここでは〈ナーガ〉の手すりのついた道が虹のイメージである。そのことはアンコール・トムでは、道の端にインドラ神がいることによって裏づけられる。付け加えておけば、アンコールでは同じ概念が門(もちろん天の門)の横木に表される。〈インドラ〉神と〈マカラ(摩褐魚)〉が2匹の〈ナーガ〉を吐き出す。「マカラのアーチ」が虹と天の雨を象徴するのは非常に一般的である。中国の伝説では仙人がヘビのようにとぐろを巻いた虹に変身する。これに関連してさらに次の点を指摘しておこう。虹を示す漢字が少なくとも5つあり、どれも部首に〈虫〉を含む。ヘビと同じ部首である。
〔不吉〕 付け加えれば、虹が周期的再生と結びついて(だから伏義の誕生時に虹が現れた)、一般に吉兆を告げるとしても、宇宙の調和に混乱が生じる前兆にもなりうるし、さらに恐るべき意味になることさえある。同一の象徴的観念複合体の別の面、左側あるいは夜の面なのである。准南子が書いている。「国家が滅亡の危機にあるとき、天の様相が一変し……、虹が現れる……」。南ベトナムの山岳民族では、虹を媒介とした天地の関係は不吉であって、病気や死をもたらす。虹の意味の〈プルラン・カン〉は起源が不吉で、指さしたりすればレプラを招きかねない。ピグミー族の場合、虹は「天の危険なへど」であり、2匹のくっついたヘビによりできた太陽のアーチのようなものである。ネグリト・セマン族では、虹はニシキヘビだ。ときどき「天空に忍び込んで風呂に入る。そのとき、ありとあらゆる色で輝く。浴槽から水をこぼすと、地上では太陽の雨となり、人間にとってきわめて危険な水である」。
ネグリト・アンダマン諸島民にも、災いをもたらす。森の精のタムタム(太鼓)であって、虹が出ると病気と死の予告になる(SCHP、157;167)。逆にコロンビアのチプチャ族は、妊娠した女の守護神とみなした(TRIB、130)。
インカ族の場合(LEHC)、虹は雷と雨の神イヤパの羽冠である。イヤパは残忍で手に負えない人間とみなされ、したがって古代ペルー人は虹を見ようとせず、もし見てしまうと手で口を閉じた。プェプロ・インディアンは、地下神殿の内部に通じる、だから象徴的に地下の勢力の領域に通じる〈梯子〉を虹と名づけた。
インカ族にとっても、虹は不吉で、天のヘビだ。「このヘビがまだウジ虫でしかなかった頃、人間に拾われ、食べに食べたせいで巨大になった。食料に人間の心臓を要求したために、人間はへどを殺さざるを得なくなった。鳥がその血に身を浸すと、羽毛が虹の鮮やかな色彩に染まった」。
中央アジアでは、「虹が川や湖の水を吸い込んだり飲んだりすると、かなり一般的に信じられている。ヤクート族は虹が人間を地上からさらうことがあるとさえ信じている」。カフカス山脈では、虹によって雲の間に連れさられないようにと、子供たちに注意する(HARA、152)。
(『世界シンボル大事典』)