ギリシアの聖処女で、「母なる大地」(デーメーテールDemeter)の内なる霊魂の表象。コレーという名は、それが極めて広範囲に分布していることから考えると、「世界のシャクティShakti」すなわち「宇宙の女性霊」の太古の名称のひとつだったに違いない。コレーの異形†には、Ker、Car、Q're、Cara、Kher、Ceres、Core、さらには女神カーリーKaliの異名であるサンスクリット語のKaurまたはKauriがあった。
コレーの異形
新石器時代のアジアには、カリア人の祖神にあたるケルあるいはカルという名の神秘的な女神がいた[1]。ガリポリ半島にあったこの女神の都市は、「女神カル」の意のカルディアCardiaだった。kardiaは「心臓」の意のギリシア語になり、corは「心臓」をさすラテン語になった。両語とも、「世界の心臓」に相当する女神から派生していた。母系の血族関係を表す言葉にも、同じような音節が見られる。すなわち、ゲール語のcairdeanは「親族」をさし、トルコ語のkardesは「同じ母親を持つ兄弟姉妹」の意味だった[2]。ともあれ、女神コレーは、「世界の心臓」Kardia ton kosmosになった[3]。
エジプトのカルナックやブルターニュのカルナックなどの聖地は、今から5000年以上も前に巨大な神殿や葬祭用建造物群があった場所だが、カルまたはコレーに捧げられていた。フランスには、ケルレスカン、ケルカド、ケルマリオといった同じような名前の場所があって、お互いによく似た(規模の大きな)礼拝堂が立っていた[4]。ケルマリオという名は、異教の処女神(ケル)の名と女神マリの名を結びつけたものだった。ちょうどカーリーがケル・マリとなって顕現していたように、女神マリもあるときはケルの娘、あるときはケルの母、またあるときはケル自身に相当した[5]。ブルターニュのカルナックやドナウ河沿岸のカルヌンタムの住民たちは、ローマ時代には、自分たちのことをカルヌーテ(「女神カルの子孫」)と呼んでいた[6]。
エジプトの初期の王朝時代には、ヌビアにケルマ(「母なるケル」)と呼ばれる場所があり、そこでは大量の生贄が捧げられた。ケルとよく似たカラという名の女神が、初期のエジプトの王たちによって崇拝されていた。エジプト人たちは、ケールKherと呼ばれる東方の国に言及しており、パレスティナ王国のことを「カールKharuの国」と呼んでいた[7]。
カルあるいはカルナは、ローマ人たちの間では「昔の女神」として知られており、古代におけるカル(またはカルナ)崇拝は、スパルタのカルケイアの祭りとか、古典ローマのカーニバルCarnivalと関連があった[8]。カルは、ローマ字のアルファベットを発明したカルメンタ(「カルの心」)の名で呼ばれることがあった[9]。カエリウスの丘の上にあった太古からの神殿には、女神カルが祀られていた[10]。後世におけるカルの異名のひとつにケレスCeresがあり、このケレスからcereal(穀物)、corn(麦あるいはトウモロコシ)、kernel(仁または穀粒)、core(芯)、carnal(肉体の)、cardiac(心臓の)などの語が派生した。
東方では、この古くからの女神カルは、いたるところに存在していた。一説によると、彼女は、ラコニアのカリュアイの神殿に仕えていた巫女たち(KaruavtideV)の母、アルテミス・カリュアティスだった[11]。テュロスの港市カラーリス(現在のカリアリ)は、この女神に捧げられていた[12]。イスラエルにおける最古の聖地のひとつに、カルメル山と呼ばれる「庭」があったが、そこはカルの土地であると同時に、カルの息子や夫の「男神たち」baalimの土地でもあった[13]。
コレーは、コプト人の宗教にあっては、偉大な力を持った女神であり、4世紀には、アレクサンドリアで盛んに崇拝されていた。コレーイオンすなわちコレーの祭りは、毎年1月6日に行われた。この祭りは後にキリスト教に吸収され、「御公現の祝日」Epiphanyになった。コレーの祭りは、この処女神が新年の神アイオーンを生んだことを祝うものだった。このときコレーの裸像が、金の星や十字架のしるしで飾られ、人々にかつがれて、神殿の周囲を7回まわった。聖職者たちは大衆に向かって、処女神がアイオーンを生みたもうたと宣言した[14]。
コレーイオンの祭りはイギリスの伝承に伝えられ、キルン(「収穫の祭り」)になった。のちに教会は、この祭りを「聖母マリアの祝日」に変えた。キルンKirnは、その中に穀物神が甦った聖なる「子宮の壺」を表すギリシア語kernと語源が同じだった[15]。この場合も、コレーあるいはケルは処女母(virgin mother)だった。女神コレーの収穫の道具、すなわち、「月の鎌」は、この女神の祭りがキリスト教に吸収された後も、やはりその祭りを表象していた[16]。
プルートーンがコレーを誘拐したというギリシア神話は、グノーシス派の資料によれば、男神が女神の権力を奪い取った事例のひとつだった。「プルトニオス・ゼウスには、……この世のすべての生き物を養う力はない。なぜなら、果実を実らせてくれるのはコレーだからである」[17]。コレーの復活は、季節が巡ってくるたびに草木が甦ることを表していた。コレーはまた、人間の魂に命を与え、両方の眼を通して外界を観察している「世界霊」でもあった。眼の瞳に映った像は、眼の中のコレー、すなわち眼の中の「乙女」として知られていた。この映像を、アラビア人は眼の中の「赤子」と言った。聖書では、娘あるいは霊魂をさして、「汝の目のリンゴ」(「瞳」あるいは「非常に大切なもの」の意)と呼んでいるが(『箴言』第7章 2節)、もちろんリンゴには必ず女神コレーのシンボル(すなわち五芒星形の芯)が宿っていたのである。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)