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カベイリア(Kabeivria)

 プリュギア、サモトラーケー島、およびその他の地域で行われたカビーリ(古代ギリシアで秘教祭式によって祀られた農耕神。東洋起源の神々とも言われた)の秘儀で、デーメーテールがその女神となったときの添え名である。この秘儀はエレウシースの秘儀についで重要であった。カビリアのは若い神で、その名はディオニューソスガニュメーデース、カビリオス、といろいろであった。テーバイでは、太女神はデーメーテール・カビリアと呼ばれ、ときには、「カビーリの3人のニンフ」という3体の女神でもあった。カビリアが神と性的に合体することを表すシンボルは、インドやエジプトと同じものであった。すなわち、男性を表す容器から女性を表す容器に水を注ぐことであった[1]。 point.gifJar-bearer. 昔からカビリアという語には好色的含意があったため、中世では、魔女の名前によく用いられるようになった。


[1]Neumann, G. M., 324-25.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 カベイリア(Kabeivria) とは、カベイロスたち(KavbeiroV, pl. Kavbeiroi)の密儀のこと。
 カベイロスたちは兄弟で、これの姉妹がカベイリスたち(KabeirivV, pl. KabeirivdeV)である。
 その祭事がta; Kabeivria、バーバラ・ウォーカーの言うデーメーテールの添え名は、hJ Kabeiriva、アクセントの置き場所が異なるだけである。
 語源に2説あり、ヘブライ語"kabbîrîm"とする説(Menge)と、サンスクリット語"Kubara"とする説とがある。前者は、彼らが密儀の神をMagavloi Qeoiv〔大神〕と呼ぶことと合致し、後者は「毘沙門」が富貴の神であり、冶金の精霊たちも地中から宝を掘り出すという言い伝えと一致する。しかし、L&S&J は両説とも怪しいという。確かなのは、東方起源の地母神らしいということのみである。
 Kavbeiroiはラテン語でCabiri〔Cabirusの複数形〕となる。

 KavbeiroiはプリュギアPhrygiaの豊穣神。前5世紀以後航海者の保護神とも考えられ、この点から彼らはディオスクーロイと同一視されるにいたった。
 その祭は秘儀であり、そのためその名を直接に呼ぶことをさけて、ギリシアでは《大神》(Magavloi Qeoiv)とも呼ばれた。
 崇拝の中心はサモトラーケーSamothrakeの島であるが、レームノスLemnos島や小アジア、またオルぺウス教の影響でボイオーティアのテーバイ市ではカベイロイの年長者(=ディオニューソス)と子供の二人の形で崇拝された。
 神話ではへーパイストスとカベイロー(Kabeirwv)(またはその子カドミロスKadmilos)より三人のカベイロイが生れ、その娘たちがカベイリデスであるとも、彼女たちは三人のカベイロイの姉妹ともいう。
 カベイロイの数も三、四、七人と諸説があり、さらに四人のばあい、その名はアクシュロスAxieros、アクシオケルサーAxiokersa、アクシオケルソスAxiokersos、カドミロスであって、おのおのギリシアのデーメーテールベルセポネーハーデースヘルメース(ローマではユーピテル、メルクリウス、ユーノー、ミネルウァ)であるともいわれる。
 またカベイロイはサキトラーケーの英雄イーアシオーンとダルダノスとも同一視されている。彼らの系譜や数に関して上記のように一致がないのは、彼らの崇拝が密儀であり、その名もまた秘密であったためと考えられる。
 彼らはレアーの従者の中に数えられ、コリュバースたちやクーレースたちと同一視されていることもある。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)


 カベイロイの密儀については、ヘーロドトスが言及している。 —
『歴史』第2巻51節
 しかしギリシア人が勃起した男根を具えたヘルメース像を造るのはエジプト人から学んだのではなく、ギリシアではアテナイ人がはじめてこれをペラスゴイ人からとり入れ、アテナイから他のギリシアへ広まったものである。アテナイ人は当時既にギリシア人の数に加えられていたが、そこへペラスゴイ人が移ってきてアテナイの国土に共に居住することになったもので、それ以来ペラスゴイ人もギリシア人と見なされるようになった。カベイロイの密儀はサモトラーケー人がペラスゴイ人から伝授を受けて行っているものであるが、この密儀を許されたものならば、わたしのいわんとするところは判るはずである。というのは、アテナイ人と共住するに至ったペラスゴイ人は、以前サモトラーケーに住んでいたもので、サモトラーケー人は彼らから密儀を学んだものだからである。そのようなわけでギリシアではアテナイ人がはじめて、男根の勃起したヘルメース像をペラスゴイ人から学んで作ったのである。これについてはペラスゴイ人の間に聖説話が伝えられているが、その内容はサモトラーケーの密儀において示されている。

同 第3巻37節
 カンビュセスは〔メンピスで〕、祭司以外の者は立ち入りが禁止されている、カベイロイの聖所へも侵入し、その神像をさんざんに愚弄した挙げ句、焼く払うという暴挙まで敢えてした。カベイロイの像もヘーパイストスの像によく似ており、カベイロイはヘーパイストスの子と伝えられている。