古代ギリシア以前からの鍛冶Smithの神。母神ヘーラーを守ろうとしたため、ゼウスによってオリュムポスの神々の住む天界から地上に投げ落とされた。へーパイストスは古代アマゾーン女人族の工匠の一員であり、それゆえ、「天界の父神」に低抗したのだった。ヘーラーがゼウスと仲違いしたときには、彼はヘーラーの側についたのである。へーパイストスはアプロディーテーと結婚した。彼は、原初の「海の女神たち」テティスやエウリュノメーとは仲の良い間柄だった。へーパイストスはアテーナーと同じ神殿に合祀された。彼は、アマゾーン女人族の鍛冶の工匠の例にもれず、足が悪かった。火によって太母神の「深淵」に受胎させた古代の神々と同じく、へーパイストスも火山や稲妻と関連があった。へーパイストスの主要な聖所の1つにレームノス島があったが、この島は、アマゾーン女人族によって建設された母権制の植民地だった[1]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
へーパイストスとアテーナーを合祀した神殿がアテーナイにあったが、彼の名前はへーメロ・パイストスhemero phaistos「昼のあいだ輝く者」(つまり太陽)が訛ったものかもしれない。アテーナーの方は、鍛冶やあらゆる機械技術を守って「夜のあいだ輝く」月の女神だった。青銅時代の道具や武器や家具の類はすべて魔力をもっていて、鍛冶の工匠はどことなく魔法使いに近い存在であったということは、一般に知られていない。そこで三面相の月の女神プリギットの三態のうち、ひとりは詩人たちを、他のひとりは鍛冶の工匠を、最後のひとりは医師たちを統べていた。女神がその地位から退けられるにおよんで、鍛冶の工人が神の地位に格上げになったのである。鍛冶の神がちんばだという言いつたえは、遠く西アフリカやスカンディナヴイア地方にまでひろがっている口碑である。これはたぶん古代に、鍛冶屋たちが脱走して敵方の部族に寝がえりをうたないように、彼らをわざとびっこにしたのかもしれない。しかし、鍛冶の技術の秘密と関係のある淫乱な祭の際に、びっこをひくやまうずらの踊りがおどられたこともあるし、それからまたへーパイストスはアプロディーテーと結婚していたから、年に一度だけ、すなわち春の祝祭のときに、彼がびっこをひくしぐさをしたということかとも考えられる。
冶金術ははじめ、エーゲ海諸島からギリシアにつたえられたものであった。ヘーパイストスが、レームノス島の洞窟でテティスとエウリュノメー ともに宇宙をつくりだした海の女神のよび名 にまもられて育ったという神話は、ヘラディック期の精巧にしあげられた青銅や金の細工ものが輸入されていたという事実から説明がつくであろう。ヘーパイストスがこの洞窟に九年の歳月をすごしたということは、彼が月の支配をうけていたことを物語っている。彼はオリュムポスからつきおとされたが、これはケパロス、タロース、スキーローン、イーピトスや、そのほかの例にみるように、ギリシアの多くの地方で、自分の統治期間をおえた聖王たちに共通な運命なのであった。黄金の松葉杖というのは、おそらく、彼の神聖な踵を地面からひきあげるために考えだされたものであったろう。
へーパイストスがもっていた三本脚のテーブル二十台というのは、イギリスのマン島の紋章とおなじように三本の脚をもつ黄金の日輪をかたどっていて、どうやらティーリエンスの都を築いたガステロケイレスたちの話とまったくおなじ起源のものらしい。この三本の脚をもつ黄金の日輪なるものは、ヘーパイストスとアプロディーテーの結婚をえがいた古代の図像のようなものをふちどっていたのにちがいない。この三本脚の日輪は、三季からなる暦年をあらわすとともに、鍛冶の王の統治期間をも示しているのである。鍛冶の王は太陽時と太陰時が接近する二十年目ごとに殺されることになっていた。この二十年という周期がアテーナイで公認されたのは、ようやく前五世紀の末になってからのことであるが、それより数百年もまえから発見されてはいたのである(『白い女神』二八四ページおよび二九一ページ)。ヘーパイストスは火山性のリバライ諸島にあるウゥルカーヌスの鍛冶場と関係があった。というのは、彼の信仰の中心地であるレームノスは火山島で、モスキュロス山の頂きから噴きあげるアスファルト性の天然ガスは幾世紀にもわたって燃えつづけ、その勢はすこしも衰えなかったからである(ツェツェース『リュコプローンについて』二二七。およびへーシュキオスの辞典・モスキュロスの項)。四世紀のメトデイオス司教が述べているところによると、リユキアのレームノス山にもおなじような噴煙が燃えつづけていて、一八〇一年にもなおその火があかあかと見られたという。この二つの山のどちらにもへーパイストスをまつる神殿があった。レームノス(この語源はたぶんleibein「噴きだす女」であろう)というのは、女家長制の栄えていたこの島の偉大な女神の名前であった(ビューザンティオンのステパノスの引用によるヘカタイオスのレームノスの項)。(グレイヴズ、p.132-133)
原始時代には手先の技術を要する仕事はすべて神聖視されたので、鍛冶仕事は天地創造に大きく影響し、古代のすべての民族に鍛冶神や火の神が登場する。誰もがアグニ、ヴルカヌス、へーパイストス、さらにおそらくバビロニアのギッルを思い浮かべるだろう。鉄鍛冶としてのブラフマーは人間をつくったし、メキシコのミチョアカン人〔ミチョアカン州に住む先住民族タラスコ族〕は、自分たちは鍛冶神によって金属からつくられたと信じた。セレベスのトラジャ族はランコーダ(足を引きずる神)と呼ばれる地下に住む鍛冶神をもち、この神は、トラジャ族の魂の「質」を試験する。そして「天上界の鍛冶」〔創造の神であると同時に偉大な医者〕は、衰えた魂を鍛えなおす! 『リグ・ヴェーダ』では、インドラが神々の鍛冶であり、『アヴェスター』は、アメシャ・スペンタ(Amesha Spenta ; 光明神アフラ・マズダ配下の7人の神々の1人)たるクシャトラ・ヴァイリア(Kshatra Vairya)を金属の守り神として認める。しかし、しばしば地中の火の神と同一視される鍛冶の神は、両面価値的な神の典型的な例で、救済者にも悪霊にもなる。盲目の神ホドル(Hodur)がバルドル(Baldur ; 光と平和の神)を殺したとき、ロキ(Loki ; 北欧神話に登場する不和と悪事をたくらむ火の神)はホドルの手を引いた。同じように、鍛冶ケダリオン(Kedalion ; へーパイストスの弟子)は盲目のオーリーオーンの道案内をした。また、ユダヤ人のある言い伝えによると、盲目のレメク(Lamech)がアダムの息子カインを殺したとき、トバルカイン(Tubal-Cain : 鍛冶の始祖とされる)が盲目のレメクの手を引いて道案内したということである〔創世紀4.23-24はこのことまで述べていないが、11世紀頃に書かれた聖書やタルムードの注解によっている〕。
ヴルカヌスは古代ギリシア・ローマの2人の鍛冶神のなかでもっとも議論を呼ぶ神である。カルコピノとトゥータンが率いるフランス学派は、ヴルカヌスを、後にへーパイストスの特徴を受け継ぐテヴェレ川の神とするが、ほかの人々は、古代ローマの火の神、すなわち後に鍛冶の火の神になる破壊と浄化をする自然力とみなす。しかし彼は大地の神でもあり、たぶん火山灰が土地を肥沃にする理由から、植物と土の女神であるマイア(Maia)と一緒に崇拝される。攻略した敵の武器はヴルカヌスに敬意を表して燃やされる。また、ヴルカヌスはトゥビルストリウムは(Tubilustrium ; 軍用ラッパ清めの祭日)には軍用ラッパを鍛造した神として姿を現し、へーパイストスの象徴物であるフェルト帽、ハンマー、火箸、エプロンを身につける。オスティア(Ostia : テヴェレ川河口にあるローマの港)におけるヴルカヌス崇拝は非常に古くからあるが、ヴルカヌスはエトルリア神話のセスランス(火と鍛冶の神)と軽々しく同一視されてきた。このセスランスは、ヴルカヌスがへーパイストスに似ている以上にへーパイストスにずっと似ていて、へーパイストスがレームノス島で仕事したようにアポロニアで仕事をした。ヴルカヌスの息子力一クス(Cacus)はディギディイ族(ダクテュロイ族)によってプラエネステで育てられ、エトルリア人はカークスが稲妻を鍛造したと伝える。
以上見てきたような特徴をヴルカヌスに関する最古の文献に見出すことはできないので、ローズは、ヴルカヌスは地中海の東部出身の神、すなわちこ地域の出身であるへーパイストスと類似した特徴をもっ大地の火の神であるとの考えに心が傾いている。しかしヴルカヌスが非常に早い時代にオスティアに到来したことは十分考えられることである。
ヘーパイストスの象る像のほうが一層はっきりわかっている。彼の故国はフリュギア・カリア地域で、もっとはっきりいえば、ファセリス〔Phaselis ; トルコ南西部にある古代リュキアの都市〕とリュキアのオリンポス山(Olympus、現ウル山)の地域であったらしく、この地域では多くの燃焼する気体という形で大地の火の神として顕現し、昔は崇拝の対象になった。へーパイストスはレームノス島、ナクソス島、サモス島をも故郷とし、カリア人、あるいはペラスギ人と一緒にアテネに来て、アテーナーと「結婚」した。へーパイストスはしばしば小アジアの貨幣に描かれるが、この神を手足の不自由な神とするあらゆる伝説と異なり、手足の不自由な神として表現されることは滅多にない。ヘーパイストスを助けるのはダクテュロイ族と小人のような姿の者たちで、山の火で鋼を鍛える。へーパイストスは、マンハルト(Wilhelm Mannhard ; 1831-1880)が主張するような明け方に太陽を鍛える鍛冶ではなく、火山の自然を司る豊饒の神、大地の火の神である。レームノス島のへーパイストスは、元来、東ら彼に同行した大地の女神であるカビローの恋人であった。キナイトーンはへーパイストスをダイダロスのいとこと呼び、へーシオドスはヘーパイストスをカリス,あるいはアグライアと結婚させるが、ホメーロスはアプロディーテーとの結婚を主張した。へーパイストスの性質の荒々しい力強い側面は、彼の場合、他の神々以上にずっと長く残り続けた。イーリアスでは依然として彼はもっぱら鍛冶の神である。ときどき、たとえばへーパイスティア〔へーパイストスを祝う古代ギリシアの祭り〕のさなかに火が地上に運び出されるとき、へーパイストスはプロメーテウスに共通する特徴を見せる。
へーパイストスはまた伝説上の「抜群にすぐれた鍛冶」、たとえばヴィーラント〔ゲルマン神話に登場する鍛冶屋〕すなわちヴェールント〔北欧神話に登場する鍛冶を司る妖精の王〕、ミーミル〔北欧神話に登場する知恵の泉を守る番人で鍛冶〕、イルマリネン〔フィンランド神話の鍛冶神〕、その他多くの鍛冶のうちの幾人かと共通点を多く有する。ヴィーラントは〔ニドゥンク王によって〕足の腱を切られて留め置かれ、へーパイストスはヴルカヌスと同じく跛行する。しかしアマゾーン女人族は足が不自由な人を皮革職人や銅細工師として用いたので、多くの工芸家は古代では足が不自由な人であったといわれる。ちょうどヤコブが神と戦って足を不自由にされたのと同じように、へーパイストスはゼウスに足を不自由にされる。しかしへーパイストスは一般的にいって(描かれるとすれば)一方の足のみが不自由であるように描かれる。非常にすぐれた鍛冶にまつわる伝説のなかでもっとも美しいものは、『カレワラ』(第8章、第9章)で高い空の金属の丸天井や魔法の武器サンポ〔sampo ; 臼の形をし、小麦粉・塩など富を生み出す〕をつくるイルマリネンに関する伝説である。冶金の歴史を扱ったこの章の研究をさらに進めるためにはまだ多くのことをしなければならない。しかしながら、その仕事は民俗学者と宗教史家にゆだね剖べきである。(フォーブス『古代の技術史』下II、p.585-588)
テル・ゼロール〔イスラエル、シャロン平野にある遺跡〕のアスタルテ土偶に似たものは、キュプロス島の青銅産業遺跡からも出土している。また、土偶と青銅産業とを結びつける出土状況は、キティオン、エンコミ、アティエヌなど各所で発見されている。例えば、キティオンではスラッグと共に発見されているし、アティエヌやタマソスなどの工場街からも出土した。また、とりわけ注目すべき出土物は、獣皮形インゴット上の男女神像であり、それは前12世紀から次の世紀にかけて、キュプロス島の青銅産業地区の聖所で図像として確立していたと思われる。現在までに知られる例(完形品)は男女神各一体ずつで、男神の像はエンコミの神殿祉から見出された。女神の像〔左図〕は考古学者の手で発見されたものではない。全体は青銅製で脱蝋法によりつくられ、高さは約10センチメートル、男神は武装し、カナアンの戦神バールの特徴を示している。それに対し、女神は上記の青銅器時代オリエントの女神土偶の図像に、ミーノース文明の女神のそれを加味した姿をとっている。両像は別々に発見されたが、カナアン神話のバールとアナト(アスタルテ)のぺアであることは疑いがない。
とりわけ女神像は、鉱脈の多産と青銅産業の女守護者としてまつられていたと考えられる。鉱脈を含む岩盤そのものが地母神として神聖視される例はいたるところに見られる他、鍛冶屋と地母神系女神の結びつきの例としては、同時代のティムナやシナイ半島のエジプト系工場ではハトホルがまつられていたし、ウガリットのバール・アナト神話群には手工芸の双子神コタル・ワ・ハシスが現れる。また、ギリシア神話では、キュプロス出身とされる地母神アプロディーテーが火の神アレースや鍛冶の神へパイストスと特別の間柄にあったことも示唆するところ大である。
キュプロス島では、このようなタイプの地母神の神殿や聖所は、工場街と城壁の間に位置した。それは域外への排煙のためでもあったが、むしろそこでは青銅産業全体が神殿とその祭司たちによって経済的にコントロールされ、工場は収入の一定額をインゴットや製品の形で奉納していたと見られる。別言すれば、キュプロス島の地母神は青銅産業と農耕生活とを通じて、都市とその市民全体の守護者の地位を得ていたのであろう。(小川英雄『イスラエル考古学研究』p.129-130)