カッパドキアの大地生成力を表す霊格で、その祭儀は狂宴を特徴とする。
後にアルテミス、ディオニューソス崇拝に包摂された。(松村武雄『古代希臘における宗教的葛藤』p.1011, 1012, 1029)
古今、どこの国でも幼児たちはお母さんを「ママ、マンマ、ママン、マミ」などと呼ぶ。ママは外来語で、日本の昔の赤ちゃんはそうは呼ばなかったじゃないか、と思われるかもしれないが、赤ちゃんの最初に覚える言葉はご承知の通り「んまんま」であり、「まんま」である。「まんま」は飯の意味であるが、嬰児にとっては、それは「おっぱい」すなわち母乳である。そのことは『源氏物語』の「蓬生」や『枕草子』にも「乳母(まま)」として言及されている。ラテン語でもマンマは「胸、乳房」を意味し、「哺乳類(英語のマンマル)」の語源となっている。
古代メソポタミアでは「お母さん」はシュメール語で「アマ」といい、アッカド語では「ウンム」といった。古代エジプトでは、ヒエログリフの「子供を抱く女性」は「メナト」(育児の女、乳母の意)と読み、半円形の「乳房」は「メネジュ」と読むという。(『古代メソポタミアの神々:世界最古の「王と神との饗宴」』p.36-37)
以下、バーバラ・ウォーカーの所説。
印欧諸語において「母親」を意味する基本的な音節であり、しかも、マーそのものが「女神」の本源的な名称として崇拝された。(「父親」を指す語がそれぞれの言語によって異なるのに対して)「母親」を意味するこの語が各国語に共通しているということは、人類がまだ父系の概念に思いいたらなかった大昔に、母親を意味する同一の言葉が最古の発祥地から世界各地に伝播したのか、それとも、すべての人間が生後初めて言葉を口にするとき、本能的に「マー」の類いの音を発してその昔を母親の乳房と関連づけ、その結果この言葉が、(『民数記』11:12に見られる、胸に乳飲み児を抱いて「授乳する父親」というモーセの不条理な発言にもかかわらず)乳を与えてくれる母親と実感される女神への、強い信頼の念と結びつくにいたったのか、そのいずれかであることを示している。
マー(Mâ)
マ・マMa-Maは、ほとんどすべての言語において、「母親の乳房」を意味している[1]。「ロシアからサモア諸島にいたる世界の各地で、あるいはエジプト、バビロニア、インド、アメリカ大陸などの古代言語において、『母親Jを指す語は、mamaと言われているか、または、mamaに若干の変更を加えた異形である」[2]。古代アナトリアでは、「母親」はマー・ベローナであり、シュメールやアッカドの太女神はママ、マミ、マミトゥなどと呼ばれることが多かった。中南米の女神はママ・コチャ、ママ・キラ、ママ・クナなどの名を持っていた[3]。
極東では、母系親族の構成員を結合している母方の血の絆は、ママタmamata(「わたしのもの」)と呼ばれていた[4]。Maは、聖なる文字とみなされ、「生命の火種」(bindu、またはvindu)のような図形(ヤントラ)にあっては、「大いなるヨーニの中に」あると言われた[5]。それは、Maという文字が、同一母系親族内のすべての霊魂を1つに結びつけている霊妙な本質的要素(経血、すなわち、母親の血)を指していたからである。したがって、マーMaやママタmamataは、同じ母親を持つ子孫たちは同じ血を共有しており、親族内部で互いに傷つけ合うことは我が身を傷つけるに等しいという考えを表していた。このように、母系親族という観念は、平和を維持する実際的な手段だったのである。
古期印欧諸語にあっては、多くの場合マーは、「英知」、すなわち、世界の初めに四大を結合して多様な形態を創造した母なる力と定義されていた[6]。古代エジプトでは、この母性的な力に対して、マ・ヌ、マー、あるいは、「万物照覧の目を持った太女神」であると同時に、「真理の精霊」でもあるマートの名を与えていた[7]。
原始時代におけるイランの月女神マーMah(または「月」の意のアル・マー)も、マーMaの異形だった。アラブ人はマーMahをキス・マーQis-Mah(「運命」)と呼んだが、キス・マーはトルコに入って転靴し、キスメトになった。マーMahは一連の救世主を生み、それぞれの救世主は「母なるマーMahによって、導かれた者または与えられた者」の意のマーディMahdiと呼ばれた。ペルシア人はマーMahの名を、「死と再生」Mourdad-Ameretat という文字から作られた聖なる「言葉」とした[8]。また、表意文字MAは、女神の乳房からの乳を飲むことによって得られた不死の状態を意味すると言われた。このことは、マ・マの本来の意味が、「母親の乳房」であったことを思い出させてくれる。
ヘブライ語の場合、聖なる文字MAは、「液体」と「誕生」の意のアルファベットの2文字を結合したメム-アレフだった。この聖なるしるし(メム-アレフ)には霊験あらたかな護身の力があるとされ、紀元前9世紀の初めからユダヤ人の護符に記されていた[9]。この風習は、ペルシア人またはエジプト人の風習をまねたものと考えられる。エジプト人の母なるアセト〔イーシス〕は、「マーの護符」、すなわち、彼女自身の滋味豊かな液体(乳、水、経血など)の泉を表す壷を身に着けていた[10]。マーはまた、「原初の深淵」マ・ヌとして、3つの大なべをシンボルにしていた[11」。今日においても、「豊穣の水」を擬人化したタントラの女神は、ママキと呼ばれている[12]。
エジプトの神話では、生命を養ってくれる乳房マ・マMa-Maを逆にして、冥界の「貪り食う女」アム・アムAm-Am(「霊魂を食らう者」)が生み出された。古代の宗教における循環方式に従って、与える者が奪う者に変容させられたのだった[13]。
コマナの太女神マーMaは、「トロス山脈の谷間やイリス川の両岸に住んでいた神殿奴隷たち全員から崇められていた。キュベレーと同じくマーも古代アナトリアの女神で、豊穣な自然を擬人化したものだった」[14]。マーはローマに移されて、戦闘の女神ベローナと融合した。ベローナは、子供たちを守るときの母親の戦意に匹敵するあの不屈な闘争心を擬人化したものだった。
現代では、音節Maが持っていた神聖な意味を認識しているのは、ヴードゥー教など、半ば魔術的な無名の宗派に限られている。ヴードゥー教の場合、巫女は女神の霊の体現者で、mamaloiあるいはmamboと呼ばれている[15]。しかしながら、マーMaが世界各地で「母親」の同義語であるという点に関しては、現在も変わっていない。
Motherhood.
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)