ヤドリギは異教信仰によれば、冥界に近づく手段となる「金枝」であった。枯れたヤドリギの金色は、金と同様に、神格化のシンボルと考えられた。生きているヤドリギは、オーク(カシワの木)の神ゼウス、ユピテル、あるいはドドナのディアヌス(「木立の女神」である「月母神」ディアーナ・ネメトナの夫)の生殖器とみなされた。
生贄を捧げる季節にドルイド教の祭司は、黄金の三日月型の鎌でヤドリギを切り落とし、オークの神を去勢する儀式を行った。切り落としたヤドリギは、地上に落ちる前に白い布で受け止められ、生贄に供されたすべての神と同じように、「天と地の間」に留まった[1]。
ヤドリギの持つ男根としての意義は、その白味がかった実が精液の滴だという概念にもとづく。これはヤドリギに対応して女性を意味するヒイラギの赤い実が、女神の月経の血を表すのと同様である。一般に印欧民族の間では、神は生贄に供される前に去勢castrationされる習慣があった。
聖なるオークの木崇拝は、キリスト教時代を通じて続いていた。 8世紀に、へッセン人はゲイズマールでオークの木の神を崇拝し、聖なるオークの木にジョーヴ(ユピテル)の名を与えた。 1874年にいたっても、ロシアにあるオークの木の古代の神殿は、正教の司教が率いる教会員たちによって崇拝を受けた。ロウソクが木に取り付けられ、参列者たちは、「ハレルヤ、聖なるオークよ、我らがために祈り給え」と祈りを捧げた。続いて狂宴が行われ、酒が供された[2]。ヤドリギの下で接吻をするという近代の風習は、かつてはオークの木の神の儀式につきものであった性の狂宴の名残りである。
ノルウェーの異教徒にとってヤドリギは、オーディンの息子の、救世主-神バルデルの死を象徴した。パルデルは、最後の審判の日の後で再臨が待たれている神であり、そのとき彼は新しい創造を行うために地上に戻ってくると言われている。パルデルは、オーディン自身の別名である「盲目の神」ホズルの振るったヤドリギの槍によって殺された。一説には、ホズルは、パルデルの双子の兄弟で闇を表し、エジプトにおける光と闇の年を司る神々、ヘル〔ホルス〕とセトに相応するという[3]。
一説にはサクソン語のmis-el-tuは、サンスクリット語の「メシア」(ヴィシュヌ)を意味するMasと、大地の子宮の比喩であるtal (穴)から派生したとされる。したがってヤドリギは「母親-花嫁」のもとへ赴く神が入って行く入口を示した。ヤドリギのノルウェー語はGuilhelであって、ウェルギリウスの「金枝」と同様、「冥界への案内役」 Guide to hellを意味している[4]。
キリスト教に改宗したのちにサクソン人は、ヤドリギは「エデンの園の木々の中心にある禁じられた木」つまり「知恵の木」であったと主張した。ヤドリギはイエスの十字架を作った木にも寄生していたと一般に考えられていた[5]。
男根としての意味から、ヤドリギは、冥界の子宮を開ける鍵とされた。鍵と男根は、秘教の書物では同じ意味を持つものとして考えられたからである。いくつかの専門書には「すべての鍵は薬草のヤドリギを用いれば開く」と書かれていた。「女性の」薬草のアルキオネとともに用いれば「男性の生殖行為を増進させる」とされた[6]。
ヤドリギに対する異教的な考え方は、ルネサンス時代にもまだ信じられていた。ヤドリギは新しいメシアのエンプレムとして、受け入れられ、クリスマス・イヴには、イングランドの教会の「高い祭壇まで運ばれた」。
しかしキリスト教の著作者は、「間違いか、あるいは寺男の無知による以外に、ヤドリギが聖なる教会内に入ったことは決してなかった。ヤドリギは、ドルイド教の異教徒の儀式において顕著に認められるように、異教的な、神を冒涜する木であるからだ」と強く主張している[7]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔ケルト・象徴〕 現代のブルターニュ地方を除いて、ケルトの地域全体にわたって、ヤドリギの象徴的意味には、特有な名称がある。どのように採集するか記述したプリニウスの有名な一節の中で、ガリア人は、ヤドリギにすべてを直す意味の名前をつけている。まさに〈uileiceadh〉と〈olliach〉の意味であり、〈不死、活力、肉体の再生のシンボル〉を見なければならない。
〔ゲルマン・神話〕 バルドルのゲルマン神話では、王は、自分を具現するヤドリギでパルドルを殺した。この表現で、生のある形態からほとんど神に近い高度な生への移行が象徴できる。
〔ブルターニュ・言語〕 ヴァンヌのブルトン語には、いろいろなヤドリ木の代わりとなるものの中に奇妙な名称〈deur derhue〉「コナラの木」がある。しかし、これが言語学的、または古代の象徴的意味を持つかどうか、まったく明らかではない。コナラのヤドリギは、きわめてまれである。
〔ガリア・宗教儀式〕 ガリアのドルイド僧が、このヤドリギを使用していたことについて、おそらく、部分的な説明はできる。コナラのヤドリギを見つけるのは非常にまれである。それを見つけたとき、月の第6日に盛大な宗教儀式をして、ヤドリギをつみ取る。月で「ガリア人は、自分らの月、年、30年の時代も始めるからである。この日を選んだのは、月がすでに相当な形になっているが、それでも大きさは半分もないからである。彼らは、ヤドリギを、〈あらゆるものを癒す者〉という意味の名前で呼ぶ。木の根元に、生贄を供えてから、初めて角をくくった2頭の白い雄ウシを連れてくる。白い衣装を着た祭司が木に登り、白い布でくるんだヤドリギを、半月形の金色の鎌で切る。そこで、彼らは供物が役立つよう神に祈り、生贄として捧げる。飲み物にいれて飲んだヤドリギが、不妊の動物を孕ませ、あらゆる毒に対する薬になると信じる」(『博物誌』16、249)。プリニウスが記述した儀礼は、おそらくケルトの1年の始まりを示す11月の祭りに関連があり、ヤドリギの不死と再生の象徴的意味とうまく一致する。コナラのヤドリギを選んだことには、おそらくドルイド僧における植物の象徴的意味と関係がある。
〔象徴〕 しかし、ヤドリギは、英知を象徴することはありえない。それ自体(木と学問の同等性)、力と英知両方のシンボルだからである。だが聖職者は、治療する力も持っている。さらに、ヤドリギを空を飛ぶ鳥が運ぶことをつけ加えることができる。これが不死の象徴的意味を一層強めるのである(⇒金枝)(LERD、60-62)。
(『世界シンボル大事典』)