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Fish(魚) 〔Gr. ijcqu:V

mosaic48a.jpg  太母の世界的シンボルは「魚の容器」vesica piscisと言われる、先の尖った楕円形の女陰を表す記号であった。これは、ヒンズー教徒が女陰の女神そのものの添え名にしていた「魚のような匂い」と関連があった。ヒンズー教徒は、女の性器は魚のような匂いがすると言っていた[1]。中国の太母観音(女陰のなかの女陰)はしばしば魚-女神として出現した[2]。シヴァのペニスを呑み込んだカーリーは「魚のをもつ」者であるミーナークシーになった。エジプトで、ウシル〔オシーリス〕のペニスを呑み込んだアセト〔イーシス〕が「深淵の大魚」アプトゥになったのと同じだった[3]

 魚と子宮はギリシア語では同義語であった。すなわちdelphosには両方の意味があった[4]。本来のデルポイの神託は、しばしば大きな魚、つまりクジラかイルカ(delphinos)の形をした、古代ギリシア以前のテミスという名前の深淵の魚女神のものであった。女神が父-息子を呑み込んで蘇生させる一群の神話が、ユダヤのヨナの伝説からギリシア・ローマの神話の「イルカに乗った少年」まで、シンボリズムのあらゆる体系に入っている。イルカの役をする女神は「魚が群がる子宮をもつ」サラキアのアプロディーテーだった、とアピュレイウスは述べた[5]

 アプロディーテーの「少年」はパライモーンといって、生贄として死んでいく神ヘーラクレースと同じ深淵の子宮に沈んでから、新しくなった若い太陽であった[6]。魚-女神であるサラキアのアプロディーテーは、女神の神聖なである、金曜日に魚を食べる狂宴を催して、「好色」をもたらすといわれた。カトリック教会は金曜日に魚を食べる異教の習慣を受け継いで、それが神聖な断食であるかのように装った。しかしこれは軽薄な偽装であった。金曜日はラテン語では dies veneris (ウェヌス〔ヴィーナス〕の日)、つまり恋愛の日であった。これがチュートンのヨーロッパでは、プレイアの日となった。魚は「催淫的な」食物であるという観念は、今も広く普及している。

 ケルト人たちは、魚を食べると母の子宮に新しい生命が宿ると考えた。ケルトの英雄トゥアンは魚の形になって、アイルランドの女王に食べられた。女王はトゥアンを再妊娠して、新しく「誕生」させた[7]。別の神話では、魚はおとぎの国の聖なる泉を伴う母-木から生まれ、「知恵の血」の固まりと関連があるとされた[8]。この固まりは血のように赤い女神ボアンの木の実と呼ばれ、聖なる泉で泳いでいた「知識のサケ」に食べられた。「詩人や語り手は、扱いにくい主題を扱った話になると『知識のサケを食べていなければ、どんなものかとても書けなかった』ということがよくあった」[9]

 ローマ帝国では、女陰-女神の魚のシンボルが大変に敬われていたので、キリスト教会筋は、神話を広範囲にわたって修正して、古い女性-生殖器の意味は否定しながら、シンボルだけは受け継ぐと主張した。ギリシア語のichthys (魚)がイエス・キリスト、すなわち神の子の頭文字を組み合わせたものであったので、魚はキリストを表すと主張する者もあった。しかし、キリスト教の魚を表す記号は、女神の女陰、すなわち天国の門の記号と同じであった。つまり2つの三日月が魚の容器を形成している。ときには、子供のキリストが容器の中に描かれていることもあった。容器は聖母マリアの腹の上に置かれていて、古代の女神のシンボリズムの場合と同じく。明らかに子宮を表していた。

 中世のある賛美歌では、イエスを「聖母マリアが泉で捕まえた小さな魚」[10]と呼んでいた。聖母マリアは処女アプロディーテー-マリ、あるいはマリーナと同じと見られた。このマリーナは海の魚を全部生み出した。アプロディーテーの最大の神殿であるキュプロスの遺跡では、マリアは今もパナギア-フロディテサとして崇められている[11]。聖書の用語では「マリアの息子イエス」は「マラの子イエシュア、あるいはヌンの子ヨシュア」(『出エジプト記』 33: 11)と同じ意味があった。これはまた魚-母の子の意味もあったのだ。マリマリティ、ナル・マラトゥ、マラなどのマリアのメソポタミア名の多くはへブライ語のメムMemのように「海」と「母」の両方を表す表意文字で書かれた[12]。へブライ語の聖なるアルファベットでMenの次に来る字はNun (魚)であった。

 もう1つの女神を表す聖書の中の名前は、メヒタベル、エジプトの魚-母メヒットがヘブライ語化したにすぎない[13]


[1]Campbell, C. M., 13.
[2]Goldberg, 98.
[3]Campbell, Or. M., 149.
[4]Briffault 3, 150.
[5]Neumann, A. P., 6.
[6]Graves, G. M. 2, 102.
[7]Spence, 94.
[8]Briffault 2, 631.
[9]Joyce 1, 439. ; Squire, 55.
[10]Harding, 58.
[11]Ashe, 192.
[12]Hooke, M. E. M., 24.
[13]Budge, D. N., 151.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



一般〕 魚は、当然、それが住んでいる基本要素の、水のシンボルである。クメールの歴史記念物の基礎の部分には、魚が彫刻されている。これは、建物が「下方の水」、地下の世界に浸っていることを表す。この点で、魚は、水の持つ「溶解」の作用に加担する。よって、「不純」なものとも考えられる。このことは、聖マルティメスが魚の頭と胴が分化していない点に注目して、いっていることにも通じる。しかしながら、『レビ』では、確かに供物にすることは禁じているが、他の水生動物とちがって、魚だけは食用にしてもよいとしている。

インド・神話〕 水のシンボルであり、〈ヴァルナ〉神の乗り物でもある魚は、誕生、あるいは周期的に行われる復活と結びついている。神の示現は、「水の表面」においてなされる。魚は、《救世主》であると同時に、《天啓》の道具でもある。

 魚マツヤは、〈ヴイシュヌ〉神の〈化身〉である。マツヤとなった神は洪水のとき、現世の支配者である〈マヌ〉を救ってやった(ブラーフマナの洪水伝説)。マツヤは、次にマヌに『ヴェーダ』を手渡す。すなわち神聖な知のすべてを彼に明かしたわけである。

キリスト教〕 ところで洗礼の水は、キリスト教信者の生来のすみかであり、復活の道具であるところから、信者は魚である。そこでキリストは、しばしば漁夫として表現されるわけであるが、キリスト自身も、魚で象徴される。こうして、ちょうど神の化身マツヤが、〈マヌ〉の小舟を導いていくように、魚がキリスト教徒の集団の乗った小舟(教団)を導くことになる。

北インド・ネパール〕 カシミールには、マツエーンドラナートというのがいる。「漁夫」と考えられるし、また、観世音菩薩と同一人物でもあろう。この人は、魚に変身したあと〈ヨーガ〉の啓示を受けたといわれる。

古代・中近東〕 古代エジプトの聖なる魚や、フェニキア人の〈ダゴン〉(半人半魚体の主神)、メソポタミア人の〈オアンネス〉などにも、同じようなシンボリズムが見られる。とくにメソポタミア人の魚は、はっきり《啓示者》と考えられていた。キリストの1つの形象とさえ考えられていた。

ギリシア〕 救い主イルカのテーマは、ギリシアでよく知られていた。アンチオンを難破船から救ったのもイルカである。さらにイルカは、〈アポッローン〉礼拝とも結びついている。デルポイという町の名は、それにちなんでつけられた(イルカはdelfivVという)。

極東〕 魚は、恐るべき増殖能力と、無数のとによって、生命と多産のシンボルでもある。カップルを組んで移動するところから、極東の絵の中では、団結のシンボルとなっている(DANA、DURV、ELIY、CHAE、GUES、MUTT、SAIR)。

イスラム〕 イスラムもまた、魚を豊穣の概念と結びつけている。魚の形をした雨を降らせるような魔法もある。繁栄とも結びついていて、魚を食べる夢を見るのは吉兆とされる。「インド・ヨーロッパ系民族の画像で、魚は水の表徴、豊餞と知恵の象徴である。大洋の深みに隠れて、その体全体には、深淵の聖なる力が浸透している。湖底に眠り、大河を渡って、雨、湿気、洪水を配って歩く。こうして世界の豊餞の鍵を握っている」(PHIU、140)。

中米〕 魚は、中央アメリカの原住民においては、トウモロコシの神のシンボルの1つである。

ヨーロッパ〕 G・へンツェによれば、男根のシンボルでもある(HENL)。マドレーヌ期(旧石器時代最終期)の、骨に刻まれた彫刻にも魚を見ることができる(ブルイユ)。

インド・小アジア〕 サンスクリット語で、愛の神は、「シンボルに魚を持つもの」と呼ばれる。シリアの諸宗教では、魚は愛の女神たちの表象である。アナクシマンドロス(ギリシアの哲学者、紀元前611-547)は、こう書いている。古代の小アジアでは、「魚は、すべての人間の、父であり母である。そのために、食用にすることは禁じられている」。

 魚は、しばしば菱形と組み合わされる。とくに、バビロニアの円柱では、そうである。マルセル・グリオールは、ボゾ族(ニジェール川中流)の割礼に使うナイフは、「魚を切るナイフ」と呼ばれると指摘している(GRIB)。

中国〕 中国では、魚は幸運のシンボルである。コウノトリ(長寿)と組み合わされ、両者で喜びと幸運を意味する。

エジプト〕 エジプトでは、魚は、生でも乾燥したものでも、人々の常食の対象であったが、「聖化された人物」、すなわち、王や神官は食べることを禁じられていた。ある時代の伝説で、プシリスの神官がクロミス(ナイル川に住む魚の1種)に変身したとされた。このため、決して魚を食べないことになった。

 女神の1人は、「魚たちの選良」と呼ばれた。まさに、雌のイルカにも、与えられた名称である。伝説や儀式のやり方によって、さまざまではあるが、一般的に魚はあいまいな存在である。「黙っていて人をとまどわせる存在である。ナイルの、緑の水の中に隠れているが、輝いている存在である。水中のこの魚は、恐ろしいドラマの永遠の参加者である。だから、毎日、世界の果ての入江で、バラの縁飾りをつけたヒレを持つクロミスと、紺青のアブジョンとが、人知れず誕生している。そして、太陽神ラーの船(⇒小船)の、水先案内をする魚の役目を果たすとともに、怪物〈アポビス〉(暗黒を支配するヘビの邪神)の出現を監視する」。お守りでは、このクロミスは、吉兆と守護のしるしであった(POSD、227)。

キリスト教〕 魚の象徴体系は、キリスト教にも、それ特有の適用を受けつつ、あるものは排除されて取り入れられた。ギリシア語のイクテュスICQUS(魚)は、事実、キリスト教徒にとっては、表意文字と考えられていた。この5つの文字が、〈イエス・キリスト=Ihsou:V CristovV〉、〈神の子Qeou:〉、〈われらの救世主UiJovV Swthvr〉を表していた。だから、魚を象徴的に用いた聖画像が、初期キリスト教の建造物には見られた(とくに葬儀に関するもの)。大部分、この象徴的意味は、キリスト論の枠内にはあるが、なかには、やや異なった色合いも加わってきた。魚は、食用にされ、復活したキリストも食べた(『ルカ』24、42)ので、聖体の食事のシンボルとなり、パンのかたわらにしばしば描かれることになった。

 魚は、水中に住むので、ときには、そのシンボリズムに洗礼への暗示が加わることにもなった。洗礼の水から生まれたキリスト教徒は、小さな魚にたとえられ、キリストのイメージ自体にも比べられた(テルトウリアヌス、『洗礼論』1巻)。

キリスト教・芸術〕 魚は、キリスト教の芸術家に、豊かな聖画像を生むきっかけを与えた。魚の背に舟を配して、《キリスト》とその《教会》を象徴した。魚がパンかごを持っていたり、じかに皿にのっていれば、《聖体》を表した。地下墓地では、キリストのイメージそのものを表していた。

占星術〕 双魚宮は、黄道十二宮の12番目で、最後にあたる。219日から320日までにあたり、春分の日のちょうど前に位置する。この宮は、プシキズム、すなわち内面の暗闇の世界を象徴する。この世界は、神あるいは悪魔と交信できるため、占星術では、受動的で影響を受けやすく、恒常性を欠く性質として扱われる。伝統的に、彼らの師は、木星で、海王星も発見後はそれに加えられた。

 水の3要素(ternaire aquatique)という占星術用語は、冬期の増水や、物を破壊し飲み込んでしまう浄化の大洪水と同じものと考えられる。すべてが飲み込まれる、動きの早く、名も知れぬ大きな大洋も同一物である。ここでは、《湿気》が、帝王のごとく支配している。拡散、溶解、包み込むこと、各部を全体へ融解する、これらの原理である湿気は、全体となり我々を取り巻く巨大な流体、無限の宇宙の大洋のごとく広がっている。

 伝承によって、へその緒のように、口と口とでつながった2匹の魚を描いて、双魚宮のしるしとした。その庇護下、我々は、大宇宙の潮汐活動に参入する。ちょうど、水滴が大海に飲み込まれるように、我々も人間社会の一員として社会に参加できる。さらに、この宮では、判然としない、未分化で、水に溶解し、溺れたような状態の世界にいることになる。個人主義は消え、無制限ゆえに、ゼロから無限へと行ける。この宮は、木星の保護の下に置かれた。原初の泥土から最終段階の溶解までの、宇宙的な溶解と統合の原型としての、海王星の保護下にも、とくに置かれた。《双魚宮》は、その本性は、極度の精神的柔軟性を持つタイプである。結合が解け、結合力もなく、形もぽやけている内面の世界では、印象主義が支配している。そのために、外からの影響を受けやすい。なげやりな気持ち、解放感、感情の昂揚などによって、自己を越え、飲み込んでくれる価値と合体しようとする。もっと普遍的な状態と合一しようとする。(『世界シンボル大事典』)


画像出典:Mosaics in Tunisia
 ここには、すばらしいモザイク画が多数収録されている。