パブリックを問う(1)
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事例3 さまざまな事例から

−公共空間の庭園化

名取市文化会館のランドスケープ

画像mi044 改行マーク今も様々なプロジェクトで、 公共という一般概念と戦っているわけですが、 公共空間をつくる時に、 どうしても議論のまな板に乗りにくいものがあります。 それは、 日常生活の場に距離感をつくりだすという提案です。 なぜそういうことが必要なのかということを問われると論理的には大変答えにくいんですね。 営業的には、 ファミリーレストラン的な答え方をするのが一番いいのですが。

改行マークこれは仙台の近くの名取市の例で長谷川浩巳との協同設計です。文化会館の南側に30m×30mくらいの広場をつくったプロジェクトです。

画像mi045 改行マークこの写真はその文化会館の2階から見下ろしているところです。 向こう側に大きな駐車場があり、 その駐車場から文化会館に来る人達の日常的な小公園をつくってほしいと言われました。 我々が提案した内容は、 この時も地面自体を作品化することで何か強い空間をつくりたいというものでした。

改行マーク二つのサイン(sin)カーブの波を交錯させています。 そういう幾何学的にゆがんだ平面をつくって、 それに駐車場側から園路がつながっています。 もちろんバリアフリーのために、 平らな所を通って文化会館に入る経路もありますが、 市からは、 「健常者もこんな道は歩かないよ」と何度も言われました。 かなり横断勾配がきつくて、 20%くらいの所もあります。

改行マークただ、 なぜ道がそんなふうにゆがんでいるんだろうか、 というようなものが公共空間にどうしてあってはいけないのか、 と常に思うわけです。

画像mi046 改行マークこれはなかなか公式化できないことですし、 ただ奇妙なものをつくればいいとは私も思いません。 しかし、 委員会であるとか設計会議ではその可能性を排除してしまう方向になりがちです。 やはり市民のために面白い空間をつくっていこうと思えば、 まず自分が面白いと思うものをつくるべきですし、 言いかえれば、 議論のテーブルを離れて、 自分の内部に戻らざるを得ないと思うわけです。

画像mi047 改行マークこれだけ勾配のきつい道をつくりましたが、 みなさんが喜んで歩いてくださるので、 市側も喜んでくれ、 胸をなで下ろしているところです。


シアトル・ナインスペース

画像mi048 改行マーク一番最初にお話しした公共空間の私有化、 あるいは個人の活動の集積として公共空間はあるべきではないかということとほとんどパラレルですが、 私有化しようとすると庭園化することになるのではないかと思います。 公園というものがずっとつくられてきたわけですが、 実は我々がつくるべきは庭園なのではないか、 ということです。

改行マークシアトルにロバート・アーウィンというアーティストがつくった広場があります。 「ナインスペース」という名のとおり、 9つのスペースに区切られた中に9本のプラムの木が立っています。 まさに個別化されているのですが、 これは公共空間がいかなるものであるべきかということを考えさせる作品です。 ここがたまたま刑務所の前であるということから、 プラムの木が9本受刑者のように囲まれている広場をロバート・アーウィンはつくったわけです。 もともとアートとしてつくってくださいという発注でしたから、 許されたのだろうプロジェクトだとはと思いますが。

改行マークただこれがプライベートな感覚、 あるいは若干迷路状になっていて歩いて楽しい感覚をもっていて、 今でも市民に人気があります。 またブルーのスクリーンが非常に美しく、 中に入るとそれまで灰色に見えていた都市が、 ブルーのシルエットになって見えてくるわけです。 それによって街との距離感ができる、 というように面白いスペースになっています。


横浜ポートサイドパーク
−公園ではなく庭園をつくる。 手法としての断片化

画像mi049 改行マーク庭園化するために我々が取ったもう一つの手法をお話ししたいと思います。 運河沿いの幅50mくらいの敷地を公園として設計したもので、 これも長谷川浩巳が奮闘している横浜のプロジェクトで、8年たってやっと9割方できてきました。

画像mi050 改行マークこれは模型写真ですが、 この時も長い空間ですから、 基本的に長い空間は長いまま残そうと考えました。 それから河原に行った時の寂寞感、 ひとりぼっちの感じというものも大事だろうということで、 運河沿いにニレの並木をつくってあります。 ここで長谷川がとった設計手法は、 いろんな街区を構成しているシステムをいくつかの形に落とし、 それを重ね合わせてお互いに切り刻むことによって、 細かな断片をつくりだそうということです。

画像mi051 改行マーク例えば必要な動線は全て直線的に角度を与えるとか、 あるいは河原沿いのマウンドと広場だとか列植を重ね合わせることによって、 お互いがお互いを切り刻む。 しかしそれはある必然性のあるシステム(人の動線)がお互いに重なり合っているので、 何らかの意味のある使われやすい断片ができるのではないかと考えました。 そこから先は設計者にとってもみえない部分なんですが、 それは使う人達が読み解いてくれるのではないか、 というアプローチになっています。

画像mi052 改行マークそういう意味でお皿を用意するのではないということです。 我々が最初に横浜市とぶつかったのは、 その点でした。 コンペ案の殆どは丸い広場をつくっていますが、 長谷川はそういう広場はいらないと考えました。 道路側から河原までだんだん小さくなるマウンドがなぜかある。 マウンドがあるので小さなスペースができるわけです。 マウンド自体は子どもが走ったり、 寝そべったり、 どう使われてもいい。 マウンドが空間にインストールされていて、 それがどう使われるかは市民にまかされている。 そこでイベントをしなさいというようなお皿は用意していないわけです。

画像mi053 改行マークこれは我々が用意した並木道で縁日がおこなわれている写真です。 普段はベンチに座っている人の頭がぽつぽつと見えていると思いますが、 全体には運河に向かって緑が連続している大きな空間をつくっています。 そのなかで小スペースのいろんなものの重なり合いが出来ているところを、 うまく人が使ってくれていると思っています。 また、 そういう使われ方を目指して設計したわけです。

画像mi054 改行マークこれも断片の一つです。 長々と続くマウンドが、 角度の違う並木とぶつかって終焉するところです。 そういう、 ものともののぶつかりあった境界であるとか、 断片自体、 そういう部分を子どもたちがよく使ってくれています。 しかもそれはつくり手側も実は愛情をこめた部分なのです。

画像mi056 改行マークこのデッキは、 道路側からずっと延びてきている直線の園路ですが、 それがマウンドによって一旦切られ(もちろん動線としては繋がっているのですが、 スペースとして一旦切られるわけです)、 ここに個人のスペースができます。 個人のスペースとして読み解きやすい断片ができるわけです。

改行マーク後で気づいたことですが、 そうした断片は全体の都市の構成を拾った線ですので、 この敷地のなかだけに留まらないで、 周辺の風景との関係を持つことができるのです。 その関係が面白いと思いました。

画像mi058 改行マークほとんどは市の持っている公園としての敷地なのですが、 民有公共の部分もあります。 片面は運河で、 写真では片面がある大きな企業の社宅ですけれども、 そういう建物に接しています。 ですから道路に挟まれた街区型の広場ではなく、 必ず建築のアクティビティと一体になっている。 しかも建築とそういう公共空間が密接に繋がっていることによって、 ここの住人が公園というよりも自分の庭のように思ってくれるわけです。

改行マークこの隣の高層棟に住んでいるご老人が、 いつもこの辺りを見張っていて、 若者がゴミを捨てていったりすると注意するといった光景も見られるわけです。 公共空間が自分の家と密着していることによって、 自分の庭だと思っている、 そういう可能性が民有公共にはあるのではないかと思います。

画像mi059 改行マークこの並木に置いた石は、 上空から見ると「横浜ポートサイドパーク」というロゴになっています。 このロゴのモジュールを使って、 それぞれにシートを敷いて「アート縁日」という名のフリーマーケットをやっています。 これは意図していなかったのですが、 そういう使われ方が生じています。


シアトル・NOAA
−庭園化のツールとしてのアート

画像mi060 改行マークこれも民有公共から出てきた発想の一つだと思います。 シアトルの海洋大気研究所の敷地を公共空地にしていて、 散策路やジョギングコースがあるのですが、 5人のアーティストが依頼を受け作品を並べています。 散策路沿いに芸術作品があるというのは一般的なパターンですが、 ここではこれらがあるがために単なる公開空地がまさに庭園になっているということを見てほしいと思います。 これはダグ・ホリスの「風のオルガン」という作品ですが、 質の高い丁寧につくられた空間です。

画像mi061 改行マークこれはジョージトラーカスのつくった船着き場です。 このデッキはみんなが平気で使う単なるウッドデッキあるいはスチールのデッキなのですが、 この下で反響する波の音が聞こえるなど、 ていねいに彫刻レベルでつくられています。


つくり手の読み解きを刻印する

◆風の丘のコンパス
画像mi062  これは先ほどお話しした「風の丘」の園路沿いの写真です。

改行マークここでは実は方位が重要なテーマでした。それをきっかけにこの公共空間を庭園化しようと思ったのです。敷地は、 大きな山の山頂の真北であり、 同時に、 由緒ある神社の真西、 本当にぴったりですが、 そういう地理的関係にあり、 この敷地は何やら由来がありそうでした。 そこでこの楕円周路に方位を表すコンパスを入れたのですが、 デザイン会議のテーブルでは、 こんなものはデザイナーの個人的な遊びじゃないかと思われるわけです。 けれどもそういうデザイナー個人の、 その土地に対する思いこみや読み解きを刻印していくことも、 公共空間を庭園として楽しめる場所にするための、有効な手段ではないかと思います。 それは最初にお話したB回路の入口であるということは事実です。

◆横浜ポートサイドパークの鋼管
画像mi063  ここからはそういう個人的な敷地への思い入れの例を2、 3お話ししたいと思います。 これは先ほどの「横浜ポートサイドパーク」なのですが、 港湾の風景を大事にしようという意図から、 大きな鋼管をたてました。 この鋼管の中に入ると運河の波の音が地面の下から聞こえてくるような仕掛けになっています。

画像mi064 改行マークサウンドスケープをやられている庄野泰子さんとよく一緒に仕事をします。 ここでも、 ここに来た人が周りの環境の個人的な読みとりや発見ができるものを、 音を使ってつくりだしてみたいと考えました。 ラッパ口を波打ち際に持ってきて、 ずっとひっぱり、 鋼管の中で鳴らしているわけです。 アコースティックにただ伝声管でひっぱっているだけです。

画像mi065 改行マークまた、 ここに来たら音が聞こえますよというのではなく、 鋼管が何故かあるというようなあり方、 問いかけ・なぞかけみたいなものも非常に重要だと思います。

◆風のベンチ
画像mi066  「何故かある」というものの一つとして、 先ほどの「風の丘」でもお話ししましたが、 モニュメントとしての「風のベンチ」が挙げられるかと思います。 この下に井戸を掘って、 遠くで拾った風の音を伝声管で引っ張ってきて、 深さ5mの空井戸の中で反響させています。 風の音というより風の力を利用したウィンドベルの音をここで反響させているわけです。

画像mi067 改行マーク写真は子どもが音に気がついたところだと思います。 火葬場から出てきてたまたま休んでいると、 ある方向から風が吹いた時に、 カランカランとなってくれるわけです。

改行マーク実はその風の方位と音が鳴るという仕掛けの関係を、 モニュメントに暗号で書きました。 ところがそれが暗号すぎて何のことかわからないと言われております。 いや、 それでいいんです。 ただ何かここで音が鳴ってるよと、 この彼女が気付いて、 何年かしてまたここに帰ってきてくれるといいなと。 それは私の個人的な仕掛けであって、 僕とこの写真の彼女との間に何か関係が出来たということに一つの感動を感じます。 これが公共性ではないかと思います。


回り込み、 戻ってくるリアリティーを求めて
ディズニーランド・トゥーンタウン

画像mi073 改行マーク最後にまとめとしてディズニーランドのトゥーンタウンについて述べたいと思います。 トゥーンタウンというのは皆様御存知のようにミッキーマウスやドナルドダックといった漫画のキャラクターが住んでいるまちです。 数年前に出来たらしいのですが、 いまだになかなかの人気です。 私は子どもを連れて行ったのですが、 そこに入るとメビウスの帯の中に入ったような気がしました。 元々ディズニーランドそのものはファンタジーで絵空事なんですが、 その絵空事の世界を強化するために使われているのが、 彼らが住んでいるまちがあるというリアリティなのです。

改行マークこれは公共の一つのシュミレーションとも関係があると思うのです。 私が興味を持っている観光事業と風景づくりにも関係すると思います。 観光とは何でしょう。 それは、 絵空事の世界に行くことではなく、 他人のリアリティのなかに踏み込んでいって、 感銘を受け、 自分を見つめ直して戻ってくる体験であると思います。 一つのシュミレーションの世界でも、 もう一つ輪を掛けたリアリティを仕掛けているということにトゥーンタウン誕生の意味があるのではないでしょうか。

改行マークさて、 今回のテーマは「公共空間」であるわけですが、 公共空間を使うということを、 個の世界から、 他の人々の世界への旅ととらえられないかと考えてみたいと思います。

改行マーク旅では、 他者のリアリティーに身をおくことがエキサイティングであるということを今、 トゥーンタウンの仕掛けにおいて説明しました。 公共への旅もそうだ、 と考えられるわけです。 すなわち、 「公共」というアノニマスなファンタジーではなく、 ひとりひとりの他者、 その人たちは皆、 個人なのですが、 その人たちのリアリティーに入りこんでいって帰ってくる旅です。 そのようにして初めて、 コミュニティーがうまれ、 空間がうまれ、 改めて、 自らの個が確認される。 そういう濃い空間をつくる方が重要ではないかと思います。

改行マーク改めて、 端的に言えば、 徹底して個であることで初めて、 デザイナーは公に奉仕できる。 それは、 最初のBの回路ということではないかと思います。

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