パブリックを問う(1)
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事例3 さまざまな事例から
−公共空間の庭園化
名取市文化会館のランドスケープ
シアトル・ナインスペース
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一番最初にお話しした公共空間の私有化、 あるいは個人の活動の集積として公共空間はあるべきではないかということとほとんどパラレルですが、 私有化しようとすると庭園化することになるのではないかと思います。 公園というものがずっとつくられてきたわけですが、 実は我々がつくるべきは庭園なのではないか、 ということです。
シアトルにロバート・アーウィンというアーティストがつくった広場があります。 「ナインスペース」という名のとおり、 9つのスペースに区切られた中に9本のプラムの木が立っています。 まさに個別化されているのですが、 これは公共空間がいかなるものであるべきかということを考えさせる作品です。 ここがたまたま刑務所の前であるということから、 プラムの木が9本受刑者のように囲まれている広場をロバート・アーウィンはつくったわけです。 もともとアートとしてつくってくださいという発注でしたから、 許されたのだろうプロジェクトだとはと思いますが。
ただこれがプライベートな感覚、 あるいは若干迷路状になっていて歩いて楽しい感覚をもっていて、 今でも市民に人気があります。 またブルーのスクリーンが非常に美しく、 中に入るとそれまで灰色に見えていた都市が、 ブルーのシルエットになって見えてくるわけです。 それによって街との距離感ができる、 というように面白いスペースになっています。
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横浜ポートサイドパーク
−公園ではなく庭園をつくる。 手法としての断片化
シアトル・NOAA
−庭園化のツールとしてのアート
つくり手の読み解きを刻印する
◆風の丘のコンパス
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これは先ほどお話しした「風の丘」の園路沿いの写真です。
ここでは実は方位が重要なテーマでした。それをきっかけにこの公共空間を庭園化しようと思ったのです。敷地は、 大きな山の山頂の真北であり、 同時に、 由緒ある神社の真西、 本当にぴったりですが、 そういう地理的関係にあり、 この敷地は何やら由来がありそうでした。 そこでこの楕円周路に方位を表すコンパスを入れたのですが、 デザイン会議のテーブルでは、 こんなものはデザイナーの個人的な遊びじゃないかと思われるわけです。 けれどもそういうデザイナー個人の、 その土地に対する思いこみや読み解きを刻印していくことも、 公共空間を庭園として楽しめる場所にするための、有効な手段ではないかと思います。 それは最初にお話したB回路の入口であるということは事実です。
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◆横浜ポートサイドパークの鋼管
◆風のベンチ
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「何故かある」というものの一つとして、 先ほどの「風の丘」でもお話ししましたが、 モニュメントとしての「風のベンチ」が挙げられるかと思います。 この下に井戸を掘って、 遠くで拾った風の音を伝声管で引っ張ってきて、 深さ5mの空井戸の中で反響させています。 風の音というより風の力を利用したウィンドベルの音をここで反響させているわけです。
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写真は子どもが音に気がついたところだと思います。 火葬場から出てきてたまたま休んでいると、 ある方向から風が吹いた時に、 カランカランとなってくれるわけです。
実はその風の方位と音が鳴るという仕掛けの関係を、 モニュメントに暗号で書きました。 ところがそれが暗号すぎて何のことかわからないと言われております。 いや、 それでいいんです。 ただ何かここで音が鳴ってるよと、 この彼女が気付いて、 何年かしてまたここに帰ってきてくれるといいなと。 それは私の個人的な仕掛けであって、 僕とこの写真の彼女との間に何か関係が出来たということに一つの感動を感じます。 これが公共性ではないかと思います。
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回り込み、 戻ってくるリアリティーを求めて
ディズニーランド・トゥーンタウン
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最後にまとめとしてディズニーランドのトゥーンタウンについて述べたいと思います。 トゥーンタウンというのは皆様御存知のようにミッキーマウスやドナルドダックといった漫画のキャラクターが住んでいるまちです。 数年前に出来たらしいのですが、 いまだになかなかの人気です。 私は子どもを連れて行ったのですが、 そこに入るとメビウスの帯の中に入ったような気がしました。 元々ディズニーランドそのものはファンタジーで絵空事なんですが、 その絵空事の世界を強化するために使われているのが、 彼らが住んでいるまちがあるというリアリティなのです。
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これは公共の一つのシュミレーションとも関係があると思うのです。 私が興味を持っている観光事業と風景づくりにも関係すると思います。 観光とは何でしょう。 それは、 絵空事の世界に行くことではなく、 他人のリアリティのなかに踏み込んでいって、 感銘を受け、 自分を見つめ直して戻ってくる体験であると思います。 一つのシュミレーションの世界でも、 もう一つ輪を掛けたリアリティを仕掛けているということにトゥーンタウン誕生の意味があるのではないでしょうか。
さて、 今回のテーマは「公共空間」であるわけですが、 公共空間を使うということを、 個の世界から、 他の人々の世界への旅ととらえられないかと考えてみたいと思います。
旅では、 他者のリアリティーに身をおくことがエキサイティングであるということを今、 トゥーンタウンの仕掛けにおいて説明しました。 公共への旅もそうだ、 と考えられるわけです。 すなわち、 「公共」というアノニマスなファンタジーではなく、 ひとりひとりの他者、 その人たちは皆、 個人なのですが、 その人たちのリアリティーに入りこんでいって帰ってくる旅です。 そのようにして初めて、 コミュニティーがうまれ、 空間がうまれ、 改めて、 自らの個が確認される。 そういう濃い空間をつくる方が重要ではないかと思います。
改めて、 端的に言えば、 徹底して個であることで初めて、 デザイナーは公に奉仕できる。 それは、 最初のBの回路ということではないかと思います。
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