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二月に入って


比較的暖かい冬だったのが,二月に入り寒い日が続く。今までが暖かったせいか寒さが一段とこたえる。

インフルエンザも昨年ほどに蔓延せずに次第に終息に近ずきつつある。 有りがたい事だ。

寒い頃,暑い頃は長く感ずるものだが,四季は何時の時も同じ時間の経過と伴に過ぎて行く。

年齢を重ねてくると,身辺で変わることがあるとすれば,あまり良いことは少なくなって来る。

でも景気も依然として悪く,早く変わって欲しいものだが。

インターネット上での怪事件が日本そしてアメリカにでも起きている。

ハッカーの悪戯にしてはかなり政治色が強い事件が次から次へと起きている。

組織的な犯罪のようだ。これからはパソコン上インターネット上での各国間で戦いの如き事件が

おきるかも知れない。実際の戦争に比べれば人々が苦しみ,殺されることがないから,

それに比べればましと考えるべきか。

これからインターネットが戦争の手段に使われるとは始め考えていた事とは反対の現象が

起きてきている。人間の業(原罪)とはどれだけ罪深くできているのたろうか。



看護婦増員――医師会は受け入れよ」に対しての私感
 (朝日新聞社説より

 
入院患者への対応に支障が出るほど忙しい看護婦さんの勤務を、

少しでも改めようという医療法の改正が、医師会の反対で壁にぶつかっている。

 医療の提供体制のあり方を検討してきた医療審議会は、「病床4に看護職員1人」という50年来の基準を、

治療が必要な患者が入院する一般病床については、「3対1」に改める案を固めていた。

 この案でも国際水準には遠く、夜間は1人の看護婦が25人の患者を受け持って走り回らなければならない。

それでも、現状よりは前進する。医師会や病院団体代表の委員を含め、是認の空気だった。

 ところがその後、日本医師会は「看護婦を増やすと、人件費がかさんでつぶれる病院が出てくる。

国民のためにもならない」と、猛烈な反対に転じた。

21日に予定される審議会の答申は、「3対1」に一本化できるかどうかが危ぶまれている。

 看護婦さんの勤務に少しなりとも余裕を持たせることは、患者にとって必要なことだ。

国民の生命と健康を守ることを使命としているはずの医師たちが、これに反対するのは理解に苦しむ。

 看護婦を増やすと中小病院の経営が圧迫され、その結果、医療の供給に支障が出るのであれば、それは確かに問題だろう。

だが、本当にそうか。

 厚生省によれば、全国約7000の病院のうち、86%に当たる約6000の病院がすでに新基準を達成している。

へき地や中小の病院については、基準達成まで5年の経過措置が設けられる。

それをいきなり、「つぶれてしまう」というのは極論に近い。

 医師会は当初、「へき地では看護婦が集まらない」と主張した。しかし、「3対1」の基準を満たしていないのは、

大阪、東京、埼玉といった大都市部に多いことが、厚生省の資料で明らかになった。

反対論の根拠の一つは崩れたといえる。

 医師会はまた、看護婦を新たに雇うと、総額で約580億円の人件費が必要になることを反対の理由に挙げている。

医療費の抑制に逆行することを強調する意味が込められているようだ。

 だが、その算定根拠がはっきりしない。増員分は診療報酬で手当てされる。むだな医療費をなくすことと、

患者のために看護婦を増やすこととは別の問題である。

 日本医師会は今春、2年に一度の会長選挙を迎える。いまのところ、坪井栄孝会長に挑む有力な対立候補はなく、

三選が確実な情勢だ。10月からは故武見太郎氏以来の世界医師会長への就任も決まっている。

 一部ではあっても、看護職員基準の見直しに経営上の不安を抱く病院がある以上、その声を吸い上げる。

それが、坪井氏の医師会内での地位をいっそう強固にするのは間違いない。

 診療報酬の引き上げと併せ、基準見直しへの反対が、そうした事情と絡んでいるとしたら、国民の理解は得られまい。

 坪井氏は基準見直しを「官僚統制」と批判する。ならばむしろ、自主的に看護婦を増やす努力をするよう医師会に号令をかけてはどうか。

 見苦しいのは、医師会の意を受けて、看護婦増員への異議を叫んでいる自民党議員たちの姿である。

総選挙が迫るなか、小選挙区を中心に、堅固といわれる医師会の支持がぜひとも欲しいからだろう。

 患者や看護婦を含む、多くの有権者の存在を見失っているというほかない。



以上平成12年2月20日の朝日新聞社説全文よりの引用です。以下はそれに対する私感を述べます。

看護婦定員の問題で病院の看護婦定員を現行4:1を3:1に全て強制することは 

全く医療現場を知らない人達が強調することであるように思われます。

 86%の病院が新基準に到達しているならばそれ以上強制する必要が何処にもないのではなかろうか。

多分にそれらの病院群は国公立の病院を含め,きっとそれに到達するための涙ぐましい経営努力しておられると思う。

それに,そこに従事している医師・看護婦達が仕事に相当する確かな給料はもらっているのだろうか。

まずそういった事を充分に承知してから主張していただきたいものです。

患者さん達の待遇改善及び看護婦の働きやすい環境改善は単なる数字上だけでは決して出るものて゛はないと思う。

医療経営努力・医療の効率を強調するが故に,さらなる現場での医療荒廃を増進することを愁います

患者さん達はどうしても,医療施行する側から見るならば弱い立場に置かれておられます。

しわよせが弱い立場の人達にくるのは他の社会現象からして見ても当然明白です。

それが病んでいる人達となれば事は深刻です。

故に法律で強制するのでなく努力目標にしておいても良いのではないでしょうか。

「診療報酬の引き上げと併せ、基準見直しへの反対が、そうした事情と絡んでいるとしたら、国民の理解は得られまい」             

医師会長選挙がからんでいるのかどうかは知りませんが,しかし診療報酬の引き上げと併せての、基準見直しへの反対が

どうして国民の理解が得られる事が出来ないのでしょうか。判らない話です。

最近は国公立の病院群もかなり経営の為だけの努力がなされているのが個人医院でも判るようになってきました。

このようなことがさらに蔓延する時代になれば大変なことです。

このことが医療界全体にとってプラスになっているのかどうかは,為政者並びに識者は充分に考えて欲しいものです。



 みんな、怒り心頭に発している


この件で警察の言うことなど信じない、とさえいっている。ことばには、どこか絶望感も混じる。

 身近で聞いた感想だが、大方の反応も似かよっているに違いない。

新潟県警・小林幸二本部長(51)のあきれ果てた振る舞いに、関東管区警察局・中田好昭局長(55)の無責任な行動が重なった。

当夜、監禁女性の保護の事実を知りながら、温泉ホテルで酒を飲み、お付きの県警幹部らとマージャンをしていたのだという。

 諸費用は私費で支払ったそうだが、にわかには信じがたい。明らかに官官接待なのである。

取材経験からいえば、こうしたとき、この種の人たちに「私費で払う」という発想はきわめて乏しい。

それと、お付きたちも自腹を切らされたのだろうか。気の毒に。

 なぜ小林本部長はすぐに引き返さなかったのか。「引き返した方が節約になっただろうに」と、知人Aは「私費」にこだわる。

「引き返すはずがないさ」とBが解説した。「一番たいせつな仕事は接待なのだから」。

だれもが「どうして処分がこれほど軽いのか」という点では一致する。

中田局長は、処分も受けなかった。  不信感は、だから警察庁や国家公安委員会にも及ぶ。

特別調査と銘打ちながら、警察庁は、虚偽の発表に深くかかわった本部長の、当夜の行動すら調べていなかった。

処分もふくめ、一般の感覚とはあまりにかけ離れている。

「残念な気持ちでいっぱい」(田中節夫警察庁長官)などと、被害者みたいなことを言っている場合ではあるまい。

 知人Cは「あの人たち、勉強が出来ただけでしょ、多少」と、まとめて酷評した。

Dの皮肉も強烈だ。「クビになった2人は、これから就職活動するのかしらん」。

クビにあらず、辞職である。もちろん退職金も出る。

しかるべき筋が、いずれ再就職の面倒もみるような気もする。


以上は2月28日の 天声人語よりの引用です。

言いたくとも,言えぬ事,書きたくても書けない事がこの世の中には沢山ある。朝日新聞天声人語の堂々とした主張に驚きました。

京都での小学二年生(七歳)児童殺人犯に対する府警の動きもおかしいことを,週刊朝日て指摘しているのを読んだ。

世の中徐々にでもよいから良くなって行くことを願うものです。



春はもう直ぐに


秋も良いが,春の方が好きだ。秋は夕暮れを,春は朝を感じます。春はこれからの始まりを感じて,秋は終わりの近ずきを感じます。

もう直ぐに春がやってくる。四季の移り変わりがあるのも悪くない。春が待ち遠しい。

春になると動植物も胎動し始め,人々の動きも活発となってくる。暗い感じの冬から明るい春に移り変わり始める。

毎年同じ春でもいつも何か春に新鮮さを感ずるのも不思議である。

若い時代を青春とはよく言ったものだ。誰もは青春時代に戻りたいが二度と戻れない。

春は年齢を重ねつつ何度も何度も体験することができる。有り難い事だ。



スーパーマン


映画で,漫画でスーパーマンを見る事が良くある。スーパーマンになれるものならなりたいものだ。

医者の仕事を真面目に全てを遂行しようとすれば,スーパーマンの如き体力と行動力が必要になってくる。

若い頃はそんなに感じなかったが,年を重ねるにつれスーパーマンのような身体があれば良いのにと

思う事が再々に有る。気持ちが有っても身体が伴わない。情けない話だが,無理が出来ぬようになった。

名利追求だけが人生でないことを強く訴えたい。特にこれからの若い人達に。



背後からの光(後光)


何か市長とか会長とかの長がつくと,上に立つ立場の人になると,その人が立派な人に見えてくる。

勿論立派な人もいるが,大体は立派な人が多いが,中には長になりたい亡者もいる事が再々にみかける。

長になった途端に立派な人に見えてくるのも不思議である。後光の効果というものなのか。

まぶしくて本当のその人の実態がはっきりと見えにくくなることによるものと思う。

人間同士そんなに違いはないと思うのだが? ,時に神さんのように思う事が有る。

色んな後光が考えられる。後光を強烈に感じる結果, より一層偉く思うようになるものだと考える。


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