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2002年8月上旬 |
【8月9日(金)】
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
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「Treva」で撮影 |
『三人のゴーストハンター 【国枝特殊警備ファイル】』で世間を恐怖と爆笑の坩堝に叩き込んだ“ATMトリオ”(なんかおれ、勝手にこういう安易な呼び名ばっかり作ってるな)の共作である。巻末の「作家対談・プロフィール」でも述べられているけれども、お三方の日記などをチェックしている方はご存じのように、『三人のゴーストハンター』は、『かまいたちの夜2』のゲームシナリオを共作する中から彼らが意気投合して出てきた企画なのである。小説として世に出た順番としては、この『三日月島奇譚』が『三人のゴーストハンター』よりあとになったわけだ。
「奇譚」とあるのはむろん意図的な文字遣いで、「綺譚」の誤字ではない。この三人には、「綺」などという字ははなはだ似つかわしくない。誰がどう考えても「奇」なんである。ぱらぱらとめくってみて「しまった」と思った。三人のうち誰の主担当部分であるかはあえてあきらかにしないが、やたらでかい活字の駄洒落のオチが目に飛び込んできてしまったではないか。いかんいかん。この本はうっかり“ぱらぱらとめくってみたり”してはいけないのだ。禍々しい口絵と巻末の対談だけ見て、黙って買うのが安全だと思う。
それにしても、巻末対談にある著者三人が並んだ写真はすごいぞ。眺めていると、まるで「買わんとどうなるかわかってるやろな」と、ワルの三人組にカツアゲをされているような気分になってくる迫力たっぷりの近影だ。これがまた、百戦錬磨を物語る面構えとガタイのボスと、ちょっと神経質そうだが頭のよさそうなワルと、その二人から半歩引いて不気味に佇むなにをしでかすかわからない怪異な風貌の男と、映画などに出てくるワル三人組キャラクターのセオリーどおりになっているのである。計算したってこうはならん。この三人が組んだのは、まさに天の配剤なのであろう。
【8月7日(水)】
▼自称“プリティ・ウーマン”であるらしい例のアニータさんとやらが、日本に財産を返したりするものかと怪気炎を上げている。まあ、もっともなことではあるよな。日本人としてはいささか癪に障らないでもないが、そもそも青森県住宅供給公社がドジすぎるだけだ。まるでアニータさんが金を騙し取ったかのように対決姿勢をあきらかにしているけれども、あれは立場上そうでもしなきゃカッコがつかないだけでしょう。アニータさんが善意の第三者などではなく、事実千田被告を手足のように操って金を吸い上げていた“悪意の第三者”だったとしても、それがとても簡単にできる状態を放置していた青森県住宅供給公社が阿呆なだけである。
たとえば、だ。あなた「南敏之」って誰だか憶えてますか? ハヤシもあるでよでしょうってそれは南利明。南敏之というのは、三和銀行茨木支店・一億三千万円横領事件の犯人、伊藤素子が貢いでいた愛人の名前である。いや、おれだって忘れていた。いま調べたのだ。そこで、もうひとつ問題。あなた、千田被告のフルネームが言えますか? たぶん、言えない人のほうが多いと思う。正解は、「千田郁司」である。なぜか、三和銀行横領事件では伊藤素子のほうが有名なのに、青森県住宅供給公社横領事件ではアニータ・アルバラードさんのほうが有名なのである。このねじれ現象はなんだろう? いやそりゃ、アニータさんの言動が派手だってのはあるけど、それだけではないものが潜んでいますな。男に貢いで罪を犯した女の事件では“女ゆえの愚かさ”が強調されるように報道されるけど、女に貢いで罪を犯した男の事件では女のずるさとふてぶてしさばかりが強調され、“男ゆえの愚かさ”を叩くのは控えめなのだ。世の女性諸君、アニータさんの言動の面白おかしさに眩惑されて、構造から目を逸らされていてはいけないぞ。
【8月6日(火)】
▼いままでパソコンで使っていた「AirH"」のTYPE-IIカードを、CFカード型に乗り換える。昨日に引き続いて、着々と「Pocket LOOX」受け入れ体制を整えているのである。
【8月5日(月)】
▼運よく懸賞で当たった「Pocket LOOX」(6月10日の日記参照)だが、ようやく2日に富士通が出荷を開始したらしい。まだ送ってこない。タダでもらえるのに贅沢なことを言ってはいけないが、発売したての精密機器というやつは、辞書の初版のようなスリルがある。しかも富士通は、モバイル・パソコンならともかく、ポケットサイズのPDAには初参入だ。仕様どおり動いてくれることを祈るばかりである。
おれのところにはいつ送ってくるかわからないが、ともかく出荷がはじまったので、画面の保護シートだけは先に買っておこうと会社の帰りにソフマップに寄る。案の定、すでに専用保護シートは店頭に出ていた。ついでに実機もいじる。まあ、Pocket PC 機の中ではなかなかハイスペックで、HP200LXのようにむらむらと妙な愛情は湧いてこないものの、悪くはない。さほど胸がときめく相手ではないが一緒に住む相手としてはことさら欠点も見つからないので結婚してもいいかもな、といった感じか(もう少しましな喩えはないのか)。PDAってのは、アドレスやらスケジュールやらなにやら、生活に密着した個人情報をいろいろ入れるわけだから、一度使いはじめたら少々気に食わなくても面倒くさくてなかなか乗り換える気にならない。ただそれだけの理由で同じものを使い続けている人もたくさんいるにちがいない。とすれば、結婚に喩えるのもかなり的確な気もしないではないな。いや、おれは結婚したことないが、経験者に訊くと、みなそんなことを言うのだ。
【8月3日(土)】
▼「言うはやすし、行うはきよし」(「横山やすしの舌禍の尻拭いを西川きよしがしてまわる」の意――だと思う)という諺は関西ではつとに人口に膾炙しており、オリジナル版を忘れてしまっている人にさえときおり遭遇する。最近の子供は諺を驚くほど知らないらしいが、関西の子供はこれなら知っているはずだ。
そこで、子供たちに諺に親しんでもらうため、“関西限定の諺”あるいは“関西限定の慣用句”をいくつか考えてみる。
● | タージンの空似 | タージンがわけもなく誰かにそっくりなこと。 |
● | 蝶よ珠代と育てられ | ちやほやと可愛がられたり、壁に叩きつけられたりして育つこと。 |
● | 少年老い易く、円広志 | 少年もたちまち円広志のようなおっさんになってしまうものだということ。 |
● | 南光の額 | とても狭いさま。むかしは「べかこの額」だった。 |
● | 花子より団子 | 笑いよりも食い気のほうがよいという無粋のこと。 |
● | 藝は一流、人気は二流、キャラは三流 | 文学的には優れているが作品の売れ行きはいまひとつで人物造形は下手な作家を評して言う。 |
● | 目ぇには目ぇを歯ぁには歯ぁを | 関西弁には短母音で一音節の言葉はないということ。 |
● | ワレ思う、ゆえにワレあり | 「おまえがものを考えているということは、おまえが存在するということだ」と、河内の人はデカルトを解釈するらしい。 |
● | ひちを聞いて十を知る | 話を七割くらい聞いたところで、ようやく全体像を把握すること。 |
● | 嘘も方言 | なまじ標準語で嘘をつこうとすると緊張して妙なアクセントになってすぐばれるので気をつけろということ。 |
● | 知事が乱れる | 横山ノックのこと。 |
● | 近鉄人を刺す | 近鉄バファローズが相手ランナーの盗塁を阻止すること。ちなみに「バッファローズ」ではない。 |
● | 阪神不随 | 阪神タイガースが意のままにならないこと。 |
● | 国敗れてサンガあり | 日本がワールドカップで優勝できなくとも、京都パープルサンガはなくなったりしないということ。 |
● | 義を見てせざるはユーポスなり | 正しいとわかっているのに行動に移さないと車を売る羽目になるということ。 |
● | 十年一日のごとし | ハナテン中古車センターのCM。 |
● | 福屋工務店 | 仕事が速い人のこと。 |
● | ひっこしのサカイ | 勉強熱心な人のこと。 |
● | 亀岡山田木材経営団地 | とても力が強い人のこと。 |
● | ハマムラ | 眉と目尻が下がっていていつも口を開けている締まりのない顔をした人のこと。 |
● | 浜村淳 | 意外性が命の趣向や筋立てをすべて事前に明かしてしまう人のこと。どんなつまらない趣向や筋立ても驚天動地前代未聞空前絶後のスペクタクルだと思わせる表裏一体の能力も持っている。 |
● | さて、みなさん | 標準語で「崖、美奈さん」と言ってみて、そのアクセントに当てはめるように発音するのが正しい。もっとも、関西でもこれほどベタベタの大阪弁風アクセントでしゃべっている人は少なく、主に浜村淳の真似をするときに用いる。 |
● | 米朝止水 | 桂米朝師匠が邪念を持たず落ちついているさま。 |
● | なかじまともこ | とくに注意を喚起しないかぎり、関西ではまず「中島知子(オセロ)」のこと。数秒後、そういえば「中嶋朋子」というのもいたなあとなるが、すぐに「螢ちゃん」になってしまい、再びフルネームが口にされることは少ない。おれは大人になってからの中嶋朋子が好きなんだが。 |
● | 武士は食わねどたかじん | 武士たる者は生活に窮しても毒舌でなければならないということ。 |
● | 関関同率 | 関西大学の学生と関西学院大学の学生とがその場に同じ割合で存在すること。 |
● | 結果蓬莱 | つまるところ、豚まんが食べられたからいいじゃないかということ。 |
● | クルト・ゲーデル | サービス精神旺盛な数学者のこと。 |
● | 京の有名、大阪の有名 | 京都や大阪でだけ有名なこと。 |
● | 北浜たそがれ | 大阪証券取引所に活気がないこと。 |
● | 千里の道も一歩から | 地下鉄御堂筋線がなかった時代は、みんな大阪市内から歩いていったものだということ。 |
● | 西中島南方(にしなかじまみなみがた) | 西なのか南なのかはっきりしろ。 |
● | 東山三十六計逃げるにしかず | 突然チャンバラになったら逃げることが最も大事だということ。 |
● | モデラート・カンテーレ | 中くらいの速さで関西テレビのように。マルグリット・デュラスが作品のタイトルに使った。 |
● | 越すに越されぬ大ボケの関 | 関純子アナ(関西テレビ)の天然ボケには誰も太刀打ちできないということ。 |
● | 鳥木が来たりて文法を説く | 鳥木千鶴アナ(朝日放送)ご本人が書いていらしたところによれば、朝日放送内部で実際に使われていた諺らしい。 |
● | 亭主の好きな赤江・ABC | 一家の主が朝日放送の赤江珠緒アナのファンなら、家族の者もみなファンにならなくてはならないということ。それはともかく、赤江アナのプロフィールにある写真って、人生幸朗師匠の真似だよね? たぶん。 |
諺や慣用句というよりも、なんだか関西限定用語解説のようになってしまったな。まあ、ええやろ。京阪神に来る予定がある地方出身者の方は、参考にしてください。
▼《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。
「Treva」で撮影 |
ミラ・ジョボビッチが両手に拳銃を持ってこっちを見つめているポスターでおなじみの映画をノベライズしたもの。もちろん表紙もポスターと同じである。いやしかし、いつもながらミラ・ジョボビッチは目がいい! シャーロット・ランプリングを思わせるいい目である。同じ目とちゃうか。
ゲームが映画になって、さらに小説になったわけだが、おれはゲームをほとんどしない人なので、むろん『バイオハザード』もやったことがない(さすがに名前くらい知っているが)。映画も公開はまだだし、試写なども観てない。だから小説を新鮮な気分で読むことができる。しかも、ノベライゼーションは牧野修がやっている。得した気分だ。もっとも、牧野修のことだから、ゲームや映画をそのまんま小説に“直訳”するようなことがあるはずがなく、どうしようもなく牧野修の作品になってしまうに決まっていて、それが楽しみなわけだ。
そういえば、神林長平がアニメをノベライズした(おれは観たことないんだけれども)『ラーゼフォン』ももうすぐ出ることになっている。どうやらノベライゼーションというよりは、アニメの世界設定を借りたシェアードワールドものになるようだが、どっちにしても神林長平がアニメをそのまんま小説に“直訳”するようなことがあるはずがなく、どうしようもなく神林長平の作品になってしまうに決まっているのだった。
よく言えばワン・アンド・オンリー、悪く言えばアクが強い作家が映画やアニメのノベライゼーションに挑戦するのが流行るかもしれないな。というか、ノベライゼーションというのは、本来独自の世界で以て定評を確立した作家がやるところにスリルがあるのでありましょう。まあ、これから伸びてくる作家の修行とPRという機能もあるだろうけどね。牧野修がノベライズしたというのならご恵贈いただかなかったとしても買ったにちがいないが、聞いたことない作家だったらたぶんおれは買わなかっただろうと思う。
【8月1日(木)】
▼『サヨナラ、学校化社会』(上野千鶴子、太郎次郎社)を読みはじめたら面白くてやめられず一気読みしてしまう。いやあ、いつもながら痛快ですなあ。これ、ひょっとしておれが書いたんじゃないかと思うほど(“ほど”だよ。おれにこんな学識はない)なんの異論もない本で、気味が悪いほどだ。自分の思想が、あな不思議や、すでに言葉になって印刷されているのを目で追ってゆく快感をひたすら味わうだけだから、オナニーみたいなもんである。ということはつまり、目から鱗が落ちたわけでもなく、本質的に得るところはなにもなかったということだが、まあ、世の中に仲間がいると確認する読書もよいものだ。オウムの分析なんて、おれそのままじゃないかよ。まあ、おれは分析しているというよりは、いじって遊んでいるだけだけど。
だけど、なんかこんなふうに書くと、まるでおれが上野千鶴子のファンのように聞こえるかもしれないが、それほどのことはない。「ファンのくせに」って、いやいやそんなことはない、人聞きの悪いことは言わないでもらいたい。おれなんぞは、ちょっとした暇潰しに、せいぜい『スカートの中の劇場』(河出書房新社)とか『ミッドナイトコール』(朝日新聞社)とか『接近遭遇 上野千鶴子対談集』(勁草書房)とか『女は世界を救えるか』(勁草書房)とか『女遊び』(学陽書房)とか『〈私〉探しゲーム』(筑摩書房)とか『〈人間〉を超えて 移動と着地』(中村雄二郎との共著/青土社)とか『女という快楽』(勁草書房)とか『90年代のアダムとイヴ』(日本放送出版協会)とか『構造主義の冒険』(勁草書房)とか『マルクス主義フェミニズムの挑戦』(A・クーン&A・ウォルプ編・上野千鶴子他訳/勁草書房)とか『ドイツの見えない壁 女が問い直す統一』(田中美由紀・前みち子との共著/岩波新書)とか『のろとさにわ』(伊藤比呂美との共著/平凡社)とか『日本王権論』(網野善彦・宮田登との共著/春秋社)とか『つるつる対談 多型倒錯』(宮迫千鶴との共著/創元社)とか『男流文学論』(富岡多恵子・小倉千加子との共著/筑摩書房)とか『上野千鶴子が文学を社会学する』(朝日新聞社)とか『家父長制と資本制』(岩波書店)とか『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)とかあたりを読んだ程度でってそういうのをファンと言いますかそうですか。
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