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スリランカ国旗 スリランカの歴史− 1983年1月〜87年7月 (独立後2)− スリランカ国旗

独立前(483BC-1948.2)独立後1(1948.2-82.12)独立後3(1987.7-90.3)独立後4(1990.3-94.7)独立後5(1994.8-97.12)独立後6(1998.1-99.12)独立後7(1999.12-2000.10)

独立後8(2000.10-01.11)独立後9(2001.12-04.3)独立後10(2004.4-05.11)独立後11(2005.11-06.7)独立後12(2006.7-07.2)独立後13(2007.2-07.10)独立後14(2007.11-)





− 時 代 区 分 −

1983年1984年1985年1986年1987年


 西 暦  出 来 事 
1983年暴動から武装闘争 (内戦) へ (1983年1月〜87年7月)
7月にコロンボで発生したタミル人に対する暴動は、瞬く間にスリランカ全土に拡大する。 この暴動をきっかけとして、タミル人武装組織は、シンハラ人主体のスリランカ政府に対する武力闘争を開始し、スリランカはついに内戦に突入してしまう。 1985年のティンプー和平交渉によってしても内戦を終結させることはできず、内戦は泥沼化していく。 やがて、インドのタミル・ナドゥ州 (タミル人が多数居住する州) のジャフナへの干渉が、明らかになっていく。
1983年1月
1983. 1. 4 ジャヤワルダナ大統領 (Junius Richard Jayewardene) が、全政党会議 (All Party Conference) の設置を提案
1983. 1. 7 タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) の国会議員が射殺される
1983. 2.24 「第5次憲法修正案」が採択される (賛成票122、反対票0)
1983. 4. 「イーラム民族解放戦線 (Eelam National Liberation Front, ENLF)」 が結成される
構成組織は、イーラム人民革命解放戦線 (Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF)、イーラム革命学生組織 (Eelam Revolutionary Organizations of Students, EROS)、タミル・イーラム解放組織 (Tamil Eelam Liberation Organization, TELO)
1983. 7. タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、ニュー・デリーで開催された非同盟諸国首脳会議に、タミル人の民族解放の戦いに対する理解を求める覚書を提出
1983. 7.16 インドのタミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州の首相が、ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領に対し、タミル人問題に関する抗議を表明
1983. 7.20 全政党会議 (All Party Conference) が開催される
統一国民党 (United National Party, UNP) とセイロン労働者会議 (Ceylon Workers Congress, CWC) のみが参加し、タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) は出席を拒否
1983. 7.23 ジャフナ (Jaffna) 近郊のティンネウェリ (Tinnevely) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) がスリランカ政府軍兵士を襲撃。 13人のシンハラ人兵士が死亡、2人が重傷
1983. 7.25 23日に殺害された政府軍兵士の葬儀をきっかけとして、コロンボ (Colombo) 市内の各地で、タミル人商店に対する放火や略奪などが発生し、タミル人に対する大虐殺へと発展
コロンボのウェリカダ (Welikada) 監獄では、タミル人政治犯など53名が虐殺される
コロンボ市内に外出禁止令 (同月27日に解除)
1983. 7.26 コロンボの暴動が、西部州 (Western Province) のガンパハ (Gampaha) とカルータラ (Kalutara)、中部州 (Central Province) のキャンディ (Kandy) とヌワラ・エリヤ (Nuwara Eliya) とマータレー (Matale)、東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee)などに波及
全島に外出禁止令 (月末に解除)
この「1983年の暴動」によるタミル人の死者は数百人から数千人、家を失ったものは9万人に及ぶとされる
1983. 7.27 野党が、タミル人保護のためにインド軍の派遣を要求
1983. 7.30 民族暴動を扇動した嫌疑をかけられて、左翼政党が非合法化される
対象は、人民解放戦線 (Janatha Vimukthi Peramuna, JVP)、共産党 (Communist Party, CP)、新平等社会党 (Nava Lanka Sama Samaja Party, NLLSP: 1977年に Lanka Sama Samaja Party [LLSP] から分離) の3党
共産党の機関誌 『アッタ (Attha)』は発禁処分に
1983. 8. 4 「第6次憲法修正案」が採択される
これは、タミル人分離国家構想に対する支持・資金援助・擁護などをスリランカで行うことを違法とし、さらに、議員・公務員に対してタミル人分離国家構想を否定する宣誓を要求するもの (拒否した者には資格剥奪の制裁が可能)
この結果、タミル独立国家の建設を目的とする政党が、実質的に非合法化される (たとえば、タミル統一解放戦線 [Tamil United Liberation Front, TULF])
1983. 8. 9 「第6次憲法修正案」にもとづき、タミル統一解放戦線以外の議員が、タミル人分離国家構想を否定する旨の宣誓を実施

タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF)が、国連に対してPKOの派遣を要請
1983. 9.22 「第7次憲法修正案」が採択される
1983.10.11 タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) の議員が、インドのマドラス (Madras) へ避難
1983.11. 8 アヌラ・バンダーラナーナカ (Anura P. S. D. Bandaranaike) が、スリランカ自由党 (Sri Lanka Freedom Party, SLFP) の党首に就任
アヌラは、S・W・R・D・バンダーラヤーナカ (Solomon West Ridgeway Dias Bandaranaike) とシリマウォ・バンダーラナーナカ (Sirimavo Ratwatte Dias Bandaranaike) の長男
1983.12.29 ジャヤワルダナ大統領 (Junius Richard Jayewardene) が、全政党会議 (All Party Conference) にタミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF)を招待。 14項目の提案を提出
1984年
ジャヤワルダナ大統領は、全政党会議を招集して事態の平和的収拾に乗り出す一方で、軍事力を用いたタミル人武装組織の制圧を進めていく。 そして、そのタミル人武装組織へのタミル・ナドゥ州の関与が徐々に明らかになってくる。
1984. 1. 3 インディラ・ガンディー (Indira Gandhi) 首相の特使が、民族問題を協議するためにコロンボ (Colombo) を訪問
1984. 1. 7 1000名を超える仏教僧が、民族問題に関する大統領提案を検討する集会を開催
1984. 1.10 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、民族問題を解決するための、全政党・宗教組織の代表者からなる全政党会議 (All Party Conference) を開始 (以後、期間をおきつつも継続して実施)
1984. 2.23 ジャヤワルダナ大統領が、「タミル人の主張とシンハラ人の主張の間には埋めがたい大きな溝がある」と議会で発言
1984. 3.15 全政党会議 (All Party Conference) の委員全員が、無国籍のインド・タミル人にスリランカの市民権を与えることに合意
1984. 3.22 プレマダーサ (Ranasinghe Premadasa) 首相が、「スリランカ政府が『タミル人武装組織の訓練所がインド国内にある』という情報を入手した」と議会で発言
1984. 3.23 インド政府が、「インド国内にタミル人武装組織の訓練所は存在していない」と強く否定
1984. 3.24 国家治安省 (Ministry of National Security) が創設され、ラリト・アトラトムダリ (Lalith Athulathmudali) が大臣に任命される
1984. 4.17 共産党の機関誌 『アッタ (Attha)』に対する発禁処分が解除される
1984. 5. 9 全政党会議 (All Party Conference) が再開される。 地方への権限移譲を検討する委員会が設立される
1984. 6.10 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、「イスラエルの専門家から対ゲリラ活動に関する援助を得る」と発言。 スリランカ・ムスリムは反発
1984. 7. 2 インドとスリランカ両国の首脳会談において、民族問題は内政問題であるとの共通認識が示される
1984. 7.13 野党院内総務のアヌラ・バンダーラナーヤカ (Anura P. S. D. Bandaranaike) が、「タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) がシンハラ仏教徒の国であるスリランカを傷つけた」と主張
1984. 7.25 タミル統一解放戦線の指導により、ジャフナ (Jaffna) 市でゼネスト決行
1984. 8. 6 スリランカ海軍が、ジャフナ北部のヴェルベディトゥライ (Velvedditturai) を艦砲射撃。 110人が死亡
1984. 8.11 チュンナカン警察署が爆破される。 タミル人武装勢力19名が爆死
1984. 9.11 ジャフナ (Jaffna) 行きのバスに乗っていたタミル人の乗客15人が射殺される
1984.10.22 タミル人武装組織が仕掛けたと見られる爆弾が、コロンボ (Colombo) で爆発
1984.11.19 ジャフナ (Jaffna) 半島にあるチャワカッチェリ (Chavakachcheri) 警察署が襲撃される。 署長を含む30名近くが死亡
1984.11.22 全島に2日間の外出禁止令
1984.11.30 北中部州 (North Central Province) の農場で、民間人35人が殺害される
1984.12. 1 北部州 (Northern Province) 西岸のマンナル (Mannar) 県の漁村で、11人の漁民が殺害される
1984.12. 2 治安部隊 (security force) の掃討作戦により、タミル人武装勢力68人が死亡
1984.12. 3 北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) にある収容所から脱走しようとしたテロリスト容疑者20人が、射殺される
1984.12. 4 北部州のマンナル (Mannar) 県で、スリランカ政府軍のジープが爆破され1人死亡。 その事件の直後に、バスの乗客のタミル人約30名が、射殺される
1984.12. 6 コロンボ (Colombo) に、夜間外出禁止令。 スリランカ政府軍兵士に対して、不審者を射殺することが命令される

北部州 (Northern Province) 西岸のマンナル (Mannar) で、16人のシンハラ人とスリランカ・ムスリムが焼き殺される
1984.12.14 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、全政党会議 (All Party Conference) において、州評議会設立等の地方分権案を提案
1984.12.17 タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) が、大統領の地方分権案を批判
1984.12.23 仏教僧組織、スリランカ自由党 (Sri Lanka Freedom Party, SLFP) 、タミル統一解放戦線が、ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領の地方分権案に反対
工業相のシリル・マシュウ (Cyril Mathew) も反対し、翌日に解任される
1984.12.26 ジャヤワルダナ大統領が、全政党会議 (All Party Conference) 参加の諸団体が反対したことを理由に、地方分権案を撤回
1985年
ブータンのティンプーにおいて、スリランカ政府とタミル人武装組織との間で和平交渉が実施される。 しかし、問題の解決には至らない。 その後、ジャヤワルダナ大統領は、インドのラジブ・ガンディー首相との連携を強めていく。
1985. 1. 6 北部州 (Norther Province) 西岸のマンナル (Mannar) 市近郊で、カトリックの神父を含む9人のタミル人を、スリランカ政府軍が射殺
1985. 1.10 スリランカ政府軍が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の兵器庫を攻撃し、14人を射殺
1985. 1.19 北部州 (Northern Province) キリノッチ (Killinochchi) からコロンボ (Colombo) へ向かう列車が爆破され、政府軍兵士27人が死亡
1985. 1.30 大学入学許可比率を変更。 30%を全国一律の成績順に、65%を各行政県の人口比率に、5%を5つの後進県に配分
1985. 2. 1 分離独立問題に関する報道規制を強化
1985. 2.15 北部州 (Northern Province) 東岸のムライティブ (Mullaittive) のジャングルで、スリランカ政府軍がタミル人武装勢力58人を射殺
1985. 3. 1 北部州のキリノッチ (Killinochchi) 警察署に対するゲリラ攻撃で、少なくとも50人が死亡
1985. 3. 2 インド政府が、インドのタミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州への難民が、2月5日以来、1万2000人に達したと発表
1985. 3.31 インド政府が、インド空軍と海軍によるポーク (Palk) 海峡の監視を強化
1985. 4. 3 インド内務相が、議会に対し、1983年以来、8万5000人のタミル人難民を受け入れ、タミル・ナードゥ (Tamil Nadu) 州政府に6億700万ルピーを公布したと報告
1985. 4. 7 プレマダーサ (Ranasinghe Premadasa) 首相が、「インドはタミル人武装組織に対する支援活動を中止すべきである」と発言
1985. 4.10 「イーラム民族解放戦線 (Eelam National Liberation Front, ENLF) 」に、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が参加
ENLFは、イーラム人民革命解放戦線 (Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF)、イーラム革命学生組織 (Eelam Revolutionary Organizations of Students, EROS)、タミル・イーラム解放組織 (Tamil Eelam Liberation Organization, TELO) からなる組織
1985. 4.12 ジャフナ (Jaffna) の警察本部が襲撃され、警官4人とタミル人武装勢力20人が死亡
1985. 4.13 東部州 (Eastern Province) で、タミル人とスリランカ・ムスリムの間に暴動が発生。 計28人が死亡し、500以上の家屋が焼失
1985. 4.28 タミル人武装組織が、ニカウェラティヤ警察署を襲撃し、さらに人民銀行 (People's Bank)から現金を強奪
1985. 5.12 治安部隊 (security force) が、ジャフナ (Jaffna) の住民70人を殺害
タミル人武装組織がスリランカ政府軍少佐を殺害したことに対する報復とされる
1985. 5.13 北中部州 (North Central Province) のアヌラーダプラ (Anuradapura) 市で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が小銃を乱射し、一般市民146人が死亡 (アヌラーダプラの虐殺)

翌日、この事件に対する報復として、治安部隊が、ジャフナ (Jaffna) 半島西方のデルフト (Delft) 島に向かうフェリーに乗っていたタミル人48人を殺害

1985. 5.22 北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) 市南部の住民2万人が、治安上の理由から2週間以内の退去を命令される
1985. 6. 3 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領がインドを訪問し、ラジブ・ガンディー (Rajiv Gandhi) 首相と民族対立の問題について長時間の協議
1985. 6.18 国家治安相のラリト・アトラトムダリ (Lalith Athulathmudali) が、「和平交渉の前提として、スリランカ政府とタミル人武装組織5団体との間に停戦協定が結ばれた」と発表
タミル・イーラム解放組織 (Tamil Eelam Liberation Organization, TELO) はこれを否定
タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) も、翌日、否定
1985. 7. 8−13 インドの仲介のもと、ブータンの首都ティンプー (Thimpu) で、スリランカ政府とタミル人武装組織との和平交渉が開始される (第1ラウンド)
タミル人武装組織側は、@タミル人固有の民族性の認知、Aタミル・ホームランドの認知、Bタミル民族の自決権の承認、Cスリランカに居住する全てのタミル人に対する全面的な市民権の付与、を要求。 8月12日に第2ラウンドを再開することで合意
なお、穏健派のタミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF)も参加している
1985. 7.10 8ヶ月に及んだ北部州 (Northern Province) における外出禁止令が、解除される
1985. 7.11 テロ防止法 (Prevention of Terrorism Act) によって逮捕されていた1197人のうち、643人が釈放される
1985. 7.30 タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) とタミル人武装組織が、ティンプー (Thimpu) 和平交渉第2ラウンドに際しての和平条件について、協議
1985. 8.12−18 ティンプーで、スリランカ政府とタミル人武装組織との和平交渉が開始される (第2ラウンド)
スリランカ政府側が、タミル人側の4つの要求のうち、Cを除く全てを拒絶 (@タミル人固有の民族性、Aタミル・ホームランドの認知、Bタミル民族の自決権、Cスリランカに居住する全てのタミル人に対する全面的な市民権の付与)
期間中に、スリランカ政府軍によるタミル人虐殺が続発したため、和平交渉は決裂
1985. 8.16 北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) 周辺で、スリランカ政府軍とタミル人武装組織との間で激しい戦闘。 約100人が死亡
1985. 8.17 北部州のマンナル (Mannar) 発、東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) 行きの列車が、タミル人武装組織によって乗っ取られる

トリンコマリー (Trincomalee) 県で、タミル人漁民37人が虐殺される
1985. 8.22 東部州 (Eastern Province) における武力衝突により、シンハラ人とタミル人の難民が、双方に1万人ずつ発生

インド政府報道官が、ティンプー (Thimpu) における和平交渉が無期限休会されたと公表
1985. 9. 2 タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) 所属の元議員、ダーマリンガム (V. Dharmalingam) とアララスンダラーム (A. Alalasundaram) が、タミル人過激派によって誘拐された後、死体で発見される (発見は翌3日)。 タミル・イーラム解放組織 (Tamil Eelam Liberation Organization, TELO) による犯行とされている
1985. 9. 4 東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) で武力衝突が激化。 外出禁止令 (curfew)
1985. 9.18 6月18日からの停戦期間中に800人のタミル人が殺害されたと、独立派が主張。 国家治安相は、その数を否定
1985.10. 4 タミル人武装組織が、東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) のセイロン銀行から27万5000ルピーを強奪
1985.11. 3 北部州 (Northern Province) 西岸のマンナル (Mannar) 市北部で、スリランカ政府軍とタミル人武装組織との間に激しい戦闘
1985.11. 8 東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) 県で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、一般市民32人を虐殺し、放火
治安部隊 (security force) が報復を実行し、タミル人33人を殺害
1985.11.15 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、南アジア地域協力連合 (South Asian Association for Regional Cooperation, SAARC) の首脳会議に出席
ラジブ・ガンディー (Rajiv Gandhi) 首相が、インドのタミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州にいるタミル人過激派を拘束することを約束。 タミル・ナドゥ州のタミル人過激派は、スリランカのタミル人武装組織を支援しているとされていた
1985.11.20 セイロン労働者会議 (Ceylon Workers Congress, CWC) の指導者 (かつ農工業相) であるサティアムルシ・トンダマン (Satyamurthy Thondaman) が、9万3000人の無国籍タミル人に対してスリランカの市民権を早く与えるよう要請
1985.11.26 イーラム人民革命解放戦線 (Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF) が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に対し、北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) 地区で起こした暗殺事件に対して抗議
1985.12.10 ジャヤワルダナ大統領 (Junius Richard Jayewardene) が、「北部州と東部州 (Eastern Province) を統合した『タミル・ホームランド』をタミル人の自治州にする」というタミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) の提案を拒否
1985.12.30 ジャヤワルダナ大統領が、北部州 (Northern Province) と東部州を統合するというタミル統一解放戦線の提案を、改めて拒否
和平の可能性は完全に崩壊
1986年
内戦による大規模な戦闘が継続する中、ジャヤワルダナ大統領は、地方分権策である「州評議会」の導入を全政党会議において提案する。 他方、タミル人武装組織の間では主導権争いが激化していき、それに勝利しつつあったタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) の優位が確立されていく。
1986. 1. 1 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、シリマウォ・バンダーラナーヤカ (Sirimavo Ratwatte Dias Bandaranaike) 元首相の市民権を回復させる
シリマウォは、大統領委員会によって権力濫用の罪を問われ、1980年10月以来、市民権停止の処分を受けていた
1986. 1.11 タミル人武装組織が、紅茶に青酸化合物を混入させるという噂が広まる
1986. 1.15 スリランカ政府とインド政府の間で、無国籍のインド系タミル人の処遇に関する合意が成立
既存の協定よりも9万4000人分多くの無国籍タミル人に対してスリランカの市民権を与えることに
1986. 1.28 中部州 (Central Province) の紅茶プランテーション地区のヌワラ・エリヤ (Nuwara Elyia) で暴動が発生することを抑制するために、外出禁止令が発令される
北部州 (Northern Province) のキリノッチ (Killinochchi) で、スリランカ政府軍とタミル人武装組織との戦闘。 3日までの戦闘で双方に100人以上の死者
1986. 1.31 無国籍のインド系タミル人に対してスリランカの市民権を与える法案が、議会で可決される (賛成130票、反対9票。スリランカ自由党 [Sri Lanka Freedon Party, SLFP] は退場)
1986. 2. 4 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、独立記念日の演説で、「年内にテロリストを根絶する」と発言
1986. 2.13 ジャヤワルダナ大統領が、「公安法」にもとづき「治安地帯」を指定し、許可なくこの地域に出入りすることを禁じる
タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) は、指定の撤回を求める (15日)
1986. 2.19 東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) 市郊外で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が仕掛けた地雷によってバスが大破。 シンハラ人の民間人32人とスリランカ政府軍兵士4人が死亡
1986. 3. 5 インド外務省が、1983年7月以降、12万4828人の難民がインドに逃れてきたと報告
1986. 3.10 1985年1月から86年2月にかけて、スリランカ政府軍によって3000人のスリランカ・タミル人が殺害されたとの発表
1986. 3.25 東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 市郊外で、ムスリム組織がタミル人18人を誘拐し、9人を殺害
1986. 3.27 北部州 (Northern Province) への鉄道の運行を停止
1986. 4. 4 スリランカ観光局が、「観光客の来島が40万7000人 (1982年) から25万7000人 (1985年) に減少した」と発表
1986. 4.23 北中部州 (Northern Central Province) のアヌラーダープラ (Anuradapura) 市の石油タンクが爆発し、9人が死亡
1986. 5. 1 4月からのジャフナ (Jaffna) におけるタミル人武装組織同士の闘争で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、タミル・イーラム解放組織 (Tamil Eelam Liberation Organization, TELO) に勝利。 TELO側の死者は、150〜300人
1986. 5. 3 カトゥーナヤカ (Katunayake) 国際空港で、モルジブのマレ (Male) 行きのエアランカ航空機内で爆弾が爆発。 乗客17人が死亡 (うち2名は日本人)、24人が負傷
1986. 5. 6 ジャフナ (Jaffna) で、タミル・イーラム解放組織 (Tamil Eelam Liberation Organization, TELO) の指導者であるシュリ・サバラトナム (Sri Sabaratonam) が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) によって処刑される
1986. 5. 7 コロンボ中央電報局で爆破事件。 死者12人、負傷者114人
1986. 5.17 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) 半島奪還を目的とする軍事行動を開始し、空爆を実施

スリランカ政府が、重要な公的機関で働いているタミル人を1ヶ月間強制的に休職させることを決定
1986. 5.23 東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) 県の農村をタミル人武装組織が襲撃し、シンハラ人20人が殺害される
1986. 5.31 東部州のバッティカロア (Batticaloa) 行きの列車が爆破され、12人が死亡
1986. 6. 7 コロンボ (Colombo) において、過去3日間で350人のタミル人がテロリストの嫌疑をかけられて逮捕される
1986. 6. 8 北部州 (Northern Province) のキリノッチ (Killinochchi) における戦闘が激化し、約1000人の住民が難民化

東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) 県で、バス3台に乗ったタミル人の乗客が、スリランカ政府軍によって自警団に引き渡されたあとに射殺される (BBCの報道)
1986. 6.12 ジャフナ (Jaffna) 半島に、漁業禁止令
1986. 6.13 北部州 (Northern Province) 西岸のマンナル (Mannar) 県で、タミル人26人がスリランカ政府軍のヘリコプターによって射殺される
1986. 6.25 民族対立を解決するための全政党会議 (All Party Conference) が開催される
スリランカ政府がタミル人の自治権拡大を提案 (州評議会の設立、州首相と州閣僚の設置、行政の分権化など)
1986. 7.15 全政党会議が開催される (スリランカ自由党 (Sri Lanka Freedom Party, SLFP) はボイコット)
タミル議会 (Tamil Congress) 以外の参加政党は、州評議会の設立に同意
1986. 7.18 北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) で戦闘が激化
1986. 7.22 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領とタミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) との会談が終了 (第1ラウンド)
和解への前進が見られたとの積極的な評価
1986. 8. 6 「第10次憲法修正案」が可決される
非常事態宣言を議会の過半数の賛成で延長できるようにするもの
1986. 8.10 東部州 (Eastern Province) のカルムナイ (Kalmunai) で、タミル人とスリランカ・ムスリムの対立が暴動化し、3人が死亡
1986. 8.29 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領とタミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) との会談が終了 (第2ラウンド)。 協議の継続に合意

北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) では戦闘が継続

1986. 9. 2 タミル統一解放戦線の代表が、スリランカ政府との合意点 (法と秩序の維持、司法制度改革、財政上の分権化) と対立点 (入植事業、北部州と東部州の単一州評議会制度の設置、漁業管理) について語る
1986. 9.15 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、「タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) との間に90%の合意が成立した」と発言
1986. 9.18 東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 市で自動車が爆破され、政府軍兵士10人が死亡
その直後、治安部隊 (security force) が47人を射殺し、150人を検挙
1986. 9.23 国家治安省が、州評議会 (Provincial Council) 制度に反対するデモを禁止
1986.10. 8 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、イーラム国通貨を1987年1月1日に発行すると宣言
1986.10.13 北部州 (Northern Province) 西岸のマンナル (Mannar) 県で、激しい戦闘が継続
1986.11.16 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、南アジア地域協力連合 (South Asian Association for Regional Cooperation, SAARC) の首脳会議に出席
ラジブ・ガンディー (Rajiv Gandhi) 首相と会談。 タミル・ナド (Tamil Nadu) 州のラーマチャンドラン (M. G. Ramachandran) 首相も参加
1986.11.19 スリランカとインドの双方の外相が首脳会談を引き継ぎ、2日間にわたり会談。 しかし、タミル・イーラム国の独立を主張する団体を納得させられる解決策には至らず
1986.12. 6 東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) で、タミル人とスリランカ・ムスリムの対立が暴動化し、24人が死亡
1986.12.14 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とイーラム人民革命解放戦線 (Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF) の抗争が、EPRLFの降伏により終了
1986.12.18−19 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領とインドのシン国務相 (Dinesh Singh: スリランカ問題担当) との会談
東部州 (Eastern Province) をシンハラ人地域・タミル人地域・ムスリム地域に3分割するというジャヤワルダナ大統領案を検討。 しかし、最終的な結論は見いだせず
1986.12.30 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、1987年1月から徴税・教育・難民支援・農村開発・テレビ放送・切手の発行・裁判などの行政事務を担当する計画を発表
1987年
スリランカ政府の実施したジャフナ半島への経済制裁と大規模な軍事攻撃は、ジャフナ半島に居住するタミル人のおかれた状況を憂慮するインド政府の人道的介入を招くことになる。 ジャフナをめぐって一気に緊張の度合いを増した両国間関係は、しかし一転して、スリランカの内戦に両国が共同して対処するという新たな構想を生み出すことになる。
1987. 1. 2 スリランカ政府が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) がジャフナ (Jaffna) 半島の行政活動を行うのに妨害するために、燃料の供給を制限することを決定 (経済制裁の開始)
1987. 1. 5 インド大使がジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領に会い、ジャフナ半島への経済制裁に対する憂慮を表明
1987. 1. 8 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) 半島に対する攻撃を開始
1987. 1.18 ジャフナ半島南端のエレファント・パス (Elephant Pass) 付近で、スリランカ政府軍がタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の基地を攻撃。 双方で14人の死者
1987. 1.26−31 東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 市郊外で、スリランカ政府軍とタミル・イーラム解放のトラの間で激しい戦闘。 双方で数百名の死者
1987. 2. 3 オーストラリア政府が、1983年以来、5786人のスリランカ難民を受け入れたと表明
1987. 2.7−15 スリランカ政府軍が、北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) におけるタミル人武装勢力掃討作戦を展開
1987. 2. 8 国家治安省が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が東部州 (Eastern Province) のアンパラ (Ampara) 県でシンハラ人民間人28名を殺害したと発表
1987. 2.12 タミル・イーラム解放のトラが、スリランカ政府軍がエレファント・パス (Elephant Pass) 付近でタミル人民間人130人とタミル人兵士20名を殺害したと発表
1987. 2.19 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、1986年12月19日に自らが示した提案が和平の基礎になる、と議会で発言
1987. 3. 7 北中部州 (North Central Province) のウルックラマ (Ulukkulama) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が仕掛けた地雷によって、スリランカ政府軍兵士17人が死亡
1987. 3. 9 スリランカ政府軍の攻撃により、ジャフナ (Jaffna) 市内の死者は50人、負傷者は150人に達したとインド各紙が報道

タミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州のラーマチャンドラン (M. G. Ramachandran) 首相が、ラジブ・ガンディー首相 (Rajiv Gandhi) に対して、スリランカ政府軍のタミル人に対する攻撃を抑制させるよう強く要請

タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) も同様の要求

1987. 3.11 スリランカ政府が、68日間続いた燃料の輸送禁止を解除
1987. 3.18 インドのシン国務相 (Dinesh Singh [スリランカ問題の担当者]) が、「スリランカ政府が経済制裁を解除しなければ、インド政府がタミル人に対する食糧や必需品の供給を行うことがありうる」と議会で発言
1987. 3.23 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、ジャフナの電信局 (Telecommunication Centre) をスリランカ政府軍から奪還

東部州 (Eastern Province) で、タミル人武装組織が25人のシンハラ人民間人を殺害 (うち5人は子ども、12人は女性)
1987. 3.30 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) のジャフナ (Jaffna) 方面司令官であるクリシュナクマール (通称はキットゥ [Kittu]) (本名は、Sathasivam Krishnakumar) が、手榴弾による攻撃を受け、右足を切断。 しかし、治療後すぐに前戦に復帰
1987. 4. 1 タミル・イーラム解放のトラが、クリシュナクマール (通称キットゥ) に対する攻撃への報復として、イーラム人民革命解放戦線 (Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF) とタミル・イーラム解放組織 (Tamil Eelam Liberation Organization, TELO) のメンバーを虐殺。 140人以上が死亡
1987. 4.10 スリランカ政府軍が、10日間の一方的停戦を宣言 (17日に撤回)
1987. 4.17 北中部州 (North Central Province) のハバラナ (Habarana) と東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) を結ぶ国道6号線沿いのキトゥロットゥワ (Kitulottuwa) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) によるバス襲撃事件が発生。 シンハラ人民間人126人が死亡、60人以上が負傷
スリランカ政府は停戦を撤回
1987. 4.20 東部州のトリンコマリー市郊外の村で、シンハラ人民間人18人が殺害される
1987. 4.21 コロンボ (Colombo) のペター (Pettah) にあるバス・ターミナルで、夕方のラッシュ・アワーに合わせた無差別爆弾テロが発生。 民間人100人以上が死亡、300人以上が負傷
スリランカ政府は、イーラム革命学生組織 (Eelam Revolutionary Organizations of Students, EROS) の犯行とする
1987. 4.22 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) 半島への空爆を開始。 これまでにない規模と集中度
1987. 5. 1 スリランカ政府が、「タミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州がジャフナ住民に対して食糧や医薬品などの救援物資を送る計画を進めている」と批判
1987. 5.10 スリランカ政府が、インド近海における漁業を全面的に禁止。 武器の密輸を防ぐため
1987. 5.26 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) 半島の奪還を目的とする「解放作戦 (Operation Liberation) 」を開始 (6月10日終了)
ジャフナ半島をタミル人武装組織から解放するために、8000人のスリランカ陸海空軍兵士が、徹底的な空爆と砲撃による大攻勢に
1987. 5.28 ガンディー首相 (Rajiv Gandhi) が、スリランカ政府軍のジャフナ攻撃を抑制させるために各国が圧力を加えるよう呼びかける
1987. 5.31 ジャフナ (Jaffna) 半島における激しい戦闘により、軍人と市民の双方で400人以上の死者。 ジャフナ市街地は地獄の様相を呈す

タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) は、本拠地 (Vadamarachchi) から撤退し、事実上の敗北を認める声明を発表

1987. 6. 1 東部州 (Eastern Province) のアンパラ (Ampara) 県で、タミル人武装組織がバスを襲撃し、仏教僧32人とシンハラ人4人を殺害
1987. 6. 3 赤十字の旗を掲げてジャフナ (Jaffna) に救援物資を輸送中のインド政府の19隻からなる船団が、スリランカ海軍に航路を阻まれて帰還
1987. 6. 4 インド空軍の輸送機が、4機のミラージュ・ジェット戦闘機の護衛のもとに、ジャフナ上空から救援物資をパラシュートで投下
在インド・スリランカ高等弁務官にこの計画が知らされたのは、インド空軍機が離陸するわずか35分前
事前にインド政府は、インド空軍機に対する発砲は軍事力によって排除すると警告
1987. 6. 7 ジャフナ (Jaffna) 半島に60時間の外出禁止令が発令される

民族解放戦線 (Janatha Vimukthi Peramuna, JVP) のゲリラが、コロンボ南部の軍事研修所とカトゥーナヤカ (Katunayaka) 国際空港にある空軍基地を襲撃し、大量の武器・弾薬を奪取
JVPは、セイロン島南部のシンハラ人青年層を主体とするマルクス主義的革命組織
1987. 6.15 スリランカ政府が、インドからの救援物資を赤十字を通じて受け入れることに合意
1987. 6.23 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、インドからの救援物資がジャフナ (Jaffna) に配分されるまで軍事行動を停止すると発表
1987. 6.26 スリランカ警察が、民族解放戦線 (Janatha Vimukthi Peramuna, JVP) の容疑者65人を逮捕
1987. 6.28 スリランカ政府軍が、トリンコマリー (Trincomalee) 市南方のムトゥール (Mutur) にあるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE)の基地を襲撃し、LTTE兵士12人を殺害
1987. 7. 6 タミル・イーラム解放のトラが、北部のスリランカ政府軍兵舎を爆破し、政府軍兵士16人を殺害
1987. 7.14 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領が、インド大使と、北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) を単一の行政単位とする旨の新しい和平案を検討
1987. 7.23 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) のリーダーであるプラバーカラン (Velupillai Prabhakaran) が、インド軍用機でニュー・デリー (New Delhi) に飛び、インド政府首脳と会談
以後しばらくの間は、事実上の監禁状態におかれる
1987. 7.26 仏教僧らが、ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領の新しい和平協定案に反対
1987. 7.27 ニュー・デリー (New Delhi) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) 指導部に対するラディブ・ガンディー (Rajiv Gandhi, 1944-91) 首相直々の説得工作が続けられる
LTTE指導部は、LTTEのリーダーであるヴェルピッライ・プラバーカラン (Velupillai Prabhakaran) と同イデオローグのアントン・バラシンガム (Anton Balasingham)。 プラバーカラン (Velupillai Prabhakaran) は、和平協定案に納得せず
1987. 7.28 コロンボ (Colombo) で、和平協定に反対する暴動が発生。 仏教僧2人を含む19人が警察官に射殺される。 36時間の外出禁止令が発令される
1987. 7.29 ジャヤワルダナ (Junius Richard Jayewardene) 大統領とラディブ・ガンディー (Rajiv Gandhi, 1944-91) 首相が、インド・スリランカ和平協定 (Indo-Sri Lanka Paece Accord) に調印

独立前(483BC-1948.2)独立後1(1948.2-82.12)独立後3(1987.7-90.3)独立後4(1990.3-94.7)独立後5(1994.8-97.12)独立後6(1998.1-99.12)独立後7(1999.12-2000.10)

独立後8(2000.10-01.11)独立後9(2001.12-04.3)独立後10(2004.4-05.11)独立後11(2005.11-06.7)独立後12(2006.7-07.2)独立後13(2007.2-07.10)独立後14(2007.11-)



参考: 荒井悦代「スリランカ紛争史年表」武内進一編著『アジア・アフリカの武力紛争−共同研究会中間成果報告−』(アジア経済研究所、2002年)
浦野起央「第4章 タミル人暴動とエスニシティ紛争の構図」『現代紛争論』(南窓社、1995年)
S. W. R. de A. Samarasinghe and Vidyamali Samarasinghe, Historical Dictionary of Sri Lanka (London: The Scarecrow Press, Inc., 1998).
M. R. Narayan Swamy, Tigers of Lanka: From Boys to Guerrillas (Second Edition with Epilogue) (Colombo: Vijitha Yapa Bookshop, 1996).
C. A. Gunawardena, Encyclopedia of Sri Lanka: Revised Edition 2006 (Elgin: New Dawn Press, 2006).



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