ホームスリランカの部屋>このページ(updated September 11th, 2007)



スリランカ国旗 スリランカの歴史− 1990年3月〜94年7月 (独立後4)− スリランカ国旗

独立前(483BC-1948.2)独立後1(1948.2-82.12)独立後2(1983.1-87.7)独立後3(1987.7-90.3)独立後5(1994.8-97.12)独立後6(1998.1-99.12)独立後7(1999.12-2000.10)

独立後8(2000.10-01.11)独立後9(2001.12-04.3)独立後10(2004.4-05.11)独立後11(2005.11-06.7)独立後12(2006.7-07.2)独立後13(2007.2-07.10)独立後14(2007.11-)





− 時 代 区 分 −

1990年3月1990年7月1991年1月1991年7月1992年1993年1994年


 西 暦  出 来 事 
LTTEとの全面対決へ−インド平和維持軍撤退後の混乱− (1990年3月〜94年7月)
インド平和維持軍 (IPKF) が撤退した後に進駐してきたのは、スリランカ政府軍ではなく、タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) であった。 1990年の中頃になると、タミル・イーラム国の行政組織の基礎になりうる「北東部州評議会」の扱いをめぐって、スリランカ政府とLTTEの主張が対立するようになり、前年6月に結ばれた停戦協定の崩壊を招くことになる (1990年6月)。 その結果, スリランカ政府とLTTEは、一挙に全面的な軍事対決に突入するのであった (Eelam War U)。 この期間はまた、LTTEの自爆テロによって多くの要人が暗殺される凄惨な時期でもある。
1990年3月 −Eelam War U−
停戦破棄、ジャフナ攻防戦、介入を拒否するインド、ムスリムに対する迫害を続けるLTTE
1990. 3.24 インド平和維持軍 (Indian Peace Keeping Force, IPKF) が完全撤退を完了
最後の兵士2000人が、東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) から帰国 (インド国民会議派政権の退陣により、若干早まった)

IPKFを支援してきたイーラム人民革命解放戦線(Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF) の幹部も、国外へ脱出

1990. 3.25 プレマダーサ (Ranasinghe Premadasa) 大統領が、インド平和維持軍の早期撤退に感謝を表明するとともに、北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) を解散して中央政府が直轄統治することを宣言
1990. 4. 7 プレマダーサ大統領が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) 首脳と会談
1990. 4.10 プレマダーサ大統領 (Ranasinghe Premadasa) が、タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) 代表と会談
LTTEは、第6次憲法修正条項 (分離独立構想を掲げることを禁じる条項) の削除、北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) の再開を要求

非常事態宣言から集会禁止条項を削除する改正が成立
1990. 4.30 スリランカ政府が、インドの市民権を有する紅茶プランテーション労働者10万人に対して無料で航空券を配布することを発表。 5月半ば以降、インド政府との協議が開始される
1990. 5. 3 国防副大臣のランジャン・ウィジェラトナ (Ranjan Wijeratna) が、「北東部州 (North Eastern Province) の元首相のペルマル (Annamalai Varadaraja Perumal) がスリランカに帰国すれば、イーラム民主共和国 (Eelam Democratic Republic) の独立を一方的に宣言した罪で逮捕する」と発言
1990. 5. 7 イーラム人民革命解放戦線 (Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF) の国会議員タムビムットゥ (Sam Thambimuttu) とその妻が、コロンボ (Colomo) で暗殺される。 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の犯行
1990. 5.11 タミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州首相が、インドの市民権を有する紅茶プランテーション労働者を同州に受け入れることに反対
1990. 5.16 プラバーカラン (Velupillai Prabhakaran) を含むタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の代表が、タミル・ナドゥ州首相と会談
1990. 5.21 タミル・イーラム解放のトラが、インドの市民権を有する紅茶プランテーション労働者の帰還に反対するストライキを実施
北東部州 (North Eastern Province) の行政は麻痺
1990. 5.22 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) の新選挙を要請
1990. 5.24 国防副大臣のウィジェラトナ (Ranjan Wijeratna) が、「タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が武装解除しない限り、北東部州評議会の選挙を実施することは不可能」と発言。 以降、同様の発言が続く
1990. 5.27 スリランカ政府が、「州評議会法」の改正による北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) の解散を検討
1990. 5.31 スリランカ警察が、中部州 (Central Province) の人民解放戦線 (Janatha Vimukthi Peramuna, JVP) の訓練キャンプを急襲し、15人を殺害
1990. 6. 1 プレマダーサ大統領 (Ranasinghe Premadasa) が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) 代表団と会談
1990. 6. 3 法相が、タミル・イーラム解放のトラの代表団と会談
1990. 6. 4 スリランカ政府が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) と会談

スリランカ最高裁判事が、北東部州 (North Eastern Province) の元首相ペルマル (Annamalai Varadaraja Perumal) に対する反乱陰謀罪による逮捕令状を申請
1990. 6. 6 国防副大臣のウィジェラトナ (Ranjan Wijeratna) が、「州評議会法を改正して、大統領に北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) の解散権を付与することを検討中」と表明
1990. 6. 7 北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とスリランカ政府軍が衝突。 1989年6月末から続いてきた停戦が崩壊し、いわゆる「イーラム・ウォーU」に突入
翌日LTTEは、「政府側が停戦協定を破棄した」と非難
1990. 6.11 東部州 (Eastern Province) のカルムナイ (Kalmnai) で、タミル・イーラム解放のトラがスリランカ政府軍兵士を殺害。 さらに警察署を襲撃し、多数の警察官を連行
1990. 6.12 法相が、ジャフナ (Jaffna)で タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) と交渉し、「13日正午からの休戦」に合意

東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) で、タミル・イーラム解放のトラが列車を止めてシンハラ人24人を連行

スリランカ政府が、陸海空軍および東部州警察に、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に対する報復措置をとるよう要請
1990. 6.13 「本日正午からの休戦協定」の破棄
タミル・イーラム解放のトラによって連行された警察官100人以上が殺害されたとの報道
1990. 6.14 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とスリランカ政府軍の戦闘が、北部地域に拡大

タミル・イーラム解放のトラが、シンハラ人居住地域に対する攻撃を命令
1990. 6.15 法相が、ジャフナ (Jaffna)で タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) と交渉し、16日午後6時からの休戦に合意
しかし16日に破棄され、LTTEは政府側が停戦協定を破棄したと非難
1990. 6.16   インド外相が、「インドはスリランカに介入しない」と言明
1990. 6.17 東部州 (Eastern Province) のアンパラ (Ampara) の難民キャンプに、スリランカ・ムスリム1万3000人が流入
1990. 6.19 マドラス (Madras) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、イーラム人民革命解放戦線 (Eelam People's Revolutionary Liberation Front, EPRLF) リーダーのカンダサミイ・パトマナーバ (Kandasamy Pathmanabha) ら幹部15人を殺害
パトマナーバは、北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) 政府の元閣僚であった
1990. 6.22 11日以来の戦闘により、スリランカ政府軍に133人、LTTEに700人の死者
1990. 6.23 スリランカ政府が、90の難民キャンプに、少なくとも21万8670人が避難と発表
1990. 6.25−29 スリランカ政府軍が、ジャフナ要塞 (Jaffna Fort) 周辺に対する空爆を実施。 ジャフナ要塞に籠城しているスリランカ政府軍兵士を救出するため
1990. 6.26 プレマダーサ大統領 (Ranasinghe Premadasa) が、「北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) を解散すること、選挙を北部の状況次第で実施すること、北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) の合併に関する住民投票を1991年に延期すること」を演説で表明
1990. 6.28 タミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州首相が、インド首相に対し、スリランカ政府がタミル人攻撃を止めるように要請することを求める
インド政府は、ジャフナへの空爆に関する憂慮を公式に表明し、翌日、スリランカ政府にタミル人の殺害を止めるよう要請
1990. 7. 6
タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front,TULF) が、国連もしくは英連邦の仲介による休戦を提案

北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) を解散して選挙を実施するための「州評議会法」の改正が成立
プレマダーサ大統領 (Ranasinghe Premadasa) は、翌日、北東部州評議会の解散を公布
1990. 7.13 東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 市近郊のカッタンクディ (Kattankudi) のモスクで、76人のムスリムが虐殺される
1990. 7.20 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、ジャフナ (Jaffna) 半島への要衝であるエレファント・パス (Elephant Pass) を爆破
1990. 7.21 6月11日に東部で誘拐された警察官と思われる200人の焼死体が発見される
1990. 8. 3 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 市近郊のカッタンクディ (Kattankudi) のモスクを襲撃。 116人が死亡、90人が負傷
1990. 8. 4 タミル・イーラム解放のトラが、東部州のバッティカロア近郊のカッタンクディのムスリム4万5000人に対して、「8月10日までに退去せよ」との最後通牒を告知
1990. 8.10 スリランカ政府がジャフナ (Jaffna) への侵攻を宣言し、地域住民10万人に避難を命じる
1990. 8.11 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 市近郊のエラフール (Eravur) のモスクを襲撃し、スリランカ・ムスリム127人を殺害
1990. 8.20 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) への爆撃を開始
22日に退去勧告のビラを投下し、無期限外出禁止令を布告
1990. 8.23 ジャフナで、無期限外出禁止令を無視したタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の兵士150人が、空爆により死亡
1990. 8.24 インド首相が、ジャフナ (Jaffna) に対する攻撃を激しく避難
1990. 9.13 スリランカ政府軍がジャフナ要塞 (Jaffna Fort) を奪還し、200人の兵士や警察官を救出。 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) 側の死者は50人
1990. 9.19 タミル・イーラム解放のトラが、北部州 (Northern Province) 西岸のプッタラム (Puttalam) 県のシンハラ人漁村を襲撃し、40人を殺害
1990. 9.21 ムスリム自警団が、東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 市近郊の農村を襲撃し、19人が重傷に
1990. 9.24 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、北部のシンハラ人農村を襲撃
1990. 9.26 スリランカ政府軍がジャフナ要塞 (Jaffna Fort) から撤退
直後にタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が再占領
1990.10. 5 国防副大臣のウィジェラトナ (Ranjan Wijeratna) が、ジャフナ (Jaffna) への攻撃再開を発表。 国際赤十字委員会に対して24時間以内の退去を求める
1990.10.16 治安部隊 (security force) が、ジャフナ半島に無期限外出禁止令を通告
1990.10.17 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) への爆撃を開始。 地域住民に対して退去勧告のビラを投下
1990.10.22 タミル・イーラム解放のトラが、北部州 (Northern Province) のマンナル (Mannar)、ワウニヤ (Vauniya) 、ジャフナ (Jaffna) に居住するスリランカ・ムスリムに対して、10月28日までの退去を命じる
1990.11. 2 スリランカ・ムスリム会議 (Sri Lanaka Musulim Congreee, SLMC) が、「北部州西岸のマンナルからのスリランカ・ムスリム難民が6万5000人に達した」と発表
1990.11. 9 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) を爆撃
1990.11.22 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vauniya) 県マンクラム (Mankulam) にあるスリランカ政府軍基地を襲撃し、25日に占領。 スリランカ政府軍の死者100人以上、LTTEの死者200人以上
1990.12. 5 プレマダーサ大統領 (Ranasinghe Premadasa) が、「北部州と東部州の合併に関する東部州住民による住民投票を1991年8月22日に実施する」と発表
1990.12.13 スリランカ政府軍が、東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) 県北部コキライ (Kokkilai) にある、タミル・イーラム解放のトラの基地をヘリコプターで攻撃。 LTTE側に死者40人
1990.12.22 ジャフナ (Jaffna) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とスリランカ政府軍の大規模な戦闘が開始される
1990.12.30 タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) が、国際赤十字を通じて、31日24時からの停戦を提示
国防副大臣のウィジェラトナ (Ranjan Wijeratna) は、「スリランカ政府はLTTEに対する攻撃を止める予定はない」と発言
1991年
ラジブ・ガンディーの暗殺、エスカレートする内戦、与党統一国民党 (UNP) の内紛
1991. 1. 1 プレマダーサ (Ranasinghe Premadasa) 大統領が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に対して、武装解除と全政党会議 (All Party Conference) への参加を要求
1991. 1. 2 タミル・イーラム解放のトラが、北部・東部地域のスリランカ政府軍基地を攻撃
1991. 1. 3 スリランカ政府が、3日深夜から7日間の攻撃停止を発表

タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) のクリシュマクマール (通称キットゥ) (Sathasivam Krishnakumar, [Kittu]) が、和平交渉を進める際の前提条件を提示
@タミル人の自治権の承認、A北東部州 (North Eastern Province) がタミル・ホームランドであることの承認、B武装解除を要請しないこと
1991. 1.10 タミル・イーラム解放のトラが、停戦の延長と和平交渉の開催を要求
1991. 1.11 スリランカ政府が、停戦の延長を拒否し、14日からの攻撃再開を発表
1991. 1.22 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、東部州 (Eastern Province) のアンパラ (Ampara) 県のシンハラ人農村を襲撃し、27人を殺害
1991. 2. 1 国防副大臣のウィジェラトナ (Ranjan Wijeratna) が、1990年6月11日以来の戦闘で、スリランカ政府軍兵士や警官1441人が死亡、1981人が負傷と発表
1991. 2. 6 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) でバスを爆破し、8人が死亡、28人が負傷
1991. 2.15 プレマダーサ大統領 (Ranasinghe Premadasa) が、「北東部州評議会 (North Eastern Provincial Council) 選挙を6月30日以降に実施する」と発表
1991. 2.17 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、北部州 (Northern Province) のマンナル (Mannar) 県コンダッチ (Kondaichchi) でスリランカ政府軍兵士45人を殺害
1991. 3. 2 コロンボで、国防副大臣のウィジェラトナ (Ranjan Wijeratna) が、自動車に積んであった爆弾の爆発により暗殺される。 タミル・イーラム解放のトラによる犯行
1991. 3. 6 ウィジェートゥンガ (Dingiri Banda Wijetunga) 首相が国防副大臣に着任
1991. 3.31 スリランカ政府軍が、北部州 (Northern Province) のマンナル (Mannar) 県ヴィーパンクラムで、100人以上のタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) 兵士を殺害。 スリランカ政府軍兵士の死者は20人
1991. 4. 3 東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) 沖で、タミル・イーラム解放のトラが、シンハラ人の漁船を襲撃し、11人死亡、9人負傷、行方不明16人
1991. 4. 5 北部州 (Northern Province) のマンナル (Mannar) とワウニヤ (Vavuniya)、 東部州のトリンコマリー (Trincomalee) とバッティカロア (Batticaloa) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とスリランカ政府軍が衝突。 双方で95人の死者
1991. 4.10 北部・東部の戦闘で、タミル・イーラム解放のトラに107人の死者
1991. 4.13 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、東部州 (Eastern Province) のアンパラ (Ampara) 県のシンハラ人農村を襲撃し、17人を殺害
1991. 4.25− ジャフナ (Jaffna) 半島南端のエレファント・パス (Elephant Pass) 近郊で、タミル・イーラム解放のトラ ( LTTE) とスリランカ政府軍の戦闘。 LTTEに150人の死者、スリランカ政府軍に130人の死者
1991. 4.29 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、スリランカ軍兵士45人を殺害
1991. 5. 7 北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya)で、タミル・イーラム解放のトラとスリランカ政府軍の戦闘。 LTTEに20人の死者、スリランカ政府軍に30人の死者
1991. 5. 9 スリランカ政府軍が、北部州のジャフナ (Jaffna) 県カライティヴ (Karaitivu) 、ワウニヤ県オマンタイ (Omantai) にあるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の基地を制圧
1991. 5.11 地方選挙が実施される
1991. 5.13 スリランカ政府軍が、東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 県アナンダクラムにあるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の基地を制圧

5月2日から続く北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) における戦闘で、タミル・イーラム解放のトラに250人の死者、スリランカ政府軍に35人の死者
1991. 5.21 マドラス近郊で、ラジブ・ガンディー (Rajiv Gandhi, 1944-91) 元インド首相が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の自爆テロにより暗殺される
ガンディーは、「インド・スリランカ和平協定 (Indo-Sri Lanka Paece Accord)」 のインド側の当事者
1991. 5.25 タミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州において、タミル・イーラム解放のトラの関係者1000人と、タミル人活動家3600人が検挙される
1991. 6. 5 スリランカ政府軍が、北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) 県にあるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の拠点に対する攻撃を開始
1991. 6.14 北部州のワウニヤで、タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) とスリランカ政府軍の大規模な戦闘。 LTTEに多大な損失

東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) 県とアンパラ (Ampara) 県の境界にあるタミル・イーラム解放のトラの最大規模の基地を、スリランカ政府軍が襲撃
1991. 6.20 東部州のトリンコマリー (Trincomalee) 県で、 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) がスリランカ政府軍兵士16人を殺害

北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) にあるLTTEの基地をスリランカ政府軍が攻撃。  LTTEに172人の死者、スリランカ政府軍に27人の死者
1991. 6.21 コロンボ (Colombo) の国防省共同作戦本部付近で、自動車爆弾が爆発。 70人が死亡
1991. 7. 5
インド政府が、インド訪問中のスリランカ外相に対し、「インド・スリランカ和平協定 (Indo-Sri Lanka Paece Accord) 」に定められた事項の実施を強く要請
1991. 7.10− ジャフナ (Jaffna) 半島南端のエレファント・パス (Elephant Pass) をめぐるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とスリランカ政府軍の戦闘が激化。 ほぼ1ヶ月継続
1991. 7.13 スリランカ政府軍が、エレファント・パスのタミル・イーラム解放のトラ (LTTE) の基地を制圧。 LTTE側の死者は50人、スリランカ政府軍側の死者は16人
1991. 7.21 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE)が、北部地域で独自の行政システムを導入し、独自の通貨を発行したとの報道
1991. 8. 3 スリランカ政府が、ジャフナ (Jaffna) 半島南端のエレファント・パス (Elephant Pass) をめぐる戦闘における勝利を発表し、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に対して和平交渉を呼びかける。 この戦闘で、スリランカ政府軍に200人の死者、700人の負傷者。 LTTEに500人の死者、900人の負傷者
1991. 8. 5 インド政府軍が、タミル・ナドゥ (Tamil Nadu) 州にあるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の拠点に対する攻撃を開始
1991. 8. 7 大統領令により、1991年8月22日に予定されていた北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) の合併の是非を問うための東部州住民による住民投票を、92年2月22日に延期
1991. 8.22 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の政治局顧問のアントン・バラシンガム (Anton Balasingham) が、和平交渉に応じる用意があると発言
交渉相手としてセイロン労働者会議 (Ceylon Workers Congress, CWC) のサティアムルシ・トンダマン (Sayamurthy Thondaman) を、交渉場所としてジャフナ (Jaffna) を要求
1991. 8.28 統一国民党 (United National Party, UNP) のラリト・アトラトムダリ (Lalith Athulathmudali) とガミニ・ディサナーヤカ (Gamini Dissanayake) が、プレマダーサ (Ranasinghe Premadasa) 大統領に対する弾劾動議を提案
1991. 8.29 東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trincomalee) で、スリランカ政府軍がタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に対する掃討作戦を開始。 スリランカ政府軍兵士55人、LTTE兵士400人以上が死亡
1991. 9. 1 タミル・イーラム解放のトラのリーダーであるプラバーカラン (Velupillai Prabhakaran) が、ジャフナ (Jaffna) における和平交渉の開催を要求
1991. 9. 3 統一国民党 (United National Party, UNP) のラリト・アトラトムダリ (Lalith Athulathmudali) が、「スリランカ政府が、インド平和維持軍 (Indian Peace Keeping Force, IPKF) 駐留時に、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に対して武器を供与していたこと」を暴露
1991. 9.16 プレマダーサ (Ranasinghe Premadasa) 大統領が、「タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) と共同して、1989年にタミル国民軍 (Tamil National Army, TNA) と戦っていたこと」を認める
LTTEのリーダーであるプラバーカラン (Velupillai Prabhakaran)は、これを否定 (23日)
1991. 9.20 スリランカ政府軍が、北部州 (Northern Province) 東岸 のムライティブ (Mullaitivu) 県にあるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の最大の基地を制圧。 約1ヶ月の戦闘により、LTTEに620人、スリランカ政府軍に60名の死者
1991. 9.23 弾劾動議を提案したことを理由に統一国民党 (United National Party, UNP) を追われたラリト・アトラトムダリ (Lalith Athulathmudali) とガミニ・ディサナーヤカ (Gamini Dissanayake) が、民主統一国民戦線 (Democratic United National Front, DUNF) を結成
1991. 9.25 野党が、スリランカ政府がタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に武器を供与していた件に関して、政府に対する不信任動議を提出

タミル・イーラム解放のトラが、国際赤十字を通じて、サティアムルシ・トンダマン (Sayamurthy Thondaman) に対してジャフナ (Jaffna) で和平交渉を開くことを要請する書簡を送付
1991. 9.28 スリランカ政府軍が、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に対する殲滅作戦をセイロン島全域で開始
1991.10.16 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) 半島における戦闘を強化
1991.11. 3 北部州 (Northern Province) 西岸のプッタラム (Puttalam) で、4万人のスリランカ・ムスリムがタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) に抗議するデモを実施
1991.12. 8 仏教僧の団体が、「サティアムルシ・トンダマン (Sayamurthy Thondaman) が提案している和平交渉案はスリランカの独立を脅かすことになる」として、反対を表明
1991.12. 9 ジャフナ (Jaffna) で開かれるはずであったタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とトンダマンとの和平交渉が、大統領の許可が下りなかったために延期になる
1991.12.29 中部州 (Central Province) のキャンディ (Kandy) で開かれた仏教僧の会議で、サティアムルシ・トンダマン (Sayamurthy Thondaman) が提案するタミル人自治を認める和平案が、拒否される
1992年
1992. 2.15 スリランカ政府軍が、ジャフナ (Jaffna) 半島に対する攻勢を強める
1992. 2.28 北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とスリランカ政府軍が交戦。 LTTEに121人の死者、スリランカ政府軍に21人の死者
1992. 4.14 タミル・イーラム解放のトラのクリシュマクマール (通称キットゥ [Kittu]) (本名は、Sathasivam Krishnakumar) が、スリランカに帰国。 ロンドン滞在中に、イギリス政府から国外退去処分を受けていた (1991年8月3日)
1992. 4.29 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、ムスリム農村を襲撃し、59人を殺害
1992. 5.14 インド政府が、スリランカ政府に対して、タミル・イーラム解放のトラのプラバーカラン (Velupillai Prabhakaran)の身柄引き渡しを要求
1992. 5.30 北部州 (Northern Province) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) とスリランカ政府軍の間で激しい戦闘。 LTTEに260人以上の死者、スリランカ政府軍に33人の死者
1992. 7. 4 ジャフナ (Jaffna) 上空で、スリランカ政府軍の輸送機が爆破され、19人が死亡
1992. 7.11 北部州 (Northern Province) のスリランカ政府軍基地を、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が攻撃し、スリランカ政府軍兵士46人が死亡
1992. 8. 8 北部州のジャフナ (Jaffna) 西方にあるカイツ (Kayts) 島で、爆弾テロ
コッペカドゥワ (Denzil Kobbekaduwa) 陸軍大将、ウィラマトネ (Wijaya Wimalaratne) 陸軍大将、ジャヤマハ (Mohan Jayamaha) 海軍少将らを乗せたジープが爆破され、スリランカ政府軍幹部10人が死亡
1992. 8.12 コロンボで行われたスリランカ政府軍幹部の葬儀に際し、民衆の反政府感情が高まって暴動が発生
1992. 9. 1 東部州 (Eastern Province) のバッティカロア (Batticaloa) で爆弾が爆発し、スリランカ・ムスリム22人が死亡
1992.10.15 東部州のメディリギリヤ (Medirigiriya) で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) がムスリム村落を襲撃し、ムスリム145人を殺害し、70人が負傷
1992.11.17 コロンボ (Colombo) のゴール・フェイス・グリーン (Galle Face Green) で、スリランカ海軍司令長官のクランシイ・フェルナンド (Clancey Fernando) が、タミル・イーラム解放のトラによって爆殺される
1992.12.31 軍報道官が発表。 過去1年間の北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) における戦闘により、スリランカ政府軍兵士1157人が死亡、2004人が負傷し、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) 兵士の死体2876体を確認
1993年 −暗殺の年−
ラリト・アトラトムダリの暗殺、プレマダーサ大統領の暗殺、ラニル・ウィクラマシンハ首相の就任
1993. 1. 2 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) 幹部のヨギ (Yogaratnam Yogi) が、北部州 (Northern Province) と東部州 (Eastern Province) の併合を認めなければ和平はありえないと発言
1993. 1.16 タミル・イーラム解放のトラのクリシュマクマール (通称キットゥ [Kittu]) ) (本名は、Sathasivam Krishnakumar) が、武器輸送中にインド海軍に拿捕されかけ、自爆して自殺。 以後、LTTEの英雄として祭り上げられる
1993. 4.23 民主統一国民戦線 (Democratic United National Front, DUNF) のラリト・アトラトムダリ (Lalith Athulathmudali) 委員長が、コロンボの選挙集会で射殺される。 前国家治安省長官であった
1992. 4.29 スリランカ政府が、外出禁止令を公布。 ラリト・アトラトムダリの葬儀に際してコロンボで暴動が発生したため
1993. 5. 1 プレマダーサ (Ranasinghe Premadasa) 大統領が、メーデーの行進中に自爆テロに遭い、暗殺される
ウィジェートゥンガ (Dingiri Banda Wijetunga) が、憲法上の規定に従い、第3代大統領に就任 (〜1994.11.12)
1993. 5. 5 統一国民党 (United National Party, UNP) のラニル・ウィクラマシンハ (Ranil Wickremesinghe) が第13代首相に就任 (〜1994.8.19)
1993. 5.17 北部州 (Norther Province) と東部州 (Eastern Province) を除く7つの州で、第2回州評議会選挙が実施される (投票率は75%超)
統一国民党 が6州で勝利
スリランカ自由党 (Sri Lanka Freedom Party, SLFP) がコロンボのある西部州 (Western Province) で勝利。 チャンドリカ・バンダーラナーヤカ・クマーラトゥンガ (Chandrika Bandaranaike Kumaratunga) が州首相に就任 (民主統一国民戦線 [Democratic United National Front, DUNF] と連立)
1993. 7.28 ウィクラマシンハ (Ranil Wickremesinghe) 首相がジャフナ (Jaffna) を訪問。 「和平交渉の扉は今も開かれている」と発言
1993. 8.23 スリランカ政府軍が、大規模な募兵を開始
1993. 8.29 スリランカ海軍の最新鋭の巡洋艦 (イスラエル製) が、ジャフナ (Jaffna) 半島東北端のポイント・ペドロ (Point Pedro) 沖で、タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) によって撃沈される
1993. 9.19 タミル・イーラム解放のトラが、1989年7月13日に発生した、タミル統一解放戦線 (Tamil United Liberation Front, TULF) 書記長のアパピッライ・アミルタリンガム (Appapilli Amirthalingam) と同幹部のヨーゲスワラン (V. Yogeswaran) の暗殺を実行したことを、始めて認める
1992. 9.28 スリランカ政府軍が、「ヤール・デヴィ作戦」を開始。 ジャフナ・ラグーン (Jaffna Lagoon) にあるタミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の基地を破壊するため。 5日間にわたって実施するも、失敗
1993.11.   スリランカ自由党 (Sri Lanka Freedom Party, SLFP) における、左派チャンドリカ・バンダーラナーヤカ・クマーラトゥンガ (Chandrika Bandaranaike Kumaratunga) との主導権争いに敗れた右派アヌラ・バンダーラナーナカ (Anura P. S. D. Bandaranaike) が、SLFPから統一国民党 (United National Party, UNP) に移籍
1993.11.12 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) が、北部州 (Northern Province) のキリノッチ(Killinocichi) 県プーネリン (Pooneryn) の陸軍基地と、ナーガテワントライにある海軍基地を攻撃
1993.11.25 タミル・イーラム解放のトラが、ジャナカプラの陸軍基地を攻撃
1993.12.27 スリランカ空軍が、北部に激しい空爆を実施。 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の兵士を含む多数の死傷者が発生
1994年 −政権交代の年−
1994. 2.13 スリランカ政府軍が、東部州 (Eastern Province) のトリンコマリー (Trinclmalee) で、「ペルスマナ (中世に活躍した将軍の名前) 作戦」を開始。 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) の隠れ家などを破壊
1994. 2.23 ウィクラマシンハ (Ranil Wickremesinghe) 首相が、タミル・イーラム解放のトラに対し、ジャフナ (Jaffna) 半島への地上ルートの妨害を止めれば経済封鎖を解除すると提案
1994. 3. 8 タミル・イーラム解放のトラ (Liberation Tigers of Tamil Eelam, LTTE) のリーダーであるプラバーカラン (Velipillai Prabhakaran) が、ラジオ放送を通じて和平交渉を提案
1994. 4. 8 コロンボ (Colombo) で、タミル・イーラム解放のトラによるものと見られる連続爆発事件が5件発生
1994. 4.29 スリランカ政府軍が、北部州 (Northern Province) のワウニヤ (Vavuniya) で、「ジャヤマガ (勝利の道) 作戦」を開始
1994. 5.19 故ラリト・アトラトムダリ (Lalith Athulathmudali) とともに民主統一国民戦線 (Democratic United National Front, DUNF) を結成していたガミニ・ディサナーヤカ (Gamini Dissanayake) が、古巣の統一国民党 (United National Party, UNP) に復帰
1994. 6.24 ウィジェートゥンガ (Dingiri Banda Wijetunga) 大統領が、国会を解散。 第10回総選挙へ (投票日は8月16日)
1994. 7.15 ウィジェートゥンガ大統領が、総選挙を前にして、1989年6月から続いていた非常事態令を解除
1994. 7.20 スリランカ自由党 (Sri Lanka Freedom Party, SLFP) のチャンドリカ・バンダーラナーヤカ・クマーラトゥンガ (Chandrika Bandaranaike Kumaratunga) をリーダーとする人民連合 (People's Alliance, PA) が、大統領制を廃止して議院内閣制を復帰させることを掲げた選挙綱領を公表

独立前(483BC-1948.2)独立後1(1948.2-82.12)独立後2(1983.1-87.7)独立後3(1987.7-90.3)独立後5(1994.8-97.12)独立後6(1998.1-99.12)独立後7(1999.12-2000.10)

独立後8(2000.10-01.11)独立後9(2001.12-04.3)独立後10(2004.4-05.11)独立後11(2005.11-06.7)独立後12(2006.7-07.2)独立後13(2007.2-07.10)独立後14(2007.11-)



参考: 荒井悦代「スリランカ紛争史年表」武内進一編著『アジア・アフリカの武力紛争−共同研究会中間成果報告−』(アジア経済研究所、2002年)
浦野起央「第4章 タミル人暴動とエスニシティ紛争の構図」『現代紛争論』(南窓社、1995年)
S. W. R. de A. Samarasinghe and Vidyamali Samarasinghe, Historical Dictionary of Sri Lanka (London: The Scarecrow Press, Inc., 1998).
M. R. Narayan Swamy, Tigers of Lanka: From Boys to Guerrillas (Second Edition with Epilogue), (Colombo: Vijitha Yapa Bookshop, 1996).
C. A. Gunawardena, Encyclopedia of Sri Lanka: Revised Edition 2006 (Elgin: New Dawn Press, 2006).



Copyright (C) Satoru Matsuda, 2002. All rights reserved.