京都。丹波タケモ醤油
野崎観音 タケモの社長が行く
お染久松塚 |
大東市にある曹洞宗慈眼寺は学研都市線野崎駅を降り、タクシーで約10分。
奈良時代、留学に来ていたバラモン僧が野崎をおとずれ、行基に、「ここはなんやら、霊感を感ずるど」と、言い、慈眼寺が建立された。しかし、もっと前から寺はあり、いつからあったか定かでない。
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舟で行く参詣者と陸を行く参詣者とが互いにののしり合って、それに勝てば一年の幸いを得るという俗信がある。現在は暗渠となっており、船のさんけいは不可能。
名残りに久作橋のレプリカが面影をとどめる。
寺の裏が生駒国定公園でハイキングができる。カワセミもいるってからすげー。
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大東市のマンホールはお染久松野崎参り
のデザイン |
落ち着いたたたずまい。本堂は二重瓦で向拝も立派。しかし思ったよりもこじんまりしているのう。
本堂の中をのどくと、愛らしい十一面観音がお目見えじゃ。
縁結び等々、ご利益がある。
油屋久作の養子久松の言いなづけ、おみつがおったとな。
久松は奉公に出た大阪の油問屋の娘、お染(おそめ)と知り合い、
恋に落ちる!(○_○) !
野崎参りで来ていたお染はおみつと言いあいになる。
久松はお染と心中しようとする。久作にとめられる。
おみつは婚礼の当日、尼姿となり、周囲のものはびっくり。
結局お染久松が復縁するんだな〜。
おみつは二人が屋形船で去っていくのを見て泣き崩れるんだな〜
歌舞伎や、浄瑠璃、東海林太郎「野崎小唄」として語り伝えられている。
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東海林太郎「野崎小唄」
野崎参りは屋形船でまいろ〜
どこをむいても菜の花盛り
(中略)
呼んでみようか土手の人
東海林太郎が昭和十年、赤城の子守唄でデビュウした時期に、ポリドールから出たヒットソングである。カラオケにも有るから歌ってみよう。
大東市街の眺めもサイコーだ!恋人同士でこようぜ! |
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