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ヘーラー($Hra)

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 ヘーラーという名は、ときには「女主人」と訳されたが、実は、へ・エラHe Era、すなわち「大地」の意味だったのかもしれない。ヘーラーの前身とされた女神にレアーがいたが、この古代ギリシア以前の太母は、ギリシア神話に取り入れられて、ヘーラーの母親になった。ヘーラーもレアーもエーゲ文明初期の太母神の形姿であり、両者とも男神たちが登場する以前から存在していた[1]

 ヘーラーの名は、ヒエラ(「聖なる者」)と語源が同じだったとも思われる。ヒエラは古代における女神-女王たちの称号であり、彼女らはヒエラの名で国を治めた。ミュシアのヒエラと呼ばれたアマゾーン女人族の女王は、母権制のトロイを守るために軍を率いてギリシア人と戦った。フィロストラトウスによれば、ヒエラは実に優れた女性で、彼女の輝きの前にはホメーロスの物語の女主人公へレネーもの薄い存在になってしまうため、ホメーロスは『イーリアス』の中でヒエラについて一言も触れなかったのだという[2]

 更にそのほかにも、ヘーラーと語源を同じくする同格の女神が、広範囲にわたって数多く分布していた。バビロニアでは、ヘーラーは「出産を司る女王エルア」だった[3]。エルアは次々に何人もの王を選ぴ、結婚することによって彼らに王位を与え、そのあとで彼らを退位させた。古代アイルランドの名祖の女神になったときには、ヘーラーは「女王アイレ」またはエリュと言われた[4]。女王アイレは、ヘーラーと同じように、西方にある不死のリンゴの園を支配していた。

 ヘーラーは、オリュムポスの神々をも含めて、「万神の母」であり、永遠の生命を付与する神餐を彼らに与えた。古代ギリシアの著作家たちは、ヘーラーをゼウスに従属する女神と位置づけたが、実際は彼女の方がはるか以前からの存在であり、不本意ながらもゼウス結婚したのだった。神話では、両者の間に争いが絶えなかったが、これは、昔行なわれた母権制信奉者と父権制信奉者との衝突を反映していた。ヘーラーは、原初における女神の三相一体の具現者であり、へーベー、ヘーラー、ヘカテーの姿、すなわち新月、満月、旧月old moonとなって現れたり、またあるときは擬人化されて、春の「処女」、夏の「母」、秋の破壊的な「老婆」として顕現した。パウサニアース(西暦2世紀における、ギリシアの旅行家、地理学者。古代文化の衰退期に生を享けたことから、彼は、後世の子孫たちのために、古代の聖所に関する記録を残しておこうという願望を抱いたのだった)によれば、ヘーラーは、「娘」・「花嫁」・「寡婦」として崇められたという[5]。彼女は、自分を祀ってあるアルゴスの神殿において、アプロディーテーと同じように、聖なる泉で休浴をして毎年再び処女に戻り、女神の3つの相を永遠にくり返した[6]

 ヘーラーは、生贄として「英雄たち」 heroes(「ヘーラーに捧げられた男たち」)を受り取った。英雄にまつわる神話の起源は、男たちがヘーラーに捧げられる殉教者-花婿として殺された原始時代にさかのぼる。古代ギリシアにおいてheroという語は、「女神のもとへ行ってしまった者」という意味のghostと同義だった[7]。へーロドトスは、これらの英雄のうちの2人、クレオピスとピトンの物語を語ってくれた。この2人の兄弟は、行列で「母」の乗り物を引く役に選ばれた。車を引き終わってから、 2人はヘーラーの神殿で「眠りに落ち」、再び目覚めることがなかった。この聖なるは、兄弟の家庭にとって大いなる名誉だった。それゆえソロンは、クレオピスとピトンを「最も幸福な人間」と呼んだのだった[8]。キリスト教の殉教者たちと同様に、兄弟は「栄冠」をかち得たのである。

 女神ヘーラーに対する信仰は、古代においては、異教を信奉するヨーロッパ全域に及んでおり、したがって、大陸全体が、ヘーラーの化身の1つである女神エウローペーにちなんで命名されたのだった。サクソン人のヘーラー崇拝はへレスブルク(「へラの」)で行われたが、そこにはヘルメセウルと呼ばれる男根をかたどった「世界柱」が、大地女神の女陰の像にはめ込まれて立っていた[9]。西暦8世紀の後半、シャルルマーニュ(カール大帝)の軍隊によってこの神殿は破壊され、男根柱も取り壊された。しかし、へレスプルクの神殿が人々から忘れられることはなかった。「サリカ法典」には、へレプルギウム(または、ヘルプルギウム)と呼ばれた「魔女たち」、すなわち、へレスプルクで礼拝を捧げた人々についての言及があった[10]。彼女らは、女神を崇拝するための宗教的集会に「大なべを運んで行った」女性たちのことだったのであり、キリスト教の聖職者たちはこの種の集会を魔女の集会と呼んだ。また、不死のリンゴがなっていたという、あのヘーラーの司る西方の魔法の庭園の伝説が変化して、中世の「妖精の国」にまつわる民間伝承になった。


[1]Graves, G. M. 1, 51.
[2]Bachofen, 107.
[3]Assyr. & Bab. Lit., 195.
[4]Graves, W. G., 317.
[5]Graves, G. M. 1, 52, 54.
[6]Larousse, 102.
[7]Halliday, 47.
[8]Herodotus, 11-12.
[9]Borchardt, 122.
[10]Baroya, 59.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 ヘーラーの名は、ふつう「婦人」を意味するギリシア語と解されているけれども、じつはHerwa(「母なる保護者」)の略された語形かもしれない。この女神は、プレ・ヘレーネスの偉大な女神であった。サモス島とアルゴスとはギリシアでも主要なヘーラー崇拝の中心地であったが、アルカディア人たちは、自分たちの信仰がもっとも古いもので、土から生れた自分たちの祖先ベラスゴス(「古代の」意)と同時代にあたると主張していた。ヘーラーがむりやりにゼウス結婚させられたことは、クレータと、ミュケーナイ的な — クレータ文明化された — ギリシアとが征服され、この二つの地方における彼女の主権がくつがえされたことをあらわしている。ゼウスがヘーラーのもとへうすぎたない郭公の姿に身をやつしてやってきたというのは、おそらく、クレータ島へ亡命してきたあるへレーネスたちが、王宮警護の役にやとわれていたときに反乱をくわだて、ついにこの王国をのっとったというほどの意味であろう。およそ前一七〇〇年ごろと前一四〇〇年ごろの二回にわたって、クノーソスはあきらかにへレーネスによって占領略奪され、その一世紀後にミュケーナイはアカイア人の軍門に降った。インドの叙事詩『ラーマーヤナ』のなかでは主神インドラがおなじように郭公に姿を変えて美しい乙女に求愛している。こうしてゼウスは、上部に郭公の飾りのついたヘーラーの笏を借りたのである。郭公を手にとまらせているアルゴス系の裸身の女神の金箔をつけた小像が、いくつかミュケーナイから発掘されている。また、おなじ場所から金箔塗りの小さな模型の神殿の上につけられた郭公のためのとまり木も発見されている。アヤ・トリアザで発掘された有名なクレータ系の石棺のなかでは、郭公がもろ刃の斧の上にとまっている。(グレイヴズ、p.79)

 アルゴスにあるヘーラーの有名な像は、黄金と象牙づくりの玉座の上にすえられている。この女神が椅子にくくりつけられたという話は、ギリシアで聖像が「逃げださないように」鎖で玉座につないでおく慣習があったところから生れたのかもしれない。神、あるいは女神の古くからつたわる像をなくすと、その都市は神々の庇護をも失うことになったのであろう。そのために、ローマ人たちは、上品な言いまわしで言うと、神々をローマヘ「いざなう」ことをならわしとするようになった。その結果、帝政期のころには、盗みだされた神々の像が山とつもって、そこに小がらすが巣をかけるまでになったほどである。「季節たちが彼女の乳母になった」というのは、ヘーラーが暦年の女神であることを示すひとつの言いあらわしかたである。そこで彼女の笏には春の郭公がとまり、また彼女の左手には晩秋の熟れた柘榴があって、一年のおわりを表徴しているというわけである。

 英雄というのは、その名の示すように女神ヘーラーに生贄としてささげられた聖王のことで、その遺骸はやすらかに土に埋められるが、その霊魂ははるか遠く北風のうしろにとびさって楽園の生活をたのしむといわれている。ギリシア神話やケルト神話で、彼が手にしている黄金のリンゴは、この楽園へのパスポートをあらわしているのである。

 ヘーラーは、毎年ゆあみして、もとの純潔な処女にかえったというが、アプロディーテーもパボスでおなじ沐浴を行っている。おそらくこれは、の女神につかえる巫女の恋人である聖王が生贄にされたあと、彼女に課せられるきよめの儀式なのであろう。ヘーラーは、もと植物の成長に関係した一年 — 春、夏、秋(これはまた新月、満月、旧月でもあらわされる)にゆかりのある女神なので、ステュムパーロスでは乙女(Pai:V)、花嫁(Tevleia)、寡婦(chvra)として信仰されていた(パウサニアース・第七書・二二・二)。

 サモス島における結婚式の夜は三百年もつづいたというが、それはおそらくサモス島の神聖な一年というのが、エトルリアのそれとおなじく、1月と2月をはぷいて十カ月だけから(一カ月は三十日)成り立っていたからだろうと思われる(マクロビオス・第一書・一三)。つまり、それぞれの一日が一年にひきのばされたわけである。しかし、神話作者はここで、ヘレーネスがヘーラーを信仰する先住民族に一夫一婦制をまもらせるようになるまでには、三百年のながい歳月を要したということかもしれない。(グレイヴズ、p.80)