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6月の梅雨時

梅雨に入って,小雨が降り続く季節となった。

今年は
衆議院の総選挙の時期と重なる。鬱陶しい毎日とばっかりは言っておられず,

21世紀の始めの日本の進路を決める大切な時期でも有る。

日本は
官僚機構がしっかりしているので政治の激変は有り得ないとしても,今の世の中,社会の隅々まで

政治の力が
行き渡っている。

立派な政治家達によって善政が施行されるなら自然住み良い社会に変わる。

良い政治なくしては良い社会には有り得ない。

誰もは判っていても変わり映えしない人達がいつものように立候補している。

その中の党・人達から選ぶことになる。

鬱々とした今の世の中を少しでも良い社会に変えるには党利党略,私利私欲のない立派な政治家を

選ばないといけない。でも軌道に乗った選挙では目新しい現象は起きないのではなかろうか。



葬儀

6月 9日 の天声人語より

 〈葬儀は簡素に、皆さんにご足労をかけないよう、1回行なうように〉。

故小渕恵三前首相は、自宅書斎の机のなかに、そう指示した書き付けを残していた。

 〈平成5年か6年に書いたものだったと思います。おそらくこれを書いたとき、総理になるとは思いもしなかったのでしょう〉。

千鶴子夫人は、文芸春秋7月号で記している。

きのうの葬儀には内外から約6000人が参列し、NHKテレビはその模様を2時間近くにわたって中継した。

 前首相の場合には、取り巻く環境がまったく変わってしまったという事情がある。

が、そうでなくても葬儀とは、得てして当人の遺志とは離れた形になってしまうものらしい。

100年近くも前の例だけれど、明治の思想家で代議士も務めた中江兆民の場合もそうだった。

 死んだとき兆民は、葬式は営まず、直ちに荼毘(だび)に付すよう遺言した。

親せきや弟子たちは葬式こそしなかったが、「告別式」を挙行。

政治家や言論人ら約1000人が列し、「板垣死すとも……」で知られた板垣退助伯爵が「永送の辞」をささげた。

 〈ふらんすへ行きたしと思へども〉の詩人萩原朔太郎は、かねがね「おっかさん、ぼくが死んでも線香だけはたかないでくれ」と頼んでいた。

しかし息子の葬式を取り仕切った母親は、形式を重んじる人だった。

代々の習慣に従って葬儀の間ずっと、詩人の嫌がった線香をたき続けた。

 作家吉行淳之介の父親は、「火葬にはして、灰はそこらにまき散らしておけばいい」と言っていた。

が、家族はそうもいかず、ふつうに葬式をした。

〈要するに、葬式は死んだ当人のためではなく〉残った者のためにおこなわれる、と淳之介は書く。

 前首相の「内閣・自民党合同葬」にあたって青木幹雄官房長官は、全国の自治体や学校で「黙とうをするよう」に通知した。

葬儀が「残った者のためにおこなわれる」一例だろう。




葬儀にこだわる人達をみかける。

生まれた時何の儀式をもなくして,死ぬときに何故にギョギョウしく葬儀を営むなのだろう。

葬儀が「残った者のためにおこなわれる」 ならばある程度話は判る。

喪主も家族も誰もが見知らぬ人達が長蛇の列を作るのを喜ぶ人がいる。

その喜んだ人が亡くなった時には僅かの人達で葬儀が営まれている事を往々にしてみかける。

勲章と同様に,大勢の人達が集まることが,その人に人徳が有って名誉な人であった事の証拠だと。

決して葬儀の参列した人達の人数がその人の偉さを証明するものではない。

その人の偉さは生きている毎日,毎日の行動そのものが直ちにその人の偉さを証明しているのである。

政治家が葬儀委員長にかつぎあげられているのをよく見かける。

残った人達が,自分の為に多くの人に参列してもらいたい為だけのことである。

考えれば馬鹿げたことが葬儀の世界でおこなわれている。

政府の要人にもなると弔問外交とかの外交交渉の場にも変わる。

唯,葬儀がショウ−化して,残った人達が政治・外交に利用しているだけでのことである。

故人に対しては考えてみると,ある意味で冒涜ともとれる話である。

唯,盛大な葬儀をして,葬儀屋を喜ばすだけの愚かなことを犯さない世の中ででありたいと願います。



是を是とし非を非とする (松下幸之助の言葉より)
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 とかく人間というものは、物事を数の大小や力の強弱といったことで判断しがちである。

そしてまた、そういうことを中心に考えた方がいいという場合もあるだろう。

しかし、それは日常のことというか、いわば小事について言えることではないだろうか。

大事を決するに当たっては、そうした利害、損得といったものを超越し、何が正しいかという観点に立って判断しなくては事をあやまってしまう。

それができるということが、指導者としての見識だと思うのである。

 とかく長いものにまかれろ的な風潮の強い昨今だけに、指導者にはこうした是を是とし、非を非とする見識が強く望まれる。


6月22日の天声人語より


 40年も昔のことだが、総選挙のときに自民党は「私はウソを申しません」というテレビCMを流した。

当時の池田勇人首相が、以前に吐いた有名なせりふを転用したのだった。

 このCM、森喜朗首相にも似合うように思う。

このところ月に1度を超えるペースで「問題発言」を量産しているけれど

いずれも首相がウソを言ったから問題にされているのではない。

言うべきでない場面でついつい本心を披露したため、批判を浴びてきたのだ。

 さて、こんどは「まだ(投票態度を)決めていない人が40%ぐらいある。

そのまま関心がない、といって寝てしまってくれればいいんですけれども」発言である。

新聞各社の情勢調査では、例外なく自民党の優勢が伝えられた。総裁の立場として、結果もそのとおりに、と願うのは当然。

が、「寝てくれれば」と言っては、軽率のそしりを免れまい。

 ただし、首相の懸念はよくわかる。2年前の参院選でも、投票数日前の各社の情勢調査と、「自民惨敗」という結果とは大きく食い違った。

調査はあくまで数日前での「情勢」だ。たとえば、寝ないで投票に出かける人が多いと、結果も変わりうる。

 参院選と総選挙では違うのではないか、と思う人もいるだろう。

しかし、この小選挙区比例代表並立制という制度、根本的な部分は参院とかなり共通する。

参院も選挙区選挙では改選数1のところが多く、小選挙区制に近い。

選挙区と比例代表の定数の割合も、衆院は5対3で、参院の5対3.29とほぼ同じなのだ。

 首相の発言の続き。

「(情勢調査に基づいて新聞が)自民党が強い強い、引き続きどうも自民党政権だ、みたいなことを書くと、

やっぱり判官びいきみたいなものもあるし、それじゃあ、おれたちは逆にやってやろうと言い出す。その数字は大変大きいんですね」。

うーむ、なかなか鋭いではないか



こんな総理大臣を戴く国民ってどんな国民なのたろうか。



策を弄する (松下幸之助の言葉より)

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 世の中には、事をなすに当たって、いろいろ策を弄する人があるようです。

「弱肉強食は世の習い」とかで、ボヤボヤしていたのでは激烈な生存競争に敗北してしまうということから、

何としても人より一歩でも先んじたいという気持が嵩じて「策を弄す」ことになるのかもしれません。

しかし、こうした小細工は自然の理に背く場合が多く、結局成功することも少ないのではないかと思います。

 「策を弄する」とは、私は智恵才覚をもてあそぶことだと思います。

智恵才覚は人間に与えられた偉大な特質ですが、これはあくまでも正しい目的のためのみに使われるべきもので、

よこしまな策謀に使ってはならないと思うのです。



世の中,こんなことで良いのだろうか

7月2日 の天声人語より

 中尾栄一元建設相が、公共事業の入札にからんで建設業者から金をもらった疑いで逮捕された。

もし、と考えてみる。

もし、逮捕が総選挙投票日よりも前だったら、選挙結果にどんな影響を及ぼしただろうか、と。

 選挙期間中、青木幹雄官房長官、自民党の野中広務幹事長、亀井静香政調会長の3人が、

同じ日にそろって故竹下登元首相の弟、亘氏(島根2区)の応援に参じた。

青木氏は「公共事業批判など気にしない。

選挙後、5000億円の予備費をつぎ込む。官房長官として約束する」とぶった。

 亀井氏も「島根県は(1人当たりの)公共事業が日本一だ。

(私の地元の)広島県に来るゼニまで来ている。

竹下先生が引退するというのでチャンスが来たと思ったが、亘さんではチャンスがない」と候補者を持ち上げたそうだ。

公共事業と政治家・官僚は、深くかかわっている。

 政治家・官僚と建設業者も、ときに深くかかわっている。

こんども中尾容疑者だけでなく、派閥の親分クラスを含む自民党の2人の代議士側にも金が渡った、といわれる。

もし、逮捕が応援そろい踏みの前だったら、あんなふうに手放しで公共事業を礼賛する演説ができたかどうか。

 ずさんな経営で左前になった「そごう」への「税金救済」策が決まった。

これも、もし投票日前に発表されていたら、と考えてみる。

なにしろ責任者の金融再生委員長みずからが「最善の判断とはいえない」と述べた内容だ。

投票日前に決定されたら、連立与党にとってかなりの痛手になったに違いない。

 一方で、経済企画庁は選挙の真っ最中に「景気底入れ」を宣言した。

昨年4月が景気の「谷」で、その後は回復局面に入った、といった中身。

ならば先行きは明るい、という気分にもさせられる。

景気回復宣言に似た印象を与え、与党への追い風効果を狙った、との観測も飛んだシロモノだった。




政治そのものが全て善悪問わず権力を握っている人に都合良く行われてしまうのは悲しい現実だ。

権力側に立つ人の中からも,是非善悪により異論を唱える政治家が出て来て

納得の行く政治をばめざして欲しいものです。





日常臨床上での一つの経験


毎日の家庭医としての明らかに成果が有ると思われることとして

高血圧症の
治療に家庭血圧を測定していただき,そのデータ−書いてきて

持ってきてもらう事
です。

その高血圧手帳に体重も書いてきてもらい,データ−を見ながら薬の量を加減,

同時に体重が多い人には減量を勧め,適度の運動を奨励,塩分の減少,,酒は控え

毎日を規則正しい生活をして,タバコは絶対に止めてもらうように話します。

そして自分は高血圧症だとの自覚をしていただくことです。

他の慢性疾患にもあてはまることですが,自覚症状がないとついつい

自分は病気がないと思われ勝ちなのですが,そうではなく,

まず自分には病気,一生 つきあってゆく必要のある病気がもっている事を常に認識をしていただくことです。

そして患者自身が自分で病気を治す,血圧を下げる気持ち・意欲を持たせる事に有ります。

あくまでも医者はそのお手伝いをするもので,全て医者任せでおられる患者さんの

病気のコントロールはどれをとってしても難しいと感じます。

真面目に血圧手帳を書いて来て頂く患者さんは血圧は明らかに良くなり,薬も減量でき,

中には一般の養生だけで済む方も有ります。

血圧手帳を続けて書いていただくだけで自然に血圧が下がって行く方も見かけます。

多分に自分で知らない間に血圧を下げる工夫をみつけ出し,自分自身で実行されているものだと考えます。



医療の効率化とは



この所,医療の効率を進めるが故にとんでもないことが多発している。

大阪の枚方病院名誉院長が病院の膨大な赤字を解消することに成功し,

名誉院長の称号を枚方市の方から戴かれたが,一方では健康な女性の乳房を

癌として切除された事,並びに病院全体での投薬量の多さが明るみになってきています。

又医療従事者の人数を削減する事により経費の節減することは出来たが,その事による多忙さが

医療従事者のミスを誘引,死亡事故が引き起こされたことが新聞で報道されています。

せめて少なくとも大学病院,国公立の病院,それに準ずる病院は無理な効率化は進めずに

確かな公的資金の援助で,ゆとりある診療が出きるような環境にして欲しいものです。



無題



最近の老人医療費の増大が話題になっている。

「老人は死んでくださいお国のために」の川柳を元特攻隊員だった人が作られたそうですが,

医療の効率化と考え併せ,読んで味わってみると,戦争体験の有る一人として身につまされる悲壮感,

無力感を伴うなんとも言えないやりきれない悲しさで涙が溢れそうです。




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