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平成12年1月


 


春は春らしく

桜の花がやっと咲いたかなと思った途端に,あっという間に散っていった。

一時寒い日も有ったが、昔から花冷えと言われてきているように,この時期

大陸からの寒冷前線の関係で寒くなる年が時々有った。

寒くなると桜は満開にまでにいたらず、散ることなく凍りついたかのごとく同じ状態が続く。

それが過ぎ暖かくなると徐々に満開になってきて,お花見も盛んとなる。

日本では桜を見ないと春が来たような感じがしてこない。

桜が咲き,潔く散って行く態を日本らしさと感じる人もいた。武士道にも通じる考えである。

早々と散って行く態が余計に桜の花が珍重されている理由の一つに思われる。

確かに満開に咲き乱れている桜,雪の如くに花びらが散って行く光景は鮮やかで美しい。

春になると至る所桜の花を見かける。それを見てやっと春がやってきたなあーとしみじみと実感する。

桜は春の象徴と同時に日本らしさを感じる花でもある。気温は徐々に上昇しつづけて,

過ごし易い日が続いて来た。自然の恵みを特に実感する季節でも有る。


医学会総会(2)


4月2日から4日まで医学会総会が東京で有った。展示は3月30日より始まっており,同時に内科学会も開催されている。

総会開会式はまず千葉大学管弦団がブラームス作曲「大学祝典序曲」を 金 洪才指揮で厳粛且つ華麗に
演奏される。

天皇,皇后陛下臨席のもとに開催されるのは東京での特徴でも有ろうか。,

開会宣言を副会長 伊藤 正男先生が,次に開会の辞を 日本医学会会長 森 旦先生

 経過報告を 準備委員長 矢崎 義雄先生式辞を第25回医学会 会頭 高久 史磨先生か゜述べられ、

次に天皇陛下のお言葉があった。

総理大臣 小渕 恵三,文部大臣 有馬 朗人,日本医師会長 坪井栄孝先生がそれぞれ祝辞が述べられた後,

記念切手授与式が郵政大臣より行われた。

そして閉会の辞は 副会頭 小泉 明先生からあり,天皇,皇后陛下ご退席 

この時,天皇が壇上より去られる直前に会場の人々に向かって会釈をされた時,

一段と大きな拍手が自然会場より沸き起こった事と,総理大臣が祝辞を述べられる時に,

舞台の影に隠れていた護衛していた5-6名のSPがサーと舞台の端,皆に見える所まで出てきて 

総理大臣を護衛されたのが非常に印象的な感じを受けた。

続いて開会講演として「医学の新たな枠組みを求めて」の講演を会頭が座長で

理化学研究所脳科学総合センター所長伊藤 正男先生からあった。

要旨は次の通りである。

21世紀を間近に世界が大きく変化している。

政治,経済のみならず,科学技術もまた大きな変化にさらされ,

基本的な考え方の枠組みが多くの分野で同期して大きなうねりとなって変化しつつある。

医学もまた然りである。

医学はどのように発展してきたのか,今後どのように変化していくのか。

医学のゴールに向けて我々が今しなければならないことは何だろうか。

近年における医学の進歩は感染症を始め多くの問題を解決してきたが,

悪性腫瘍,神経性変性症,精神疾患のような困難な問題の多くは依然として未解決のまま残り,

さらにアルツハイマー病やエイズ,プリオン病,内分泌かく乱物質,アトピーのような新たな問題が出現している。

社会の少子化,高齢化も医学の新たな要請をつくりだしている。

20世紀後半に目覚しい進歩をとげた生物医学研究は創薬,遺伝子治療,再生移植治療を三本柱とする

病苦克服のシナリオを示唆する。

細胞の複雑な分子機序の新たな知識に基ずいて,細胞機能の異常を防ぎ,整え直す新たな治療薬を創出されるだろう。

遺伝子操作により,細胞機能の異常を修復し,新たな機能を獲得させる遺伝子治療が実現の枠を広げている。

修復不可能な細胞の損傷に対して活力の高い細胞を外部から導入する移植治療も実験レベルで急速に進んでいる。

そのシナリオの実現の為には,教育,研究,診療にわたる医学の枠組みを根本的に組み換え,その上に立って組織的,

計画的な研究を全国的に進める事が必要である。 以上が主な要旨である。

一般講演では多くの方たちより発表され

21世紀に向けての医学,医療、,保健制度などが,又現在実施されている医学,医療なども紹介された。

展示物も含めて是非知っておくべき事が各会場を異にして盛り沢山に紹介されたが,残念な事に参加者が以前からの総会に

比べて少なくなってきているように感じた。



統一地方選挙と東京都及び大阪府知事選ほか


一番身近な市会戦挙と府会選挙が同時に施行された。それと同時に東京都知事選及び大阪府知事選

その他の府県の知事選がとり行われた。

新聞などで予想されていた東京都知事には石原 慎太郎 大阪府知事には横山 ノックが
当選している。

府会選挙、市会選挙も大体予想どうりの人達が当選しているように思われる。

当選した方達は当選する事が目的でない事は百も承知の事だと思う。

此れからが第一歩でそれぞれ公約に掲げられていた事を実施して

始めて仕事した事になるのであって,各当選者は万歳する事が目的でないことは充分に知っておられると思う。

此れからが本当の茨の道であることを知り,選挙て゛託された票の重みをかみしめ,実行に移していっていただきたいものです。

当選された方たちに,尊い仕事に対しこれからが本当にご苦労さんと言いたいです。


インタネットの有り難味


一人一人誰もは異なった考え,意見を持っていると思います。

でも今まではその意見乃至考えがどんなものか分からない事の方が多かったと思う。直接会って話し合うか,

第三者を介してしか知ることがない。

誰かの意見を知る手段は束の間,直接に会うか,間接に,会った人を通じてしか知ること出来なかった。

その内容も会った人の印象,考え方を通じてのものしか伝わってこないので,場合によると誤った内容のものになりかねない。

よからぬ人が介在するならば,自分の思いをあたかもその人が゙話したようにして伝える場合も考えられる。

本人が全く考えてもいないような事が一人歩きして,皆に伝わって行く事があるようにも思われる。

でもインタネットという情報媒体が存在するようになると,途中曲がって伝わることなく,直の声が誰も等しく聞く事が

出きるようになってきた。有り難い事である。

本人が嘘を言ったとしても,行間から本当の事を読み取れるのではないかと思います。

これからは行政機関なども大いにインタネットを利用して,市民に直接呼びかけて欲しいものです。

解説つきの報道よりも,生の声が聞く事が出来れば,各人がそこより本音を読み取ることができる。

それをもとにして自分で考えられるようになるのではないでしょうか。


NATO軍のユーゴ爆撃


戦いは何時になっても絶える事がない。NATO軍がユーゴーを連日爆撃している。

ヨーロッパの出来事は遠い国なので,ユーゴ内のアルバニア人がそれほど迫害されていたとは全く知らなかった。

ユーゴー大統領,名前が変わった名前なので新聞では読んでいるが確かミシェルノビッチ大統領か 

名前はまだ正確に覚えられていない。彼は全くの独裁者で,世界を相手に戦いを挑んでいるようにも思える。

国民が全面に支持しているようにも見えるが,イラク,北朝鮮同様に真実が国民に知らされていないのではないかと思う。

少しでも常識がある人ならばそのような馬鹿な大統領を支持する筈がないと思うから。

世の中本当に困った指導者が何処にもいるものかとあきれかえる。

でも少し気になる事は戦争が一定の間隔を置いて次ぎから次に起こって来ている事である。

一個1億円もする爆弾が何百発 何千発も惜しみなく使われていることも気になる。

もつと建設的な事になんとか其の費用を廻す事が出来ないものかと考えます。

誤爆で尊い人命が失われ,又アルバニア人も虐殺され沢山な国民が犠牲となっている。

大統領は戦いを奨励しているかのように見える。昔から,いつも同じように,戦争が繰り返されて国民だけが被害をこうむる

時代が変わってもいつもいつも同じ事がくりかえされているようだ。この世から戦争はなくならないものなのてしょうか。

悲しく痛ましい事である。


新緑の候

桜も散り,木々の緑が目立つ候となってきた。

1年のうちでこの時節が一番好きである。秋も良いが今の季節の方が「此れから」と言う気分が出てきて,

気持ちが良い。若さを感ずる季節でもある。いよいよ運動のシーズンでゴルフの練習にも力が入ってくる。

一度には上手にはなれないが,昨年より少しでも良いスコアを出したいものである。

公園などに行くと色々な種類の花が咲き乱れて目を楽しませてくれる。花を観ていると心がなごむ。

そこらの空気も新鮮で,胸一杯に吸いたくなってくる。でも多分排気ガスで汚れているとは思うが,

それが不思議ときれいに感ずるのがこの季節のゆえかも知れない。

新緑は目にも良い。移り変わる季節で一番今ごろが最高で,でも良い季節は直ぐに去っていってしまう。

心の隅で来年も有るからいいやとの思いがあるが,本当に来年があるか否かは分からない。

来年も有ると信じて生きている、だが今をも大切に生きるしかない。

今を大切にとは言い古されている言葉だが,まだまだ身にはついていないようだ。



プロとアマの違い


囲碁でも将棋にしてもプロとアマとは格段の実力の違いがある。ゴルフもそうであって,

プロは我々から見ると神業とも思えるほど上手で強い。

プロと只名前がついたから強くなるのでなく,練習に練習を重ねて血の滲む位に練習を重ねて

プロになるのであって,大変な努力し続けている結果,プロと言うことになる。

だからプロの如くにアマが強くなろうとすれば,同様の努力さえすればプロと同じだけの力がつく筈である。

アマでもプロの如くに強くなれない事はない。

しようとしないだけの事であってやればプロのように強くなれるはずである。

そう言った意味ではプロもアマの境はないと考えてよいのではないでしょうか。



無償の奉仕


お世話,どのような仕事でも,色々な役職を見ていると熱心にされているのが見うける。

何処からも報酬が入ってこないのによくやって頂けると感謝する事が多多有る。

長年同じような仕事をしたいという内容を見てみると,何か疑問に感ずる事が時に見かける。

一種の役得とも言えるような事をしている様子を見かける事が往々にして有る。

これではいけない事であって,長年同じことの世話をするのは悪弊を生む可能性が非常に高い。,

できれば他の人と交代できるものならば,そのような悪弊を始めようと思わせる以前に止めさせ,

他の人と交代させる必要がある。

行政の問題でも政治家が長年政治を続けていると慣れがでて来て,汚職にまみて行く例を沢山に見かける。

同じ部署についていると,役人などでも悪い事をする人が新聞などで報道されるのを良くみかける。

どんな役でも,出きれば一定の期間すれば他の人にバトンタッチするのが一番妥当で,きれいでさっぱりしている。

何かする場合にまず正面からするでなく,裏の方をいろいろと思いめぐらせる人をよく見かける。

正面から討論するでなく,所謂根回しができる人が優秀な人と評価される日本のお家芸が話題になったことが

再々に有った。新聞にも賑わしていたことがあった。

無償の奉仕は尊いことで,自己犠牲を伴う行為である。人々は其の行為をもって賞賛するのである。

もしそこで役得を得ようと思う人があるならば,そのような人は役にはつかすべきでないと思う。

往々にして役に付きたくない人の方が立派な仕事をして,役に付きたくてしかたない人ほど泥にまみれになって

訳のわからぬ事をしでかす可能性が高いように感ずる。

無償の奉仕は尊い,だから皆から尊敬される性質のものである。

そんな馬鹿らしいことは真正直に出来ぬ,役得が有るからこそするのだと思う人には

このように考える人には是非役はやってもらいたくないものだ。


時の移り変わり


時は違わずに過ぎ去って行く,地球上の上で何十億の人間が右往左往して過ごしている。

この時代に生まれ合わせた宿命を背負い,一人一人生きている。

大切な一人一人の生命を充分に生かせ,生きらればよいのだが,そのような人は少ないに違いない。

でも大方の人達は自分を充分生かして生きたいと念じて生きているには違いないと思う。

こんな不況の社会ではどうしょうもないと思っても,自分一人では本当にどうにも変えようがない。

政治が悪いと叫んでも,直ぐには良くなるようには思えない。

与えられたものに感謝して,同じ過ごす時間ならば快適に過ごす工夫を一人一人がするのが一番と考える。

時は正確に過ぎ去って行くものである。

年令を重ねると同じ物も違って見えてくる事が有る。


沖縄でのサミット開催


最近といっても2ー3年前,沖縄を訪れた事がある。温暖で人情厚く始めての旅行だったが,沖縄が一遍に好きになった。

沖縄舞踊はなんともいいしれぬ哀調があって,日本舞踊とは少し違った趣を感じた。

海は紺碧で日本本土では見られない真っ青な海だった。何度も訪れてみたい気持ちがする。

この沖縄で第二次大戦時に島ぐるみの激戦があった。その観光史蹟?が数多くあり、それに米軍基地の多い事には驚いた。

此れでは,まだ米国の支配下に有るのではないかと思うほど,島のあちこちに基地がみられる。

此れほど多くの基地のある所は日本の他の県にあるのだろうか。まさに突出している。

平成11年5月1日の天声人語からの引用

「クリントン米大統領には、沖縄のありのままを見てもらうことが一番肝心だ。

自分の国の軍隊が外国にいる現実をとらえ、現地を見る。

それがなければ、何もわからない。見てもらうことから始まる」。

県の幹部の1人は、そう語ったそうだ。同感。

過去に3度も開催地となった東京とは、状況が違う。沖縄開催は、おのずから強い「主張」を帯びている。

ただし外務省は、基地の金網に囲まれた沖縄の現状が参加国の首脳の目にさらされるのを、嫌がっているようだ。

あるいは、なるべく基地を見せないような工夫がこらされるかもしれない。

けれども首脳たちには大勢の報道関係者が同行する。彼らの視線をそらすわけにはいくまい。

 沖縄でサミットが開かれるからといって、何かが急に変わるわけではないだろう。景気がにわかによくなるはずもない。

が、象徴的な意義は深い。「2000年サミットは、戦争に明け暮れた20世紀から21世紀への橋渡しの場となる。

沖縄ほどふさわしいところはない」(稲嶺恵一知事のことば)のだ。」

以下の記事の所が非常に気になる。

「ただし外務省は、基地の金網に囲まれた沖縄の現状が参加国の首脳の目にさらされるのを、嫌がっているようだ。

あるいは、なるべく基地を見せないような工夫がこらされるかもしれない。」

これでは外務省の役人は日本人なのだろうかと疑いたくなる。何故金網に囲まれた基地をみせたがらいのだろう。分からない!

沖縄の人達も我々と同じ日本人であり,なにも我々と全く違わないのである。

大戦で苦労され,戦後も大きな基地をあちこちに抱え苦労されている。その痛みを少しでも我々本土に住んでいる者も

分かち合う気持ちがあって良いのではないでしょうか。

そんな意味を含んで総理大臣がサミットを沖縄で開催を主張,少しでも世界の首脳に現状を見ていただく良い機会では

ないだろうか。

沖縄は日本の沖縄県であって日本の国土の一部である。当然総理大臣始め国民全部も一緒になって沖縄の事を

考えて良いのではなかろうか。

旅行で親切にしていただいた細やかな人情味豊かな沖縄の人達にも日本本土と同じ暮らしができないものなのか,

今度のサミットがクリントン大統領初め世界首脳が沖縄の現状の矛盾を感じ取っていただき,

沖縄が本土並に好転する事を祈ります。そして戦争のない世紀への一歩になって欲しいものだ。

戦争は為政者が号令するだけ,何時も多大な犠牲を庶民にあたえるものである。

 

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