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80年もたった伝統あるタケモの醸造蔵は直径約九尺(2.7メートル)の大きな仕込樽がひしめきます。ごらんのように天井が高いのは、もろみ(醤油を搾る前のどろどろの発酵液)や火入れ後の完成品をかくはん(かき混ぜる)するとき長い棒を使う。それが天井につかえないようにするため。
タケモの社長がさっそく樽からできたて醤油を半切りに移して、かくはんしています。 |
松印のビン詰をしているところ。1枚1枚手作業でラベルを貼っていきます。
蓋も道具を使って(ペダルを踏むとふたがしまる)一本一本心がこもっています。みなさんに宅急便でお送りする場合はペットボトルになります。ペットもビンと同じ器械でてぎわよく入れていきます。
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竹茂の醤油蔵の古道具が並んでいます。これは30石樽の下の穴にさしこむ。飲み口です。とんがっている方を樽の穴にコンコンと差し込み、上についているつまみを回して醤油を出します。ギギギーときしむ音が味わいです。 |
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上の棚に立てられているのは醤油だるにふたをするものです。その前の四角い板がついている竹の棒は醤油をかき混ぜる(かくはんする)櫂(かい)です。
下の段の見えにくい黒い桶は角のような持ち手がついていて、すくいとるのに適している。右端の白い桶は漏斗(じょうご)といって、底に穴があいていて竹が刺し込んである。その竹の部分を樽の口にあてがって醤油をこぼさず的確に入れることができる。 |
醤油蔵には必ず麹室がある。麹菌を繁殖させるには昼夜分かたず世話が要りました。江戸時代の麹室は半地下室のようになっていたのですが、寒い冬に負けないように壁と天井にもみがらを入れて断熱した。トロッコの車両のような麹室の両側に棚と称する麹蓋(浅い木箱)を並べる場所があった。
麹菌を植え付けて十数時間、麹は発熱します。発芽してきたのです。この時職人の正念場。麹ブタの中身をかきまぜたり、熱放散面積を増やすため麹ブタを波型に積んだり、レンガ状にしたり、重ねなおすのです。 |
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醤油に使われる小麦は発酵させる前に炒っておかなければならない。小麦を炒るには麦炒り機を使う。レンガ造りの筒状の横穴に釜があり、下から火であたためる。こんがりむらなく炒るにはかき回さなければいけない。そこで、麦炒り機は中の釜が回るようになっていた。左絵のわっかは麦炒り機の釜を回転させるハンドル。「はずみ車」といわれる。ゆっくり回すには小さいわっか、速くかき回すには大きなわっか。中に入っている小麦の重さではずみがついてぐるりぐるりと回ります。 |
生揚げの火入れ
天然大豆の生揚げ醤油は搾られるとすぐにも火入れされます。火入れされることで香りが増し、発酵作用が止まるのです。長い櫂(かい)でのの字を描くようにかくはんします。八十℃まで加熱し、湯気がもくもくとたった出来たて醤油をそれぞれの種類の樽にポンプで輸送します。 |
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澄んだ空気と愛宕おろしの清流、高低差のある
気候が、タケモ醤油を生み、その味を育くみま
す。合成保存料や人工甘味料などを拒み、一年
近くの歳月を惜しみなくかけて造る天然本醸造。
手造り醤油ならではのまろやかな深い味わいと、鮮やかな赤み、気品ある香りを湛えた亀岡のおしょうゆ。100年
の永きに渡り、伝統を守り続ける、それが、私たちタケモ醤油です。
‘竹茂’の名前の由来は、亀岡が竹材の産地で、当店の祖「茂平」が、竹屋をいとなんでいたことからです。 |
亀甲文様は日本だけではなく諸外国でも使われてきた。均整のとれた正六角形の美しさ、亀の甲羅に似ている縁起の良さ。わが国では飛鳥時代にはもう衣服などに亀甲が使われている。平安時代には盛んに衣服や家具などにもちいられるようになった。一重のものを一重亀甲、二重になっているのを子持ち亀甲という。
亀甲紋の場合、単独で使うことは少なく、中に他の紋を入れて使う場合が多い。南北朝時代以後には「参考太平記」「大塔軍記」「見聞諸家紋」等の文献に載っている。大文字に亀甲は湯浅氏、竹丸中に亀甲は宇奈瀬氏,水に亀甲は古川氏、など全国の大名がこぞって使用した。特に有名なのはおだ信長と近江姉川で戦った浅井長政で、徳川の世になっても、大名はじめ四十数家が使用したという。
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火入れ
火入れ直後のうすくち醤油。まだアツアツの湯気
があがっています。こうじ菌の発酵をおさえ、味を
まろやかに、香りを芳醇にします。いつもより早起
きしてボイラーに点火。丹波町の工場からも良質
な生揚げがタンク車で届きます。80度になるまで
ポンプで循環させて約1時間加熱します。おおダル
に移して櫂(かい)でかくはんしたら美味しい醤油
ができた充実感でいっぱいになります。
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