フロイトのおかげで、オイディプース王は、神話の中でも最も誤解された人物のひとりになっている。オイディプース王が母親と結婚し父親を殺害したという伝説は、(フロイトの言うような)願望充足を願う夢の産物などではなく、古代における聖王の王位継承制度から生まれたものだった。この制度のもとでは、先王はみな例外なしに、女王の新しい花婿に選ばれた王位継承者によって殺害された。殺害者は、常に、殺された先王の「息子」と言われた。なぜなら、亡くなった先王によって体現されていたその同じ男神が、今度は改めて、同じ母親-花嫁(女王)の新しい夫になって甦ったからである。父なる神と区別できないというキリスト教の「神の子」のイメージの中にも、やはり、この種の近親相姦を認めることができる。(父なる神と「区別できない」、すなわち、父なる神と同一視されたということからして)「神の子」は、自らの母(すなわち)「神の母」)をみごもらせ、わが身をもうけたのである。
父権制を信奉する侵略者がテーバイの母権制社会を征服したとき、侵略者たちは、テーベの王位継承の物語が描かれていた聖なるイコンを、意図的に曲解した。亡くなった「父親」の名前のラーイオスは、実は、「王」を意味するにすぎなかったのであり、寡婦になった「母親」の名〔イオカステー〕は、「月の女神」の称号と同じだった。後継者オイディプースは、遠国からやって来たよそ者として描かれていた。ところが、オイディプースを王の実子とするために、現実には起こりそうもないような細部がいろいろと付け加えられ、オイディプースはまだ幼いころに追放されて、他国の人々の間で育てられたということになったのである。男性はみな、自分の父親を殺したいと心ひそかに願っているものだという、かなり主観的なフロイトの見解(いわゆる「エディプス・コンプレックス」)は、神話の原型に関連しているというよりは、専制的な父親を持ったフロイト自身の経験に関係があったと思われる[1]。
「父親-息子」と「母親-花嫁」との間の聖なる近親相姦は、古代の「神-王」たちの間では普通のことだった。「女神-女王」は、前の夫が体現していた男神を再度改めて体現している生殖力旺盛な若い夫を、定期的に供給される必要があると考えられていた。したがって、イメン〔アモン〕やウシル〔オシーリス〕といったエジプトの神々には、「御身の母親の夫」という尊称が与えられていた[2]。甦った「救世主」は、聖なる「雌ウシ-母親」と交わった「月-雄ウシ」の〔ギリシア語名〕ミン、〔エジプト語名〕メヌ〔またはメネウ〕の姿〔右図。勃起した男根に注意〕で出現した。また、この「救世主」が、人間の姿で甦った場合には、エロースあるいはカーマ(「愛の喜びを生み出す」雄ウシ)のように、男根を勃起させた性神として、異常に大きな直立男根をそなえた姿で表されていた[3]。
「エジプト全域にわたって、それぞれの町や都市の神々は、三体一組を形成しているのが普通だった。……その場合、三体のうちの2体は男神で、一方は若く他方は年老いており、3番目の神は、当然のことながら、年老いた男神の妻、またはその男神と同等の地位にある女神だった。若い男神は年老いた男神と女神の息子であり、しかもこの息子は、父親にそなわっている属性や力などそのすべてを持ち合わせていると考えられていた。……年老いた男神が亡くなった場合には、若い方の男神が女神の夫になり、玉座を継承するのが当然と思われていた」[4]。
ここに、「父親-息子-聖霊(または、女神)」からなる数多くの三位一体の原型があった(三位一体の3番目は女性であり、たとえばキリスト教グノーシス派の場合でも、この女性はソフィアと呼ばれていた)。同様の三位一体がさらに展開して、申し分のない1家族を形成した事例はなく、息子だけがいて娘は欠けていたのである。つまり、青年期の男性と壮年期の男性とはそれぞれ別の神に投影されていたが、女性の場合は常に同一の女神で表されていた。
ユングは、フロイトとは違って、さまざまな宗教に見られる母親―息子の近親相姦の意味は、単純なエロティシズムにもとづくものではなく、再生の観念が根底にあると述べた。「母親にもう一度生んでもらうために母親のところにもどること、……その最も単純な方法のひとつは、母親を受胎させて再度自分自身を生むことだった。……希求されていたのは、近親相姦的な交合ではなく、再生である。……母親から離れることのできないノイローゼ患者には、それなりのもっともな理由がある。すなわち、死に対する恐怖が強く、そのために母親から離れられずにいるのである。この葛藤は激しいものであって、通常の概念や言葉では表し得ない。あらゆる宗教は、死をめぐるこの激しい葛藤に重要な意味づけを与えることを目的として築き上げられている」[5]。
オイディプース神話は、まぎれもない「エディプス・コンプレックス的な」父親-息子の相克の物語などではなく、むしろ、聖王の王位にまつわる物語だった。他方、(エディプス・コンプレックス的な)男性同士の嫉妬という主題となれば、他のさまざまな神話の中に、数多くの事例が見られるのである。ランクも言っているように、「わざわざ天界を探しまわって、無理をすればこの特性(男性同士の嫉妬)があてはまるかもしれないと思われる出来事を見つけだそうとする必要はない。……母親の優しい献身と愛情を自分のものにしようと競い合うという点では、……事実、ある種の緊張関係が父親と息子との間に、常時とは言わないまでも、頻繁に見受けられるものである」[6]。ところで、母親と息子の間の愛情が、神話においては、なぜ、ほとんど例外なしに、エロティシズム(性愛)の領域に転換されたのか、この理由を突き止めることは、心理学的研究にとってひとつの実り多い方法かもしれない。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
ラーイオス、イオカステー、オイディプースの物語はひと組の聖像の意味を巧妙にこじつけてつくりあげたものである。ラブダコスという名前(「たいまつを以て助ける」)の由来をあきらかにする神話は失われてしまっているが、おそらくそれは「神の子」が新年の儀式に牛飼いか羊飼いたちに抱かれてやってきて、歓呼のうちに女神ブリーモー(「怒り狂った」)の息子とされるたいまつ降誕祭のことを言っているのであろう。この「エレウシース」つまり降誕祭は、エレウシースで行われた秘儀のうちで、またおそらくはコリントス地峡で行われた秘儀のうちでも最も重要な行事であって、これはオイディプースがコリントスの宮廷につれてこられたという神話の説明となるであろう。羊飼いたちは、これ以外にも山に捨てられたり方舟に乗せられて河に流されたり、そのどちらのめにも会わされたりしたたくさんの伝説的な、あるいは半ば伝説的な幼い王子たち 例えばヒッポトオーン、ペリアース、アムピーオーン、アイギストス、イスラエルの指導者モーセ、ローマの建設者ロームルス、ペルシアの王キュロスなどを養育したり、あるいは忠誠を誓ったりしている。モーセはファラオ〔古代エジプト王〕の娘が侍女たちとともに川に降りていったときに発見された。オイディプース Oedipus「ふくれ足」というのは、もとは「大波たつ海の息子」という意味のオイディパイス Oedipais これはウェールズのオイディプースにあたる英雄ディランにつけられた名である であったかもしれないし、またオイディプースの足を釘でさしとおしたというのも、タロースの神話と同じように、物語のはじめではなく、終りのできごとであったのかもしれない。
ラーイオスの死は、太陽王がその世継ぎの手で戦車から投げとばされ、馬でひきずり殺される祭式の次第をしるしたものである。彼がクリューシッポスを誘拐したという話は、おそらく彼の統治の最初の一年がおわったときに身がわりをいけにえにあげたことと関係があろう。
スピンクスの話は、あきらかに翼のあるテーバイの月の女神をえがいた図像をもとにしてつくられたものである。そのよせ集めの身体はテーバイ暦年の二つの時期 すなわち獅子は月のみちる時期を、蛇は月のかける時期をあらわしている。新王はこの月の女神の巫女である妃と結婚するまえに女神に祈りをささげるわけである。スピンクスがムーサイから教わった謎もまた、この三体からなる女神をおがんでいる幼児と戦士と老人の絵を説明するために考えだされたものらしい。三人は、この三面相の女神のそれぞれ異る部分を礼拝しているのだ。しかしスピンクスはオイディプースにうち負かされて自殺し、スピンクスの巫女であるイオカステーも、同じ運命をたどった。オイディプースというのは、前十三世紀にテーバイに侵入し、古代ミノアの女神崇拝を禁止し、暦をつくり変えた人間のことであろうか? 古い制度のもとでは、新王はたとえ異邦人であっても、理論的には彼に殺害された前王 その寡婦は新王と結婚する の息子だとされていた。この習慣を、家父長制の侵略者たちが父親殺しや近親相姦として誤り伝えたわけである。「エディプス・コムプレックス」をすべての男子に共通の本能だとするフロイトの理論は、この誤り伝えられた物語から示唆をうけたものである。一方、ブルータルコスは河馬が「その父河馬を殺し、母河馬に暴行した」ことを記録しているが(『イーシスとオシーリスについて』三二)、彼はすべての男子が河馬コムプレックスをもっているなどとは絶対に言おうとはしなかっただろうと思う。(グレイヴズ、p.536-537)