「月」の意で、イオーニア人の母にあたる白い雌ウシ-女神。イーオーは、ホメーロスが「雌ウシの目を持つ」ヘーラーと呼んだ女神ヘーラーの別名だった。しかし、ギリシア・ローマ時代の神話記者たちは、彼女をヘーラーとは別個の存在に仕立て、ゼウスの多数の愛人のうちの1人として描いた。イーオーは、角を持ち乳を与えてくれるあの三相一体の月の女神を表していたのであり、このことは彼女の聖なる3色からも明らかだった。イーオーは身体の色を白から赤、赤から黒へと変えたが、これらの色はそれぞれ処女、母親、老婆の色だった[1]。Gunas.
ヘーラーがイーオーを刺すようにとウシアプをさし向け、その結果、イーオーは世界中を放浪するようになったというあの典拠不明の物語は、当時はいたる所で白い月-雌ウシが崇拝されていた事実を説明するために案出された古代ギリシアの神話だった。ヘーラーとイーオーは同ーの女神だったのであり、したがっていわゆるヘーラーのイーオーに対する嫉妬なるものは、父権制社会の作り話だった。一説によると、ヘーラーはイーオーを、百の目を持つアルゴス・パノプテス(「よろずの目」)に監視させたというが、これは、星空のあのたくさんの目にじっと見つめられながら、天空を動いていく月の比喰だったのである[2]。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
イーオーは、アルゴスのヘーラーの巫女。
アルゴスの人々は雌牛を月に見たてて崇拝していたが、それは角のある新月がすべての水の源、ひいては家畜の飼料のもとだと考えていたからである。雌牛の三つの色 新月の白、仲秋満月の赤、かけおちた月の黒 は、それぞれ乙女、ニンフ、老女という月の女神の三段階の年齢に対応していた。こうして月が色をかえるように、イーオーもその色をかえたのである。ただし神話の作者が「赤」のかわりに「董」をおきかえたのは、ギリシア語でionが董の花の意味だからである。
きつつきが樫の木の幹をコツコツと叩くのは、雨乞いをしているのだと信じられていたし、イーオーはいわば雨をもたらす月の化身だったわけである。
晩夏のころ虻の群が家畜に襲いかかって狂ったようにたけりたたせるとき、牧畜を業とするひとたちは雨の必要を切実に感じるのだった。今でもアフリカでは、家畜を飼育している多くの黒人の部族たちは、虻の群に襲われると、いそいで牧草地から牧草地へと移動してゆく。イーオーをまつるアルゴスの巫女たちは、毎年の例祭に若い雌牛の踊りの祭式を行ったものらしい。まず巫女たちが虻に追われて狂いまわる仕草を示すと、きつつきに扮する人物が樫の扉をコツコツと叩いて、「イーオー! イーオー!」とよばわりながら雨乞いをし、巫女たちを苦痛から救いだすのである。雌牛に姿をかえられたコースの婦人たちについての神話のおこりは、どうもこれらしい。
アルゴス人の植民地は、エウポイア、ボスポロス海峡、黒海、シリア、エジプトというふうに方々につくられたが、それにともなってこの雨乞いの踊りの祭式も、それらの土地につぎつぎとつたえられていった。ありすい鳥は月の女神にちなむ主要な狂乱の神鳥で柳の木に巣をつくるところからみると、水の魔法にゆかりのある鳥なのであろう。
このイーオーの神話は、ひとつには上に述べた祭式の東漸を説明するためにつくられたのであり、もうひとつには、ギリシアにおけるイーオーの信仰、エジプトにおけるイーシスの信仰、シリアにおけるアスタルテーの信仰、インドにおけるカリの信仰のあいだにある類似性を説明するために考えだされたのであろうが、それがおたがいに関連のない二つの物語の上につぎ木されてできたのである。すなわち、ひとつは、月の神獣の雌牛が星々にまもられて大空をめぐりめぐつていったという話で アイルランドの伝説にも同種の「みどりの乳どまり牛」の話がある もうひとつは、ギリシアに侵入してきたへレーネスのそれぞれゼウスと自称していた指導者たちが月の巫女たちを凌辱して、各地の住民たちのあいだに恐慌をまきおこしたという話である。ゼウスの妻であったヘーラーがイーオーにたいして嫉妬心をおこしたという体裁になっているわけだが、じつはイーオーは「雌牛の眼をもった」ヘーラーの異名にほかならない。イーオーの死を悼むアルゴス地方の例祭の儀式には、デーメーテールがペルセポネーの失踪を欺き悲しんだというあの考えかたもとりいれられているものと思われる。というのは、この神話のなかではイーオーがデーメーテールと同一視されているからである。その上に、三年目ごとにデーメーテールの秘教の祭典がコリントスに近いケレアイ(「呼ぶこと・声」)で行われ、これを創設したのはエレウシースの王ケレオス(「きつつき」)の兄弟だといわれている。アリストパネースは、『鳥』(四八〇)のなかで、ゼウスをきつつきの笏を盗んだというかどで非難しているが、ヘルメースはゼウス・ピコス(「きつつき」)の息子とされており、おなじようにパーンはヘルメースがニンフのドリュオペー(「きつつき」)に生ませた息子だといわれている。さらにローマ神話のバーンともいうべきファウヌスはピコス(「きつつき」)の息子で彼がキルケーの求愛を拒んだので、彼女がファウヌスをきつつきにかえてしまったのである(オウィディウス『変身物語』第一四書・六)。クレータにあるファウヌスの墓碑銘には、つぎのように書かれている 「またの名をゼウスとよばれたきつつき、ここに横たわる」(スーイダースの辞典・ピコスの項)。
さて、以上の三者はすべて羊飼いのあがめている雨を降らす神々である。リビュエーの名もじつは雨を意味し、冬の雨はリビアの方向からギリシアへと降りそそいでくるのである。(グレイブズ、p.276-278)