古代の霊魂-鳥。太陽神、火、稲妻と関連する理想のシンボル。ギリシア人はワシが稲妻の精と密接な関係にあると考えたので、神殿の先端に釘付けして、魔力を持つ避雷針の役をさせた。ここからギリシアの神殿の切妻壁(ペディメント)を表す aetoi (ワシ)という名前が生じた[1]。納屋や家の棟木の上の「風見鳥(weather-cock)」はこの言葉が語源であった。
火と太陽を崇拝する人々は、ワシを王者らしい魂の持ち主と考えた。すなわち、ワシは王の姿を借りて、ある期間、地上に姿を現したあと、天界に戻る神の霊魂であると見たのである[2]。エジプトのファラオが太陽の翼に乗って天に昇ったように、ローマでは各皇帝の葬式のとき、積んだ薪の上にワシを放つのが習慣であった[3]。
ゼウスもワシの姿に身を変えて、若い愛人ガニュメーデース Ganymedeを天界へ伴った。この話に関しては、人間が太陽の秘儀を授けられたとき、父なる神が人間の霊魂を受け取ったしるしであるという解釈がたびたびなされた[4]。
おそらく太陽の熱を取る凸レンズを用いたのであろうが、祭壇で生贄を焼くために、「天界からの火」を呼び下ろす儀式があって、ワシはこの儀式と関連づけられた。アロンの息子たちを焼くために、そのような「天界からの火」がヤハウェから下された(『レビ記』 10: 2)。アロンの息子たちはツロの太陽神に捧げられた生贄のように死んだ。そのような生贄は捧げ物として、「水を潜って」から、ワシの姿になって天界へ昇った。
「これらの信仰や崇拝はすべて、東洋で生まれたが、そこでは、火は何でも浄化できるとみなされたばかりでなく、火による死は犠牲者を神の位にまで高め、神格化するとまでみられたことを頭に入れておかなければならない。……イアンブリコスによれば「火は生贄の物質的な部分を滅ぼし、近づけられたものをことごとく浄化し、物質の拘束から解放する。するとそれは性質が純化したために、神々と交わるのにふさわしいものになる。そしてまた、腐敗という束縛からも私たちを解放して、神々に似させるのである」[5]。
ワシと火の鳥、すなわち不死鳥、とはしばしば同一視される。不死鳥は「あらゆる罪を燃やす」という火の洗礼を受け、自分の灰から再生した。ワシはまたへーラクレース Heraclesの霊魂を表した。へーラクレースはタルススの季節の祭りにおいて、火を潜って、天界に昇った。彼は自らの肉体を捧げて焼かれたことで、聖パウロの信仰を呼び起こした(『コリント人への第一の手紙』13: 3)。ワシはプロメーテウスのトーテム鳥であった。プロメーテウスは東洋の火-稲妻-太陽英雄、すなわちガルダ鳥〔ヒンズーの神話に登場するヴィシュヌ神の乗り物の聖鳥〕の形をとった人間あるいは天使のように、天界から火を「盗んだ」。ガルダ鳥は神の不死の秘密を盗みに、楽園の山まで飛んだ。のちにガルダ鳥は太陽の金色の体を装った。アメリカ・インディアンにも同じような英雄があるが、サンダーバードつまり稲妻鳥と言われている[6]。
ローマの皇帝の鳥、そして神格化された皇帝の化身として、ワシは古代ローマの兵士たちに崇拝されていた。各隊には、旗のように戦争に持って行く神聖なワシがあった。隊が自分のワシをなくしたりすると、不面目極まりないとされた。そこで、ワシを取り戻すために、もう1度出陣の準備がされたこともあったかもしれない[7]。
ローマ皇帝の紋章はゲルマン民族の「神聖ローマ帝国」に受け継がれたが、この国のカイゼルKaisers (皇帝)という言葉はシーザーCaesarsに由来する。このようにして、ワシはチュートンでも君主の象徴となった。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔普遍性〕 烏の王であり、なおかつ、最高の神ウーラノスや、天の火つまり太陽の化身・代理・使者である。ワシだけが自分の目を痛めずに太陽を凝視できる。これほど重要な象徴であるからには、西洋文明において、また他のあらゆる文明でも、ワシがきわめて偉大な神や英雄を表したり、またそうでなくとも神や英雄に随行する物語やイメージ(歴史や神話を問わず)が必ずある。ゼウス(ユピテル)やキリストの属性であり、皇帝カエサルやナポレオンのエンブレムであって、アメリカの大平原(プレーリー)でも、シベリアでも、日本でも、中国でも、またアフリカでも、国王や軍指導者に劣らずシャーマンや聖職者や占い師が、ワシの属性を借りてその能力を得ようとした。ワシはまた、父およびあらゆる父性的なるものの、原始的かつ集団的な象徴である。しかしこのように普遍的なイメージであるにもかかわらず、その下に横たわる象徴の豊かさ、複雑さは大したものだ。ここではさまざまな資料から引いた例を比較して、その点を敷衍することにしたい。
〔キリスト教〕
〈鳥の王〉 ワシは鳥類の一般的象徴体系の頂点に立ち、高い精神的次元に属する。ということは〈天使〉の一員であって、それはしばしば聖書による伝承が証明するとおりである。「4つの生き物はどれも後ろにはワシの顔を持っていた。翼は上に向かって広げられ、2つは互いに触れ合い、ほかの2つは体を覆っていた。それらは霊の行かせる所へ進んで……」(『エゼキエル』1、10)。このようなイメージは超越の表れであり、いくらワシの最も高貴な属性を並べたてても、この超越には似ても似つかない。そして『黙示録』(4、7-8)には、「……第4の生き物は空を飛ぶワシのようであった……」とある。
偽ディオニシウス・アレオパギタは、天使をワシによって表す理由を以下のように説明する。「ワシの形象が示すものは、王国、頂上へ向かう傾向、素早い飛翔、敏捷、迅速、力のつく食物を巧みに見つける能力、神の支配する太陽が気前よくばらまく光線を凝視せんものと自由にまっすぐひるまず向ける視線の力強さなのである」(PSEO、242)。
太陽を凝視するワシは、また知性の光を直視することの象徴でもある。「ワシは恐れもせず太陽を正面から見つめる。そして太陽よ、おまえの心が純粋なら永遠に輝くだろう」とアンゲルス・シレジウスは書く。凝視の象徴であるとともに、聖ヨハネとその福音書にもワシの属性が結びつく。中世の芸術作品にはキリストと同一視したものがあり、ワシはキリストの昇天とその玉座を示す。この第2の解釈は、ローマ帝国の象徴を移し替えたわけで、中世の神聖ローマ帝国の象徴にもなるだろう。『詩篇』もワシを不死鳥と同じように精神的再生の象徴とした。
〈太陽の鳥〉 ワシはアジアおよび北アジアの神話において太陽の代替物である(ELIT、122)。それはアメリカ・インディアン、とくに大平原のインディアンによく当てはまる。ワシの羽、およびワシの骨でできた呼び子が、「太陽を見る踊り」の試練を受ける者にとって絶対必要な理由は容易に理解できるだろう。アステカ人にも同様の現象が見られるし、また日本人もそうだ。〈カミ〉の「使者」あるいは「支え」は「太陽のワシ」と名づけられたワシなのである。
〔世界軸〕 インディアンのズーニー族は、宇宙を表現するに当たって、ワシを太陽とともに5つ目の「基本方位」にし、これが「天頂」である(6つ目は《天底》。7つ目は《中心》、つまり人間のいる場所)(CAZD、256-7)。ということはワシを「世界軸」上に据えることになるが、古代ギリシア人の信仰と一致する。ギリシア人の考えでは、ワシは世界の果てから出発してデルポイの〈へそ〉に垂直に止まった。だからワシは日の出から天頂にいたる太陽の軌道をたどることになる。この軌道は世界軸と一致する。同様に最高の神ウーラノスの位置を占めるワシは、インディアンのパンテオンにおいては、ゼウスのかたわらにいる場合と同じように、稲妻と雷の神となった。
〔2つの文明〕 アレクサンダーの注解によれば、ワシの広げた翼は、稲妻の屈曲線や十字架を思い出させる。アレクサンダーはワシ=稲妻と、ワシ=十字架の2つのイメージに2つの文明の象徴を見出す。狩人の文明と農民の文明である。同じ著者によれば、ウーラノス神としてのワシは、《鳥=雷》の表現であって、もともと遊牧の狩人、戦士、征服者の文明の主要なエンブレムなのである。それは十字架が農耕文明の主要なエンブレムであるのと同じことである(メキシコの葉状十字架は、二双子葉トウモロコシの芽を様式化したものだ)。諸インディアン文化の起源においては、ワシが《北》、寒さ、雄の極性を、十字架は《南》、赤、湿気、暑さの特徴を示し、雌の極性を伴う。ただし忘れてはならないのは、《北》と《天頂》、《南》と《天底》が前と上、後と下のように似ることである。
しかし時とともに2つの文明は混じり合い、もとは対立的だった2つの象徴も重なり合い1つになった。「奇妙なことに、単なる幾何学的な形の十字架、つまりロマネスク様式に似た十字架が、最終的には大平原のインディアンにとってさえも、翼を広げたタカやワシの象徴になってしまった。同様に地面から生えるトウモロコシの双子葉の象徴にもなった。しかもそれは他からの、ヨーロッパからの影響を少しも受けずに変化したのだった……」。一般的にいって、《鳥=雷》(アッシュール神のワシ)は、時が経ち文化が混じり合うにつれて、《豊穣》と、《十字架》に象徴される《大地》の《主》にもなる(ALEC、120)。
〔中米・ジャガー〕 この2つの文化的段階の結合において、ウーラノス(天界)の勢力と冥界の勢力が括抗するようになったといえるのだろうか。西洋における封建時代の図像を調べ、ワシとライオンを頻繁に比較対照させると、どうやらそういえそうだ。それはアステカ族の場合と似ていなくもない。アステカ族の2大戦士団は、「ワシの騎士団」と「ジャガーの騎士団」であった(MYTF、193)。さらにアステカ族では、生贄になった戦士の心臓を《太陽のワシ》の糧に供した。そこで彼らは「ワシの者」と呼ばれた。戦闘で倒れた戦士と《太陽のワシ》の生贄にされた戦士は、同じ象徴的意味を持つ。すなわち、太陽に糧を与え、太陽の運行に同行するのだ。
このようなワシとジャガーの象徴的組み合わせは、アステカ皇帝の豪華な玉座の記述にも見られる。皇帝はワシの羽毛の上に座り、ジャガーの皮に背をもたせかけていた(SOUA)。《ワシ=ジャガー》の組み合わせの例は、他にも南北アメリカのインディアンから数多く引用できる。
〔インド・ヘビの敵〕 天と地の二元性は、ヴューダにおいても〈ワシ=ヘビ〉の対立として示される。すなわち、インド神話上の鳥〈ガルダ〉はもともとワシなのである。〈ガルダ〉は太陽の鳥で、「火のように輝き」、ヴイシュヌ神の乗り物(ヴイシュヌ神自身、太陽の性質をそなえる)であって、〈ナーガーリ〉つまり「ヘビの敵」、もしくは〈ナーガーンタカ〉つまり「へどを殺すもの」なのである。ワシとヘビの二元性は普遍的に天と地の二元性、あるいは天使の悪魔に対する闘いを意味する。カンボジアでは、〈ガルダ〉が「太陽」族の君主のエンブレム、〈ナーガ〉が「月」族の君主のエンブレムである。〈ガルダ〉はさらに「翼のある言葉」、三重のヴューダ、《言葉》の象徴であって、それはワシがキリスト教関係の図像で占める位置と同じである。
〈ガルダ〉はさらに力、勇気、洞察力の象徴であり、これまた鋭い視力を持つワシと同様である(CORM、DANA、HEHS、HERS、MALA)。
〔秘儀伝授〕 力強い飛翔を見れば明らかなように、ワシは太陽やウラノス神的な力をそなえており、ごく自然に〈守護の鳥〉、「秘儀伝授者」になり、シャーマンの魂を目に見えないさまざまな空間へと連れ出す「霊魂導師」となった。アメリカとアジアの伝承はこの点で絶えず一致し補強し合う。両大陸においてシャーマンが術を取り行う際に、ワシの羽を同様の方法で利用することだけを見てもそれはいえる。たとえばシベリアでは「シャーマンは長いこと踊り、意識を失って倒れ、その魂はワシが引く小舟で天に運ばれる」(ELIC、315)。一方、北米インディアンのパヴィオツオ族では、シャーマンが手に入れたワシの羽を先端につけた棒を、病人の頭にのせる。すると痛みは、まるでシャーマンがワシによって不思議な飛行をするように、飛んでいってしまう。これと同じ文化圏では、共通する信仰があって、巨大な木の頂にワシが止まっていれば、その木の枝に潜む病気を防止してくれるという(KRAM、266;ELIC、247)。英雄テシチュクを下の世界から救い、上の世界に連れていく雌の大ワシも、秘儀の伝授者、霊魂導師であり、このワシだけが2つの世界を自由に飛びまわれる。2度にわたって瀕死の英雄を飲み込み、自分の胎内で「身体を作り直し」、再び世に送り出してやる。ことごとく秘儀伝授のイメージであり、吸収による再生の力を明らかにする。
〔ケルト・ウェールズ〕 典拠の怪しいウェールズのある物語では、ワシは「世界の長老」に属する。このテキストはアイルランドのツアン・マク・カレルの物語と、キルフーフとオルウェンのマビノギの一節に対応する。ワシは秘儀伝授の原初的な動物に属し、ツグミ、フクロウ、シカ、サケもその中に加えられる。ケルト神話にワシが登場するのは、他には、ヒライがワシに変身する場面以外には見当たらない。『マソンウイの息子マス』において、密通した妻プロダイエズの愛人に殺されてすぐのことである。しかしガリアのメダルにはかなりよく現れる。アイルランドではワシの役をハヤブサが演じていたようだ(CHAB、71-91;LOTM、1、206-207)。
〔シベリア〕 《父》の元型的イメージが《秘儀の伝授者》、《霊魂導師》のイメージと結びついた例は、ウノ・ハルヴァが伝えるシベリアの神話にも見出される。それによれば、ワシは文明化の英雄で、シャーマンの《父》なのだ。悪霊が病気と死をもたらして人間を苦しめるので、至高の神はワシを送って助けようとする。しかし人間は使者の言葉が理解できない。神は人間にシャーマンの能力を与えるようワシに命じる。再びワシが下界に降りて1人の女を妊娠させる。そこで生まれたのが最初のシャーマンである(HARA、318)。
〔西洋〕 西洋の伝承もワシに非凡な力を与え、それでワシは地上のごたごたから超然としていられる。たとえば、ワシは不死ではないが、若返りの能力を持つ。太陽に身をさらし、羽毛が焼けつくと澄んだ水に飛び込み、若さを取り戻す。これは秘儀の伝授や錬金術と比べられる。どちらにも火と水を通過する試練がある。ワシは鋭い視力のおかげで、霊魂導師と同時に「慧眼の者」となる。キリスト教国においても死者の魂を翼にのせて運び、神のもとに返すとみなされる。下へ飛翔するのは、地上へ光が降る意味だ。
中世の神秘主義者はしばしばワシのテーマに触れた。神の幻視を想起させるためである。彼らは祈りを、光に向かって上昇するワシの異に比較した。
〔口ーマ〕 見者から、ワシは容易に「占い師」「予見者」になる。古代の地中海世界では、占いはワシの飛翔を解釈して神の意志を察知しょうとした。「ローマのワシはゲルマン・ケルトのカラスと同様、本質的に神の意志の伝達者である」(DURS、134)。
〔ギリシア〕 鳥たちの王は、「ゼウスの王杖の上に」眠るとピングロスはいう。ゼウスの意志を人間に知らせるのがワシなのだ。プリアモスは息子ヘクトールの遺体をアキッレウスから返してもらいに出発するとき、ゼウスに神酒を奉納した。「汝の鳥をよこしておくれ。あのすばやい使者を、汝が何よりも大切にし、至高の力を持つ鳥を。すると鳥は右側に姿を現し、町の上を飛翔した。それを見て皆は大いに喜び、心が和らいだ」(『イーリアス』24、308-321)。逆にワシが左側へ飛んでくれば、これは悪い前兆で、ここにも右と左の象徴体系が見出される。
〔イラン〕 前兆を示し、だがすでにアイルランドの例で見たように他の高貴な猛禽類、とくに〈ハヤブサ〉とよく混同されるワシは、イランの伝承でも同じ意味を持つ。すでにメディアとペルシアの時代に、ワシは勝利を象徴していた。クセノフォンによれば(『キュロスの教育』VII、4)、ペルシア王キュロス2世(前560-529)の軍勢がアッシリアと戦争中のメディア王キュアクサレスの救援に駆けつけたとき、1羽のワシがイラン軍の上に飛来し、よい前兆と受け取られた。アイスキュロスでさえ(『ペルシア人』205以下)、ギリシア人によるペルシア人の敗北は、アトッサが夢の中でワシがハヤブサを追いまわす有様を見て知らされたと想像する。
ヘロドトスによれば(III、76)、ダレイオスおよびイランの7人の諸侯が、ペルシアの王位を簒奪したガウマタの宮殿へ前進するのをためらったとき、7組のハヤプサが2組のハゲワシを追いかけ、その羽をむしり取るのを見た。これはよい前兆とみなされ、彼らは宮殿の攻撃に取りかかった。
イラン・アケメネス朝の軍旗は、金のワシが翼を広げ、槍の端にとまる図柄であった(『キュロスの教育』VII、1)。これはペルシア人の戦争における優位と勝利を象徴的に示したものである。またフィルドゥーシー(940?1020)もその『シヤー・ナーメ』(王書)において、やはり古いペルシアの軍旗にワシが描かれていると述べる。
この象徴にとくに結びつくのが、〈ヴァルナ〉の概念で、これはゾロアスター教〔イスラム化以前のイランの宗教〕において「神の力と栄光の光」を示す。『アヴェスタ』(「ザームヤズド・ヤシュト」:ヤシュト、XIX、34-38)では、〈ヴァルナ〉は、ワシまたはハヤブサに象徴される。イランの伝説的な王ジャムシード(ヤマ)は、この書によれば世界最初の王(フィルドゥーシーの『王書』によると3番目)であるが、嘘をついた。すると彼の中に住みついた〈ヴァルナ〉が、鳥、それも〈ヴァーラグナ〉(ハヤブサ)という目につく形で彼から去る。たちまち王は非凡な能力をすべてなくし、敵に敗れ、王位を失ってしまう。
イスラム教が出現しても、ワシの象徴は変質しなかった。民話の中には、魔術師がワシに変身して、他の魔術師より優れていることを示すものがいくつもある。
昔の薬局方では、ワシに超自然的能力を付与し、活力と精力を得るにはワシの血を飲むように定める。またワシの糞を、〈シーキー〉という一種のアルコール飲料に混ぜると女性の不妊症に効くそうである(MOKC、23-43)。今日でもまだ、トルコの遊牧民ユルックにとって、ワシは父親として力の盛りの年齢を表し、青少年期の魚、老年期のヒツジの中間に当たる。
中近東の夢占いでは、ワシは権勢ある王を表す。一方、王は不幸の前兆になる。民間伝承では、このようなワシの象徴的意味が保たれている。『ハムザの教義』(10頁)では、アノーシヤルワーン王(ペルシアのササン朝ホスロー1世)が夢でカイバル峠かう飛んで来るカラスの群を見た。先頭のカラスが王冠を奪う。そこへメッカの方角から3羽のイヌワシがやってきて、そのカラスに襲いかかり、王冠を取り戻してホスロー1世に返した。この夢は大臣プーザルジョメフルによって解き明かされ、王の敵が将軍ハムザとその盾持ちアムルと射手モクベルの3人に打ち負かされることを意味する。イヌワシ(aigle royal、文字通りには王のワシ)の呼称は数回用いられ、この3名を指す。また3名は〈サーヒブ・カラーン〉とも呼ばれる。つまり「当代の主」の意味で、異教徒に打ち勝つ。だからワシになぞらえてもらえるのだ。
〈左側のワシ〉 どんな象徴でも同じことだが、ワシも不吉な夜の面つまり左側の面を持つ。これはワシの価値の誇張であり、その力の堕落、自負の過剰に他ならない。この象徴の二重性は、すでにインディアンのポーニー族に見られる。A・フレツチャー(FLEH)によれば、褐色の雌ワシは夜、《月》、《北》を表し、独占的で寛大で恐ろしい《原初の母》なのである。一方、白色の雄ワシは昼、《太陽》、《南》を表し、威圧的で専制的にもなりうる《原初の父》だ。夢の中で、ワシはライオンと似て動物の王者であり、気高い考えを体現し、ほとんど常に肯定的な意味作用を持つ。「出し抜けの強い衝撃」、「精神を消耗させる情熱」を象徴する。しかし猛禽として、獲物を爪で捕らえ逃げられない場所に連れて行くからには、不屈の激しい権力意志をも象徴する。
キリスト教にこのイメージの逆転を当てはめると、キリストから反キリストへの逆転が起こる。そうなると、ワシは高慢と圧政の象徴であり、残酷な猛禽、強奪者以外の何者でもなくなる。
(『世界シンボル大事典』)