パブリックを問う(1)
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事例1 「株式会社品川千本桜」

−人の活動が生み出す公共空間

品川再開発と展覧会

画像mi001 改行マークこれは展覧会の時に私が出品した作品で、 題名が「株式会社品川千本桜」というプロジェクトです。 今でも続いている品川駅の東側の大きな開発計画で、 30階以上の高層棟に挟まれたところに車が入れない450メートルの歩行者の専有空間をつくろうという都市計画が決定されました。 その設計の基本構想段階に私が絡んでいたので、 プロジェクトの敷地を利用して展覧会用に提案させてもらったプレゼンテーションです。

改行マーク敷地は、 国鉄清算事業団が土地を持っていました。 現在、 全体が三つに割られ、 東側と西側の縦長部分に高層ビルが10棟くらい建ちつつあるのですが、 その真ん中部分に幅40メートル、 長さ450メートルのスペースに広場をつくりましょうというプロジェクトです。

画像mi002 改行マークまだ基本構想の段階でしたので、 とりあえず絵を描かなければならなかったのですが、 その時ふと頭をよぎったのは、 日本人には広場みたいなものは向かないんじゃないかということです。 行政側がお皿をどーんと用意してあげても、 茫漠とするだけで、 そこがうまく人々に使われるのだろうかということでした。

改行マーク写真は広重の浮世絵です。 空間や広場のようなものは全く用意されていませんが、 七夕になるとどの家もそれぞれ笹を飾り付けている。 お皿はないけれども、 現象が先にあって、 それが一つの公共あるいはコミュニティの風景をつくりだす力強さがこの絵にはあるわけです。 公共のためにその受皿のような空間をまず作ってしまうことは、 何か空々しい。 むしろ先にこういう活動があるのではないかということを問いかけたいと思いました。

画像mi003 改行マークこれは先ほどの模型をアップにしたものです。

改行マーク行政の線引きで公共空地と公園を合わせて1.8ヘクタールくらいが用意されてしまっているわけです。 そこでまず私は細かく分断することから始めようと思いました。 それから広場のようなものが図として構成されているのではなくて、 もじゃもじゃと動いている、 目を寄せてみると毛虫がたくさん動いているような、 蜂の巣に寄ってみると中でもじゃもじゃ動いているような、 そういう空間をつくりたいという直感的な発想がありました。

改行マークこの細かく分断されたそれぞれの動きが、 超高層のガラスの冷たい雰囲気と対比をなすようにという意図があります。


シーグラムビル
−その可能性と問題点

画像mi004 改行マーク先ほど、 佐々木さんが「パブリックの諸相」についてお話されましたが、 その議論のなかで、 公共空間というと行政が用意してくれたもののように思われがちだが、 民有地でありながら公共空間というものがたくさんあるんじゃないか、 むしろそちらの方が重要なのではないかという話が出てきました。

改行マークこれはシーグラムビルです。 公開空地はマンハッタンから始まってアメリカそして日本へと広がってきたものですが、 高層棟の容積アップを認めてもらう見返りに公共空地を用意するというものです。 都市のなかの公共空間というと広場を思い浮かべるのですが、 現在の広場は周りをほとんど道路で囲まれてしまっていて、 街区の一つになっているんです。 そもそもヨーロッパの中世都市の広場は、 必ず建築で囲まれています。 その意味では、 ここは三方向は車道ですが、 これだけのアクティビティを持っている建築に一辺は接していますので、 大きな可能性があるのではないかと思いました。

画像mi005 改行マークここでわざわざシーグラムビルを持ってきたのは、 現在では必ずしも成功した例としては捉えられていないからです。 この場合も、 モダニズムの抽象的な立面に対して、 抽象的な平面を持ってきて、 きれいなお皿を用意してしまっている、 あるいは公共の空間としてのステージを用意してしまっているわけです。 では、 そこに人が来るかというと、 来ないわけです。 寄りつきどころがない。 この設計自体にも問題があるでしょうし、 当時の公開空地の考え方にも問題があったのではないかと思います。


ひとの活動をデザインに取り込む
−顔の見える風景

画像mi006 改行マークこれは上野の花見の写真ですが、 先ほどの七夕の浮世絵と同じ方向性を示すものです。 品川の広場をつくるときに、 こういう空間をつくりたいと思いました。 そもそもディベロッパー(ここではお役所ではなく開発業者)は、 取り敢えず人が来てくれればいい、 要するに名所をつくってほしいということでした。 それならば、 日本人が一番好むお花見というものをデザイン化しようという発想でした。

画像mi007 改行マークこれは、 その時に架空に作りあげたストーリーなのですが、 それをまず具体的に説明したいと思います。 千本桜とはいっているんですが、 1.8ヘクタールに250本の桜があります。 この250ロット分のスペース(1ロットが6m×6mで36m)は、 本来は公共空地なのですが、 都民のプライベートな場所にしてしまおうという発想です。

改行マークまずこのロットを区民あるいは都民の一人に抽選で与えてしまう。 それには義務と特典があって、 一年間その桜の木の清掃なり除虫などの「世話人」になってくれれば、 その1ロットはお花見の時にはあなたの専有空間にしましょうというものです。 そういうコーディネートの会社をつくろうというのが「株式会社品川千本桜」であるわけです。

画像mi008 改行マークですからこの1.8ヘクタールを全部個人のものにして、 個人の専有が集積して一つの風景をつくりだすという発案です。

画像mi009 改行マークもう一つの特典は、 そのロットの舗装面に「世話人」の名前が刻まれることです。 そうやって一年一年桜の木の世話をしてくれた人の名前が記名されていく。 神社などで寄付した人の名前がぎっしり並んでいますね。 そうするとその空間をメンテナンスした人、 支えた人の顔が見えてくる。 そういった風景をイメージしたわけです。

画像mi011 改行マークもう一つ、 個人の管理の活動がはっきりと見える風景をつくりだそうと考えました。 桜があるだけではなく、 一つ一つのベンチにメンテナンス用の梯子を組み込んで、 このベンチをうまく機械として使いながら桜の世話をする。 また、 人がやってきて世話をする時に、 真っ黒で表情のなかったベンチが開いて、 明るい色がちらちらと見えるという仕掛けです。

改行マーク写真はたまたま落ち葉掃除をしているところです。 架空の話ですが、 いつかやってみたいと思っています。

画像mi012 改行マークここはもともと鉄道敷きでしたので、 その土地の記憶を織り込みたいと思いました。 トロッコが走るレールがあるわけです。 ですからそのレールにトロッコを走らせ、 事務局から借りてきた防虫剤の散布の機械をトロッコで運んでもらって、 その場で散布する。

改行マークこのようにこの空間のデザインのボキャブラリーが、 すべて個人が桜を管理しやすいように構成されている。 そういうものが公共空間に力強さを出すという提案です。

画像mi013 改行マーク管理に焦点をあてた一つの理由は、 街に街路樹がたくさんあって、 時々剪定しているところとか、 防虫しているところを見たりするのですが、 殆どのかたはどのように手入れして、 いったいどのくらいの費用がかかって、 どのくらいの労力がかかっているのかは知らないわけです。 我々の家の前やお店の前に並木があるのですが、 税金をお役所に預けて管理を全部委託してしまっている。 自分の手を離れてしまっているわけです。 そういったシステムによって、 自分の一番身近な空間から疎外されてしまっているということです。 その距離をショートカットしたいという気持ちがありました。


ボイドな空間がもたらすもの

画像mi014 改行マーク大きい公共空間をつくる時には、 かなり大きなお皿が必要になってきます。 その時に、 一言で言ってしまえばファミリーレストランのような公共空間が多すぎるのではないかと思っていたわけです。 何かとても親切で、 ここに来れば楽しいし、 人々との交流もあります。 くつろげるわけです。 ところが、 そうでない公共空間も、 とても大事なのではないか。 河原に行って、 川面を眺めている時の寂寞感といいますか、 楽しいよりむしろ悲しいような風景です。 空間的に言うとボイドな感覚です。 何もない「空き」みたいなもの、 それを重要視したわけです。 ですから単調な桜の並木をつくりました。

改行マーク写真は品川の近くの運河のお祭りです。 普段はまったく何にも使われていない無機能な空間ですが、 お祭りの時にだけ船が出てきて専有するわけです。 そういうボイドな感覚と、 全く私有化されたプライベートな使われ方が現れる期間との対比がある、 脈打っているというあたりが、 その空間を公共化させるのではないかという気がします。

改行マーク歴史をひもといてみると、 この品川には目黒川という小さな川がありました。 その河口部分にドックがあり、 そのドックの形が、 この品川千本桜のオープンスペースとして最後まで残ったとも考えられます。 この間には国鉄が新幹線の車庫として使ったりと、 いろんな経緯がありました。 ランドスケープの設計をしていきますと、 土地の歴史みたいなものによくぶつかります。 その中で、 例えば運河であるとか線路敷きのような、 何もない長大な空間を大事にしたいと思っています。

画像mi015 改行マークこれは往々にしてあることなのですが、 「公共空間には常緑樹を入れてください」「落葉樹ばかりだと冬はさびしくなるじゃないか」と、 よく言われます。 木は緑の時ばかりがきれいなのではなく、 葉っぱが全部落ちて散ってしまった寂しさみたいなものも大切です。 あるいは、 それも一つの風景として美しいと思うのですが、 そういう感覚をどうして公共スペースに持ち込めないのか。 ファミリーレストランも時には音楽を消して、 瞑想する時があってもいいんじゃないかと思うのです。

画像mi016 改行マーク今、 都心では縦方向のスーパースケール、 高層棟がどんどん出来ていますが、 みなさんあまり感動しないのではないかと思います。 ただ、 たまたま河原に出た時に、 水平方向に空間がどーんと残っていると、 ほっとしますね。 そういう意味で、 建築家がどんどん造っている垂直方向のスーパースケールに対抗して、 公共の空間に関わるランドスケープアーキテクトは、 水平方向のスーパースケール、 「空き」みたいなものを、 残していく、 あるいはつくりだしていく義務があるのではないかと思います。


アートと民有公共

画像mi017 改行マーク税金を使ってつくられる公園は、 必ず予算を抑えられます。 それに対して、 我々が民有公共と呼んだ公共空間のもう一つの利点について、 例を挙げてご説明したいと思います。

改行マークこれはイサムノグチがデザインした広場です。 民有地で、 二方がディベロッパーが入っているビルで、 二方が立体駐車場になっています。 その間に挟まれた単なる空き地なのですが、 イサムノグチが設計したことによって、 広場がアートのレベルに達しています。

改行マーク「公共=安い」みたいな発想からまったくフリーなところにあって、 公共の空間がアートのレベルで論じられているいい例だと思います。

画像mi018 改行マーク公共空間としての素晴らしさとは別に、 ランドスケープのプロジェクトとして素晴らしいと思うのは、 床そのものがアートになっている点です。 イサムノグチは彫刻家ですから、 こういった石の配置やピラミッドなどは、 もちろん彼の作品です。 しかし何が素晴らしいといって、 「あなたの歩いている床自体がアートなんです」という感覚があるわけです。 それは、 足下の砂岩の厚みをみればわかります。 そういうリッチなスペースが公共空間でつくられる可能性が民有公共にはあるわけです。

画像mi019 改行マークこの品川のプロジェクトにおいても、 床そのものに「むくり」をつけています。 ここで私が言いたかったことの一つは、 床あるいはこの公共スペースを支える人工地盤そのものがアートたりえるのではないかという感覚です。 ただ、 実際の公共の仕事のなかでは「アート」という言葉は、 使いにくい言葉です。 その考え方を出して行くには、 ある戦略が必要になってきます。 それを端的に言ってしまえば、 「いいものをつくる責任が、 デザイナーにはある」ということを、 一番最初に述べたB回路で自覚することだと思います。


杜(もり)をつくる、 道をつくる

画像mi020 改行マーク品川の東側は、 埋め立て地なので、 実は真っ平らなのです。 この真っ平らなのっぺりとした地面に広場ができているというのではなく、 実際のプロジェクトとしては、 一階にちょっと高いところがあって地下一階におりて、 また持ち上がってくるという形になっています。

改行マーク例えばシャンゼリゼであるとか、 東京ならば表参道であるとか、 いい通りはみんな曲面です。 そういう曲面を人工的につくる、 地形をまずつくりだすことから発想しようとしています。

改行マークこのプロジェクトに関わりながら、 日本で大きな公共空間をつくる時に注意しなければならないと思ったことが二つあります。 それは「広場」をつくるのではなく、 「道」をつくったほうがいいのではないかということ。 それから「広場」ではなく「杜(もり)」をつくった方がいいのではないかということです。 ヨーロッパの広場のようにぱーっと開いていて青空が見えているよりも、 木で覆われている杜をつくったほうが、 公共空間としては親切なのではないかということです。

改行マーク現在はすでに高層棟が3棟並んでいまして、 歩行者大空間は高層棟で囲まれた状態になっています。 それは日本ではありえなかったスケールであるわけです。 そこを一つの大きな空間として構成するのではなく、 細かく分断された杜(もり)の空間にしたい。 それが集積してそのなかを歩いていく空間にしたいと思っています。

画像mi021 改行マークお祭りになると露店が出て、 境内の広々とした広場に一つの道ができます。 そういう空間に人は集まってくるわけです。 これは私の勝手な思いこみかもしれませんが、 日本人は立ち止まって座るという空間の感じ方よりも、 そぞろ歩きのなかで公共空間を味わうというほうを好むのではないかと思います。 人と話す時も、 イタリアに行きますと広場のなかで椅子を向かい合わせて議論している風景にあうことがあるのですが、 日本人は連れだって歩きながら話す、 あるいはすれ違いざま声を掛けるといった、 都市で動きながら他人と交流するという特質があるように思えるのです。

画像mi022 改行マークこれはスケールを比較したものです。 品川の歩行者空間の敷地が、 ちょうどミュンヘンのノイハウザーシュトラッセの街路空間とほぼ同じスケールであることがわかります。 しかもノイハウザーシュトラッセは道路に囲まれているのではなく、 道路自体を広場にしましたから、 その境界は全部建物です。 この品川のプロジェクトもその境界は全部建築とダイレクトに接しているという利点を持っています。

改行マーク現在はスケッチ段階なのですが、 45m×28mという小さなユニットを12個連続させ、 5本の桂の木をセットにしたツリーバーをつくろうと考えています。 基本的には杜をつくろうということです。 最初にボイド感を大事にしたいと申しましたが、 周りの都市活動とは一旦縁を切ったところで、 ア・プリオリにあるものとして杜を感じてもらいたい。 しかし一方でその下の広場にはそれぞれ周りの建築の活動、 お店があったり、 地下車路への入り口があったりするのですが、 そういった活動に人の動線が絡んで、 別の表情が出るようになればと思っています。

画像mi024 改行マークこれは有名なザイオンがデザインしたマンハッタンのペイリーパークですけれども、 これも一つの杜空間だと思います。 一つはポケットパークというスケール感、 大都市のなかにおいてのヒューマンスケールが非常に重要であるということと同時に、 この杜の感覚が素晴らしいと思います。

改行マークそういう人間の機能とは関係のない杜があって、 ふと見上げると頭上をある大きなシステムが覆っている。 人々の都市的な生活とは関係のないところで、 杜ができて、 鳥が来てさえずっている、 そういう空間が公共空間になればと思います。

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