間歇日記

世界Aの始末書


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2002年1月下旬

【1月31日(木)】
先日、浜崎あゆみのことをちょこっと書いたら、「日記に浜崎あゆみのことが出たのでmailします」と、なにやらメールが来た。URLが書いてある。得体が知れないので、それなりの防御策を取ってから行ってみたところ、浜崎あゆみがコンサートで身障者に暴言を吐いた云々の事件が取り上げられている。ふーん。ちょいと調べてみると、いまウェブのあちこちで話題になっている事件らしい。メールには、「もともとそれほど好きでもなかったですが、決定的に嫌いになりました。是非、日記のネタにしてやってください」などと書かれている。「浜崎あゆみ」で検索してヒットしたページの作者に片っ端からメールしているのか、それとも、おれの日記の読者にたまたまこういう浜崎あゆみ嫌いの人がいたのか、よくわからない。お望みどおりネタにはしているが、「浜崎あゆみはけしからん!」と一緒になって言うほど、おれはネットにウブではない。
 そもそも、おれには浜崎あゆみが実際にそういうことをしたのかどうか、事情の知りようがない。まさに「東芝クレーマー事件」1999年7月5日11日20日21日の日記参照)ばりに“現場音声”を公開しているサイトもあるのだが、ただ浜崎あゆみのコンサート中の発言が入っているだけであって、状況はさっぱりわからないのである。「いかようにも誤解できそうな、いかようにも利用できそうな不用意な発言ではあるな」と判断できるだけだ。
 ウェブをそこそこ使ってきた人であれば、こういうものには、まず眉に唾をつける癖がついているはずである。おれももちろんそうだ。もっとも、こういう事件(浜崎あゆみが身障者に暴言を吐いたという“事件”ではない。そういうことがこういう形で広まっているという“事件”のほうだ)そのものには、ウェブという媒体を考えるうえでよい素材になる現象として、たいへん興味をそそられる。一緒に浜崎あゆみを嫌いになってくれと言わんばかりのメールをいただいてもねえ……。いま「浜崎あゆみをどう思うか?」と問われたとしても、べつにおれの評価は今回の騒ぎによってなんの変化も受けてはいない。「あれほど騒がれるほど歌がうまい歌手だとも思えませんねえ」と、要するに、2001年12月19日の日記に書いたようなことを答えるだけであろう。

【1月30日(水)】
▼このところバタバタしてめくり忘れていた『御教訓カレンダー』をめくると、おれが今年いちばん気に入っている作品が出てきた――「ご用の方はメッセージのあとにピーを入れてください ――酒井法子」
 この日記の常連読者にはおなじみ船見幸夫さんの作品だ。やや時機を逸した感はあるものの、まだまだ十分通用する傑作だと思う。毎年、『御教訓カレンダー』を買ってきたら、ひとまず通読するのだが、「おや、おもろいな」と思った作品の作者を見ると、なぜか船見さんであることが多いのだ。おもろいなと思うだけではない。「なぜこれを、おれが思いつかなかったのだ!?」と、ちょっとくやしい思いをするのである。笑いのセンスが似ているのだろうな。
田中眞紀子外務大臣が更迭されるとのこと。“喧嘩両成敗”ってのは、じつに便利な言葉である。日本の社会では、上に立つ者がナメられていればいるほど、喧嘩両成敗に持ち込むことを目論んだ戦法が通用する。つまり、厚顔無恥なやつほど得をするわけだ。こんな決着にしか持ち込めないところを見ると、小泉首相は急速に勢いを失っているとしか思われない。ぶち壊し屋としての手腕をもっと発揮してほしいところなのだが。

【1月29日(火)】
大橋巨泉参議院議員があっさり辞職を表明。この国の参院選なんだから、“人寄せパンダ”として担ぎ出されたのは最初から百も承知のはずであるが、なにをいまさら党執行部に相手にされないなどと怒っているのだろう? 野村沙知代を担ぎ出した党があるほどの選挙だぜ。大橋巨泉にはもう少し常識があると思っていたが、やはり長年有名人などをやっていると、あたりまえの感覚が鈍磨するのだろうか。
 おれたちはべつに、参議院議員に立派な政治活動などを期待していない。参議院議員には、確信犯的“フール”をやってもらいたいのだ。おれは渡部昇一の専門分野以外での政治的発言はことごとく嫌いだが、参議院を“フールの府”と呼んだ業績はいまだに高く評価している。これ以上的確な表現があろうか。たまにあの発言を、参議院を単なる阿呆の集団と呼んだのだととんでもない勘ちがいをしている人があるが、もちろんそういう意味ではないのである。“道化(フール)”という言葉を日本語の日常言語で捉えるからそういう誤解が生じるのであって、西洋の宮廷事情やらシェイクスピア劇やらの知識が多少なりともある方なら、「ははあ、ああいう意味であるな」と、周縁人としてのフールの重要性に鑑みピンとくる類の表現であるはずだ(だから、独り歩きすると誤解を誘発するとも言える)。そもそも、最初に渡部のフール発言が問題になったときのエッセイ(たしかあれは、文春文庫の『文科の時代』に入ってたと思う。ちなみに、この表題エッセイは大爆笑もののたわごとであり、笑える点では評価できる歴史的ケッサクである)で、ちゃんと表現の意図が説明されとったと思うのだが、マスコミ人の中にすらたまに誤解して使っている人がいるほどだから、まあ、もう渡部昇一なんぞ一般的には“知的生活とやらの爺さん”としか思われておらず、保守反動のノスタル爺さんくらいしか読んでいないのだろう。政治的でない著作は、おれも愛読してた時期はあるんだけどね。
 それにしても、大橋巨泉の分の票は、もったいないなあ。巨泉に入れた人は、フランス関係の問題だったので篠沢教授に二千点賭けたら井森美幸だけが正解だったような感じでしょうな。

【1月28日(月)】
雪印食品の不祥事でまたまた大騒ぎである。貧すれば鈍すと言いたいところだが、国産牛肉の買い取り制度を悪用して儲けようとは、“鈍す”ですまされぬ悪質な手口である。だいたい、ちっとも鈍しておらん。最初に聞いたとき、「こいつら、頭ええなあ!」としばし感服したくらいである。というか、輸入肉のラベルだけ貼り替えりゃバレもせんような制度を放置しておいたほうの頭が悪すぎるのだろう。陳腐な感想ではあるが、これからいったいなにを信じてものを食ったらよいのであろうか? まあ、おれの食生活であれば、多少騙されていたとしても、ちょっと安物の代わりにかなり安物を食わされるくらいの被害ですみそうではあるから、高級品の代わりに安物を食わされている人々に比べればたいしたことはないのかもしれん。
 それはそうと、もう雪印グループは立ち直れんだろうな。前の食中毒事件以来、わが家では完全に雪印を切った。愛用していた6Pチーズは、クラフトのに替えた(はっきり言って、こっちのほうがうまい)。行きつけのコンビニにも、ようやく雪印製品が徐々にほんの少し並ぶようにはなっていたものの、どこかの珍しい海外製品がたまたま並んでいるかのごとき風情である。販路を開拓してきた人たちには、まったくお気の毒としか言いようがない。とかなんとか言いつつ、けっして雪印製品は買わないのであるが……。
 妹なんかは、安けりゃたまに買っているらしく、あんまり警戒していなかったようだ。これはひとつには、妹が会社というものに勤めた経験がないためでもあるだろう。あれだけ社会的制裁を受けたのだから、“反省して”前よりはよくなったにちがいないと思っているのだ。そりゃ、社員個々人はそうかもしれん。しかし、組織というやつには、個々人が反省したくらいではどうにもならん部分がある。サラリーマンの方々は、よ〜〜っくご存じだろうが、会社の文化というやつは、ちょっとやそっとでは変わらんのである。でかいところはなおさらだ。「そんなことはないだろう。よくビジネス誌なんかには、変わった例が出ている」ってあなた、それはそういうことがよくよく珍しいからこそ雑誌のネタになっているのである。組織なるものは、単なるメタファーではなく、たしかに生きものなのであるからして、極端な話、いっぺん死ぬくらいの覚悟で大手術をせんと変わらん。「そうかあ? IBMとかずいぶん変わったやないか」って、あれは会社の名前が続いとるだけで、それこそいっぺん死ぬくらいのことをして、実質的にはまったく別の会社になったからこそ、今日の大復活があるのである。仮に、落ちていったころにそのまま消えておったとしても、それがむしろ自然であって、誰も驚かなかっただろう。
 また一時代が終わったなあ……と、おれはべつに日本のメーカに義理立てするでもなく、今日もちゃっかりとクラフトのチーズを貪り食うのであった。消費者ってのは、こういうものだ。余談だけど、キャリスタ・フロックハートの親父は、Kraft Foods の重役だったんだってね。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『五人姉妹』
菅浩江、早川書房)
「Treva」で撮影

 いい本である。本が発しているオーラみたいなものがたしかにあるが、この本からはなにやら所有欲をそそるオーラが出ている。美しい装幀といい、タイトルといい、おれが菅浩江作品を読んだことがなかったとしても、思わず手に取ってしまいそうな独特の雰囲気を本そのものが発している。余談だが、「菅浩江」ってのは、じつにいい字面の名前だと思う。旧姓の本名であるにもかかわらず、ペンネームとして最初から企んだようないい字面だ。草に水に水なのである。なにやら日本的なものをタイポグラフィーとしても無意識に訴えかけてくる。おまけに、退屈な授業中に塗り潰せるところが三つもある。それはどうでもいいか。「いい字面ですね」とご本人に言ったら、菅さん自身は、「なんとなく頼りない(字面の)ような気がする」とおっしゃる。いやまあ、わけのわからない生物を料理して食ったり大量の猿を殴り殺したり人体をばらばらにして修理してみたり猫をふりまわしたりする話を書くにはいささか頼りない字面かもしれないが、たまたま関西方面にはそういう刺激の強い同業者が揃っておるだけであって、菅さんの作風であればちょうどよい名前なのではなかろうか。
 で、本のオーラだけでなく、内容もいいのだ。べつにごちゃごちゃと能書きを垂れる必要はなく、“珠玉のSF短篇集”と言えば必要にして十分でありましょう。不思議なことに、『タクラマカン』(ブルース・スターリング、小川隆・大森望訳、ハヤカワ文庫SF)とか『祈りの海』(グレッグ・イーガン、山岸真訳、ハヤカワ文庫SF)とかいった本は、“傑作SF短篇集”ではあっても“珠玉の短篇集”とは言いにくい。“珠玉”ってのは短篇を褒めるときの陳腐な常套句ではあるけれども、やはり、おれの語感では、使える作風と使えない作風があるような気がする。『肉食屋敷』小林泰三、角川ホラー文庫)やら『異形家の食卓』田中啓文、集英社)やらを、人は“珠玉の短篇集”と呼ぶであろうか? いいや、呼びはしない。『つぎの岩につづく』(R・A・ラファティ、伊藤典夫・浅倉久志訳、ハヤカワ文庫SF)を“珠玉の短篇集”と呼ぶであろうか? やっぱり、呼びはしない。いかな名作短篇であっても、逆立ちしても“珠玉”が似合わないものがあろう。日本SF界で“珠玉”をほとんど独り占めにしてきたような梶尾真治作品でさえ、「美亜へ贈る真珠」(『地球はプレイン・ヨーグルト』ハヤカワ文庫JA・所収)などは“珠玉の短篇”であっても、「怒りの搾麺」(岬兄悟・大原まり子編『SFバカ本 たわし篇プラス』廣済堂文庫・所収)は“金玉”関係かもしれないが絶対に“珠玉”ではない。“珠玉”とは、かくも不思議な言葉なのである。
 というわけで、またまた予知能力を発揮するのだが、この本の書評を〈SFオンライン〉60号(最終号だ)に書くことになりそうな気がする。それどころか、〈週刊読書人〉(2002年3月8日号)にも書きそうな気がする。ふだんSFを読まない方にこそ、ぜひ読んでいただきたい“珠玉の短篇集”なのである。

【1月27日(日)】
▼金曜深夜から土曜日にかけての話を書き忘れたので今日書く。金曜深夜に帰宅し、飯を食いながらテレビを観る。喜多哲士さんとこのサイトがテレビで紹介されると聞いていたので、『アリー・myラブ4』の録画を観るのはあとまわしにして、朝日放送『ごきげん!ブランニュ』にチャンネルを合わせる。この関西ローカルの番組、赤井英和トミーズ雅ほかのトークショーなのだが、なかなか面白いので深夜帰宅のときはよく飯を食いながら観る。赤井や雅が駄弁る子供時代の話などは、おれたちの子供時代とも重なるため、「ああ、そうやったそうやった」と、懐かしいだけのネタでもなにやら笑ってしまうのだ。嘉門達夫の子供時代ネタみたいなもんですな。
 で、またなにゆえに喜多さんの格調高いページがこのようなベタベタのお笑い番組に紹介されるのかというと、アレなのである。なんでも、昨年、この番組で雅は「二十年ぶりに鼻が開通した」と喜んでいたらしい(おれはその回は観てない)。でもって、ほんとうに開通したのか、開通したとしたら喜ばしいことである――と、赤井とスタッフが雅にプレゼントを用意したわけだ。この日記の常連読者の方なら、もうおわかりでありましょう。そう、シュールストレミングである。
 シュールストレミングとはいかに怖ろしい食いものであるかをおどろおどろしく説明するためのVTRの中で、ウェブを検索した番組スタッフが喜多さんのページの記述に顫え上がるという演出なのであった。検索結果の中に、野尻抱介さんの名前もちらりと映っていた。野尻さんの「シュールストレミング・恐怖の試食会」も、ウェブでは有名だからなあ。それにしても、最近、テレビでウェブを検索する画面に出てくるのは、決まって Google ですな。もう、すっかり寡占状態のようだ。
 番組の中でトミーズ雅は、一面だけが透明なアクリル板になった狭い木箱のようなものに入れられ、レインコートにゴーグル姿でシュールストレミングの缶を開けさせられていた。無茶をする。よく生きてるな。さすがはトミーズ雅、鍛えかたがちがう。喜多さんも書いてらっしゃるが、あのスタジオはしばらく使えんのではなかろうか? きっと、あのあと朝日放送社内で、「いったい、このスタジオをなんの撮影に使ったんだ!」と苦情が飛び交ったにちがいないと想像するものである。まあ、トミーズ雅にシュールストレミングの臭いが移ったとて、それがネタになる商売だからいいとしても、われらが鳥木千鶴アナにあのような激臭が移るようなことがあってはならん。断じてならん。『ごきげん!ブランニュ』スタッフに於かれては、あのスタジオをくれぐれもよーく消臭しておいていただきたい。宮根アナあたりなら、ああいうものも喜んで貪り食いそうなイメージがなんとなくあるのだが、プロフィールによれば納豆が大嫌いだそうだから、シュールストレミングなど絶対ダメだろうな。でも、納豆系というよりは鮒寿司系の臭いだし、納豆がダメでも好きな人は好きかもしれん。

【1月26日(土)】
▼プロバイダが提供しているアクセスログを見るたびに申しわけなく思うのだが、いまだに「超目玉企画! ほんものの真中瞳ヌード&入浴シーン」2001年10月22日の日記参照)に一日十〜二十くらいアクセスがある。なんかおれ、ひょっとすると、一部の人にむちゃくちゃ恨まれてるかも。笑い転げてくれる人ばかりだといいのだが、準備万端整えて(なんのだ?)見にくる人には、ごめんなさい、洒落です、許してくださいとしか申し上げようがない。
 でも、やっぱりおもろいなあ。けけけけけ。メールで友だちに教えたりしているやつがいるかと思うと、作った甲斐があったというものだ。われながら悪趣味だと思うが、こういういたずらは一生やめられませんなあ。いひひひひ。
 でも、ひとつ心配なのは、ほんとうにほんものの真中瞳から、いつの日かメールが来るのではないかということだ。いや、冗談やおまへんで。いままで「名前を出すと本人からメールが来る」というウェブの魔力に何度吃驚仰天したことか。願わくは、真中瞳嬢が洒落のわかる人であってくれますように。

【1月25日(金)】
▼ザウルスのカレンダーによれば、今日は「左遷の日」なのだという。厭な日があったもんだね。いったい全体、なにを記念(?)してこんな日があるのか――と、一瞬思ったが、すぐ見当がついた。あなたも、すぐおわかりになったにちがいない。
 そう、ザウルスの解説によれば、「901年のこの日、右大臣菅原道真が、彼の才能をねたむ藤原時平の策略によって太宰権帥(ごんのそち)に左遷されたことに由来する日」とある。
 そりゃまあ、由来はすぐわかるが、なぜいちいちこんな日が定められているのかは、やっぱりよくわからない。左遷の日に合わせて辞令を出したりする悪趣味な会社があるのだろうか? では「栄転の日」はあるのかと思い、ウェブを検索してみるも、どうやらそんな日はない。なんだか、わかったようなわからない日である。

【1月24日(木)】
▼ウェブで漫然とニュースを見ていたら、「科学技術の理解度、日本は先進国最低レベル」などという見出しが目に飛び込んでくる。『国民の科学技術に対する理解度や関心度は米英など先進各国の中で最低レベルであることが24日、文部科学省科学技術政策研究所がまとめた「科学技術に関する意識調査」で分かった』――というのだが、そんなこと、いまごろわかったのか? この日記を続けて読んでくださっている方々は、「まあ、そんなもんじゃろ」と驚きもなさらないだろう。なにしろ、2000年の流行語(?)にもなったアレがありますからなあ。さあ、みなさん、ご一緒に――「月をなめるな」
 今回の理解度調査に使われた質問ってのも、併せて載っていた。こんなのである。正しいことを言っているのはどれでしょう、というやつだ(カッコ内は正解率)――

(1)大陸は何万年もかけて移動し続けている(83%)
(2)現在の人類は原始的動物種から進化した(78%)
(3)地球の中心部は非常に高温である(77%)
(4)私たちが呼吸に使う酸素は植物が作った(67%)
(5)すべての放射能は人工的に作られたものだ(56%)
(6)ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた(40%)
(7)男か女になるかを決めるのは父親の遺伝子だ(25%)
(8)抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す(23%)
(9)電子の大きさは原子の大きさよりも小さい(30%)
(10)レーザーは音波を集中することで得られる(28%)

 内容が正しいのは、(1)(2)(3)(4)(7)(9)である。日本の平均正解率は51%だという。アメリカは61%、イギリスは63%なのだそうだ。最低ったって、アメリカと10%しかちがわへんやないか。調査対象は無作為抽出した十八歳から六十九歳の三千人だというから、51%もできれば上等ではあるまいか。え、おれ? そりゃこれくらい、文科系理科系を問わず(そもそもそんな区分があるのが不思議だが)、高校出てれば全問正解でしょ。気の利いた中学生でも全問正解では? というか、高校出てない人でも、ふつうに新聞でも読んでりゃ、ひとりでに知ってしまうようなことばかりでしょう。なに? 言ってることが矛盾してないかって? してないしてない。大部分の人の日常にはほとんど関係のないこうしたことども(と考えられるのがそもそも不思議なのだけれども)に関する正誤問題に、無作為抽出した十八歳から六十九歳の三千人が51%もの正解率で答えられるというのは、なかなかすごいことではなかろうか。先進国では最低かもわからんが、全人類平均よりはずっと高いことでありましょう。しかしまあ、問(7)の正解率が異様に低いのにはさすがにのけぞってしまうが、こんなこと知っていようがいまいが、やることやれば子供はできるのである。
 もっとも、どのくらい教育に金をかけているかを考えると、いったい日本の学校はなにをやっとるのかということになりますわな。たぶん、“教育に金をかける”という部分がなんらかの形で歪んでいるのだろう。死に体になってしまったほかの多くの日本の機能と同じく、既得権やら制度やらの無意味な維持に金がかかっとるんであって、中身はとっくに崩壊しているのでありましょう。八年前に予測した事態が着実に進行しているようだ。
 でもおれは、けっこう楽観的である。「おいおい、こんな教育につきあわされとったらアホにされてしまうぞ」と気づく子供、気づく若者、気づく親は、いつの世にもたくさんいるはずで、それなりの自衛手段を取るにちがいないからだ。そのためのインフラは整っている。ただ、公教育の崩壊が情報階級社会の到来に拍車をかけるのは確実だと思われ、おれはなんだか気色が悪いのだけれども。デジタル・デバイドだなんだと騒いでいるうちは、まだ救いがあるような気がする。下のほうの階級が、「おれたちがなにを損しているのかさっぱりわからない。“上”は“上”でしんどいやんか」と充足してしまったら、立派なディストピアの完成である。「大陸は何万年もかけて移動し続けている? そんなん、おれらの“考えるべきこと”やないわ。インド人の上司か、中国人の社長やったら知っとるかもしれん」というわけだ。そんな社会で、SFはどういうものになっているだろうな?

【1月23日(水)】
東京都豊島区が導入を検討しているという新税が話題になっている。駅周辺の放置自転車を撤去する費用を鉄道会社に負担させようという「放置自転車税」と、新たに建てるワンルーム・マンションについて、1戸当たり50万円を建築主に課すという「ワンルーム・マンション税」とかいうものらしい。放置自転車税はまあいいとして、じつに不可解なのはワンルーム・マンション税のほうである。要するに、独り暮らしをできるだけさせないようにしようというわけだ。大きなお世話だ。おせっかいもはなはだしい。親の脛齧って都会の大学で遊び惚けているようなやつはどうでもいいが、単身赴任者や独居老人はどうするのだ? 課税によって家賃が上がれば、踏んだり蹴ったりである。ひとりで暮らすことがあたかも悪いことであるかのように誘導するなど、人権侵害ではないのか? いろいろ税金の新しい取りかたに知恵を絞るのはけっこうだが、できるだけ金持ちから取るという基本がどっか行ってないか? まったく、ろくなことを考えないな。これ考えたやつは、“独り暮らし=贅沢”といった単純な固定観念を持っているとしか思えん。“独りで暮らすしかない人”に対する想像力というものを持ち合わせんのか?
 そのうち、ワンルーム・マンション(とは名ばかりの安アパート)は老人でいっぱいになると、おれは予測しているのだがなあ……。その老人ってのは、むろん、言わずと知れたおれたちのことだ。

【1月22日(火)】
新潟女児監禁事件の犯人に懲役十四年の実刑判決。“女児監禁事件”と呼ぶべきなのか“女性監禁事件”と呼ぶべきなのかすら悩んでしまうほどの長期にわたって、家畜のように人間を拘束したにしては、なんとも納得のゆかない判決である。「あんなのですむなら、おれもやってやろう」と思うやつが現われないとも……現われないか。あんなに真似するのもしんどそうな事件も、めったにないわな。

【1月21日(月)】
「キャッシュ・ディスペンサー」のことを、うっかり「キャッシュ・ディスポーザー」と言ってしまう人は、じつはけっこういるらしい。おれがもしそう言ってしまった場合は、単なる無知やかんちがいではなく、家でふだんそういう機械を使っているから、ついうっかり家庭の感覚を世間に持ち出してしまったのだとご判断いただきたい。いや、ありすぎて置き場所に困るうえ、銀行に預けておくのも癪に障るから、ときどきディスポーザーで始末することにしているのじゃよ――てなことを一度言ってみたいね。


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