ベッレロポーン(Bellerofw:n or BellerofovnthV)

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 コリントスの英雄で、ミューズの神々の有翼の馬であるペーガソスを飼い馴らした。自らの力を誇るようになり、ペーガソスを駆って天界へ至ろうとしたが、ゼウスに打ち落とされてしまった。足を痛め、も見えず、呪われた存在になって、死んだ。


Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 アンティアがベッレロポーンによこしまな恋をしかけたのに似た話は、ギリシア神話のなかにいくつかある。そのほか、パレスティナ神話のなかにも、ヨセフとポテパルの妻女の話があるし、エジプト神話にも『二人兄弟の物語』がある。ただこの神話の起源がどこであるかははっきりしない。

 カルケミシュにあるヒッタイトの建物にえがかれているエキドナの娘キマイラは、偉大な女神の三部からなる聖年のシンボルで、獅子は春を、ヤギは夏を、は冬を示している。ミュケーナイの近くのデンドラから発掘されたやや破損したガラスの飾板にはひとりの英雄が獅子と組みうちをしているところがえがいてあって、獅子の背中からはヤギの首らしいものがのぞいており、獅子の尻尾は長くてのようである。この飾板は女神の信仰がまださかんであった時代のものであるところからみると、この図像(イコン)は — タルクゥイニアにあるエトルリアのフレスコ画が、この図像に似ている。といっても、この方の英雄はベッレロポーンのように騎馬の姿だが — 王が戴冠式のときに、一年のそれぞれの季節をあらわす動物に扮した男たちと格闘している図柄だと読みとるべきものにちがいない。女神ヘーラーゼウスに従属させることになったアカイアの宗教革命のあとでは、この図像は二重の意味をもつことになった。つまり、それはへレーネスの侵入者たちによる古代カーリア暦の弾圧をあらわした画だと読みとることができるであろう。

 ベッレロポーンが、雨乞いの儀式に用いられたの馬ペーガソスアテーナーからおくられた馬勒をつかって馴らした話は、聖王の位を望む候補者が三面相のムーサ(「の女神」)あるいはその代弁者から荒馬をとらえよという難題を課されたことを示唆している。のちにヘーラクレースがエーリスを占拠したとき、神馬アリーオーン (「天空にいるの動物」)にまたがって遠征したのはそのためである。原始的なデンマークやアイルランドの慣習から判断すると、この馬の肉は、王が雌馬の首をしたの女神から象徴的に再生したあとで、聖餐として食べられたものらしい。しかし神話のこの部分もまたおなじように二重の意味をふくんでいる。つまり、ヘレーネスの侵入者たちがヘリコーン山のアスクラやコリントスにあるの女神の神殿を占拠したことを述べているものと解釈することもできよう。ポセイドーンが雌馬の頭をしたアルカディアのデーメーテールを犯しておなじの馬アリーオーンを生ませた話も、メドゥーサを犯してペーガソスを生ませた話も、みなおなじ事件の記録である。ベッレロポーンの話のなかにいきなりポセイドーンが顔をだすのは、そのためである。ゼウスが心おごったベッレロポーンをこらしめたいきさつは、オリュムボスの信仰をないがしろにする謀叛をくじくための教訓いりの寓話にほかならない。投槍の名手で、空を横ぎって飛ぶベッレロポーンは、彼の祖父シーシュボスまたはテスプと同一の人物で、その信仰が太陽神ゼウスの信仰にとってかわられた太陽の英雄なのである。そのために彼は、ヘーリオスの息子パエトーンの最期を思わせるような、おなじようにみじめな最期をとげるのである。

 ベッレロポーンの敵、ソリュモイ人はサルマの子どもたちであった。サルムという音節ではじまる都市や岬はすベて東よりの位置にあるところからみると、このサルマはたぷん春分にちなむ女神だったのであろう。が、やがて男性化されて太陽神ソリマ、あるいはセリム、ソロモン、もしくはアブ・サロムとなり、それがイェルサレムの名前のおこりとなる。アマゾーン族というのは、の女神につかえる戦闘的な巫女たちのことである。

 ベッレロポーンが駆けよってきたクサントスの女たちに顔まけして逃げだした話は、おそらくヒッボマネス — というのは、ある種の薬草か、さかりのついた雌馬の膣からでたねばねばした分泌物か、あるいはあたらしく生れた子馬の額から切りとった黒い皮膜 — を呑んで狂乱した女たちが、任期のおわりにきた聖王を海岸で四方からとりかこんでいるところをえがいた図像からひきだしたものであろう。エジプトのアービスのあの淫乱な信仰のなかでやるのとおなじように(シシリアのディオド一口ス・第一書・八五)、彼女たちがスカートを高くまくりあげたのは、彼女たちが聖王を八つ裂きにしたときに、その身体から噴きだす血が自分たちの子宮に刺激をあたえるようにという意図からであった。クサントス(「黄いろの」)というのは、アキッレウスの持馬のうちの一頭の名でもあれば、ヘクトールの飼い馬の名でもあり、さらにポセイドーンがぺーレウスにあたえた馬の名前でもあるところから考えると、おそらくこれらのクサントスの女たちは、あのバロミーノ馬のたてがみのような、光のように黄いろいたてがみをつけた祭式用の馬の仮面をかぶっていたものと考えられる。というのは、野生の雌馬がコリントスの海岸でベッレロポーンの父グラウコスを食い殺したことがあったからである。この神話はその内容をあらためられてはいるものの、なお原始的な要素を保っている。つまり、族長と性交することが禁じられているその族長にむかって、族長自身の氏族に属する女たちがまっばだかになって近づいていくと、族長はやむをえず逃げだして顔をかくさないわけにはいかなかったのである。アイルランドの伝説のなかでも、英雄クフーリンの憤激はなはだしく、ほかの方法ではとうていそれをしずめることができないというときになって、これとおなじ計略が用いられている。クサントスで世継ぎを母系によってさだめるようになったという話は、じっは裏がえしになっているのである。つまり、ヘレーネスたちが逆に、保守的なクサントス人以外のすべてのカーリア人に父系相続制をなんとか強制することに成功したということであろう。

 ケイマロオスの名前は、キマロスあるいはキマイラ(「ヤギ」)からでている。彼の火のように烈しい気性といい、へさきに獅子、ともにの飾りをつけた彼の船といい、いずれも、口から火を噴きだすキマイラをうまく説明しようとして、だれかエウヘメロス流の神話学者が、ベッレロポーンの物語のなかにつっこんだものである。キマイラ山(「ヤギの山」)はまたリュキアのパセリス近くにある活火山の名前でもあった(プリニウス『博物誌』第二書・一〇六および第五書・二七)。これは火口からでる火焔を説明しているのであろう。(グレイヴズ、p.367-368)


[画像出典]
Bellerophon and the Khimaira

Laconian Black Figure Kylix C6th BC
Malibu, The J. Paul Getty Museum 85.AE.121

Detail: Pegasos strikes the Khimaira with its hooves as Bellerophon pierces it in the belly with his spear.