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ハクチョウ(Swan) 〔Gr.KuvknoV

 ハクチョウの羽根のマントを着るという、古くから広範囲に行われていたシャーマンの風習は、ハクチョウに変身できる神々に関する神話を数多く生み出した。ヒンズー教の神話の「天のニンフたち」(アプサラたち)はハクチョウ-乙女であった。ヴェーダの天国に住み、死後の世界にいる男たちに性の喜びを与えるこの天使たちとたわむれる男根神として、クリシュナはハクチョウの騎士となった。彼の妻である女神はさまざまな姿をとったが、ハクチョウ-乙女たちのこともあれば、乳しぼり女たち(ゴーピーたち)のこともあった。サンスクリット語から翻訳された、カルムイク族のシーディー・クール(聖なる物語)では、クリシュナはハクチョウの騎士となっており、彼は「老婆」(カーリー)の娘たちである3人の乳しぼり女の姿をとる三相一体の女神に求愛した[1]

 この同じインド・ヨーロッパ人の伝承が、スカンジナヴィア神話においては、ハクチョウの羽根でできた変身用の魔法のマントを着て、ハクチョウに化身したヴァルキューレとして表に現れた。カーリー、つまりカウリーはヴァルキューレ・カラとなり、ハクチョウの羽根のマントを着て戦場の上空を飛び回り、呪文を唱えて敵の力を奪った。伝承によれば、人がもしヴァルキューレの持っているハクチョウの羽恨の衣を盗むことができたら、そのヴァルキューレは彼の望みをすべてかなえてやらなければならないことになる[2]

 ハクチョウの騎士クリシュナは、ハクチョウの羽根で身を包んだゼウスとしてギリシア神話に再登場する。ゼウスはハクチョウの姿になって女神レーダーLedaを誘惑し、レーダー世界卵を生むが、これはレーダーもまたトーテム鳥としてのハクチョウであったことを示している。彼女は、まさにゼウスの生命を左右する女神ネメシスと混同されることもあったが、レーダーすなわちLady (「婦人」)はネメシスの添え名にすぎなかったからである[3]。北欧神話でも彼女はヴァルキューレのプリュンヒルデと同一視され、彼女の7人の子供、すなわち「7人の小びと」は、同名のおとぎ話で7羽のハクチョウに変身させられた[4]ゼウスがとるハクチョウの姿もまた、ヴェーダにおけるブラフマーのイメージ、つまり、その霊が特別なヴアハナvahana(「乗り物」、化身した動物)すなわちハクチョウに宿っているブラフマーのイメージにさかのぼることができる[5]

 古代宗教と関連のあるハクチョウ-乙女とハクチョウの騎士は、キリスト教時代を通じてヨーロッパの民間伝承によく登場した。伝説的な聖杯の神殿や女性守護と関係をもつある騎士団は、聖なるハクチョウ-英雄の子孫であると主張した。ゲルダ一家とクレーベ家は、祖先である「女性の下僕たるハクチョウの騎士」に敬意を表して、その紋章にハクチョウを用いた。アドルフ公爵は1453年に、この祖先を記念して馬上試合を催した[6]

 前述の騎士はローエングリンと呼ばれることもあり、イギリスの英雄ランスロット-ギャラハッドと同じく、女性の救世主であった。古典的な様式にならって、ローエングリンも赤ん坊のときに不思議な船に乗せられて海上を漂い、ある異国の偉大なる女王に拾われ育てられた。彼は死んだ後、自分自身の息子として再生、つまり生まれ変わった[7]

 ローエングリンは、聖杯のテンプル騎士団の一員となったとき、ブラバント公爵夫人エルザの大義を守るために、救済の山Montsalvatch*の聖杯城から遣わされた。 彼女は身分の低い男たちの中から恋人を選ぶという、生まれの高貴な女性に古くから認められていた権利を行使しただけなのに、不当にも投獄されていたのであった。ローエングリンはエルザの敵に打ち勝った後、彼女と結婚した。おそらくプシューケーエロースの神話から引き出したと思われる、この物語のある版によれば、エルザはの本当の名を訊ねることを禁じられていたが、どうしても知りたいと言い張った。そこでローエングリンは悲しげに名前を明かしたが、そのため彼はエルザのもとを去り、パラダイス山に戻らなければならなかった。他の版によれば、ローエングリンはエルザを救済の山に連れて行き、そこで2人はその後ずっと幸せに暮らした[8]

 別の物語によれば、ローエングリンはハクチョウの羽根の衣を着て現れ、ブイヨン公爵夫人クラリッサを、その公爵領を狙おうとしたフランクフォール伯爵から守った。あるいはまた、財産権を敵対する男爵たちに脅かされていた、クレーベのベアトリスの大義のために彼は立ち上がった[9]。ハクチョウの騎士は、窮地に陥っている幾人かの貴婦人たちの救出に勇み立って出かけるが、彼の本当の住みかはつねに「聖杯の中に住むウェヌス〔ヴィーナス〕のいる山」であった[10]


[1]Baring-Gould, C. M. M. A., 568.
[2]Larousse, 278-79 ; Baring-Gould, C. M. M. A., 579.
[3]Graves, G. M. 1, 207-8.
[4]Baring-Gould, C. M. M. A., 571, 579.
[5]Ross, 36.
[6]Baring-Gould, C. M. M. A,.600.
[7]Ranl, 62.
[8]Guerber, L. M. A., 202-3.
[9]Baring-Gould, C. M. M. A., 600.
[10]Jung & von Franz, 121.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



swan_leda.jpg一般〕 古代ギリシアから、小アジアを経て、シベリアにいたるまで、さらにスラヴ系やゲルマン系の民族を問わず、皆が皆、純潔の鳥ハクチョウを、神話、伝承、詩の中で称賛している。ハクチョウの純白さ、力強さ、優美さは、まさに光の公現を思わせる。

 しかし、純白さには、2種類があるものである。昼間、太陽、男性の純白さと、夜間、、女性の純白さである。ハクチョウが、どちらの純白さを表すかによって、その象徴するものも異なってくる。一方に分化せず、両者を統合する場合には、両性具有者となり、聖なる神秘さを持つことになる。これはときには起こることである。

 黒い太陽や、黒いウマが存在するように、神聖化もされず、内密で転倒した象徴作用をする黒いハクチョウもいる。

アルタイ民族〕 ブリヤート族には、1人の狩人が寂しい湖で水浴中の3人の「素晴らしい」女性を突然襲う話がある。彼女たちは、実は、ハクチョウであって、水浴びのため、羽毛のマントを脱いでいたのである。男は彼女らの服の1つを奪って隠した。すると、水浴びが終わったハクチョウのうち、2羽は巽が生えて飛び立った。狩人は、3人目の「ハクチョウ=女性」を妻にめとった。彼女は、11人の男の子と6人の女の子を生んだあと、再び翼を得て男にこういい残して飛び立った。「あなたは地上の方です。地上にお残りにならねばなりません。私はここの者ではございません。天上からやって来ました。そこに戻らねばなりません。毎年春になって北に飛んで行くのをご覧になるときや、秋になって南に戻ってくるときには、特別の儀式をして私たちの通過するのを祝って下さい」(HARA、319)。

 同じような話が、アルタイ語族の人々の大部分において、見られる。その場合、ハクチョウに代わって、野生のガンが登場するということもある。こうした物語すべてにおいて、輝くばかりで、無垢の美しさに満ちた光の鳥は、天上の乙女であり、水あるいは大地(湖あるいは狩人)によって受胎され、人間を誕生させる。J・P・ルー(ROUF、351)が指摘しているように、この天上の光は、「男性的で受胎させる者」から、「女性的で受胎させられる者」へと変わる。この神話は、エジプトの《大地》と《天》との聖婚の描写とも一致する。大空の女神ヌトは、大地の神ゲプによって受胎する。この場合は、光、乳白色で柔らかな光や、神秘的な乙女が問題になっている。このようなハクチョウのシンボルを受け入れているのは、スラヴ人、スカンジナヴィア人、イラン人、それに小アジアのトルコ人である。このイメージ(強いていえば信仰)は、ときにはもっと積極的な結果にまで行きつくことがある。事実、エニセイ川流域においては、長い間、ハクチョウも女性同様に生理があると信じられていた(ROUF、353)。ハクチョウは、民族によってさまざまな代替物を持っている。すでに述べたように野生のガンになったり、チュクチ族においてはカモメになり、ロシアではヤマバトとか普通のハトになる(ROUF、353)。

 ハクチョウは、たいがいの場合、男性的で太陽の光、受胎させる光を表す。シベリアにおいても、この信仰は一般化はされていないが、いくつかの痕跡を残している。ウノ・ハルヴァ(Uno Harva)は、女たちが、春初めて見るハクチョウに膝を折って礼をし祈りを捧げると書いている(HARA、321)。

ギリシア・神話〕 雄のハクチョウは、アポッローンの不即不離の友であり、その美しさが最もたたえられたのは、ギリシアの澄んだ光の中においてであった。神話では、このウラノス的な鳥は、季節ごとに移住するので、地中海人と神秘的な北方楽土の民とを結びつける絆にもなった。

 周知のように、音楽、詩、占いの神であるアポッローンは、デロス島で7の日に生まれた。神聖なハクチョウたちがその日に島を7回りした。ゼウスは、この新しい神アポッローンに、竪琴と、ハクチョウのつないである戦車とを手渡した。このハクチョウが、アポッローンを、「まず自分たちの大洋の国へ、ついで北風の吹く国を越えて常に澄んだ空の下にある北方楽土の民のところへと連れていった」(GRID、41)。このことから、ヴィクトール・マニヤンは、エレシウスの秘儀に関する書物で、ハクチョウは、「詩と詩人の力を象徴する」という(MAGE、135)。こうして、ハクチョウは、霊感を受けた詩人、神聖な司教、白衣のドルイド僧、北欧の詩人などのエンブレムとなっていくことになる。

 レーダーの神話は、一見するところ、ハクチョウのシンボルに関して、男性的で太陽の光だとする解釈に合致しているように見える。しかし、もっと詳しく見ると、ゼウスが、レーダーに近づくためハクチョウに変身するのは、ギリシア神話にはっきりと書いてあるように、「ゼウスを避けるため、レーダーガチョウに変身した後のことである」(GRID、257)。ところで、ガチョウは、光や女性の意味を持ち、ハクチョウの転身したものであることは、すでに述べた。したがって、ハクチョウ=ゼウスと、レーダーガチョウの間の愛は、1つのシンボルの両極であり、昼と夜の意味を受容して意識的に2極を近づけることで、ギリシア人は、ハクチョウを両性具有のシンボルとした。レーダーと、その神である恋人ゼウスとは一体である。

フランス・ドイツ・文学〕 ガストン・バシュラールが、『ファウスト』第2部のある場面を分析する際にも、上のような考え方が底流している(BACE、50頁以下)。

 ノヴァーリスが、「愛と結合の基本と考えた清らかな水、全能で肉感的な」水の中で、水浴中の乙女たちが姿を現す。そのあとを、数羽のハクチョウがついてくる。初めは、次に「出現する裸体の表現」(バシュラール)でしかなかったが、そのうちの1羽が……、以下はゲーテの文章を引用しよう。

誇らしげに得々と
頭とくちばしを動かしている。……
しかし、1羽が皆に立ちまさって
胸を張り、大胆に得意げに
みんなを抜いてぐんぐん泳いで行く;
全身の羽毛をふっくらとふくらまし
みずから波となり、大波の上に波を立て、
神聖な場所へ迫って行く
(7300-7306行)

 この頭とくちばし、ふくらませた羽毛、「神聖な場所」が何を意味しているのか、注釈はいらないだろう。雄のハクチョウが、乙女で表された雌のハクチョウの前に存在するのである。ここからバシュラールは、次のように結論する。「ハクチョウのイメージは、両性具有的である。ハクチョウは、きらきら光る水を見つめているときは女性であるが、行動しているときは男性である。無意識にとっては、行動とは、結局行為である。〈行為〉しか存在しないのである。……」(BACE、152)。

 そこで、バシュラールにとっては、ハクチョウのイメージは、《欲望》のイメージのように統合されていき、星辰によって映し出された世界の両極をも融合する。

 ハクチョウの歌は、恋人の雄弁な誓いの言葉と解釈される。心が高揚するのに重要なこの誓いを前にして、初めて、真の「愛の」が存在する。「ハクチョウは、歌いながら死んでいき、死にながら歌う」。この事実から、第1の欲望すなわち性的欲望のシンボルとなる(前掲書)。

語源〕 ハクチョウの歌の分析を、精神分析学的に進めていくとき、再び、光と言葉と種子という、一連の象徴上の連鎖が出てきて、困惑してしまう。この連鎖は、ドゴン族の宇宙観に、はっきりと存在するものであるからである。G・デュランは、次のように書いている。「ユングは、語基svenを、サンスクリット語で、ざわめくという意味のSvanと比べながら、こう結論している。太陽の鳥ハクチョウschwanの歌は、光と言葉とが語源的に同形であることを神秘的に表現したものでしかない」(DURS、161)。

 黒ハクチョウの、象徴上の意味が逆転している実例は、1つ引用するだけにとどめたい。

北欧・文学〕 スカンジナヴィアの民話から採取した、アンデルセンの童話『旅の友だち』には、魔法にかけられて残忍になった乙女が、黒ハクチョウの姿をして登場する。清めの水に身を3度ひたしたのち、このハクチョウは白くなる。魔法をとり払われた王女は、最後に若いに微笑みかける(ANDC、87)。

極東・象徴〕 極東でも、ハクチョウは、優美さ、気品、勇気のシンボルである。列子によれば、モンゴル人は、周の穆王にハクチョウの血を飲ませた。ハクチョウは、さらに、音楽と歌のシンボルである。野生のガンの方は、極度に人を警戒するので慎重さのシンボルである。『易経』は、慎重に進んでいく、諸段階を指すのに、ガンを例に引いている。この進歩は、霊的レヴェルでの、進歩の意味をも当然含めることが可能である。

ヒンズー教〕 ハクチョウとガンとは、ヒンズー教の聖図像の中では、はっきりとした区別はされていない。ブラフマーの乗り物である、ハクチョウ〈ハンサ〉hamsaは、ガンの姿もとる。ド・マルマンは、ハンサとラテン語のガチョウ〈アンセル〉anserとは語源的に親族関係にあることが「明白だ」と述べている。

 〈ヴァルナ〉の乗り物である、〈ハンサ〉は、水生のである。〈ブラフマー〉の乗り物であるというのは、無定形の世界が、認識の天に向かって上昇していくことを象徴する。

 これと近い意味で、サンスクリット語で書かれた、カンボジアの文書の中ではくシヴァ〉神と「ヨーガ修道者の心の湖を訪れるカラハンサ(kalahamsa)」とは、同一になっているし、心滴(ビンドゥー)に居る〈ハンサ〉とも同じになっている。〈ハンサ〉は、anserと同時に《自我》、《宇宙の精神》であるくアートマン〉とを意味する。

 〈ハンサ〉は、〈ヴイシュヌ〉神にも標章として使われて、ナーラーヤナのシンボルともなっている。この神は、創造主のブラフマーの名前の1つであり、世界を人格化したときのにもあたる。

 ハクチョウが、〈世界卵〉を生み落としたり、いだく点で、その象徴的意味には新しい展望が開かれる。古代エジプトのナイル川のガンや、インドの伝承における、〈ブラフマーンダ(ブラフマーの)〉を原初の《水》の上でいだく〈ハンサ〉とも、ハクチョウは似ている。レーダーゼウスとも似ている。このからは、殻の半分ずつをかぶっていて、その分化してきた由来を示しているディオスクーロイたちが、生まれた。

 最近まで広く信じられていたことであるが、大地から生まれる子供たちは、ハクチョウによって運ばれてきたとされる(BHAB、DANA、ELIM、MALA、SOUN)。

〔ケルト〕 ケルトの文献によると《他界》の人物たちの大部分は、いろいろな理由をつけて、この地上の世界に侵入してくる。その際、ハクチョウの姿をして、たいがいは金や銀の鎖につながれて2羽となって旅をする。ケルトの芸術作品の多くについていえるが、2羽のハクチョウは、天の大洋を航海する道づれである、太陽の小舟の両端に腰かけている。2羽のハクチョウは、北からやってきたり、北に戻ったりするので、自己を解放し、至高の原理へと戻っていく〈存在の崇高、ないしは天使の状態〉を象徴する。大陸のケルトでも、島嶼部のケルトでも、ハクチョウは、ツルと混同されたり、ガンと混同されたりする。このため、カエサルによると、ブルターニュ人において、ガンを食用にすることが禁じられることになった(OGAC、18、143-147;CHAB、537-552)。

錬金術〕 ハクチョウは、錬金術の象徴体系の一部にも入っている。「ハクチョウは、錬金術師たちによって、常に水銀のエンブレムとみなされてきた。水銀の色や流動性を持ち、さらに翼から発する軽妙さも水銀を思わせる。神秘の中心を表し、対立するもの(水と火)の統合も表す。この点で、両性具有の原型としての価値も持つ」。シミエにある、フランシスコ派修道院に掲げられているラテン語の名言、「自己のためと世界のために歌う」Divina sibi canit et orbi が、ハクチョウの姿の持つ秘教的性格を明白に示している。

 ハクチョウは、神々しくも、〈自己〉と〈世界〉のために歌う。ハクチョウの鳴き声は、ハクチョウの歌と名づけられる。同じ音である点で、これは歌うしるし(ともにフランス語でシーニュ)ともなる。と解体とに運命づけられた水銀が、そのを、不完全で不活性で溶解した金属から生じた内部の肉体(心)の中に注入しようとしているからである(バジル・ヴァランタン『哲学の12の鍵』)。
 (『世界シンボル大事典』)