P


Pomegranate(ザクロ)〔Gr.rJoav)〕

zakuro2.jpg  リンモンRimmon (「ザクロ」)は、女神の生殖器を表す礼拝堂に対する呼び名として、聖書の中で用いられており(『列王紀』下5 : 18)、リムrim (「生む」)を語源とする[1]。赤い果汁と多くの種子を持つザクロは、豊穣な子宮の原初的なシンボルであった。したがって、再生をもたらすために、霊魂冥界でザクロを食べた。古代ギリシアの神話の著作者は、コレーエウリュディケーはともに、冥界でザクロの種子を食べたために、冥界に引き留められたのだと述べている。救世主アッティスの処女母(virgin mother)であるナナは、ザクロの種子、もしくはアーモンドを食べて、彼を懐胎した。アーモンドもまた女陰のシンボルであった。

 聖書は、ソロモン神殿の柱は女性の生殖器のシンボルであるユリとザクロで飾られていた、と言っている(『列王紀』上7 : 18-20)。ソロモン自身は、「ザクロの王」である男根神バール・リンモンとなって、彼の聖なる花嫁である神秘的なシュラミの女と結合し、彼女のザクロの液を飲んだ(『雅歌』8 : 2)。

Madonna.jpeg  アルゴスのヘーラーは、パエストゥム〔イタリア南部の都市、古名ポセイドニア〕の近くのカパチョ・ベッキョ Capaccio Vecchio において、「ザクロを持つ我らが女神」として崇拝されていた〔左図〕。パエストゥムは以前は、ポセイドニアと呼ばれたシバリス人の植民地であった。古代の人々は女神の足許に、小さな舟に花をたくさん入れて捧げ物として置いた。女神は片手に彼女の子供を抱き、もう一方の手にはザクロを持って玉座についており、この像を見る者は生命を生み出す女神の奇跡についての想いに誘われた。12世紀頃パエストゥムの人々は女神に新しい礼拝堂を建てたが、この礼拝堂には、今日にいたるまで巡礼が行われている。そこにはなおも、「ザクロを持つ聖母」が片手に子供を抱き、一方の手にザクロを持って、玉座に座っている[2]。そして人々は花を入れた小さな舟の捧げ物を彼女の足許に置くのである。

 ヘーラーは「母なる大地」であって、タロット・カードでは、五芒星形の組札が地の要素を表す。したがって中世のカードでは五芒星形が、卵型の割れ目を常に開けて、しめった赤い内部を見せている果実、「ザクロの組札」に変わっているのを知っても、とくに驚くには当たらない[3]


[1]Graves, W. G., 410.
[2]J. H. Smith, D. C. P., 244.
[3]Cavendish, F., 155, 170.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



象徴〕 一般的に、ザクロの象徴的意味は、〈シトロン〉、〈カボチャ〉、〈オレンジ〉など種子や実の多い果物に関係がある。ザクロはまず、肥沃さと〈多くの子孫〉のシンボルである。

ギリシア〕 古代ギリシアでは、ヘーラーアプロディーテーの標章である。

ローマ〕 ローマでは、新婦のかぶり物はザクロの枝で作られる。

アジア〕 アジアでは、開いたザクロのイメージは、外陰をはっきり意味しない場合、願望の表現に使われる。ヴェトナムの大衆的なイメージの伝説では、「ザクロが開いて100人の子供が生まれる」と述べられている(DURV)。

アフリカ〕 同じくガボンでは、この果物は、多産な母親を象徴する。

インド〕 インドでは、女たちは、不妊を克服するため、ザクロのジュースを飲む。

キリスト教〕 キリスト教神秘神学では、この多産の象徴的意味は、精神面に移る。こうして、十字架の聖ヨハネは、ザクロの種子で〈神の完徳〉のシンボルを作り、その効果を多く示した。さらに、聖ヨハネは、この果物の丸みを神の永遠性の表現として、ジュースの甘さを情愛が深く、を知る喜びの甘美さとして、付け加える。要するに、ザクロは、神の最高の神秘、神の最も深い裁きと最も至高な偉大さを表現する(の賛歌)(DURV)。教父も、ザクロを、教会そのもののシンボルと見ようとした。ザタロにはたった1枚の皮の下にたくさんの種子があるように、教会は、唯一の信仰にさまざまな人間を結びつける(TERS、204)。

ギリシア・神話〕 古代ギリシアでは、ザクロの種子は、過ちに関連した意味を持つ。ペルセポネーは、母親にどのように心ならずも誘惑されたか話す。「彼は私の手に、美味しくて、甘い食べ物=ザクロの種子をこっそりと握らせた。彼は、それを私にむりやり、力ずくで食べさせようとした」(『デーメーテールへのホメロス賛歌』)。地獄に捧げたザクロの種子は、不吉な甘美さのシンボルである。こうして、ペルセポネーはザクロの種子を食べたために、1年の3分の1を霧のかかった暗闇で、あとの3分の2を不死の人たちの傍らで過ごすことになる」。神話の前後関係では、ザクロの種子は、ペルセポネーが誘惑に負け、地獄で人生の3分の1を送るという懲罰に値したことを意味するかもしれない。他方、ザクロの種子を食べて、彼女は、地獄を支配していた断食の綻を破ってしまった。食物をとった者はだれでも、生者がいる所に戻れない。ゼウスの特別な好意で、彼女は、2つの領域に自分の生涯を分けたのである。

 エレウシースでは、デーメーテールの祭司や、エレウシースの秘儀を司る祭司が、「大秘儀の間、ザクロの枝を頭にのせている場合がある。もしそうなら」、ザクロそのものは、聖なる果物だがペルセポネーを惑わしたので、秘儀を伝授された人々には、ザクロを食べることは、厳禁であった。「多産のシンボルであるザクロの内部に、を肉体に降下させる能力があるからである」(SERP、119、144)。ザクロの実をデーメーテールの娘が食べたので、彼女は地獄に捧げられた。シンボルとしては、明らかに逆なので、彼女は不妊の罰を受けた。地獄の永遠の掟には、ザクロを味わって得た、つかの間の快楽も勝てないのである。

 もっと単純にいうと、この地獄の果実の燃えるような赤い種子が、ペルセポネーが人間のために盗んだ、「冥界のわずかな火」を最も連想させる。もはやそんな風にいえないだろうか。彼女の地表への再上昇は、地表が再び温められて、緑化と春の再生、この点では、多産を意味するからである。この視点から、ペルセポネーは世界中どこにもいて、この世と生命の永続性を保証するために火を「盗んだ」多くの文明英雄と同じである。

ペルシア・文学〕 ペルシアの優雅な恋愛詩では、ザクロは、乳房を連想させる。「彼女の頼は、ザクロの花、彼女の唇は、ザクロのシロップ、彼女の銀の胸から2つのザクロが生える」(HUAS、77引用、フィルドゥーシー)。

トルコ〕 サバハッティン・エユボブルが引用した(シーイルレ・フランシスジャ、イスタンブール、1964)トルコの大衆的ななぞなぞでは、婚約した女性が「香りのないバラや開いてないザクロ」のように表現される。
 (『世界シンボル大事典』)