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平成12年1月

 



立春


零下45以上の寒気団が
日本上空を覆い北海道,東北,北陸地方は大雪に見舞われ,京都も珍しく雪が積もった。

一方新聞紙上では,梅便りが報道されるようになり,春の訪れを告げるようになった。

1月初め頃よりインフルエンザが猛威を振るい,大勢の患者が高熱を出し受診に訪れるようになり,

2月に入っても尚続いているようだ。

春の足音はほんの近くまでに来ているようだが,依然寒さは続いている。

新聞報道でインフルエンザでかなりの死者が老人,幼児に発生している事が報道されているが痛ましい事である。

インフルエンザの予防接種が学校での強制接種が任意接種に変わってから,予防接種者の人数が激減している。

幼若児,老人には強制予防接種の必要性がまだ有るのではないかと考える。

接種による副作用の発生との兼ね合いもあり難しい事だが。

寒い時期を通りこさないと春はやってこない。

年中寒かったり,暑かったりもせす゛,だからといって年中春のような気候でない日本の国土は,

人間にとつて色々な示唆をあたえてくれている。

誰もを考えさせる人間に育ててくれているのではないかと考えたりもする。

春が待ちどうしい。しかし春は必ずやってくる事を誰もは疑わない。



日進月歩


医学に身をおくものとして,医学の進歩は目を見張るものが有る。

我々が医者になった頃30年前に使っていた薬が現在殆ど使わなくなって来ている。将来も進歩して行くことだろう。

レントゲンも暗室でプロテクターを着てレントゲン線を浴びながらしていたのが明るい所で遠隔操作となり,

レントゲン現像も自動化され手で現像する事も無くなってきている。いちいち挙げれば切が無く,

その他色んな分野で便利になって来ている。

同様にもっと変化の激しいのがパソコンの世界で半年もすると新しい機械に変わって,

値段も安くなり何時買えば一番良いのか迷ってしまう。

時期がないので欲しい時,前の機械が悪くなった時に買うことにしている。

NECの9801がまだ動くので其のまま置いている。だがソフトはもう売られていないのでいずれは破棄することになるだろう。

性能の良いパソコンが以前よりかなりや安くで手に入るようになった。

始めてパソコンを買った時は全てで50万円以上したように記憶している。

そんなに上等でなくて普通だった。現在50万円も出せばかなり良いものが買える。

約10年以上も前のことだから物価の変動を考え合わせるとかなり高い。現在は種類も多いのでどれが良いか迷ってしまう。

機械の世界は日進月歩だが,使う人間は今も昔もさして変わっていない。むしろ劣ってきている所が有る。

冷暖房が普及して,暑さ寒さに対して弱くなって来ている。人は昔のような頑張りも効かなくなって来て,

頑張る人も少なくなってきた。

トイレットペーパが無くなり大騒動した事が有ったが,もし或る日突然電気が使えなくなればどんなパニック状態が

起きる事だろうか。


ゴルフの練習


寒い毎日が続く,寒いとどうしても外出したくなく,家の中に篭もり勝ちである。

ゴルフの練習もあまりしたくない。練習は休むと確かに腕は落ちる。

久しぶりにゴルフをすると前の状態に戻るまでに大分打たないと

戻らない。試合に久しぶりに出て,調子が出てきた時には,最終ホール近くなっており,

惨めなスコアに泣いたことが幾度も有った。

できれば一週間に最低3回位は練習したいものだが,こう寒いと外出するのも億劫になる。実行は難しいようだ。

ゴルフは暖かい時期のスポーツで,寒い時期にはプロの試合もされない。野球と同じで冬はオフシーズンに当たる。

レッスンでよく言われる事は,形,フォームを作るように指導されるが,2つ以上のフォームを直すようにを注意されると,

頭の中がバラバラになって,

どのようにすればよいかわからなくなる。1つ直すように言われるとなんとか大体は直すことができるが,

さらに次の直す所を言われると,前の直した所は忘れてしまって,新しく直した所だけが直る。

やはり時間をかけてジックリと取り組むつもりで,一歩一歩前進していく以外に仕方なさそうである。

どんなことにも当てはまる事だが,このパソコンも時間をかけ一つ一つ覚えていく以外に仕方ないようだ。

一度には何事も覚ぼわらないし無理な事である。



心に響く言葉 1

「娘が1歳半になったころだ。ある会合で1分間の自己紹介をする機会があった。夫と子どもの話に終始した。

がく然とした。このまま娘の人生を借りて生きていっていいのか。集めた早期教育のカタログを、その日のうちに処分した。

 こうして音楽活動を再開した藤崎さんだから、演奏の合間の語りかけを大切にしている。

自分を育てようとすることと、子どもに愛情をもって接することは、少しも矛盾しない。

むしろ自分をしっかりもっていなければ、子どもと向き合うことはむずかしい。3年間の活動が、その確信を深めてくれた。

コンサートのたびに、必ず聞くことがある。「子どものころの夢、かなえました?」。

母親たちの顔が、ふと、くもる。忘れかけていた「自分」に、向き合わされる。 」

以上は平成11年2月12日の天声人語の文章の一節です。

以前から天声人語は好んで読む事が多かった。このように引用する事は法律に違反することかどうかをいつも考えるのだが,

其れによって収入を得る理由でもなんでもないのだから,違反にはならないだろうと一人合点している。

時々天声人語の中でも,他からの引用している文章を多くみかける事があるから多分大丈夫だろうと考える。

心に響く言葉は一人でも多くの人に知ってもらう方が,社会に貢献するのではないかと考える。

念の為に朝日新聞の天声人語の係りの人にメールで尋ねたら違法にならないとの回答を得たので安心して書ける事となった。

自分が良いと考えることでもよくないことがある事は充分に心がけねばならない。

今日の話は子供の為だけに生きるのでなく,自分の子供の頃描いていた夢をかなえる事と子供のために生きることとは

必ずしも矛盾しない,自分自身をも大切に子供の頃の夢をも捨てずに生きていきましょうといっているように思う。

自分自身の過去を振り返っても,あまりしたくない事でもしてきた事が沢山有る。

又夢も沢山有った。でも考えてみると自分の夢は小さかったようだし,現実に振り回されている事の方が

遥かに大きかったように思う。

現実の方が大きく感じるのは自分の心の頼りなさ,意志の弱さによるものかも知れない。

大いに反省する内容を含んだ言葉で,何回読み返しても良い味わい深い話のように思う。



歴史上の真実


歴史は一つしかない。しかし一週間前にした事が分からなくなる事も有る。

どうだったか一緒に行動した人に聞いても互いに違っていることもある。

まして100年200年それ以上の歴史上の出来事になると,残っている資料に頼る以外仕方なくなるのが当然である。

歴史の専門家によると一級資料とそうでない資料があるそうだ。

真実は一つなのだが,その一つが見つけ出すのがのが大変な作業で有る。

歴史には必ず勝者と敗者ができる、どうしても勝者中心の歴史感乃至歴史になってしまう事が殆どである。

勝者が歴史を残し,資料を残す事になるからで,自分の都合の良い事だけを残し,都合の悪い部分は残さない。

さらには悪い事に事実か改造・捏造された形で,歴史として残って行く事もある。

其の中から真実の歴史を見出す事は大変で自然科学の研究同様に緻密な作業が必要となってくる。

自然科学の場合はもし嘘の発表ががあれば必ず時が・年月の経過によって真実が解明され,

嘘は必ずと言っていいほどばれてしまい判るものだ。

人文科学の場合は其の可能性が小さく,有ったとしても もっと余計な日時が必要となって来ると考える。

歴史上,嘘の儘でずーと月日がたってしまい,その嘘が真実に変わってしまう事も可能性としてあるのではないかと考えたりする。

それは勝者による歴史だからであって,敗者との関係て゛は勝者に都合悪い事は小さくにしか伝わらず。

或いは全く伝わらない事も有ると考えます。

真実は一つしかないのだが,だからといって歴史上の真実をみつけ出す事はなかなか大変な作業,至難の作業のように思われる。



美の価値

美しく感じる感覚は人に依って変わる場合があり得る。

美術品が売買される場合値段がつく。その美術品に対して,更に言うならば美に誰が価値をつけることができるのでしょうか。

この人の作品が幾らでといった事が誰が断言できるのだろうか。大変疑問に思います。

巨匠と称される人は大体に政治力があるか又は有ったように思う。

又はパトロンと称する実力者が後ろで援助していたかである。

でも美は,全く政治とは無関係の存在である事は誰もはわかっている。

世界名画集を見ていて,中には何処が良いのかと首をかしげるような作品にに出会う事が有る。

名画といわれているのだから,其の価値がわからないのは,全く自分の,素人の力不足で,この作品の本当の価値が見出し,

理解できないのだと諦めに近い無力感で見る事がある。

でもひょつとすると,その直感が正しいことも有り得るのではないかと考えたりします。

偉い昔の大家が良いといったのだから,だから多分よいものなのだろうと。

それが違っていると言う勇気が後代の専門家と称している人達に

できないでいるのではないか,だから名画として何時までも残っている。このような事もあり得る。

美という感覚は人種,時代,個人の素質などにより異なってくるもので,流動的なものではないかと思う。

だから美術品の値段も固定的なものでは無いように感じます。

優秀な稀しい芸術作品は世界的な遺産でもあります。でも時にはそれらを見なおす事も必要ではないでしょうか。

直感的に美しいと感じたものが其の人にとっては美しいものです。

美の感覚には非合理的な部分,理屈では説明つかない部分が大いに働いているように感ずる。

だから美に普遍的な価値をつけるのは大変な仕事・作業だろうと考えます。

芸術品は作者の分身で,美の理解度が深く人間として立派で且つ感性豊かな人によってのみ立派な芸術作品を

作る事ができるものでる。又鑑賞する側も立派で感性豊かな人間になればこそ,

立派な作品の真価が理解出きるようになるものだと,このように考えます。



脳死と臓器移植

新聞に高知県の患者が脳死状態になったとの報道が紙面を賑わしてい.る。

続いて臓器移植の記事が紙面に上るようになり,
色々な意見が出ていますが,人間の叡智により時間の経過と共に必ず

収まる所に収まり,除々に妥当な結論が出てくると思います。

これらは高度に近代化された国々にのみに提示される事例であって,

原始生活を強いられている社会では起こらない現象かと思う。

どちらが幸せかとは言いきれない所があると考えます。

脳死其れに続く臓器移植には色々な複雑な問題が内包している。

だから日本では賛否両論が暫く続くのではないかと思います。

又此れからもいろいろと大いに議論されて,人類にとって偉大な科学,そして叡智への一頁が開かれようとしています。

医学が進歩し医療が進めば進むほど医療費は増大することはある程度やむを得ない事でも有ります。

医学の進歩は限りなく前進するでしょう。又そうあって欲しいものです。

しかし財源には限度があり,医療,福祉,保健のどの分野に

如何ように配分されてゆくのか,高度医療は高額になる傾向にあり,これも又大きな課題かと考えますが。  


 新聞平成11年3月2日社説よりの引


移植医療――ゆっくり静かに温かく


 一つの命が失われ、取り出された心臓、肝臓、腎臓がはるばる運ばれて、病む人のからだの中でよみがえろうとしている。

それを、「命のプレゼント」と、手放しで喜べないところに移植医療のむずかしさがある。

 臓器をもらった人々が1日も早く社会復帰することを願うが、移植医療のほんとうの難しさはこれからだ。

手術をしたために、かえって命が短くなってしまうこともまれではないからだ。

 よそから入った臓器には拒絶反応がつきまとう。

これを防ごうと、免疫抑制剤を使うと、細菌やウイルスにつけこまれる困った体になってしまう。

 この闘いは長期間続く。腎臓移植ですでに経験ずみのことなのだが、

調子がよくなると安心して薬をやめ、命を縮めてしまう人がいる。

他人の臓器が体内にあることについての違和感から心が不安定になり、生活が乱れて死を招く人もいる。

 そのような悲劇を防ぐためには、長期にわたる温かいケアが必要だ。

移植の先輩国では、移植を受けた人に寄り添って見守る「レシピエント・コーディネーター」という職種があるほどだ。

 もちろん、患者が移植に適しているかどうかをきちんと判定しなければならない。

患者が十分な情報を得たうえで選択するインフォームド・コンセントが前提だ。

 つまり、「移植手術を受けた場合」と「他の治療法を選んだ場合」をわかりやすく説明する。

患者は、移植医以外の助言も得て自ら選択するのである。

 苦い経験が31年前にある。

 札幌医大で和田寿郎教授の移植手術を受けたのは、

内科教授が「心臓の弁を一つだけ取り換える必要がある」と診断した青年だった。

ところが和田教授は、心臓そのものを取り換えなければ長生きできないと説明し、手術の承諾を得た。

 青年は手術後80日余り生きたが、移植手術をしなければ、もっと長く生きられたに違いないと内科の教授は嘆いた。

 この重大な事柄について、学会の内部できちんとした検証はなかった。

患者の意思が軽視されがちな医療現場で、移植が広がっていくとしたら、不安なことである。

 世界の最先端では、心臓移植や肝臓移植をしてから5年後の生存率は7割に達している。

日本がそれに追い付くためには、まだまだ残された問題があるのだ。

 臓器移植法が成立して1年4カ月後に重い扉が開かれたいま、定着への体制をじっくり整備していかねばならない。

 移植への扉をもう少し軽くしてほしいという声もある。

「本人が意思表示をしていなくても、遺族が同意すればよいではないか」「子どもからの臓器摘出を認めてほしい」

「そうでなければ、外国に行かなければならない」などである。

 だが、移植を受ける人の自己決定を大切にするなら、

臓器を提供する人の意思は、同等に、あるいはそれ以上に大切にされなければならない。

 日本の法律は、諸外国より後からできたために、この点に配慮した、より進んだものになった。

 臓器移植は本質的に、人間同士の温かい気持ちに根差したものである。それを一例一例積み重ねていくことで、

日本の医療にこれまで欠けていた「ぬくもり」注 これはあまりにも忙しく,暖かい気持ちで接したいが心の余裕がなくなり,

機械的にならざるを得なかった経験がある。低医療費政策で日本の医療の宿命的な所で改善されるべき部分だと思う,

心を大切にすべき事は解かっていても,いけない事だが患者さんをさばくといった感じになった事も有った。

自分の今までの若い頃の体験から。理解して欲しい!)


が回復される。その過程を大切にしたい。  ゆっくり、静かに。


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