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随想 

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価値観の違い

 歴史から学ぶまでも無く,時代と共に価値観が変わってきている。新聞報道によると,

最近の若者の4人に1人が独身とのことで,結婚する年齢も高齢化している。

第二次大戦の頃は生めよ増やせの時代だった。その頃生まれた人達が高齢となり,一方結婚する人が少なく

子供をあまり産まななくなった,所謂少子化の時代となる。少ない労働可能の人達が長寿化した大勢の高齢者の

面倒を看る時代に突入する事になる。今までは働く事が生き甲斐と考えていたのが,次第に働くことよりも遊びに

生き甲斐を求める人達が多くなってきている。又昔は年寄りに仕えるとの考えが一般的だったのが,

最近は嫁に遠慮するお年寄りが増えてきた。

東洋的価値観より,次第に西洋的価値観を尊ぶ時代となり,草食人時代から肉食人時代になりつつあるようだ。

だがらといって日本人には,やはり草食人種であった方が体質に合っており,

日本の良き伝統を守り,継続しながら日本人らしさを失わずに生活してゆきたいものである。

なにもエッフェル塔が東寺の五重塔より立派とは思わないし,そうとは断言することはできない。



テレビ,ビデオ映画鑑賞


 青年時代よく映画館に通った。第二次大戦が終わり日本の復興が始まった頃,

唯一の娯楽としては映画館で映画を見ることだった。

殆どの日曜日,映画鑑賞で映画館通いをしたものだ。

その頃は映画最盛の時代で,唯一の娯楽として,大勢の人達が映画鑑賞に訪れた。

評判の映画は一杯の人達で,後ろから頭越しに,立ち見で観たものである。

少し遅れての映画は二本立,稀に三本立てで二流館で観ることが出来た。

当時はお金を持たないので、二本立て,三本立てを観る機会が多かった。

名作と言われるものを特に選んで上映する場所が有lり、そこでよく觀たものである。

第三の男,ガス灯,ウェストサイド物語,黄色いリボン,スミス都へ行く,などなど。

邦画では大番という映画が二社で競作していたのが,今でも大変印象に残っている。

最近は全くと言っていいほど映画館に行かなくなったが,もともと好きなものだから映画はよく観る。

ビデオを借りてきて観ることが殆どて゛,次第に衛星放送で映画が放送されるようになってからは

次第にテレビ放送で観ることが多くなって来ている。

近頃映画館に行ったことがないので,どのように映画館内が変わっているのかわからないが,

テレビで家の中で観る場合は,寝ながら観る事が出きるので大変有り難い。

勧善懲悪・正義・正直は必ず勝ち,ハッピエンドのスト−リ-が殆どだが,

世の中いつもそうあって欲しいものだ。

しかし現実の世の中は必ずしもそうではなさそうだし,その反対の事の方が多いようである。 

 大変残念な事だが。

良い映画,賞を取ったようなものは何回観ても感動する。

借りて来るビデオは内容がわからず,多分面白いと思って借りてきたのが,

つまらない映画だと時間を損したように感ずる。

評判の良いものはやはり良い。何回観ても,スト−リ−が全部わかっていても,

必ずといって良いほど感動するのだから不思議なものだ。 
 


パソコンと人間


 パソコンを使う前は,ワープロを使っていた。始めてパソコンを使うよりはワープロを使った方が

難しさに対する抵抗感が少なく,親しみ易かった。

パソコンを使い出して判ってきた事は,機械事なので理屈よりも,

如何に決まり事を正確に覚えるかの事で,覚えてしまえば決して何も難しいことはない。

でも判って,覚え込むまでが大変苦労する。

多くの決まり事を覚えているか否かが,パソコンの知識が豊富で有るか否かになる。

機械事なので一字のスペルが間違ったり,コンマ一つ忘れても,パソコンは思い通りに動いてくれない。


世の中,一般の出来事はファージィーなことが多い。

日常会話などは大体のことを話せば相手が自然に理解してくれる。

文書でも,絵でも何を伝えようとしているか大体予想はつく。パソコンのような機械事はきっちりとした答えが一つで,

其れを指示しないと動かない。丁度電話で,一番間違えてかけたからといって,

お隣に電話がかかるといったことにはならない。

世の中が,益々パソコンの世の中になってくると,習性として几帳面で,きっちりとして融通が効かぬ、

パソコン人間が増えるのではないかと危惧する。

出きれば大体こちらの思っていることを察して,動いてくれるようなパソコンができることを願うものだが。

パソコン人間にならぬよう,今後は出きるだけ勉めて,情操的,情緒的なことにも接するよう自分で努力してゆこう。




悪いやつほど良く眠る

 昔,このような題名の映画があったように思う。実際にはその映画を見たことがないのでどんな内容のものか,

全く知らない。この言葉の反対に 良い人ほど早く死ぬ が連想される。高齢化社会になり長寿の人が

増えるてきているので,早く死ぬの方はあまり当たらないかも知れない。

此れまでの人生経験・見聞から考え,一部は当たっているのではないかと思う事が多々ある。

悪い人間ほど表面に出てこずに,人を使って悪い事をし,それで自分は直接ストレスにさらされずに済み,

いつも良く眠れて,長生きをする。

一方,人の良い人間ほど正直に生きるので,ストレスにさらされる機会が多く 眠りが少なくなって,

休養が十分取れず, 早く死んで行く。

このような考え方は理論的に如何だろう。

このような社会には是非なってもらいたくないと考えていますが。


昔の人達の知恵

 暑さ寒さも彼岸までとは良く言ったものである。春の彼岸になると必ず暖かくなり,秋の彼岸は暑さも去り,

秋の気配を感ずるようになって涼しくなって来ている。
まず外れる事はない。

安息日
は人間が本能に駆られ,働き過ぎ,身体を壊さないようにとの願いで

休日が決められたのではないかと考える。

縁起の法則は釈尊の教えといわれているが,人類の知恵でもあり,なるほどに自分の人生を振り返ってみると,

この法則からは外れてはいない。

現在の子供達,若い人達は次第にお年寄りと一緒に住むことが少なく,お年寄りの知恵を授かる機会か゛

少なくなって来ている。

其れが不幸なのか,幸せなのか判らぬが,第二次大戦前,子供だった世代の人間は,

殆どの家庭にお年寄りがいて,色々とお年寄りから人生を生き抜いて体得された智慧を,

教えてもらったものである。

また,一方お年寄りも隠居と称して,あまり表面に出てこず,でしゃばらずに,

若い人達のやる事を暖かく見守っていてくれ,判らないことが有れば相談に応じていたように思う。

そのような良い習慣は廃れてきて,最近の世相は次第に

お年寄りを,粗大ゴミ扱いされてきているのではないかと思っているのは,自分だけのことだろうか。


自由自在に生きる
 
  自由無碍,行雲流水,無碍の一道,自由自在,自然法璽と色々な言葉があるが,

素直に天命に随い,逆わらず生きる。

言葉では簡単な事だか中々に実行する事は至難のことである。

まずは生きている間は,それへの努力の連続でもある。

毎日気になる事柄が,次から次へと生じて来るが。それに対し努力はしても,無理はしない。

出来ない事にこだわると,しんどい。

だから出来ることだけをする。それて゛良いのではないかと考えている。
 
インターネットにホームページ掲載自体の有益・無益を考えれば考えるほど頭が痛い,

始めたのだから続けたいものだ。その結果云々は考えないようにする。


                                          9月  1998年10月  11月


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