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平成12年1月

 


不易流行


 常に時代は移り変わり,どんどん新しい世の中に変わって来ている。

周囲を見渡しても人々の考え方,それに建物などの町の風景,家の中の様子,服装など

子供の頃から見ると,かなり様変わりしているのが良くわかる。

又テレビ,パソコンなど以前なかった沢山な物が増えてきた。

一方子供の頃有ったものが無くなって来てい.るが,その底に流れている何かが有るように思う。

その何かは何時の世になっても変わらないもので,それは愛,善,平和,美,と言ったような

所謂真理といわれているものが有って,適当な言葉では言い現わす事は出来ませんが,

いつも人々が生きている間探し求め続けているものがあると信じます。

表面はドンドン移り変わっていても内面は変わらず,時代は変化し続けているものと,そのように考えます。

時,場所を超越した,人類が探し求めているものはいつの世でも変わってはいないと思います。

それは人間一代限りのもので,次代には相続し得ず,
人はそれを生涯求め,

其の時代に応じた形で表現し,何かを残しながら生きているのが人間の一生ではないでしょうか。
 



タバコの害


タバコの害が医学会て゛取り上げられ,指摘されてから数十年は経っている


其れでも喫煙者は後をただず,日本の女性の喫煙者は増加の一途をたどっていると聞く。

これだけ健康に対し害が有り,悪い事が判っていても,政府はタバコの発売禁止に踏み切らないのは

どうしてなのだろうか。

稀に,わずかに有益の報道もあるが。

我々が勉強している範囲内では呼吸器疾患,循環器疾患,癌の発生因子など

タバコの害は嫌というほど聞かされている。それにも拘わらず,放置されているのはどうしてなのかわからない。

タバコ売上に対しての税金の収入が国家財政を潤しているといった事情があるのだろうか。

愛煙家に対しての遠慮でもあるのか,タバコの歴史から見てもすみやかに,中止してもおかしくはないと思う。

医療費の節減,国民の健康な高齢者生活を過ごすのためにも是非考えてもらいたい事である。

タバコの税収よりも遥かにタバコ喫煙による害による出費の方が大きいと考えます。

政府が発売許可しているものに,悪いものはないと考える人達がいるということをも知って欲しいものです。



インターネットを始めて


 インターネットを始めて判ったことは,世界にネットを張られているから,

ホームページを作れば,即世界中の人達が読んでもらえるとは限らない事である。

まず言葉の壁が有る。インターネットを眺めていても,圧倒的に英語圏の人達のものが多い事がわかる。

其の人達に読んでもらうには
少なくとも,英語で書かれていないといけない。

日本人にとって大変不利である。もともとインターネットがアメリカで始まったものだから,

仕方のないことでもあるが,これだけを見ても,日米の文化の差は歴然としている。

非常に日本人の一人として
残念な事である。

ネットは将来各国,国家を超えて情報の掛け橋になることは間違いないと思います。

なんとか壁をなくし,日本語で書いても,他の国語圏の人達にも読んでもらえ,

又各国語圏で書かれたものが日本人でも容易に読め,理解できる方法がないものかと考えます。

何か良い方法がないものだろうか。

医学に身を置く者として,インターネットの利用方法は,特に研究に専念している時代と違い,

雑誌,本などに発表するまでもなく,是非他の人々に伝えたい事柄があれば,それは簡単に発表できる。


全て自分の裁量でできる事だから有り難い。

ただ心配なのは国家が,各自それぞれの意見が発表され出し,議論百出,混乱を招くとの理由だけで

国家により統制が取られることである。
 すでに何処か,他の国で始まっているように聞いているが。



長いものには巻かれろ


 年齢が増してくると,今までの長い体験から自然に身についた生活の知恵として,

長いものには巻かれろとの考えが素直に入ってくる。

若い頃あった反骨的な考え方が次第に影を潜め,全体に大人しくなってきている。

世の中,戦後の苦しい時代から次第に豊かになつて来て,

それほどやかましく言う必要のない世の中になった為なのかどうか判らない。

所詮,皆人間なのたから,パプロフの条件反射でも証明されているように嫌なこと,

痛い目に会えば,それを避けようとする行動に移るものである。だから大人になると

次第に角がとれて来て,丸くなって来るのが,人間の一連の流れのように思う。

しかし稀にに自分の信念を主張し続ける人を見かけるが,

そのような人に出会うと尊敬し・敬意を表したい気持ちになる。

勝てば官軍負ければ賊軍で,誰も安易に官軍につきたくなるものだ。

しかし長い目,歴史の目,神の目からみるならば,

各人の正しい事と考えることでも,そうでない事が多々有る事だけは知っておきたいものだ。

それが本当の大人ではなかろうか。


悠久の宇宙・歴史から見ての地球


宇宙への旅が,シャトルを使いアメリカNASAで実行された。乗組員の一員として日本人の向井千秋さんが参加,

女性であり医師でも有る。船長のグレンさんは70歳を遥かに過ぎた方であるとか。

我々が生きている間,一般の普通の人達が宇宙旅行をする事はまずなかろうと考える。

しかし時代は日進月歩しているのだから,何時其れがどのような形で実現出来るかは分からない。

宇宙船から見た地球はどのようなのだろうか。

偶に海外旅行して飛行機の中からみた景色は素晴らしく,雲の上を飛んでいて,まるで孫悟空になった

ような風景を見る。見下ろすと,大部分が海でポツリと陸地を見かけると,それがあまりにも小さく見える。

其の中に家があって,人々が生活していると考えると,あまりにもチッポケな人間の姿が見えてくる。

そのなかで喜怒哀楽を続けている自分達の姿を想像するとあまりにもわびしく哀しいことである。

宇宙船から見るならばきっと,もっと違った感想を持つに違いない。

時間・空間は,知る限りでは無限の世界である。

其れから比べると,人間の存在はあまりにも小さい。

毎日の生活史の中で宇宙がひっくり返るような感じの出来事に遭遇する事かしばしばある。

不思議ともいうか,人間としての性(さが)をまざまざと見せつけられる思いだ。



インターネットの不思議


我々素人にとってインターネットが世界に通じている事が全く不思議に思えてくる。

あたかも太平洋の海岸にたたずみ,この海が遥か彼方の世界に連絡していると言った気持ちになる。

この現在書いている文書が世界のインタネットを接続している人達に見てもらえると考えると,

心がワクワクして来る。

まずあり得ない確率の方が遥かに高いが,可能性は十分に有りえる。

調べれば直ぐに分かる事だが,そのように考えるとインタネットを誰が発明し,

始められたのか非常に不思議と,脅威に近い気持ちを感ずる。 誰だったのなのだろう。

ノーベル賞はもらわれたのだろうか,どうか。大変な発明・発見である。

世界に限りない恩恵を与えてくれた人と考えたい。

悲しい事に世界が一つの言語に統一していれば,どれだけインターネットの効用がもっともっと発揮されるか,

非常に残念で有る。

HTML言語で書かれていると言われているが,何故に世界に通じるのか今もって全く不思議でしょうがない。



歳月


加齢と共に,一年の経つのが非常に早い。自分だけの事でなく,同じようなことは同年代の他の人からも聞く。

神が作ったことなのかどうか,各人,若い人,年をとった人,貧しい人,富んだ人、

悲しい人、嬉しい人,どの人にとっても同じように歳月は平等に過ぎて行く。

どのような家庭に生まれようが,何処の土地に生まれようが,

それら一切関係なしに歳月は正確に過ぎて行く。

止まって欲しいと思っても止まってくれない,早く過ぎ去ってくれと思っても早くは過ぎ去ってはくれはしない。

生まれれば必ず死が訪れるが如くに,必ずどの人にも正確に歳月は過ぎて行く。

これをもって人間の根源的平等とでも称するものだろうか。神仏は極めて公平な事を与えていてくれている。



善人・悪人

世の中
新聞などのマスコミで賑わしている人で,所謂悪事をした人の顔がテレビで映し出されたり,

新聞雑誌などで見たりすることがある。

その人達の顔を見ると決して悪い事をしたように見えないのである。

悪い人が始めから悪い顔をしていて,悪い人と分かれば,その悪事に巻き込まれる事は無いのだが,

善い人らしい顔をし,善いような話をして,善い人らしい振るまいをするから,騙されて悪事に巻き込まれる。

始めは見分けはつかないことが,往々にしてある。

しかし付き合っていて一度騙されたりすればと其れでわかってくる。

悪い人が必ずしも一人でいて,誰からも嫌われているかと思うと,そうでもなさそうである。

新聞報道などをみているとそのような人達は悪い人をば善い人と思い込み、騙されていることがよくみかける。

悪事を聞いて”まさかあの人が全く信じられない”との返答が返ってきている。

悪人には悪人のグループがあるらしく,良く見ると其の周りに必ず悪人らしき人達が集まっている。

集団になると個人でする時とは違って,悪事がさらに大胆になり,子供のいじめの世界と同様,

予想も出来ない事が大人の世界でも行われているのを見かける。

しかし大人だから一見悪事とわからぬようまく工夫はされているが。

往々にしてどの世界でも,そのような人達により,世の中は牛耳られる傾向にあると考えるのは

自分一人だけの勝手な考えなのだろうか。

毎日,悪事がマスコミなどによって報道されない日はまず無いようだ。

そうでない日の来る事を願う。 残念な事だが仕方ない。



書くということ

書きたい事があれば書く作業がはかどるが,無い時は中々に書けない。

書きたい事が有る時に,書けば良いのだが。そのような時は忙しく書く閑が無い。

時間か有って書こうとした時には,書きたい事をすっかり忘れている事が有る。

一番良いのは書きたいことを思いついた時に,直ぐメモしておくと良いのだが,

ついつい忘れ勝ちである。

是非伝えたい事が,即ち書きたい事でも有る。

しかし伝えたいことがなかなか率直には書けない場合がまま有る




名誉とお金

各人を観察しているとそれぞれ重点の置きかたが名誉か,お金かに分類されそうである。

名誉もお金も一緒に求める人もある。両方とも手に入ると一番良いのだが,中々そうはゆかない。

どちらかに重点の置き方が違っている。

良寛さんのように ”名利の塵” と両方とも突き放した人も居る。

それは手に入れることが出来ないので,強がりを言っているのではないかと,かんぐったりする。

我々凡人が考えそうな事である。

しかし,少しだけ最近その気持ちも分かるような気がする。

もっと大切なものを忘れ,大切な一生を名誉とお金を追いかけ廻わし,終始するのは,

空虚な事でないかと ふと 感ずる。

一番大切なものとは何だろうかと,自問自答を試みてみるのだが中々答えが出そうもない。

その答えは各自それぞれ異なり生涯追い求めるものではないかと思いますが。



笑顔


女性が一番美しく感ずる時は笑顔で応対している時である。美人でも,そうでない人でも

笑顔になると大変美しい。いくら美人の人よりも,そうでない人が笑顔でいる時の方が遥かに美しく

感ずる
。男性ではその事はあまり感じない。中には,偶に男性でもなんとも言えない

素晴らしい笑顔の人に遭遇する事が有る。心から笑っている顔でないといけない。

無理に笑った顔では,それではあまり感じが出ない。

笑顔で毎日を過ごしたいと望むが,なかなかそのようにはなれない。

皆が笑顔で過ごせる世の中になって欲しいと思うが,むしろそうでない事の方が多いように思う。

それでも笑顔の絶やさない人がいるが,そのような人に成れれば良いのにと思う。


                                    10月      1998年11月    12月分                                             
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