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Brimstone(硫黄)

 Sulferの昔の命名で、アテーナーヘカテーデーメーテールといった女神の添え名であるブリーモーBrimoが語源[1]。意味は「怒り狂う者(raging one)」で、女神の破壊者としての面を表している[2]。錬金術で硫黄を表すシンボルは女神アテーナーのシンボルと同じで、十字の上に三角形が乗ったものである。これはウェヌス〔ヴィーナス〕のシンボルと同様、男性性器の上に女性性器が乗っているしるしである[3]

 ブリーモーは「怒り狂うJ」女神であったが、エレウシース(古代ギリシアのアッティカの都市)における清めの祝日には、聖母となった。エレウシースでは「聖なる子」の降臨は、「聖なるブリーモーが聖なる子プリモスを生み給うた」、と大声で告げられた[4]

 ブリーモーの石は祓い清める呪カがあるために、病い除けになると考えられた。中世では硫黄を燃やして病室を燻蒸消毒したり、ペストを防いだりした。「煉獄」では火と硫黄で罪を焼却するために大なべを用いたが、これは罪を祓い清めるために硫黄を古代において用いたことと同じである。

 錬金術師たちは水銀と硫黄を結合させることによって、「へルメースとアテーナーとを結びつけ」ようとした。そうすれば金を造ることができる、と錬金術師たちは考えたのである。しかしそれは失敗した。


[1]Knight, S. L., 102.
[2]Graves, G. M. 2, 384.
[3]Koch, 54, 66.
[4]Wilkins, 67.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 Brimstoneは、硫黄(sulfur)の英語の古名。意味は brinnen+ston〔「燃える石」〕である。これに反し、ギリシア語で硫黄はqei:on。語源的には、生贄のにおいを嗅ぐ意を語源とする神qeovVと同じ。つまり、古代ギリシア人たちは、硫黄が燃えることにではなく、その臭いに反応したのである。
 例によって、バーバラ・ウォーカーは、brim- とトラーキアの太女神ブリーモーとを強引に結びつける。ブリーモーBrimwv は、たしかに「怒り狂う女神」を意味し、これはベンディースBevndiVの別名である。
 トラーキアの民衆も母神であり大地女神である一個の霊格を以てすべてのものの根源となし、その副次的存在態として食用植物の消長を標徴して一死一生する若い男性神を想定し信仰した。その母神はベンディース。而して一死一生する若い男性神が即ちディオニューソスであった。(松村武雄『古代希臘に於ける宗教的葛藤』p.700)
 ブリーモーの別名は、後にギリシア語化されて、セメレーSemevlhとも呼ばれた。怒り狂う相は、ペルセポネーヘカテー、あるいはデーメーテールと同一視され、ベンディース崇拝そのものがアルテミスに包摂された。

 ボエードロミオーン(「救いをもとめて走る」)の〔9月-10〕に、エレウシース秘教の大祭が行われたところは、ミュケーナイ文化をうけいれた都市エレウシース(「出現」)であった。このときデーメーテールの信仰にあたらしくはいって法悦境に達したひとたちは、神殿の奥で男根をかたどったものを婦人の長靴にこすりあげたり、こすりおろしたりして、イーアシオスやトリプトレモスやゼウスとの女神の恋愛を完成する象徴的な儀式を行ったものである。そのことから考えると、エレウシースというのは、エイリュトゥイエス(「かくれた場所で熱狂する女神〔の宮殿〕」)のなまった語形のようである。つぎに、羊飼いに扮した秘教の解説者たちが歓声をあげながら神殿の奥に進んで、この祭式による結婚からただちに生れでたプリーモー(「怒れるもの」)の息子プリーモスのはいっている箕を人々に示すことになっていた。プリーモーというのはデーメーテールの異名で、プリーモスというのもまたプルートスの別名であった。しかし、プリーモスの誕生を祝うひとたちのあいだではイアッコス!IakcoV という名がいちばんよく知られていた — この名前は、この秘教の祭典の六日目にデーメーテールの神殿から松明の行列がくりだすあいだうたわれていたあの騒々しい讃歌「イアッコス」からでたものである。(グレイヴズ、p.141)

brimstone.jpg錬金術〕 硫黄は錬金術の「能動的」原理で、不活性な水銀に作用し、受胎させるか「殺す」。水銀が「水」に対応するように、硫黄は「火」に対応する。〈男性生殖原理〉であって、水銀に作用して地下で金属を生み出す。「天の意志」(ソドムの「硫黄の雨」が奇妙にも対応する)と《聖霊》の活動を表す。イスラムの秘教の「赤い硫黄」は普遍的人間(不死鳥によっても表される)を指し、したがって錬金術における「物質の赤化(大いなる作業の第3段階)」の「産物」である。

 硫黄は、水銀に作用して「殺し」、転換させて辰砂を生む。これは不死の妙薬である。硫黄が常に火と関係があるせいで、ときに地獄の象徴的意味と結びつけられることがある(ELIF、GUET)。『ヨブ』18、15で、硫黄が消毒剤のように、不妊の象徴として現れる。「破滅の王」の住居に広まる。それはこの象徴の地獄的で破壊的な面であり、肯定的な意味が逆の意味になってしまったのだ。

 他の秘教の伝統によると(これも結局今述べた伝承と合致するが)、硫黄は火成の硫黄を象徴し、〈鉱物の精液〉を指す。だからこれもやはり能動的原理と結びつく。〈光〉または〈色〉をもたらす(ALLA、245)。

イスラム〕 赤い硫黄(アラビア語でkibrit ahmar)は、「まず伝承でしか存在しないが、西方の、海の近くにあって、非常に稀なものらしい。だから並ぶ者のない人間を指して、赤い硫黄と呼ぶ」(ENCI)。

 赤い硫黄は、ジルダーキー(1342没)によって、苦行によるの実体変化になぞらえられた(MFASH、931)。

 イスラム神秘主義の錬金術における象徴体系によると、不毛の頑固さに閉じ籠もるに対しては、「液化させ」、次に「凝固させ」、さらに「溶解」と「結晶化」の作業を行う必要がある。の諸力は、自然の諸力、つまり熱、寒さ、湿気、乾燥と比較される。これに対応するの諸力は、錬金術師の硫黄と水銀に似た2つの相補的原理と関係がある。スーフィー教では、水銀がの柔軟性、硫黄が〈霊的行為〉を指す。イブン・アルアラビーにとって、硫黄は神の行為(alAmr)、水銀が全体としての自然を指す(BURD、109)。

 よく知られているように、賢者の石の色は赤である。

象徴・悪魔的〕 錬金術師の場合、硫黄は「太陽が宇宙の中にあるように、身体の中に」あった(MONA、60)。金や光や黄色がそれらの象徴の地獄的な意味で解釈されると、「傲慢なエゴイズムが際立ち、このエゴイズムは自己の中にのみ英知を求め、自己が自己自身の神、その原理、その目的になる」(PORS、84)。太陽および黄色の象徴的意味の、このような有害な側面こそ、キリスト教の伝統の中で「悪魔的な」硫黄が表してきたものなのだ。旧約聖書でも新約聖書でもその例が見られる。ソドムは、硫黄の雨に焼き尽くされた。また『ヨブ』で悪人どもに予定された罰は同じイメージである。「その天幕の灯は暗黒となり……。その住みかには硫黄がまかれる……。彼は光から暗黒へと追いやられる」(『ヨブ』18)。煙まじりの硫黄の黄色い炎は、聖書の場合、ルシフェルの傲慢に属するし、光と対立するものなのだ。光が闇になってしまった。「だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい」(『ルカ』11、36)。硫黄は〈罪状〉と〈罰〉の象徴である。G・ポルタルによれば、そのために「異教では硫黄が罪人の浄化に用いられたl(PORS、86)。
 (『世界シンボル大事典』)


[画像出典]
アンドレーア・アロマティコ/種村季弘監修『錬金術:おおいなる神秘』(創元社・知の再発見双書72、p.19)
 18世紀のアラビアの写本 — 初期の錬金術の書物は、非常に重要な人類学的な問題を提起している。世界各地で発見された写本には、カラスや薔薇やワシなどが象徴として描かれている。これらの象徴は、同じような表象世界を表していると思われる。