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パッラディオン(Pallavdion)

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 この神秘的な呪物は、パラティヌス丘にあるローマのウェスタ神殿の中で、最も神聖な場所を占め、ローマの本質をなす精霊を具現するものと言われた。パッラディオンは以前はトロイの精霊の具現であった。ローマの伝説は、アイネイアースが、トロイ陥落のときにパッラディオンを運び出し、パッラディオンの助けを得て、ローマを創設した、と言う。パッラディオンは、パッラスと普通呼ばれている変幻きわまりない両性具有の神のシンボルであった。パッラスの名は「乙女(maiden)」と「若さ(youth)」をともに意味した[1]

 一説にはパッラスは女神アテーナーと同一であるという。他の説では、パッラスはアテーナーに殺された、牧神パーンに似たヤギの頭を持つ神であるという。また、パッラスは巨人であったとも、女戦士の木製の像であったとも言う。パッラスは雷石であったという説もある。大多数の人は、パッラスは男根神で、彼のシンボルであるパッラディオンは、男性の性器と似た形の「プリアモスの笏」であると信じていた[2]

 ギリシア神話によると、パッラスにはパランティデースという子供たちがいた。彼らは、父権制社会であった古代ギリシアの英雄テーセウスの敵の、「アマゾーン女人族の戦う女神」を崇拝していた[3]。これは、パッラスが女戦土であるという考え方を説明するものかもしれない。女戦士パッラスは、かつてはアテーナーの友であったが、ふざけて戦う中に、アテーナーは偶然パッラスを殺してしまい、彼女はパッラスの名をとって、アテーナー-パッラスとなった。このギリシア・ローマ神話には改訂のあとが見られ、パッラス、パレース、あるいは牧神パーンアテーナーとの結合を示し、男根-女陰によって表されるアテーナーの両性具有的な神像を説明するために考え出された物語である。

 ウェスタ神殿の乙女たちは、パッラディオン礼拝堂の人工の男根によって、ローマの精霊と結婚した。したがってパッラスは、ROMAの秘密の名で、逆転であるAMOR (愛)を表す聖なる男根であったと考えることもできよう。

 コンスタンティヌス1世(283?-337)は、パッラディオンをコンスタンティノープルに移し、自らの男らしさを表すシンボルとした。パッラディオンは巨大な赤い斑岩の柱の下に埋められ、柱頭にはアポッローンの服装をしたコンスタンティヌス帝自身の像がつけられた[4]


[1]Graves, G. M. 2, 403.
[2]Graves, G. M. 2, 261, 266.; Dumézil, 323, 583.
[3]Graves, G. M. 2, 15.
[4]Seznec, 43. ; J. H. Smith, C. G., 226.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 ギリシアでは「神の像」を指すのに、その形によって15ほどの言葉がある。まず、たとえば加工していない石の場合はbaivtuloV、像が梁を形成している場合はdovkana、柱の場合はkivwn、墓標の場合はe{rmaと呼ばれる。それが動物あるいは怪物の姿(qevriomorfh)をしている場合は、ゴルゴン、スフィンクス、ハルピュイアなどと呼ばれる。人間の姿をしているものはタイプによってさまざまな呼び方をされる。brevtaVxoavnonpallavdionなどと呼ばれる手足が身体にくっついている古い木製の小さな像から、アリカイック期〔ギリシア美術における前600年から前480年までの時期〕のクーロイ、コライ、やがて礼拝のための巨像が作られるに至ったが、それを表す言葉はさまざまである。e{doVa[galmaeijkwvnmivmhmaなどと呼ばれたが、彫刻を指す意味で使われたのは、前5世紀になってからのことである。これまで見てきた言葉のうち、eijkwvnmivmhmaは類似あるいは模倣という意味と何らかの関係があるが、それ以外は、厳密な意味での「形象表現」とはおよそ関係ない言葉である。
 ここまで読んで、アルカイック期の始めの頃は、彫刻のそれぞれに名前をつけていたのだと考えるだけでは足りない。この時代、ギリシアはユニークな発展を遂げたのだと考えるべきだろう。つまり、彫刻の最初の役割が、この世にないさまざまなものを象徴的に目に見えるようにすることだったのが、やがて今日考えられているように、彫刻とは現実にあるものをそっくり模倣するイメージであるという考えにまで到達したのである。(ジャン=ピエール・ヴェルナン『ギリシア人の神話と思想』p.474-475)

 その所有者たる町を保護する力があると信じられ、トロイアのアテーナー神殿に安置されていたパッラス(アテーナー)の古い神像。

 その由来に関しては説が区々に分れている。アポロドーロスによれば、つぎのごとくである。アテーナーは幼少の頃トリートーンによって、彼の娘でアテーナーと同年輩のパッラスと一緒に育てられた。二人は武術に励んでいたが、ある時に争いとなり、パッラスがまさに一撃をアテーナ一に与えんとした時、ゼウスは自分の娘の危険を感じて、アイギスをパッラスの前にかざした。彼女は驚いて上を見たために、アテーナ一に傷つけられて倒れた。アテーナーは友のを嘆いて、彼女に似せて木像を彫り、アイギスを肩に着せ、ゼウスのそばにこれを立てて、神として崇めた。のち、ゼウスエーレクトラーを犯さんとした時、彼女はこの神像のもとに遅れたが、ゼウスは神像を天から地に投じた。これはちょうどその時イーロスがイーリオンIlionの町を建設していた所に落ちた。神像はイーロスの天幕の前に落ちたとも、建造中でまだ屋根のなかったアテーナーの神殿中に落ちて、おのずからそこに納まったともいわれる。

 神像は高さ3キューピットで、その両足は一つになり(これは古い時代の像の特徴である)、右手に高く槍を、左手には糸巻竿と紡錘をもっていた。しかし一説にはこれはベロブスの肩の骨から彫られ、ヘレネーがパリスとともにスパルタからもって来たともいい、神像を受けたのはイーロスの祖先のダルダノスとも、トロースがアシオスAsiosと称する魔法師(彼の名は地名としてアシア=小アジアとして残っている)から得たとする者もある。

 神像のその彼の行方に関してもまことに雑多な伝えがある。アポロドーロスでは、パリスの死後、へレネーを妻にせんとデーイポボスとヘレノスが争ったが、前者に凱歌があがったので、へレノスはギリシア軍に捕えられた際に、パッラデイオンがトロイア市にあるかぎり、市は陥落しないことを教えた。そこでオデュッセウスはディオメーデースとともにトロイア市に潜入して、神像を奪った。この際オデュッセウスはディオメーデースに見張りをさせ、自分は乞食に身をやつして市中に入ったが、へレネ一に見破られ、その手引きで神像を盗み、多くの番人を殺したのち、ディオメーデースとともに船へ引き返した。

 しかし一説には盗んだのはディオメーデースだという。この話では彼はオデュッセウスの肩に乗って城壁を越えたのち、仲間を引き上げてやらず、単独で神像を盗み出した。帰途オデュッセウスはディオメーデースを殺さんとして、背後より武器を振りかざしたところ、影でこれを知ったディオメーデースは身をかわし、オデュッセウスに刃を擬して先に歩かしめて、船に帰った。さらに両人ともに市中に入った、あるいは神像はアンテーノールの妻テアーノーが手渡したともいう。

 ところがある伝えでは、トロイア陥落の際、ロクリスのアイアースはこの神像に抱きついているカッサンドラーを神像より引きはなして、彼女を犯し、このとき神像は倒れた。この木像が空をむいているのはこの醜い行為を見ないためであると。

 さらに神像はトロイア陥落の際にアイネイアースがイーデー山に持参し、のちローマに安置したとも、ディオメーデースがトロイアより持ち去り、のち、イタリアのラウィーニウムLaviniumでアイネイアースに与えたとも、アガメムノーンがカッサンドラーとともにアルゴスにもたらしたともいう。

 さらにアテーナイもまたパッラデイオンの所有を主張し、この伝えでは、アテーナイ王デーモボーンはトロイアでディオメーデースよりパッラデイオンを得、アガメムノーンがこれを奪いに来ることを恐れて、レプリカを造らせ、本物はブージュゲースに命じてアテーナイに持参させ、偽物を自分のテントに安置した。アガメムノーンは多くの兵を率いてこれを奪いに来たので、デーモボーンは彼にその偽物がほんとうの神像であると信じさせるために、はげしく闘ったのちに降服し、偽物をアガメムノーンに与えた。

 また他説ではディオメーデースは帰国の途中アッテイカに漂着、そこがどこかを知らずに乱暴したたあに、アッテイカの人々とデーモボーンに神像を奪われた。これらの所伝は、オデュッセウスとディオメーデースが神像を盗み出した伝えと両立しないので、トロイア人はこの事あるを予知して、レプリカを造り、これを神殿に安置し、本物は神殿の宝庫にかくしておいたものであると説明する伝えもある。

 アイネイアースがローマにもたらしたという神像はウェスタ神殿の内陣におかれ、前390年のガリア人侵入のおりにローマ市を救い、前241年に神殿が火災にあった際には、大神官カイキリウス・メテルスPontifex Maximus、L. Caecilius Metellusが火中よりこれを救った。なおイタリアではローマのほかに、ラウィーニウム、アブーリアApuliaのルーケリアLuceria市、ルーカーニアLucaniaのへーラクレイアHerakleia市がこの神像の所有を主張していた。(『ギリシア・ローマ神話辞典』)


[画像出典]
Wikipedia
Slavery in ancient Greece
Women as plunder of war:
Ajax the Lesser taking Cassandra,
tondo of a red-figure kylix by the Kodros Painter,
ca. 440-430 BC, Louvre