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Left Hand(左手)

 ラテン語のsinister(「左」)は、「悪魔的な」とか「魔女のような」という意味を持つようになり、dexter(「右」)殻は、「手先の器用な」とか「利口な」という意味を持つdextrousが生まれた。ambidextrous(「両手の利く、非常に器用な」)の文字通りの意味は、「2本の右手」である。「右」は、righteuosness(「改正」)、good right hand(「善良な右手」)、(フランス語のa droite「右へ」から派生した)adroitness(「巧妙さ」)などと関連づけられている。「左」は、フランス語では、「不器用な」とか「間抜け」の意のgaucheであり、このgaucheから英語のgawk(「のろま」)が生まれた。イタリア語のmancino(「左の」)は、「不正な」という意味を持ち、ドイツ語のlink(「左の」)は、「不当な」、「発達が遅れている」、「よこしまの」という意味を持っている。アングロサクソン語のlyftには、「弱い」とか「価値のない」という意味があった。「邪眼」は、左であると言われた[1]。ヒンズー教のバラモン階級によると、左利きは良俗に反しているという[2]。ユダヤ人の神秘主義者たちは、神の左手は破壊を受け持つ手であると言った。の神サタナエルは、神の左半身を擬人化したものである[3]。『ニコデモの福音書』によれば、イエスの右側で十字架にかけられた盗人は天国に受け入れられ、イエスの左側で十字架にかけられた盗人は地獄に落ちた[4]。現在でも迷信深い人々は、右の肩ごしに新月を見ると幸運が訪れ、左の肩ごしに新月を見れば災いが訪れると信じている[5]

 サガンは、「『右』・『左』という語から連想される世界各地の意味から判断すると、人類の歴史の初期の段階に、憎しみに満ちた対立があったことは明白である。そのように激しい反感を引き起こし得たものは、何だったのだろうか」と問いかけている[6]

 この問いに対しては、それは、家父長たちがしかけた「男性」対「女性」の戦いによるものだったと答えるしかあるまい。

 右側が男性で左側が女性という点では、すべての神話が一致していた。神が両性具有の場合には、つねにこの配置が守られていた。その典型はヒンズー教の両性具有神バヴァ(「存在」)であって、バヴァは、身体の左半分が女性で右半分が男性という「自然(女性)と合体した男性」を表すと同時に、あらゆる「存在」が男女両性から成り立っていることを示していた。カーリーやシヴァの両性具有の像についても、男女の配置はバヴァの場合と同じだった[7]

 ギリシアのペロピダイは、母方の先祖に敬意を表して、左の肩に女性のシンボルの刺青をし、右の肩には、父方の先祖のために、男性のシンボルの刺青をした。エジプト人は、左手が女神メアアート〔マート〕を表し、右手はそのジェフウティ〔トート〕を表すと言った。バビロニア人たちは、「わが女神を、わが左に立たしめたまえ」と祈った[8]

 ユダヤ人の間では、女子を生む精液は父親の左の睾丸から発し、男子を生む精液は父親の右の睾丸から流出すると言われた[9]。このような古代の考え方は、今世紀になってもキリスト教徒の間に残っていた。1891年に出版された『妊娠要覧』という書物には、男性は「必要としない睾丸の根元を輪ゴムで留めて、男女を意のままに生み分けることができる。右の睾丸からの精液は男子を生み、左の睾丸から出る精液は女子を生む」と記されていた[10]

 ラビたちに伝えられていたいくつかの伝承によれば、神の左手は女性だった。それゆえ、家父長たちは、「右の手のしていることを左の手に知らせない」(『マタイによる福音書』第6章 3節)ことが必要だと考えたのかもしれない。ラビたちの教えによると、知者の心臓は右側にあり、愚者の心臓は左側にあった(『伝道の書』第10章 2節)。母権制社会では、母親の子宮の中で子供を作ってくれる経血は母親の心臓の血であり、その血は左半身で生み出されると信じられていた。しかし家父長たちは、心臓の位置を右半身に移してしまったのである。

 現代における研究の結果、古代人たちが左は女性で右は男性というイメージを信じていたその身体的根拠が、部分的にではあるが明らかになってきている。脳の左半球は右半身を制御しており、論理的な思考系統を発展させ、問題解決を阻害する恐れのある感覚的な入力を抑制すると言われている。脳の右半球は左半身を統御しており、直観、創造、あるいは想像力を受け持つ部分と呼ばれている。右脳は、左脳よりも鋭敏で、幅広い認識や反応を生み出すと考えられており、これらの認識や反応は、感情・共感・幻想・芸術・視覚的イメージ・啓示などの形で具体的に表される。右脳の持つ属性の多くは、父権的な思想家たちによって軽視され、わけのわからぬ「女たちの直感」と言われた[11]。しかし、以上のような見解は、事柄をあまりにも単純化した発言である。人間の脳は、男女いずれの場合でも、左右が協同して機能しており、それぞれの機能を明瞭に分割することなど不可能に近いからである。脳の半分は、他の半分がなければ、存在し得ないであろう。

 インドでは直観的思考を論理的思考よりも幾分高く評価しており、宗教的な啓示に至るには二つの「道」があると認識されていた。すなわち、ひとつは、男性的・日輪的・禁欲的な「神々への道」であり、「右手の道」として知られていた。もうひとつは、女性的・輪的・官能的な「女神」への道で、「左手の道」Vama Marg(文字通りの意味は「女性の道」)と呼ばれていた[12]。タントラのヨーガ行者たちは、人間の左半身は万人の「女性霊」の宿るところ、すなわち、シャクティの座とみなしていた。死後、万人はシャクティと合一することになると考えられていた。ヨーガ行者たちは、身内に宿る女性霊への崇拝のしるしとして、礼拝所へは左足から入っていった[13]

 ヨーロッパでは、「魔術」Witchcraftの名のもとに一括された異教の風習が、優勢な父権的見解に対抗して、「左側」の価値を主張していた。魔女たちによると、左の耳がかゆくなったり、ひりひりするのは、近い将来に嬉しいことがある前兆であり、右の耳がかゆくなったり、ひりひりするのは、悲しみの前兆だった[14]。魔女たちの踊りは、今日のフォークダンスの場合と同じ「左回り」、すなわち反時計回りで、の見かけのの運行方向と同じだった。これは、時計回りの太陽の見かけの動きではなく、の逆行運動を手本にしたものだったからである。中世のキリスト教会は、左回りで踊ったり、向きを変えたり、または、ある場所のまわりを回ったりするのは、異端であると言った。何世紀にもわたった異端迫害の時代には、左回りで踊ったという理由で、数え切れないほどの人々が火刑に処せられた。この場合、踊りの輪の中心に背中を向けて踊ろうものなら、とくに罪が重かった。お互いが背中合わせになって踊ることは、広く行われていたにもかかわらず、明らかに良俗に反する行為とみなされていたのだった[15]

 異教時代には、左回りが良いと固く信じられていた。キリスト教以前の北欧の王たちは、統治する都市のまわりを左回りで巡行し、その都市の周囲に魔法の守護の輪をめぐらす必要があった。アイルランドのドルイド教の規則によると、「母なる大地」のタラにある聖なるオンパレのまわりは、やはり左回りで回らなければならなかったのであり、「タラのまわりは、右回りで回るべからず」と定められていた[16]。中東のスーフィー教徒もタントラの影響を受けていて、礼拝堂の周囲をまわるときは、左回りでなければならないとされた[17]

 キリスト教徒たちは、旋回のまじないの方向をすべて逆転させてしまった。たとえば、ルーイス島の「聖アンデレの井戸」の予言の魔法の場合がそうだった。病気にかかった巡礼は、その井戸の水の上に木の椀を浮かべるようにと言われた。椀が太陽の見かけの運行方向(右回り)に回るならば、患者は全快するはずだった。もしその椀がの見かけの運行方向(左回り)に回るならば、患者は死ぬ運命にあった[18]

 魔女たちは左の手で十字を切ると言われており、これもまた、異端の証拠だった。この左手で切られた十字を象徴的な図形で表したのが、十字形の腕の先が反時計方向に曲がっている東洋の「まんじ」(卍)で、男神たちを表す「太陽のまんじ」に対して、女神カーリーの表象だった[19]point.gifSwastika.

 スコットランドの仮祝言handfasting(「握手」)の儀式は、東洋の異教徒たちの婚礼のしきたりに由来しており、タントラの男女のヨーガ行者の間で、カーリーとシヴァの結合を示すものとされていた8の字形の「無限」のしるしを取り入れたものだった。1組の男女は、右手と右手を握ってそれぞれの「男性」霊を結びつけ、次に左手と左手を握ってそれぞれの「女性」霊を結びつけ、このように両手を交差させることによって「無限を表すしるし」(∞)を作った[20]。「無限」を表すしるしは現代の数学でも使われているが、握手の方は現代ではもっぱら右手だけが使われており、このことは、母権制から父権制への移行という見地から見ると意味深いものがある。

 タントラにおいて男女の結合を示すもうひとつのしるしは、を全部上に向けて両手の掌を合わせる(合掌する)ことである。これは、男女が合体して一体になることを意味していた。この身振りは、インド人の間では、現在でも挨拶と祝福の身振りである。12世紀から13世紀にかけてヒンズー教のしきたりがヨーロッパに広まったとき、この身振りは異端カタリ派に借用されて「合掌」manibus junctisとなり、のちに正統派の教会にも導入された[21]。今日では、西洋においても東洋においても、合掌は標準的な祈りの身振りになっている。

 ギリシア・ローマ時代の伝承のおかげで、右と左を男性と女性の象徴とみなす風習はさらに一段と強化された。太陽とアポッローンアルテミス)を生むにあたって、女神レートーは右手で雄を表すシュロをつかみ、左手で雌を表すオリーヴをつかんだという[22]ゼウスを産み落とすとき、女神レアーは両手を地面についたが、その結果、彼女の左手の手形からは5体の女の精霊、右手の手形からは5体の男の精霊が出現した。point.gifFingers. メドゥーサが持っていた家母長としての魔力は、神話の中で次のような象徴的表現を与えられていた。すなわち、メドゥサの左半身の血は死者を甦らせることができ、右半身の血は人体をたちどころに破壊した[23]。ローマ人たちの間でも、左側には慈悲の力があると信じられていた。プルータルコスによると、前兆(たとえば、飛んでいるワシ)を左側に見ることは吉兆であり、前兆を右側に見ることは凶兆だった[24]

 男たちは女性の左手に結婚指輪をはめたが、これは女たちの魔力を封じ、女たちの心をつなぎとめておくためだった。男たちは、太古の昔から、女性の体内では心臓から左手の薬にかけて一本の導管(すなわち血管)がまっすぐに走っていると信じていた。このことは驚くほど長期にわたって信じられていたのであり、1658年になっても、レムニウスは同じことを述べていた[25]

 紋章の象徴的意味によると、ベンドシニスター(「向かって左下がりの斜帯」)は、庶子、すなわち父親が欠けていることを表していた。したがって、楯にベンドシニスターの紋章をつけていた戦士は母親だけの息子であり、異教の母系親族の流儀にならっていたのだった。キリスト教によってヨーロッパ全域に父系家族制度が確立されるまで、父親のいないことが不名誉のしるしとは考えられていなかったのである。

 東と西の象徴的意味は、左右の手の象徴的意味と関連があった。ローマは、南北に走る一本の線と東西に走る一本の線とを交差させて4つの基本方位decumanusを確立した。東半分familiarisは、吉兆の地域で太陽の領域にあり、西半分hostilisは、凶兆の地域での領域だった[26]。当時は、建物や町の方位を定めるにあたって、天の「静止点」(すなわち「天の北極」)に面するのがしきたりになっていたので、ちょうど今日作成されている地図と同じように、左手が西方にあたり、右手は東方に相当した。西方には、「の国」、すなわち、中国人、ケルト人、エジプト人によって「西方の人々」と呼ばれた先祖の死者たちの住みかがあった[27]。石器時代の昔から、死者たちは西向きに埋葬された。「西方に行くこと」は、現在に至るまで、つねに「死ぬこと」と同義だったのである。は、西方の「母神」の門へ旅することを意味していた。アステカ族は、西方を「女たちの土地」と呼んだ。そこは、かつて人間が「母なる大地」の生殖の穴から這い出してきた場所であると同時に、すべての死者たちがもどって行かなければならない場所でもあった[28]

 それに対して右手にあたる東方は、男性である太陽神たちが、「彼は甦れり」という定式文句で、毎朝挨拶を捧げられる場所だった。東方のボルシッパにあった太陽の神殿は、「右手の神殿」として知られていた[29]。アレクサンドリアの目抜き通りは、東端の「太陽の門」から西端の「の門」へと走っていた[30]。エジプトの神殿の東端のアブトabt(祭壇の間)は、太陽神ラーの生誕の場所であり、西方はラーが死んでゆく場所だった[31]。このエジプトの神殿のアブトが、たぶんキリスト教の教会の東端にあるアプス(後陣)の起源だったと思われる。アプスは、エジプトのアブトと同じく、太陽の生誕の地である東方に「向けられて」いた。

 キリスト教の教えによれば、西方は「デーモンたち」の本来の住みかだった。『ブルースのパピルス』には、キリストが十二使徒に対して、邪悪な「アルコーンたち」を「西方、すなわち左手の方向へ逃走させる」呪文を明かしている姿が描かれていた[32]。ギリシアの教会が改宗者に洗礼を施すときは、「改宗者は先ず、西に向かって悪魔を否定し、次に東に向いてキリストと契約を結んだ」という[33]。1415年、コンスタンツにおいてヤン・フスが、異端のかどで焚刑を課されたとき、最初は東を向いている柱に縛りつけられた。しかし、処刑の前にそのやり方が間違っているとわかり、彼は「異端者にふさわしい」方角、すなわち西向きに位置を変えられた[34]

 迷信の中には、東西は男女の象徴という昔の意味が、今でも残っている。塩(血のシンボル)をこぼすと不幸に見舞われるが、左の肩ごしに西に向けて塩をまき、不幸を悪魔に預けてしまえば、その不幸を回避することができるという[35]

 ジプシーたちは、馬の右の前足の蹄に男性を表す十字のしるしをつけ、左の前足の蹄に女性を表す輪のしるしをつけるなら、馬が迷い出て行くことを防止することができると信じていた[36]。それは、性的なシンボルがお互いに引きつけ合って、足かせと同じように、馬の足の自由を奪うことになると考えたからだった。

 現在でも支配者たちは、右手に「男根」を表す笏を持ち、左手に「女陰」を表す十字架つき宝珠を持つのがしきたりになっている。このしきたりは、昔の王が、自分とその国の女神との聖婚を象徴的な形で誇示したことに由来している。本来の意味は、男性原理と女性原理が王によってひとつに統合されたということだった。しかし、この意味は消失し、シンボルだけが残ったのである。



[1]Elworthy, 138.
[2]O'Flaherty, 147.
[3]Cavendish, P. E., 259.
[4]de Voragine, 208.
[5]Hazlitt, 417.
[6]Sagan, 185.
[7]O'Flaherty, 148 ;Knight, S. L., 33 ;Larousse, 371.
[8]Assyr. & Bab. Lit., 420.
[9]G. R. Scott, 142-43.
[10]Pearsall, W. B., 240.
[11]Sheehy, 290-91.
[12]Campbell, Or. M., 202-3 ;Avalon, 164.
[13]Mahanirvanatantra, 72.
[14]de Lys, 162.
[15]Robbins, 209, 421.
[16]Pepper & Wilcock, 258.
[17]Shah, 382.
[18]Hazlitt, 8.
[19]de Lys, 452-53.
[20]de Lys, 168-69.
[21]J. B. Russell, 222.
[22]Elworthy, 100.
[23]Graves, G. M. 1, 175, 185.
[24]Scot, 163.
[25]Hazlitt, 2.
[26]Lindsay, O. A., 19.
[27]H. Smith, 39.
[28]Neumann, G. M., 184.
[29]d'Alviella, 27.
[30]de Camp, A. E., 130.
[31]Budge, E. L., 94.
[32]Legge 2, 195.
[33]Hazlitt, 66.
[34]Lea, 248.
[35]Budge, A. T., 323.
[36]Bowness, 41.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)