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セックス(Sex)

sex.jpg 監督制教会神学校のジョウゼフ・フレッチャー師によれば、「キリスト教会は、西欧文明におけるセックスを取り囲んでいる困惑、無知、罪悪感に対して多大の責任を負わなければならない。……キリスト教会は、その最初期の原始キリスト教時代から、カトリックにせよ、プロテスタントにせよ、多数の禁欲的な人々によって支配されてきたが、彼らはセックスを生得の悪とみなしている」[1]

 他の者は彼ほど寛大ではなく、キリスト教会は単に「多大の」責任だけではなく、責任のすべてを引き受けなければならないと率直に述べている。R・E・L・マスターズは「魔女狩りのような恐ろしい悪夢に対する責任のほとんどすべて、そして西欧の性生活を毒した責任の大部分は、明らかにローマ・カトリック教会にある」[2]と明言した。残りの責任は多分、新教教会にあるといえよう。というのは、人間にセックスを嫌悪または恐れるように仕向ける何らかの努力を払った制度は、西欧文明においてはキリスト教以外にはなかったからである。

 キリスト教徒がセックスを嫌悪するようになったのは、まず教父たちが原因で、彼らは神の国が築かれるのは、すべての者が独身生活を送って人類が滅亡したあとであると主張したのであった[3]。マルキオンはすべての生殖行為をただちに断つべしと宣言した。聖ヒエロニムスは「性の快楽の種子を宿しているものはすべて毒とみなせ」と命じた[4]。聖アタナシウスはキリストのもたらした大いなる啓示と恵みは、純潔という救いに導く思寵を認識することであると言明した[5]。テルトゥリアヌスによれば、純潔は「男が、聖性という偉大な財産を取引きするための手立てであり」、一方、性交のために結婚さえも「猥褻な」ものとされた[6]

 アパメアのヌメニウス*は、性行動をすべて完全に断って初めて、神とのの合一が可能であると宣言した[7]。聖アウグスティヌスは「肉欲」が原罪の根源であり、アダムの罪をすべての世代に伝えるものであるという説を述べた。こうして彼は、以降1600年間、少なくとも理論の上では、教会が禁欲を守ることを決定づけた[8]。彼はまた、結婚していても性交は罪がないわけではないとも語った[9]。この教義は彼が考え出したものではなく、グノーシス派マニ教徒から受け継いだもので、彼はキリスト教に改宗する前はこの宗派に属していた。グノーシス派によれば、は「全世界を火と化する愛と肉欲の神秘」のため、肉の罠にかかっている。この教えは究極的には禁欲的なジャイナ教のヨーガ行者たちに由来するものかもしれない。彼らは次に引用する『ヨハネの第一の手紙』と類似の訓戒を課した。「世と世にあるものとを、愛してはいけない。・・・…すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、の欲、持ち物の誇りは、父から出たものではない」(2:15-16)[10]

*アパメアのヌメニウス
 紀元2世紀にシリアで生まれた、新ピュタゴラス派およぴプラトーン派の哲学者。プローティーノス派に影響を与えた。

 以上のような見解は時が経つにつれて揺るぎないものとなった。中世の神学者たちは、性により「人類は破滅し、性のために楽園を追放され、キリストは人類のために殺された」と語った[11]。異端審問所の裁判官はその手引書で、次のように教示している。女の「肉欲」は魔術や悪魔崇拝の原因である、というのは神は、「人間の他のすべての行為にもまして、性行為に対する支配力をその本来的な淫らさの故に、悪魔に与えたからである(性行為によって原罪が受け継がれていく)」[12]

 教会は、性的快楽よりも極度の肉体的苦痛を選ぶほどに性的禁欲を守った聖人たちの物語を流布させた。隠者聖パウロは暴君デキウスに手足を縛られ、娼婦の淫らな愛撫になす術がなかった。彼はペニスが勃起し始めると、「自分を守る武器が何ひとつないので、舌をくいちぎって、その淫らな女の顔めがけて吐き出した」。聖列に加えられた教皇レオは、「ある女性が手に接吻して彼が肉欲への激しい誘惑を感じた」とき、その手を切り落とすほどに潔癖であった。しかし驚くべき幸運に恵まれ、聖母マリアのお陰で元通りにくっついて、以前と同じく宗教儀式を執り行うことができた[13]

 セックスを中心的な秘事として、太女神とその配偶者たちの合一を演ずる多くの異教的な宗教を、初期キリスト教会は口を極めて攻撃した。テルトゥリアヌスは「エレウシースの売春」を論難し、エウセビオスは「口にするのもはばかられる、密儀・不義・浅ましい肉欲を事とする儀式」を断罪した。しかしプラトーンとその同時代人は、性愛の神エロースを「諸神のうちで最も尊崇に値し、その栄光は並ぶものなく、現世と来世とを問わず、人類に徳と至福を賜わる最大の権力者」として崇めた[14]

 太古以来、ヨーロッパの異教徒はその宗教にセックスを組み入れた。古代ゲルマン語のLustという言葉は「宗教的な喜び」を意味した[15]。古代ノルウェー人は聖なる祭礼の日にキリスト教徒が「淫らで恥ずべき」と形容した歌を歌い、同じく「女の腰振り」と称した、腰をくねらせる踊りを踊った[16]。彼らはこの歌と踊りが万物の豊穣には欠かせないと信じて、棄て去るのを拒んだ。キリスト教に改宗した初期の王たちのもとでも、天候不順のため作物が不作となると、農民たちは、これは古くからの神々を祭ることを蔑ろにした罰であると信じて疑わなかった[17]

khajuraho.jpg 性欲が尊重されたのは、女性原理に自由や名誉が授けられていた文化圏においてであった。たとえばエジプトでは女は思いのままに恋人を選び、言い寄った[18]。エジプト人は性交を「女を十全に知ること」と言い、1つの喜びとみなした。賢人は男たちに、婦人や妻を手荒く扱ったり、追い使うようなまねは決してしてはならないと勧告した。「喜び」を分かちあった相手にそんな理不尽な仕打ちはできるはずがないというわけである[19]。これと類似のことはタントラ経典にも見え、そこでは性的至福と、絶えず宇宙に生命を生み出している女神と男神の至福とが同一視されている[20]。ヒンズー教徒によれば、女との性交はまさに女神との結合の謂であり、「女神パールヴァティとの性交は」、罪深いどころか、「すべての罪を滅ぼし尽くす1つの善である」[21]

 しかしキリスト教の見解では、この世にをもたらしたのは女であり、セックスにより人は死すべきものとなった[22]。アダムは不死のものとして創造されたが、イヴにセックスを教えられたとき、彼はその無垢と不死を喪った。すべて女はイヴの生まれ変わりである、とテルトゥリアヌスは語った。「例の木の封印を解いた者」であるイヴの存在自体が「神の似姿である人間」に破滅をもたらした[23]。女は死後も危険な存在であり続けた。ある初期の教会勅令は、女の死体が腐って誘惑できなくなるまでは、男の死体をその傍に埋葬することを禁じた[24]

 聖ヨハネ・クリュソストモスによれば、男は女を正視することに「耐えられない」[25]。聖アウグスティヌスのある伝記作家は、「彼はその大いなる聖性のゆえに、女性の顔を見るのは気がすすまなかった」[26]と当然の如く想定した。聖アウグスティヌスの原罪論はその快楽否定と苦痛礼賛説により、キリストだけではなく西洋世界すべてを苦しめることになった[27]。今日でさえ、西洋諸国で生まれ育った者が、セックスは天与の喜びを経験すること、または天国の予見であるとする古代世界の見解を理解することは、そのような見解に慎重に、労を厭わず、知的な方法で近づくのでなければ、まずむずかしい。

 キリスト教の反性欲観によって責苦を味わったのは西洋諸国だけではなく、オセアニア、アフリカ、極東の大部分の国々もそうであった。キリスト教宣教師が赴くところ(つまりあらゆる土地ということだが)そこの住民は、彼らの性に対する一般に健康的な態度が間違っていて、罪深いものであると告げられた。ある宣教師はバンツー族の収穫祭はバッカス祭であると記述した。「この祭りをみていると恥ずかしくなってくる。普段は言葉も行ないも慎み深い男女も、この時とばかり放埒の限りを尽くす」。次のような報告をした宣教師もいた。「私はバダゴ寺院の前で舞踊または寸劇仕立てのこの上もない野卑な演技を見たことがあるが、その不道徳さを問い質すと、『神はこの演技をいたく喜ばれるのだ』との説明を得た」[28]

 マレー半島に派遣されたある宣教師は、原住民はいわゆる「肉欲」のすべてに耽っている、ただし強姦は例外であるが、と述べた[29]。彼はこの見解をさらに押し進めて、祖国ではほかならぬこの強姦が頻発していることに思い及ばなかった。しかし今日の心理学者たちは、強姦にいたるような女性増悪を生みだす帳本人は性的抑圧であると理解し始めている。西洋の思想家たちが、肉体の快楽の必要性を文化の面から抑圧すると必然的に残虐行為という歪んだ形で現れる、という事実を飲み込めるようになったのはつい最近のことである[30]

 女性と子供に対する虐待は、禁欲の度がより少ない社会において通常女性と子供に示される愛情に取って代わる、初期キリスト教徒が用意した代用物であった。『便徒定款』**は子供に容赦ない体罰を加えることを要求した。父親(母親ではない)は次のような教訓を得た。「躊躇せずに子供を叱り、厳しく子供を罰せよ。……子供に神の御言葉を教え、鞭で打ちすえてでも行いを正し、服従させ、幼児期から聖書を教えよ」[31]

『使徒定款』**
 正式書名は『クレメンスによる聖使徒法令集』。使徒とその直接の後継者たちが制定した教会法と称しているが、偽造文書。実際にはこの文書は、4世紀末に名前の判っていないあるシリア人の手になったものである。

 最近の実験によれば、(動物の)性反応を抑圧すると攻撃的で残酷な行為にはしり、一方、性的に寛大な状況であれば平和的な共存が保たれることが判明した。攻撃性と性欲は共に共通の原因による、と理論化した研究者もいるが、実験結果はこの考えを支持していない。それどころか、一方が他方を抑圧しているように思われる[32]。キリスト教は全ヨーロッパを性的抑圧の広大な実験場としたが、予想通りの結果が出た。歴史上最も残酷な時代の1つに生きたサー・トマス・ブラウン(1605-82。イギリスの医師。名著『医者の宗教』などの著者)はほとんど全面的なセックス拒否論者であった。「人間が木々と同じく結合なしに子供をもうけることができたら私は満足なのだが。つまり、この結合という瑣末で野卑な方法によらずに『世界』を永続させる方法があればということだ」[33]

 1721年にボーモントは敬度な信者たちに、性的快楽は、かすかなものでも、または不本意なものでも、すべて退けるように命じた。

 「口中に突然甘美な味覚を覚えたり、乳房に火のような熱さを感じたり、つまり身体のどの部分にせよ快楽を覚えたら、あるいはまた、上述のような知覚により快楽や満足を感じたため、あなた方の心がイエス・キリストに深く思いをいたすことがなくなり、精神修養を疎かにしていると気づいたなら、そのときは、この感覚は『悪魔』がもたらしたものではないかと大いに疑ってよい。それ故、この感覚が得も言われぬほどすばらしいとしても、なおそれを退け、断固として受け入れてはならない」[34]

 性衝動の抑圧は19世紀末まで、西洋における道徳の根本原理であった。たとえばウィリアム・F・オルコット博士***は厳然たる口調で、夫婦といえども性行為はに1回以上行ってはならないと述べた。これ以上の回数に及ぶのは「結婚生活の堕落」であった[35]。何世紀にもわたって教会は、夫婦間のセックスはできるだけ快楽とは無縁なものにすべきで、女性のオルガスムは見苦しいもの、否、悪魔的なものでさえあると主張した。「正常位」missionary position(宣教師が伝えた体位)は、とくに妻にごくわずかの快楽しか与えないため、許された唯一の体位であった。

ウィリアム・A・オルコット博士***
アメリカの医者。彼は『若い妻』(1837)と『若い夫』(1839)の2著を世に送り、新婚夫婦に指針を与えた。

 上述のような性教育が普及したため、「立派な」女性にはセックスを嫌悪する者が多かった。バートランド・ラッセルは最初の妻について次のように語っている。「妻は、当時のアメリカ女性の例に漏れず、セックスは汚らわしいもので、それを嫌悪する女性は多く、男性の獣の如き性欲は幸せな結婚生活を送る上での主な障害である、と考えるように育てられた」[36]

 誤って聖ディオニシウス作とされている『神の様々なる御名について』というキリスト教聖典によれば、「愛」という名は神にはふさわしくはない、「なぜなら神は愛の対象とはならず、ただ崇拝することができるだけだからである」[37]。愛は罪びとに委ねられ、「キリスト教はエロースに飲み下すべき毒を与えた。エロースはその毒で死にはしなかったが、堕落して悪徳となった」という二一チェの意見を支持することになった[38]。愛すなわちエロースは、西洋のモラリストたちが決して暗示することのなかった意味合いにおいて、男の精神面の進歩に不可欠の要素であるという考えが出されたのもつい最近のことである。男は合理的に確立された予定通りにはいかない過程である恋愛に陥ることによって、「新たな精神面」に達することがある。西洋社会は、喜ばしき「本能に関する」道徳をいかにして各個人に教えこんだらいいか、理解していない。幼少の頃からこの問題に取り組む機会があるにもかかわらずである(成人の道徳観を是正する機会は言うまでもない)。しかし、最愛の者に対する男性の情熱的な関わり方は、真摯なものであれば、世界、自分自身、善悪、個人と他者の関係、他者に対する個人の責任などに関する彼の見方が根本的に変わり、進歩することがある[39]

 父権制社会における宗教は、上述の情熱的な関わり方の誘因となり、またそれに反応する女性の肉体の本質を破壊するのに専念してきた。女性の性欲ないし快楽は一般に夫婦関係に害をなすものとみなされた[40]。エステの枢機卿に献呈された、セックスに関するキリスト教会の標準的な著作である、シニバルディの『ゲネアントロペイア』(17世紀)によれば、女性はセックスを享受すると、妊娠できない[41]。19世紀末まで、「立派な」女性は性の快楽について何も知りたいと思っていないと考えられていた。女性が知りたいという意向を示すようなことがあれば、酷くいじめられることもあった。婚約者の貞操を試すには、彼女が誘惑に対して「ふさわしい嫌悪感」をもって反応するかどうか確かめればよい、というのがトマス・ブラナガン(1808年に『回復された女の美点』を著したアメリカ人)の若者への忠言であった。もし彼女が唯々諾々として受け入れるように見えれば、婚約解消ということになる[42]

 トマス・バウドラーという名前は、聖書やシェイクスピアなどの作品から猥褻語をすべて除去する際に彼が払った敬虔な労力を表す代名詞(bowdIerism)となった。彼は、女性が昔から行ってきた病人または子供の世話について、作品の中で言及することにも道徳的な根拠から反対した。「どんな女性にせよ、一寸でも近づいて来られると男性がどんなに嫌悪感を抱くものであるか少しでも理解している女性はわずかである。……子供部屋や病床で世話をする女性は、上述のような事柄について、繊細な男性がショックを受けるような言葉で会話をする習慣をあまりにも身につけがちである」[43]。男性はその「繊細さ」の故に、男性の書いた本と女性の書いた本は、著者同士が「たまたま結婚する」のでなければ、それぞれ別の書棚に置かなければならないという命令まで出した[44]

 ヴィクトリア朝の性の権威であるウィリアム・アクトン博士は、「いわゆる男性の生殖能力を造りあげているすべての不可思議な感覚」に対してあらゆる賞賛の辞を惜しむことはなかった。この男性の生殖能力は「男性に、自分が威厳に満ちている、つまり家長、統率者としての特性を備えているという意識、そして自分が重要な人物であるという意識を与えるのに必要だと思われる」特質であり、「この意識は彼の家族の、そしてその家族を通じて社会そのものの安寧に必要不可欠なものである。この男性の生殖能力は力であり、特権であって、男性はこれを誇りに思っているし、また思うべきである」。しかし女性はその性的本性に男性のように誇りを抱くことは許されなかった。「概して」とアクトンは語った、「慎み深い女性が自らの性的満足を求めるのは稀である。彼女はに服従するが、それもを喜ばせるためにである。母親になりたいと思えば別であるが、の求愛などはない方がよいと思うであろう」。しかしアクトンは、彼の立てた規則から外れる、悲しい女たちがいることを認めていた。離婚法廷に立たされ、あるいは精神病院で「淫乱症と呼ばれる精神錯乱」を病むこの種の女たちの姿を目にすることができた[45]

 淫乱症のレッテルを貼られ、ヴィクトリア朝の精神病院に監禁された女性のなかには、何らかの機会に、自分にはオルガスムがあることを発見するにいたり、男性はそのことを知りもしないし、また気にもかけないということが判っで愕然とした経験を持つ女性が多かった。フロイトの、女性の性欲観も全くの誤謬であった。50年以上にもわたって医者は、盲目的にフロイトの解釈に従ったために、絶えず何の目的も持たない性欲を覚え、ついには全くの欲求不満からセックスを拒否する「不感症の」女性 が何故こんなに多いのか怪しみ続けた。「女性の性欲に関するフロイトの古典的な理論すなわち、ダブル・オルガスム(女性はクリトリスまたは膣がオルガスムを感じる)という考えを実際に試してみて全くの誤りであることが判明したのはつい最近のことであるのは注目に値する」[46]

 20世紀になっても、19世紀に比べてそれほど啓蒙されたわけではなかった。世紀の変わりめ頃の、最高権威書であった、ストールの結婚の手引きに関する著書は、社会が女性に押しつけた性的無知のゆえに、女性そのものを非難している。の性的欲求を理解できない妻は、「知識と思いやりの欠如ゆえに」非難してしかるべきものとされた[47]。しかし男性の知識と思いやりの欠如は文化の一部であった。

 「セックスを前提として言い寄ってくるときや、性交時の男性のぎこちなさ、粗野、無能、また男性に前戯の技巧がないこと、およびその意味を理解できないことなどに向けられた、よく聞かれる女性の不平は、多くの男性が幼児期にスキンシップがなかったことを事実上反映しているといっても過言ではなかろう。多くの男性の、女性や子供の扱いが粗暴であるのも、彼らが幼児期に肌の触れあいがなかったことをさらに証拠立てるものである。というのは幼児期に優しく愛され、愛撫された者が、女性または子供に特別の優しさで接するようにならないとは考えにくいからである。『優しさ』という言葉そのものが柔らかさ、思いやりのある手ざわり、世話、を暗示している。あのおとなしい動物であるゴリラは、女性が平均的な男性の性的な言い寄りを描写したいと思う時、不当にも、醜悪で粗暴な男のたとえとして最もしばしば用いられる存在である。セックスは、深くかかわり合っている人間関係において、深い意味を持つ、相互理解のための行為というよりも、むしろ緊張を解くものとみなされているように思われる」[48]

 強姦の犠牲者である、ある現代女性は、自分のセックス観を次のように述べた。「セックスは、男性にとっては、完全に自らのオルガスム達成に向けられており、性交とオルガスムのない場合、うまくいったとはされない。こんなことは馬鹿げている。なぜなら私にとってのセックスはもっと官能的で、もっと情緒的な経験である。セックスとは単に肉体のある特定の一部分が刺激され興奮し、終わり、うまくいったか失敗か、というものではない」[49]。女性に注意を払わないように文化的に訓練されている男性が、女性は「愛」という言葉によって何を意味しているか、彼女が説明しようと努めたときでも、理解するのは稀であった。アメリカ人の性行動についての、あの有名なキンゼイ報告も、その索引に「愛」の項目を載せなかった[50]。女性と接する際のあらゆる形態の愛を統合する、タントラのカルナkarunaのような概念はアメリカには存在しなかったのは確かである。もっとも現代女性は、この概念が遠い昔に解明されているのに気づかず、時にはその概念に向かって手探りで進む。

 「妊娠は複雑な心理的過程であり、その過程にある女性は、セックス以外で自分の自由になるすべてのものによって性欲を満たすことができるが、これはちょうど彼女が胎児に栄養を与えて胎児を満足させるのと同じである。胎児がいないときは、お互いを包み込むような情交によって、妊娠中は胎児によって満たされている心の空間をうめることができる。しかし、セックスがこのコンテクストを離れると、単なる『行為』にすぎない挿入と、複雑な心の空間の中にまで入り込む挿入との間の相違は、まったく想像を絶するほど大きなものとなりうる……。

 たいていの男性にとって、この問題はそれほど真実味があるようには思われない。彼らにはセックスの最もはっきりした目的はオルガスム、すなわち、しばしば他の種類の親密さの代用となる、あの強烈な肉体的親密さと満足を感じる瞬間、である。おそらくこれがさまざまな理由のうちの1つとなって、男性は、女性を性的に満足させることにたいへん関心をもつようにみえ、また、その満足を、もし自分たちが女性であったら何が自分たちに満足を与えるであろうかという観点から、解釈しているようにみえるのであろう。これがまた、多くの女性から性の喜びを十分に感じることができない、と男性が考えているように思われる理由の1つかもしれない。女性が永久に不満足のままであり、あるいは男たちが言うように、『飽くことを知らない』ままである領域はおそらく、彼女の性欲が、彼女の存在の、あの、より複雑な心理的・性的領域に密接に接している部分であろう」[51]

 女神像を禁止しなかった東洋諸国では、性欲に関する概念も幅広いものであった。

 「西洋人は性交を、現在も流布している極端に単純化した生物学的概念に従って、緊張・欲望・解放の問題とみなしている。『キンゼイ報告男性篇』に登場するある男性は、何年にもわたって毎日30回以上の頻度数を記録し、アメリカで一種の大衆的英雄となったことは周知のことである。このような状況では、性愛はせいぜい共に享受したオルガスムの頻度数の問題でしかなくなる」。

 「インドの伝統的な精神にとって、このような態度はグロテスクで痛ましい限りである。世間並みの男でさえもこのような陳腐な考え方は馬鹿げていると認めていた。……18世紀のインドの娼婦たちはヨーロッパの男性の貧弱な性戯を嘲り、彼らを『ニワトリ』dunghill cocksと呼んだが、ニワトリの交尾は数秒で終わるからである。最近の性科学における進歩にもかかわらず、セックスに関する、ヨーロッパの選りすぐった外面的な説明は、無限に錯綜した人間経験の、間に合わせ的で不毛な合理化に執着し、いまだにセックスをオルガスムの追求とみなす傾向がある。伝統的なインドはそうではなかった」[52]

 インドのそれに似た、セックスに対する神秘的または詩的な見方は、「卑猥な」dirtyまたは下劣な見方よりも、はるかに清教徒の自意識を傷つけたように思われる。マリー・ストウプス博士の『夫婦愛』は1918年にイングランドからアメリカ合衆国に輸入されたが、主として次に挙げる、うわごとを言っているにすぎないような個所を理由に、猥褻のかどで発禁本となった。

 「絶頂に達すると、半ば失神にも似た流動感覚が、男と女が共有する永遠の一瞬の間、精神を圧倒し、2人の全精髄を燃え上がる潮流の中に押し流す。そして言わば、肉体の触れ合いが発する熱が、2人の意識を蒸発させ、それは全宇宙を満たす。その一瞬の間、2人は、神の思考、すなわち、神秘主義者にはしばしば黄金の光として顕現する、波なす永遠の力、と同一のものとなる」[53]

 ヨーロッパの男性がその性的鈍感さのためインドで嘲笑の的となって以来、セックス観も多少とも進歩した。しかし最近、研究考たちが発見したセックス観は「ヴィクトリア朝人のそれと同じく歪んでいる。何故ならそれは今もなお、非現実的な期待と、時代遅れになった過去の性行動の規範に覆われているからである。現実よりも、途方もない空想がその基調となっている。敵意、不安、罪悪感が緩和されるどころか増大している」[54]。意義深いことだが、ある男の著述家は男の性欲を、愛がなく、に中心を置き、社会の基礎を破壊しかねないものとみなしている。

 「現代の工ロティシズムは、女性を性に関して解放しようと試みているが、それは『男の側の』性欲観に従ってである。性愛をその純粋に性的で愛のない相において復権しようとする現在の努力は、真に女性の側の性愛観とはまったく矛盾している。……この2つの性愛観の対立は、タナトスすなわち究極的には混乱と破壊ととを招来する欲動と、工ロスすなわち2人を結びつけ守り合おうとする、愛に満ちた性愛欲動との対立にほかならない。……結局、西洋社会において、今のようにタナトスを過度に強調していると、社会の基盤そのものを破壊してしまう恐れがある」[55]

 男性の支配する社会の破壊性に釣合いを持たせるのに効果的なものは、女性原理の認識以外にはあり得ない、とジョルジュ・サンドは言った。「愛と献身、忍耐と哀れみが真の住みかを見出すのは、これまでもそうであったように、これからも、とりわけ女性の心のなかであろう。狂暴な激情の世界では、慈悲という美徳を保ち続ける義務は女性の肩にかかっている。……女性がその役割を果たすのをやめたとき、生はに屈するであろう」[56]。現代の思想家たちもセックスを、愛情、優しい心遣い、そして他の人々の感情的欲求に対する敏感さと統合できる女性の徳性を、社会が重要視しなくなったことを遺憾に思っている。男性支配の社会は男女双方の性衝動に、本質的に関連のない罪悪感、恐怖、怒り、そしてその結果として生じる攻撃性などの重い負担をかける傾向があるとしばしば言われてきている。たとえばいくつかの形態の「慰み事」が、新しく生まれたおおらかさにつけこみ、性的成熟を目的とする大規模な社会教育に、心をかき乱すほどサディスティックな要素を導入しようとしている。「今日の性欲を亢進させるような風潮を嘆くよりも、性欲と統合された諸感情は、我々が是認する感情であると講け合うように努めることに時間を割いた方が有益であろう」[57]

 1966年、イニス・ベアグ島のアイルランド系の島民に関する人類学的研究によって、島民の性生活において、19世紀のキリスト教の父権的パターンをもつ小型の文化が続いていることが明らかとなった。女性はオルガスムを経験しなかった。女性はセックスを享受するよりも耐えるように訓練されていた。男性はいつも数秒で果てた。節度というものが抗しがたく両性の心を占めていた。も妻も相手の裸体を見たことはない。前戯は寝巻の上から乱暴になでまわすだけであった。正常位Venus Observa以外の体位はとらなかった。

 婚前交渉は事実上行なわれなかった。というのは若いカップルが2人だけになることはなかったから。旧式のデート方法である「散歩」さえも許されなかった。若者は性に関する知識はいっさい与えられなかった。結婚してから「成行きにまかせればいい」と島民は悪びれずに語った。

 男たちはしばしば小船に乗って海に出るが、泳ぐために人前で服を脱ぐのがいやで泳ぎを学ばなかった。「海水浴」というのは、服を着たまま海中を歩くことを意味した。海水浴をする男女は厳しく分けられた。男性は病気になったり負傷しても、本土の病院に行くよりもを選んだのであった、というのは病院に行けば看護婦のに自分たちの身体をさらすことになると考えたからである。

 イニス・ベアグ島ではイヌでさえも、陰部をなめたり、他の「卑猥な」振舞いをすると答で打たれた。『ライフ』や『タイム』などのアメリカからの輸入雑誌もポルノである、と聖職者は非難した。女性の「神秘」に対する恐れも明白であった。男性の考えによれば、女性がとくに危険である出産後 の何か月もの間、または月経期間中は、男性は性交を控えた。厳しい抑圧のため、過酷な犠牲を強いられ、気短かになったり、アルコール中毒にかかったり、粗暴になったり、しばしば精神の動揺を来したりしたのは想像に難くない[58]

 逆説的だが、性行為を禁止し無視すればするほど、男の中には一層恐怖心が生じるように思われる。父権制社会の禁欲的な倫理は、性に対する態度を男が望むように整えているように思われるが、この倫理は男にとってもうまく作用していない。ある精神病医は次のように語っている。「人目に触れぬ診察室で我々はときどき大の男たちが苛立つのを目のあたりにし、また女性というものは保護すべき臆病な存在などではなく、まるで海の如く力強く、運命と同じく逃れられないものであるかのように、不安と恐れと畏怖の入り混じった口調で、彼らが女たちのことを語るのを耳にするのである。……男は女と面と向かい合うと、おびえたり、相手が自分に反感を抱いていると感じたり、また、相手に支配されていると思い、うろたえたり、はては自分が不必要な人間だと感じていることもあるように見えるのである」[59]。ある男の著述家は、男の性的感情に関する啓発的な一節において、女性Womanを「それ」itで表しているが、一方、「女性の前に出たときに感じるどうしようもない無力感」と、女性には「畏敬の念を起こさせる力がある」と感じさせるものがあると認めている。これは一見したところ、普通の女性にとっては誇張した言葉遣いと思われる。

 「我々は女性の全体をありのままas it isに語るわけにはいかないから、性的魅力に関する標準的な諸定義が必要となる。これらの定義を、我々は対象を扱いやすい大きさに切り取るのに役立つ『手がかり』の形で手にする。我々は胸や黒い下着に目をやり、これによって話の対象となっている女性の全体像を考慮に入れる必要が本当になくなる。……我々は女性から畏敬の念を起こさせる力を奪い取ることによって、彼女の前でのどうしようもない無力感を克服するのである」[60]

 「性的魅力」を表すシンボルは、社会によって作り出され教え込まれる。人間の生理的反応が、実際に抽象的なイメージに象徴化されうると悟ることがいかに奇異に思えるとしてもである。「ある人間の性行動は主として生来の要因によってではなく、学習によって決定される、というのは今日では自明の理となっている」[61]。広く行き渡っている伝統的な知恵と、それが成長期の子供に及ぽす影響によって、大部分の人の場合、自分の肉体を天国とみなし、セックスを享受するか、あるいは肉体を地獄とみなし、セックスを嫌悪するかが決まる。西洋ではそのセックス敵視により、セックスを嫌悪または地獄視する傾向のある人間が多数生み出されてきた。このことはある精神病患者の次のような言葉に典型的に表れている。「どういうわけか私はいつも性交は人間にとって大変な恥辱であると考えている」。また、ある女性患者は自分の肉体を「嫌悪すべき包被」と呼び、「この外被を引き剥がせればと思う。この愚かな肉体がなければ、内と同じく外も汚れなしと感じられるのに」と語った[62]

 妻、母、養育者、慰撫者という女性の身体のつくりに適した複雑な役割にほとんど価値を認めない社会にあっては、女性たちはその肉体のイメージゆえにとくに困難な状況にあり、彼女たちが支配的な男性の価値体系を完全に受け入れてしまうと、前述のさまざまな役割を果たすのを止めてしまうこともある。彼女たちが伝統的な「女性特有の」役割を捨てるのは強情のゆえでもなく、例のフロイトが唱えた馬鹿げたペニス願望のためでもない。男と同じく、女もたいていは社会がその価値を認め、報いてくれることをしたいと思う。妻-母の役割が軽視される、いやそれどころか非難される(西洋世界においては過去2000年にわたってそうであったのだが)、のであれば、彼女たちが別の分野で確かな業績を収めようとするからといって責められるいわれはまずない[63]。我々の社会では一般的な評価基準は金の多寡であり、いわゆる妻-母親業は一切金にならないのである。

 「母親」に対する過小評価は娘と同じく息子にも影響を与える。というのは社会の期待に応えようとする母親の態度は必然的に子供たちに深い印象を植え付けることになるからである。「精神医学的観察の示唆するところによれば、人間の性行動は、その成長期に社会から与えられたものの性質に従 って、巧緻な方法で形成される」。そしてまさに母親というのは社会から与えられた主要な存在である[64]。チョドローフによれば、現代の教養ある男性は、「自分と一番親密な関係にあり、ごく白然にその身になれる人間、すなわち母親と自分を区別する努力を通してしか、まず男としての主体性を確立できないという不幸な状態にある。彼の努力は普通、女性の中や自分自身の中に存在する『女性的なるもの』すべてを排除するというかなり原始的な形をとる」[65]

 性の成熟は、その過程のほとんどすべての段階に現在もなお恐怖感と罪悪感を付与している伝統宗教によってさらに妨げられている。自慰は性別を問わず、正常なオルガスムに達する能力を開発するのに必要であるという最近の証拠を無視して、教皇パウルス六世は、1976年に行なった性の倫理に関する宣言において、自慰は「ゆゆしき道徳上の乱れ」であると断言した。さらに、結婚の枠の中で、子供を生むという「最終的事実」があって初めて、セックスの「道徳的効用がまっとうされる」のである。換言すれば、セックスは快楽ではなく赤ん坊を生み出すものでなくてはならない[66]。婚前交渉については、ノーマン・ヴィンセント・ピールは、2人がいかに深く愛し合っていてもそれは大変な罪であると断言した。この罪を犯した2人は、期間を延長した霊的「治療」なくしては許されない[67]

 今日の通説では性欲は、「生物学的または生理学的欲求とはほとんど関係がない。……性的衝動は、厳密な意味における生理学的要因によるというより、社会的文化的要因にもとづくものである」[68]。それゆえ現代社会の広範囲にわたる見苦しい、あるいは残酷な性行動パターンを考慮して、社会が教え込んでいることについて真剣な検討を促すべきである。1972年、ワシントン首都警察性犯罪課主任は次のように報告した。「新聞は報道したいことだけを載せる。私は各紙に、自分の男の家族に性病をうつされて警察にやって来る7、8歳の少女たちのことを話してある。恐ろしいほどの数の11、2歳の少女たちが実父に犯されて子供を生んでいるのです。しかし新聞はこういう事実を印刷しようとはしない。これらが確かに胸の張り裂けるようなおぞましい出来事ではあっても、決して煽情的なものではないからだ」[69]

 猥褻行為およびポルノに関する委員会の報告の結論は以下のごとくである。「セックスについて率直にそして端的に語ることができないと、セックスを過度に強調し、不可思議で不自然な要素を与えることになる。このようにセックス論議が自由にできないため、十分かつ適切に働く性機能をもつ大人になるように、子供や少年少女たちを教育するのが一段と難しい仕事となる。まさに我々の社会の基盤は、適切で正確な性に関する情報に根ざす、性に対する健康な態度にある」[70]。言い換えれば社会の基盤は、キリスト教の道徳律がすべての人間(男、女、子供)に知らせないようにと主張していた、まさにその情報の普及にある。

 今日の教会の大部分は性的成熟または性行動の指針を確立すべき責任をすべて放棄してしまい、信徒たちを混乱状態に陥れている。神学者たちは「キリスト教徒それぞれが自分で神の意志を見出す責任がある」と強調している[71]。もしそうだとすれば、キリスト教徒に教会は必要でない。


 冒頭の画像は、ステルツィングの画家、板絵「呪われた恋人」。
 恋人たちが生涯に享受した肉の快楽によって、蛆虫やヒキガエル、ハエ、サソリが群がっている肉体を表している。
 男女交歓に悟りの境地をさえ見ようとするヒンドゥーの教えと、いかに異なることか!(イメージの博物誌32『死者の書 — 生死の手引 — 』平凡社、1995.3.、p.040)。

 次の画像は、カジュラホ(Khajuraho)の寺院の壁面レリーフの一部。
 「猥褻」と見なされているせいか、画像を詳しく紹介したサイトがない。
 好き者らしいサイトではあるが、Temples of Love Khajuraho



[1]S. Harris, 255.
[2]R.E.L. Masters,xxvi .
[3]Lederer, 163.
[4]Mumford, 145.
[5]Bullough, 110.
[6]Fielding, 81 ;Jonas, 145.
[7]Boulding, 110.
[8]H. Smith, 250 ;Cavendish, P.E., 27.
[9]J. B. Russell, 284.
[10]Jonas, 73.
[11]Briffault 3, 494.
[12]Kramer & Sprenger, 167, 169.
[13]de Voragine, 89, 231.
[14]Lawson, 570, 606.
[15]Wilkins, 122.
[16]Oxenstierna, 223-24.
[17]Turville-Petre, 193.
[18]Fielding, 145-46.
[19]Hartley, 196.
[20]Avalon, 191.
[21]Edwardes, 52.
[22]Ashe, 178-79.
[23]Bullough, 114.
[24]Murstein, 76.
[25]Bullough, 115.
[26]de Voragine, 499.
[27]H. Smith, 228-29.
[28]Briffault 3, 199, 207.
[29]Briffault 2, 48.
[30]Elisofen & Watts, 11.
[31]Laistner, 31.
[32]Fromm, 190.
[33]de Riencourt, 102.
[34]Silberer, 284-85.
[35]Rugoff, 47.
[36]Barker-Benfield, 279-80.
[37]de Voragine, 146.
[38]Sadock, Kaplan & Freedman, 32.
[39]Gilder, 145-46.
[40]Bullough, 114.
[41]Simons, 141.
[42]Rugoff, 49.
[43]Perrin, 68.
[44]Bullough, 290.
[45]Marcus, .
[46]Gornick & Moran, .
[47]Stall, .
[48]Montagu, .
[49]D. E. H. Russell, .
[50]Mumford, .
[51]Bengis, .
[52]Rawson, .
[53]Murstein, .
[54]Steinman & Fox, .
[55]de Riencourt, .
[56]deRiencourt, .
[57]Nobile, .
[58]Marshall & Suggsch, .
[59]Lederer, .
[60]Becker, .
[61]Montagu, .
[62]Becker, .
[63]Mead, .
[64]Nobile, .
[65]Gornick & Moran, .
[66]Newsweek, Jan. 26, 1976.
[67]Ellis, .
[68]Nobile, .
[69]D.E.H. Russell, .
[70]Goldstein & Kant, .
[71]Murstein, .

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)