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盛夏

8月が一番暑い。

7月も暑いが,でも未だ暑い時期に入って,期間も少ないのでスタミナはある。

8月の暑さは夏ばて気味で余計に暑さを感ずるようになる。

京都特に関西地方では8月15日を中心にお盆である。

何処もが休んで,お精霊さん迎え先祖供養する,

これは昔から長く続いてきている良い習慣だと考える。

ついつい人間,自分一人でで生きていると考え勝ちになるのを,先祖のお陰もあって今生かされている

事を実感し,反省するのに良い機会ではなかろうか。

お盆の行事の一環として大文字焼きがあり、花火大会もあちこちで催されている。

最後に地蔵盆行事があって,暑い夏も終わり子供たちの楽しかった夏休みも終わりを告げる。





インターネットの普及

自分が始めてインターネットに接続した頃に比べるとかなりインターネットが盛んになってきている。

盛んに成ればなるほどにホームページを開設する人も増えてきた。

色んな人が色んな主張のホームページを開設され,自由に自分の考え,思いを発表出来ることは良いことだ。

森首相もIT(情報技術)に力を入れるとの話だから、政府が本気になってITに取り組む姿勢がみられて頼もしい。

パソコンは子供の頃より接していないと高年齢から使い出すとアレルギーを来たす可能性がある。

今の世代の若者達が早くからパソコンに親しんでおれば,パソコンの可能性をもっともっと引き出せるように思う。

小学校,中学校,高等学校もホームページを開く学校の数が増えてきている。

自分の出身の学校がホームぺージを開いていないと,なんとなく淋しく感ずるのは自分だけだろうか。

開いてある所だと,母校にわざわざに行かなくとも,学校でどのようなことをしているか,

又写真などが貼り付けてあれば在校時の頃と比較し,懐かしさが自然に湧き出てくる。

親戚の人,ご近所の人,友達、知り合いの人達などがどんどんとホームページを開設してくれば

どんなにか楽しいかと想像する。






戦争は語り継がれ,二度と過ちは犯さない

8月16日の天声人語より

 「父も体験した悲惨な戦争。その戦争で亡くなっていった人たちの魂を、私なりに子どもたちに語り、

子どもたちはまた次の世代に語り継ぐ。これは日本人として大事なことではないか」。

 歌人で作家の辺見じゅんさん(61)のことばだ。

『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(文春文庫)『レクイエム・太平洋戦争』(PHP文庫)など戦争をめぐる優れた作品を書いてきた辺見さんは、

自分がこれまで取材で知りえた戦争の実態を、2人の娘さんにできるだけ話すようにしてきた。

 上の娘さんは米国に留学した。

日本軍の真珠湾攻撃50周年の式典が全米各地で催された年、ある場所で彼女は、そこでのたった1人の日本人として集中砲火を浴びた。

「日本人は真珠湾を奇襲した。いま経済でも同じようなことをしている。日本人はひきょうだ」。

 娘さんはオロオロするばかり。ところが、居合わせたインディアンの少女がきぜんとして言った。

「あなた方に言う資格はない。あれは奇襲ではない。米国が日本の暗号を事前に解読していたことは、いまでは明らかになっている。

あなた方は、かつて自分たちを正当化し私たちを追い出したように、わざと日本を悪者にしただけじゃないの」。

 辺見さんに娘さんから電話があった。「真珠湾攻撃の本とか、日本国憲法とか、とにかく戦争に関する本を送って。

自分の国のことを私はなにも知らなかった。ママがあれだけ戦争について話していたのに、私の頭の中では素通りしていたらしいの」。

 『望星』9月号が〈「戦争」はもう語り継がなくて良いのか?〉という特集をしている。

辺見さんは、日本人は「健忘症」を装っている、と語る。――「もう50年もたった」というけれど、世界の人々、

とくに日本から被害を受けたアジアの国々の人にとっては「わずか50年しかたっていない」というのが実感です、と。


第二次大戦の体験をば子供の頃に経験している。

戦争自体が悪いことは誰でも判っている。戦争している同士はお互いの国が戦争している時には色々な理由があり

互いの国が正義の為の戦争をばしていたと考える。

視点を変えればいつも相手が相手の国が悪いことになってくる。

色んな止むに止まれぬ事情が有るも戦争すること自体「悪」である。

現在も各国軍備増強に備える国が多い,日本も少なくとも相手からの攻撃に対しての備え自衛隊がある。

アメリカでは,喧嘩で例えれば相手を殴ることが出来ても,殴られないような防具の研究開発が盛んにされていたが,

失敗した。(アメリカ防御システム・地域防御システム)それに対し ロシヤと中国は防御システムの開発に反対している。

当然だと思う。

相手を殴り痛い目に合わせれば,その反動で同じ痛い目をば自分が会うことがあればこそ相手を殴らなくなるのである。

それによるしか戦争の抑止力が今生きている私たち人間の世界ではないのではなかろうか。?






報道は何処の国でも,いつも公正におこなわれているのか


8月26日の天声人語より

 三文スパイ映画でも見せられたような感じだが、現実のこととなると、背筋が寒くなる。

ところが、いくつかの報道を総合すると、あの国では、あれは必ずしも異常な行為とは思われていないらしい。

 18日、沈没したロシア原潜クルスクの基地に近いビジャエボで、乗組員の家族らが救出の遅れを抗議した。

一人の母親が、担当のクレバノフ副首相に食ってかかる。

「いつまで耐えなければいけないのっ。あなたには子どもがいる? いないんでしょうね」

 海軍士官が近づき、なだめる。母親はふりほどく。と、背後に女性が回る。手に何か持っている。

注射器だ。突然、母親は倒れる。

――地元テレビ局が撮影した衝撃的な映像が、世界を駆けめぐっている。ただし、ロシア国内ではあまり放映されていない。

 「効き目」の速さ強さからみて、注射されたのは馬のための鎮静剤ではないか、との報道もあった。

安どするのは、母親の体に変調がないらしい点。現地時間の24日夜、彼女は自宅で英タイムズ紙に、「このままふたをされたくない。

悲劇が終われば私たちは忘れられ、すべての扉は閉じてしまう」と、抗議を続ける意志を語った。

 しかし、「副首相に会ったとき、私は取り乱していた」と、注射を重要視していない感じでもあった。

地元テレビの局員も「何でもないこと。

集団的な精神異常に対処する医師団がいて、これまでも注射をしてきた」と述べ、

海軍の将校は「われわれも投与を受けることがある」と説明したそうだ。

 対照的に旧西側世界では、あまりに人権無視の手段、との声が上がっている。

ソ連時代、反体制と名指しされた人びとのかなり多くが精神病院に送られ、大量の鎮静剤を投与された、といわれる。

精神医学の乱用の記憶がよみがえる。

 ロシア国内の反応は静か、とタイムズ紙。そう聞くと、さらに寒気が募る。



報道は常に公正でなければといけない。この報道が本当だとすればロシヤという国はひどい国だということになる。

でも本当にそうなのだろうかと一応は疑ってみる必要もあるのではないかと思う。

ソ連時代のこともあるので,でもそれも受け取っていたのが日本報道機関内での報道されたことからしか判っていない。

日本には報道の自由があるというものの,本当にあるのか又あったのだろうか正確にはわからない。

あまりも西側諸国からの報道ではこういった事は聞かなされない。

報道が制限されているから知られないのか,本当にないのかなかったかも,自分が直接に確かめようがない。

だとすれば報道されたものを信ずる以外に仕方がない。

やはりロシヤと言う国は我々が想像しかねるようなことをば今だにしている可能性がある国なのだろうか。?






場外での乱闘


プロレスでのリングから場外に降りての乱闘は見かける。

ルール違反を平気で行い,殴り蹴るの大乱闘は見世物として一応お面白い。

これが学会などで相手に勝つために,本題の論争をまともに論じ合うのでなく,

相手の言葉尻乃至感情的に攻撃するのを見かけることがあったが,それはその人の人格が疑われ

見苦しく醜悪である。それが名誉教授ともなり学会の重鎮ともなれば情けない。

多分そのような人はその地位に達するまでの習性が自然に出て来ているのだろうと考える。

同様のことを新聞・雑誌紙上でもみかけることがある。

記事のそばに 関連するような言葉・広告を載せ読者にインパクトを与えるといった手法がとられているのを

よく見かける。編集者は表面的には直接には判らない。

少なくとも本人が判らないと信じているからそのような卑劣なことが出来ると考える。

又身近では,言わんとすることを率直に言わずに間接的な方法で言い,貴方はこういったことを言いたいのでしょうと

聞き返してもそのようなことは言っていないと言う返事が戻ってくることがある。

これも一種の場外乱闘である。

このようなことが日常茶飯事にあちこちで行なわれているのをみかける。

「火事と喧嘩は大きいほど面白い」というような考え、気持ちを持つような人が考えそうなことで

毎日の日常の場外乱闘は建設的且つ正常な倫理観の持ちあわせていない人達の発想のようには思える





あっせん利得罪(2)


議員の あっせん利得罪が次回の国会に上程されるとかで話題になっている。

どんな立法化かは判らないが,議員も頼む人があるので色々と斡旋するのであって,

不正なことを頼む人がなければ斡旋しないだろうし,又公務員が無理な頼みに応じなかったならば

斡旋による利得は起きないだろう。

議員に頼む人とか,議員から頼まれた公務員の人たちは何の罪にもならないのだろうか。?

議員からすれば頼む人がなければあっせん利得罪に関係なく,

頼んだことが公務員によって実行されなければあっせん利得罪は成立しない。

頼む人,斡旋する議員,実行する公務員の一人でも欠ければあっせん利得罪は発生しない。

持ちつ持たれずの不正な関係が現在の世の中に完全に出来上がってのことである。

だとすればあっせん利得罪がせいりつしても議員が影に回り悪いことが行われるのではないかと考える。

議員に頼む人とか,議員から頼まれた公務員の人もそれ相当の罪になる法律を

作らないとあっせん利得罪の意義はなくなってしまう,

あっせん利得罪内に適用できなければ又別の法律でも作るべきだと思う。




随想



随筆,随想も同じような趣旨のようなものと考える。

思ったことを其の侭に筆に託して書きその時々により考えることも異なり,

筆のまま気侭に書くものだから何が書かれてゆくのか自分にも判らない。

読んだ方がその中で一つでも納得していただけるものがあればと幸いと考えている。

インターネット時代になって,こんなに楽に世間一般に自分の作品の発表出来る時代になって

ありがたいことだ。

随想欄に今まで゛の書いたものを見ていると世間・社会との関係していることが多い。

関心がどうしてもそちらの方に心が動いているということかも知れない。

世間との付き合い方も昔と変わりつつあるようだ。

手紙の代わりにいとも簡単にメールで考えの交換が出来るようになった。

手紙だと一週間近く交換に掛かっていたのが,世界との間で瞬時にメール交換が

できるようになった。

情調がなくなり味気ないと言われればそれまでのことだが,別にメリットもある。

入学試験 入社試験もある程度メール交換して,その人柄が判ってから面接試験を

すれば,かなりの順当な選抜が可能ではないかと思う。

会社によっては就職案内状請求,就職申し込みもインターネットで行われだしたと聞く。

パソコンは益々生活必需品となってきている。




やさしい心 (松下幸之助の言葉より)

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 あの人はどことなく豊かな、感じのいい人であるという場合、

それはその人の心が、その人の動作ににじみでているからだと思います。

これは非常に大事なことだと思います。

 ことに私は、女性の尊さというものは、やはり親切な心の表われているところにこそ、

ほんとうの尊さというものがあるのではないか、という感じがします。

ただ強いばかりではいけません。賢いばかりでもいけません。

賢い、強いということも、もちろん大切ですが、それ以上に大事なことは、心のやさしさなのです。

これはすべてのものをとかすとでもいうほどの力があるのではないでしょうか。

その力を失ってはならないと思うのです。



成る程に確かに其のとおりの話で判っていてもなかなかに常に実行が困難のようにも感じます。

これからも心のやさしさは常に持つように努力したいものです。



政治とおカネ



9月 4日の天声人語より

 米共和党の大統領候補ジョージ・W・ブッシュ氏は、大口の献金を携えた支持者に囲まれ、札束とコインに埋もれんばかり。

満足げな笑みをたたえていわく、「これぞ、私の言う『思いやりのある保守主義』です」

 風刺マンガのひとこまが、たけなわの米大統領選の一断面を伝えている。

共和、民主両党の資金集めぶりは、記録破りの勢いらしい。政治とカネの切るに切れない腐れ縁は、どこの国でも同じだ。

以下、現地で取材してきた同僚の報告。

 ワシントンの民主党全国委員会の担当者は語った。

「カネ集めは厳しく、苦しい。それをいとわずにやる候補者は、それだけ真剣ということだ。

政治家としてモノになるかどうかの判断材料にもなる。

政治にカネがかかりすぎることは確かだが、必ずしも悪い面ばかりではない」。

当事者の言い分が強弁の感を免れないのも、洋の東西を問わない。

 「ソフトマネー」と呼ばれる法の抜け穴がある。

候補者個人への献金「ハードマネー」には上限があるが、政党運営費などの名目なら青天井なので、これを流用するのだ。

「カネで政治家が買われ、政策が買われる。日本の『あっせん利得』の構造と同じです」。

政治資金の流れを監視する市民団体「コモンコーズ」のスタッフは嘆いた。

 一方で、成功した個人なり企業なりが、献金を通じて政治に参加し、寄与することの意義を評価する声も少なくない。

高級住宅街の自宅に近所の金持ちを大勢招き、民主党のアル・ゴア候補のための資金集めパーティーを開いた弁護士は、

「政治をよくするためだから」と誇らしげだった。

 政党はもちろん、そもそも国家そのものが、独立した自由な個人による自発的な結社である。

(立憲政治が日本に初めて施行された時代も同じ考えか)

そんな「アメリカ的信条」は、人びとに伝道者のような使命感を与えもする。

政治とカネをめぐって、日米の議論が微妙にずれるゆえんだ。




政治とおカネがいつも付きまとう話である。

政治にどうしてこんなに莫大なおカネが必要になるのか判らない。

一番最初に考えられるのは議員に当選するための「票」をまとめて買うために

必要になってくるのではないかと考えたい。

議員は当選しなければ只の人である。

先生 先生と呼ばれることもない。

だとすれば確実な票が欲しくなり票のまとめて買わなければならなくなって

おカネが必要になってくるのではないかと想像する。

個人での議員活動するだけではそんなにお金が切迫して必要とは思えない。

真面目に政治活動している人ならば自然に大衆が判かり賢明な有権者は

必ず其の人に投票する。一人一人の生きた一票で当選されてゆく。

だが利益誘導に片寄った議員は有権者に対して,自分との私欲をもからませて

票を集めなければならないことになってくる。

そのような人たちにとっては是非おカネが必要になってくるのだと思う。

政治家とおカネに関連しての犯罪の話題は新聞紙上昔から途切れることなく

紙面を賑わしている。

それを断ち切る妙薬はないものなのだろうか。


不正を頼む人,斡旋する議員,実行する公務員の中の一人でも欠ければあっせん利得罪は発生しないのではないか。

三者には互いに利益を共有し,既に堅い組織ができあがっているのではないかと想像しますが。



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