間歇日記

世界Aの始末書


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2002年6月下旬

【6月30日(日)】
▼さしものおれも、決勝戦は観てしまう。ワールドカップの話である。ブラジルドイツというのは、一般的イメージに照らしても、祝祭的情熱と合理的知性という対照的な感じがあって、なかなか象徴的にも面白いカードだ。
 いやそれにしても、オリバー・カーンっていい顔してるねえ。昨夜「ブロードキャスター」(TBS系)で、カーンを「霊長類最強のゴールキーパー」と紹介していたが、これはいいキャッチフレーズだなあ。座布団五枚。
 結局、霊長類最強のゴールキーパーもミスをしてしまい、ドイツ、惜しくも敗れる。カーンとロナウドってのは、テレビ的にじつによかったね。ゴリラチンパンジーが闘っているようにしか見えなかった。

【6月29日(土)】
主演男優が逮捕されてしまった「ウルトラマンコスモス」(TBS系)は、未放映のぶんをツギハギして、主演男優の出演シーンを抜いた“総集編”が先週から二回にわたって放映されている。今日でほんとうの最終回。みなひとつになっちゃえば意志統一ができて宇宙の秩序が保たれるってカオスヘッダーの言種は、「ウルトラマンダイナ」の最終回に出てきた敵と同じ論理。地球の怪獣がウルトラマンを助けるのは、これまた「ウルトラマンガイア」の最終回と同じ。急ごしらえのせいでこうなったのか、最初からそのつもりだったのかはよくわからないけど、新鮮味がないなあ。まあ、完結していない作品だから、あんまり文句は言うまい。
▼ケータイに転送されてきた「ネットダイレクト 旭屋書店」からのメールの表題を見て、一瞬、アダルト系のスパムメールかと思う――「モーニング娘。処女」
 ケータイのこととて、表題がそこで切れているわけだ。いくらなんでもモーニング娘。が全員処女なんてことがあるか、ひとりやふたりならともかく……と、いささか義憤を覚えて中身を見ると、『モーニング娘。処女短篇童話集「魔法のハート。」他、タレント本予約受付中!!』ということであった。なんか、大スポ(東スポ)みたいな表題のメールであるな。

【6月28日(金)】
▼はて、今日はなにがあっただろう? 先日もこういう日があったような気がする。三か月くらいあとになって思い出すかもしれないが、きっと思い出せないにちがいないという、ほとんど既定事実であるかのような確信がおれを支配している。うむ、ときおりこれを入れれば、日数が稼げるな。そもそもこの「[間歇日記]世界Aの始末書」は、最初のころは毎日書かないからこそ“間歇日記”であったのだ。

【6月27日(木)】
▼このところ世の中サッカー一色であるが、すぐに熱が冷めるに決まっているので、いまのうちにサッカーの話を書いておこう。
 サッカーというものを生まれて初めてゆっくり観てみて思うのだが、どうもすぐ飽きる。自分でやる人は飽きないのかもしれないが、観ているとすぐ飽きる。そこでちょっとサッカーを改良してみようと思うのである。
 手を使ってもいいことにしてはどうだろう。ボールを小脇に抱えて走ってもいいのである。なに、それはすでにある? あ、そうですか。
 では、ボールの色を変えてはどうか。ラインアウトするたびに異なる色のボールを使うことにする。で、ボールの色によって得点が変わるのだ。白なら一点、赤なら二点、青なら三点、金なら十点という具合だ。ゲームの展開によって“色狙い”のヴァリエーション豊かな作戦を立てねばならないため、より面白くなるにちがいない。基本的なルールが複雑になるわけではないから、観ているほうにもわかりやすく面白いはずだ。
 あるいは、色のちがうボールを十個くらい同時に使って、上記のルールでふつうのサッカー(すでにふつうではないが)をやってもいいだろう。展開によっては、ピッチ内のボールが十個とも金色になってしまう可能性もあり、とてつもない頭脳プレーを要求される。敵が青いボールをふたつ味方ゴールに叩き込むあいだに、金色を敵ゴールに蹴り込むといった作戦も立てられるのだ。白熱した試合になると、観ているほうですら目下どっちが勝っているのかよくわからない。コンピュータの支援が必要となるだろう。
 サッカーというやつは、しょっちゅうラインの外にボールを蹴り出して、ゲームの流れが中断されるのがじれったい。そこで、ラインアウトのないサッカーというのを作ってもいいかもしれない。機動隊が楯に使っているような透明で強靭な樹脂でドームを作り、ピッチを覆ってしまう。むかしの玩具にあったバスケットゲームみたいな感じである。これならラインアウトがなく、ボールをドームに当てて跳ね返すプレイができるので、ビリヤード風の新しいスーパープレイがいろいろ出現するだろう。また、試合時間が長引くと、だんだん酸素が減ってくるため、これまたそれを利用した面白い作戦が立てられる。終盤では、代謝の低い選手と代謝の高い選手をどのように投入するかに監督は頭を悩ませることとなる。選手たちは高山でトレーニングをしたりするようになるだろう。
 オリバー・カーン並みのすごいゴールキーパー同士が、ほかの選手そっちのけで、いきなりゴールキックで相手のゴールを狙い合うという、ゲーセンのエアホッケーみたいなサッカーも面白そうだ。ゴールキーパー以外の選手は“ヘタレ”でもかまわないので、ややこしい作戦を立てる必要もない。チームはゴールキーパーだけに投資すればよく、たいへん効率がよかろう。
 もちろん、これらを全部併用してもいいだろう。ややこしいことおびただしいが、大人気のスポーツになるのではなかろうか。

【6月26日(水)】
▼おれのパソコンでずっと走っているSETI@homeの解析ソフトが、ようやく百ワークユニットを達成した。いやあ、非力なパソコンだとまことにとろとろしたペースである。はじめたのはいったいいつだったろうかとローカルディスクの日記を検索してみると、1999年5月16日だった。なんと百ワークユニットこなすのに、三年以上もかかっているのか。このパソコンも、買ったときには最新型だったんだがなあ……。いままでに二回ほど、「おや?」というスパイク(グラフなどで値が極端な棘状に立ち上がること)はあったが、さて、あれはどこぞの知的生命体からの声であったのかどうか。レ・ミ・ド・ド・ソ〜♪

【6月25日(火)】
DDIポケットから、突如おれのH"端末に直接メールが来る。はて、なんじゃろうと開いてみると、なんでも「KX-HV200」(おれのだ)用に「自動壁紙チェンジャー」というのができたから、指定の場所に取りにこいとのこと。取りにこいといっても物理的に取りにゆくわけではなく、メールに埋め込まれているホットテキストをクリックするだけだ。指定の場所にゆくと、いまからおまえのケータイにソフトをインストールするので電池がたっぷりあるか確認しろという。おやまあ。あとからソフトをインストールできる仕様だったとは知らなんだ。ファームウェアはROM焼きだと思っていたのだが、別途ROMライターなどを必要とせず、自機に密かに搭載している機能で書き換えができるらしい。EEPROMかなにかだろうか。だとしたら、書き換えには通常使っているときよりもずっと高い電圧が必要だろうから、電池の残量に関してやたら念を押しているのも納得がゆく。書き換え中に電池がなくなったら、元のシステムも新システムもアウトだ。
 幸い電池の残量はたっぷりあったから、さっそくインストールを開始した。ちょっとした新機能を追加するだけだからすぐ終わるだろうと思っていたら、長い。やたら時間がかかる。これはひょっとしてPCにソフトをインストールような具合ではなく、やっぱりシステムをまるごと入れ替えているのではあるまいか。
 ようやく終わった。どうやらシステムがぶっ壊れることもなく、無事にインストール(というか、システム入れ替え?)は終わったようだ。で、新機能の「自動壁紙チェンジャー」というのは、なんのことはない、二つ折りの端末を開くたびに異なる壁紙がトグル表示されるだけのものである。でもまあ、飽きたころにいちいち手動で壁紙を入れ替えなくてすむので、ちょっと得した気分ではある。ずーっと同じ背広を着ていても、ネクタイさえ同じものが二日続かないようにすれば、なんとか格好がつくのにも似ている(似てないか)。もちろんおれは、ふだんは三本ほどのネクタイをそうやってトグル着用(?)している。いちいち考えなくてすむから楽だ。なんだかんだで三十本くらいのネクタイが箪笥の中にぶらさがってはいるのだが、結局は、そのときに気に入っている二、三本ばっかり、親の仇のように着用するのだ。まあ、ファッションに興味のない男なんて、みんなそんなもんでしょう。最近はコンビニになんでも売っていて、気の利いたところはネクタイまで売っているから、いいのがあれば買おうとかねがね思っているのだが、なぜかコンビニで売っているネクタイは、みんな真っ黒のものばかりなのだ。若い人のあいだで流行しているのだろうか。

【6月24日(月)】
鈴木宗男が断じて議員辞職しないと獄中で決意のほどを表明しているそうだ。往生際の悪いやつである。いつの日か禊とやらをすませて出馬する気ででもいるのだろうか。そりゃまあ、世の中には、ほんとうに改心して再び社会に受け容れられる人も少なからずいるだろう。だけど、政治家として再び受け容れられると思っているとしたら、いくらなんでも楽天的すぎるんじゃないの? だいたい、どう計算したって、生きているうちに政治家としての信用を回復するのは無理だよ。本郷かまとさんくらい生きないと。
《ご恵贈御礼》まことにありがとうございます。

『妻の帝国』
佐藤哲也、ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)
『クリプトノミコン3 アレトゥサ』
(ニール・スティーヴンスン、中原尚哉訳、ハヤカワ文庫SF)
「Treva」で撮影

 “Jコレ”に佐藤哲也登場である。村田基『フェミニズムの帝国』(早川書房)って傑作があったので、タイトルからフェミニズムものだろうかと想像するのだが、どうやらこれはそうではないのである。今日届いたばかりの書下ろしなのに、おれの中からなんだかすでに読んでしまったかのような“未来の記憶”が湧き出してくるのだが、これはなんというか、『裏声で歌へ君が代』(丸谷才一、新潮社)の肛門から手を突っ込んでノドチンコを掴み、力任せに肛門から引きずり出して裏返しにしたようなものを幻想小説の手法で書いている不思議な国家小説なのだった。ある日主人公のひとりである若者は住所もなにも書いていないのになぜか彼のところに届いた〈最高指導者〉からの手紙を読み、自分が紛れもなく〈民衆細胞〉であることを知る。〈民衆細胞〉とはなんぞや? それは〈民衆独裁〉を打ち立てるべく活動する細胞なのであって、〈民衆細胞〉同士は、理屈抜きでおのずと仲間がわかるのである。なんとなれば、〈民衆細胞〉は〈民衆意志〉をおのずと感じとるものだからであり、またそうでなくては〈民衆細胞〉とは言えない。なんだかよくわからないが、中枢があってなきがごとき〈民衆細胞〉たちは、奇妙な協同と排他の原理に翻弄されながら、〈民衆独裁〉に向かって突き進んでゆく――みたいな話だが、なんのこっちゃわからんでしょう? おれもお気楽な日記を書く程度の労力では、よう説明せん。じつに気味の悪い不条理な話である。『48億の妄想』(筒井康隆)のようでもあるが、ここではその妄想は、まさに“クニ”(“国家”ではない)を成立させる共同幻想として描かれるのだ。ま、あとは、読んでのお楽しみである。なんちゅうか、すでにいまそこにあるものをデフォルメして突きつけられているような気もするな。ねえ、小泉首相。あるいは、石原知事かな?
 〈月刊クリプトノミコン〉は、いよいよ後半である。が、ちっともSFらしくなってこない。これはひょっとして、最後までSFらしいSFにはならないのではあるまいか。でもまあ、そんなことはいいのだ。またまたケッタイな脱線話が炸裂、炸裂した破片があっちこっちへ飛び散ってややこしいの面白いの、もうどうにでもして――というふうな話であるにちがいないと囁いているのは、あくまでおれの“未来の記憶”だからね。

【6月23日(日)】
▼ひさびさに、「マダム・フユキの宇宙お料理教室」をやる。ひさびさなので、新しい読者の方々には「なんだそれは?」とおっしゃる方もあるだろうから、説明しておこう。要するに、おれが実際に作って食ってみたB級・C級の新作料理を紹介するコーナーである(コーナーってこともないか)。ただ考えるだけではなく、一応日記なのだから、作って食わなくてはならない。草上仁のグルメ・ユーモアSF短篇シリーズ《マダム・フィグズの宇宙お料理教室》からタイトルを勝手に頂戴している。検索に便利なように一度リンク集でも作ろうかと思っているのだが、とりあえず代表的な過去の作品を列挙すると、「納豆のヨーグルト和え」「チョコ納豆」「納豆ラーメン」「納豆のトマトジュース割り」「エスタロンモカ納豆」「納豆のおろし生ニンニク和えポッカ100レモン割り」「ニンニク納豆の逆襲(納豆のニンニクチップまぶし)」「納豆のコーラ漬け」「納豆焼きそば」「焼酎お湯割り黒酢垂らし小便風」「チョコシリアル野菜ジュースかけ」などがある。どうも特定の食材が偏って使われているような気がしないでもないが、その場にあるものを使う(わざわざ材料を買いにいったりしてはならない)のが当料理教室のモットーであるからして、多少の偏りはいたしかたない。誤差の範囲だ(なんの?)。
 まあ、このようにして日本の食文化に貢献してきた「マダム・フユキの宇宙お料理教室」であるが、今回は珍しく例の特定の食材を使わない。じつに簡単でうまいので、メモのご用意を。いや、メモも要らない。
 いわゆる「おしゃぶり昆布」があるでしょう? 「都こんぶ」みたいに湿ったやつじゃなくて、カラカラに乾燥させたやつだ。よくスーパーでお徳用が特売品になってるやつだ。あれにですな、マヨネーズをつけて食ってみていただきたい。これがやめられないとまらない、奇妙にうまいのである。いや、アタリメにマヨネーズをつけて食っていたところ、マヨネーズが余ったのよ。いつもなら余ったマヨネーズを舐めるところだが、手近におしゃぶり昆布があったので、ひょいとつけて食ってみたのだな。天才ならではの発想だ。一度これを知ったら、今後、おしゃぶり昆布はマヨネーズなしでは食えません。おしゃぶり昆布のメーカの方、おつまみ用のアタリメにはマヨネーズの小袋が添付されているのがあるんだから、おしゃぶり昆布にもぜひ添付されたし。最初のうちは、「これをどうするんですか?」という問い合わせが殺到するかもしれないが、そのうち喜ばれること請け合いである。一、二年もすれば、「マヨネーズが添付されていないおしゃぶり昆布がある。けしからん」と、国民生活センターあたりに苦情が殺到するようになるだろう。

【6月22日(土)】
▼姉妹の芸能人ってのは、なぜ姉のほうが暗くて、妹は明るいのか? 荻野目慶子・洋子戸川純・京子石田ゆり子・ひかり真野響子・真野あずさおすぎとピー子――はちょとちがうとして、まあ、だいたいそんな感じがする。叶恭子・美香も、たしかに妹のほうが明るいが、あの姉は暗いというよりはただただ奇妙なので、妹のほうが常人とコミュニケートが可能に見えるぶん、いくらか明るく見えるのだろう。あくまでおれの印象だからいいかげんなものだが、もしこういう傾向があるのだとしたら、それは芸能人に顕著な現象なのか、それとも一般的に姉妹というものはそういうものなのかがまた気になる。

【6月21日(金)】
▼ふと気がついた。つんく♂日経BP社のやっていることは、とてもよく似ている。商売のしかたがそっくりだ。だが、日経BPは上沼恵美子には似ていない。


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