ハチ蜜は、塩saltと並んで、古代人が知っていた数少ない防腐剤の1つだったので、一般には再生の魔力を持つ物質と考えられていた。小アジアでは、紀元前3500年から1750年にかけて、死者たちは、ハチ蜜を塗られて防腐処置を施されたのち、いつでも再生できるようにと、胎児の姿勢でピトス(埋葬用の大がめ)の中に収められた。「ハチ蜜の入っている壺の中に落ちる」ことは、「死ぬ」ことを表す一般的な隠喩になった[1]。ピトスは女神パンドーラ(「すべてを与える者」)の子宮を表し、ハチ蜜は彼女の聖なるエキスになった。
女神が、魔力を秘めた「ミツバチの香油」を用いて、死者に再び生を与えてくれることは、数々の神話が象徴的な形で立証している。デーメーテールの崇拝者たちは、自分たちの女神を「穢れなき母なるミツバチ」と呼び、デーメーテールを祭神にした女だけのテスモポリアの祭では、女性生殖器の形をしたハチ蜜菓子を捧持した。エリュクスの神殿にあったアプロディーテーのシンボルは、黄金のミツバチの巣で[2]、彼女に仕える巫女たちの名は、メリッサ(「女王蜂」)だった。この名は、アシュラの巫女でユダヤの女王だったデポラの場合と同じであり、デボラという名も「ミツバチ」を意味していた[3]。
「ミツバチが、自然の持っている女性的な生殖能力のシンボルとみなされたのは、妥当なことだった。……シラクサのテスモポリアの祭のとき、参列者たちはミロワと呼ばれる菓子を捧持していた。この菓子は、ハチ蜜とゴマを材料にして、女性の性器の形に作られていた。メンツェルは、この風習と婚礼の饗宴の際に女性の生殖器にハチ蜜を塗るというヒンズー教徒のしきたりとの類似点を、適切な形で指摘している」[4]。
ミツバチは現在でも、「女神の神殿の至聖所を覆いかくしているヴェール」 hymenにちなんで、ヒュメノプテラhymenoptera(「ヴェール状の羽根を持った」)と呼ばれている。女性の体内にも、この神殿のヴェールに対応する膜がある。「処女凌辱」とは、初夜と「蜜月」の守護女神として、ヒュメーンを名乗っていた女神の「婚姻の」hymeneal規則に従って、このヴェールを貫通する儀式だった。
蜜月の期間は太陰暦の1か月に相当し、通常は、男女が結ばれる月で、しかも処女神マーヤ Mayaの名にちなんで命名された5月Mayがその月に当てられた[5]。古代の聖王たちは、女神とともに過ごす28日間の蜜月、すなわち月がその形相を1巡する期間が過ぎると、ちょうど女王バチによって夫の雄バチが殺されてしまうように、男根を切断されてその命を失ったものと思われる[6]。
供犠という劇的な出来事でなく、日常の一般的な結婚にあてはめた場合、太陰暦の1か月に相当する蜜月には、月経期間が含まれることになろう。婉曲的に「月の蜜」と言われていたものは、実はこの月経だったのである。東洋における最古の考えに従えば、花婿は月経期間中に花嫁と交わることによって、生命の源泉に触れたのだった。大いなる男神シヴァでさえも、マハールツティと呼ばれるタントラの儀式において、自分のシャクティであり母であるカーリー・マーヤーの膣の血で、男根に洗礼を施してもらわなければ、無力だった[7]。
ハチ蜜と経血menstrual bloodとの混合物は、昔は、生命の万能秘薬、すなわち「ネクタル」と考えられていた。ネクタルは、アプロディーテーと彼女に仕える聖なるミツバチによって作られ、神々の生命そのものを維持していたのだった。同様に、北欧神話で一大秘事とされていたのは、知恵・霊感・読み書き能力・魔術・永遠の生命などを与えてくれる神々の「ネクタル」が、峰蜜と、「母なる大地」の胎内の「偉大なる大なべ」Cauldronから得られた「知恵の血」との混合物であるということだった。ただし、のちに父権制社会の成立に伴って改変が加えられ、この「峰蜜酒」hydromel〔uJdrovmeli〕は、ハチ蜜と生贄にされた「最高の賢者」と呼ばれる男性の血を混合したものということになっ た[8]。
しかし、最も頑固な父権制信奉者たちにしても、生命を与えてくれる女性的な液体(経血やハチ蜜)をなしで済ますというわけにはいかなかった。ミトラ神に仕えた独身主義の聖職者たちは、神殿から女性を追放したにもかかわらず、「清めの儀式で使う蜜を作ってくれる」月の女神ディアーナあるいはルナを崇拝した[9]。言うまでもないことだが、この同じ月の女神が、女性の月経期のあの「知恵の血」を作ってくれたのだった。ポルフィリオス†によれば、当時は一般に、ミツバチは月のニンフの化身であると信じられていたという[10]。
Porphyry.233 c-c. 301
新プラトーン主義の哲学者、古典学者、著作家。プローティーノスの伝記を書いた。後はキリスト教会に異を唱え、その結果、教会側は彼の審物のほとんどを破棄してしまった。
フィン人の神話に登場する英雄レミンカイネンは、供犠の際の生贄と同様にその身体をばらばらにされ、死の女神マナの冥界の領地であるマナラへ送られた。彼の母親は、自分の使いの精であるミツバチのメヒライネンの力を借り、魔法のハチ蜜で彼を甦らせた[11]。
初期のキリスト教オフィス派の信者たちは、タントラ流の「愛の饗宴」を祝った。そこには、経血を味わう儀式があり、彼らは経血と鋒蜜とを混合したという[12]。このようにしてオフィス派の信者たちは、復活(すなわち、再生)と最も頻繁に関連づげられた3つの物質( 3番目は塩)のうちの2つを、 1つに結合したのだった。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
〔一般〕 ハチ蜜は、ミルクとしばしば関連があるが、それとともに、食物でも、飲み物でもある。基本的な滋養物であるハチ蜜は、まず富、完全性のよいシンボルであり、とくに〈甘さ〉のシンボルである。ハチ蜜は、胆汁の苦みとは対照的であり、砂糖とも異なる。その違いは、自然が人間に提供するものが自然が隠すものとは違うのと同じである。ミルクとハチ蜜は、人間が追放された最初の土地全体とともに、約束の地をことごとく川となって流れる。東洋、西洋の聖なる書物は、ミルクとハチ蜜を結びつけ、常に近い意味の言葉で両者をたたえる。
〔聖書〕 その言葉は、シンボルにエロチックな暗示的な意味をしばしば与える。カナアンの地は、ミルクとハチ蜜の土地かもしれないが、『雅歌』の不死の愛のハチ蜜でもある(4、11;5、1)。
「花嫁よ、あなたの唇は蜜を滴らせ
舌にはハチ蜜と乳がひそむ……
わたしの妹、花嫁よ、わたしの園にわたしは来た。
香り華やミルラを摘み
蜜の滴るわたしの蜂の巣を吸い
わたしのぶどう酒と乳を飲もう」
また、イザヤの予言は次の通りである(『イザヤ』7、14-15)。
「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマメェルと呼ぶ。
災いを退け、幸いを選ぶことを知るようになるまで
彼は凝乳とハチ蜜を食べ物とする」
〔インド〕 『ヴェーダ』でも、ハチ蜜は、豊穣の原理、生と不死の源泉として、乳やソーマと同じように、大洋の精液、何でも食べる大いなる乳にもたとえられる。
「液の作り手、蜜蜂が
液の中に流し込むように、
わたしの中でも、おお、アシュヴイン双神よ、
わたしの存在の中でも、輝きが揺るぎないものになりますように……
蝿が、ここにある液、
その液の中に浸るように、
わたしの中でも、おお、アシュヴィン双神よ、輝きと鋭さと
力と活力が、揺るぎないものになりますように。
おお、アシュヴィン双神よ、わたしが人間たちに
輝きあふれる言葉をかけるように、
わたしの上にかけて下さい、その液を、
おお、光輝の主、蜜蜂の液を」
(『アタルヴァ・ヴェーダ』91、VEDV、258)
〔ケルト・伝承〕 さらに、ケルトの伝承も、ハチ蜜水を「不死の飲み物」としてたたえる。多分、キリスト教伝来以前のことで、『2つのコップがある家の飲み物』という古文書が、ハチ蜜の味がする乳、エスネの唯一の食べ物について語るのと同じである。不死の飲み物であり、あの世で多量に流れるハチ蜜水の底に、ハチ蜜がたまっている。しかし、「ハチ蜜」の甘さには、誘惑の危険の可能性がある。『箴言』は、娼婦の唇が、滴らせるハチ蜜のことを語る。追従者の言葉や食虫植物や子供だましもそうである。
〔象徴〕 唯一の食物として、ハチ蜜のシンボルは、「知識」、「学識」、「知恵」にまで広がり、適用される。現世でも、あの世でも、特別な人間だけが、ハチ蜜のみを食べられる。
〔中国〕 中国の伝承では、ハチ蜜は、「地」の要素と「中心」の観念に結びついていた。そのため、皇帝に出される料理のソースには、必ずハチ蜜が、混ぜられていた(GRAP)。
〔ギリシア・キリスト教〕 ギリシアの伝承では、ピュタゴラスは、ケルトの英雄と同じように、一生涯、ハチ蜜しか食べなかったといわれる。偽ディオニュシオス・アレオパギタによれば、神の教えは、「純化し、救う力によって」、ハチ蜜と比べるべきである(PSEO、31)。ハチ蜜は、宗教に関する教養、神秘主義の知識、精神的財産、秘儀伝授への啓示のしるしである。
〔ローマ〕 ウェルギリウスは、ハチ蜜を「天からの露の恵み」と呼ぶ。露そのものが、秘儀伝授のシンボルだからである。
〔宗教・一般〕 ハチ蜜は、精神のこの上ない至福とこルヴァーナ(捏薬)の状態も示す。あらゆる甘さのシンボルであるハチ蜜は、苦痛を無くす。知識のハチ蜜は、人間と社会の幸福を打ち立てる。この場合も、東洋と西洋の神秘主義の思想は、相互に交わる。シーア派を信奉するベクターシュ教団にとって、ハチ蜜は、〈ハック〉(正義)を示す。これは超越的な現実であり、存在が神と融合する精神の行程の目的である。この融合は、〈ファナー(忘我・恍惚)〉の中で行われるが、苦痛の観念でさえなくなるほど、知覚が、麻痔した状態である。ハチ蜜は、アレクサンドリアのクレメンスにとって、知識のシンボルであり、オルフェウス教の伝承では、知恵のシンボルであり、仏教世界では、「教理」と結びつく。「わが教理は、ハチ蜜を喰らうようなものである。その始まりは甘く、中間も甘く、終わりも甘い」。
〔効能〕 ハチ蜜が逸品であれば、それを贖罪のための力強い捧げ物にも、保護と鎮静のシンボルにもすることはたやすい。アテーナイの人々は、大蛇に、ほら穴から出ないように、ハチ蜜の供物を捧げた。アル・プハーリーの『ハディース(伝承)』によれば、預言者とイスラムの伝承にとって、ハチ蜜は、最高の万能薬である。ハチ蜜は、視力を失った人の視力を回復させ、健康を保ち、死者の蘇生までできる。
〔儀式〕 アメリカ・インディアンにとって、ハチ蜜は、「医学の儀式」の一部である。彼らの式典、儀式で、ハチ蜜は、大きな役割を果たす。アリゾナのホーピ族の酋長ドン・C・タラエスパの報告では、冬至の祭りの有名な「医学の儀式」のとき、祭司は、ハチ蜜とコムギ粉の灌奠を行う(TALS、168)。その儀式の記述では、使うハチ蜜には、浄化と豊饒の2つの効果がある、とホーピ族はいう。我々が、上に述べたこととまったく一致する。ハチ蜜は、清めの儀式と結びついて、その秘儀伝授の性格を明示する。ポルフユリオスは、その著作『ニンフのほら穴について』(MAGE、344に引用あり)の中で、次のような報告をする。レオンテイカ(ライオンの格好をしたミトラ神)の秘儀伝授のときに、「(奥義を授かった者の)手には、水ではなく、ハチ蜜が注がれ、それで手を洗う。さらに、どんな過ちを犯した舌でも、清めるのは、ハチ蜜である」。同じく、ミトラ神の信者も秘儀伝授のときには、ハチ蜜を与え、味わわせ、奥義を授かった者は、ハチ蜜で手を洗っていた。
〔象徴〕 地中海、とくにギリシアの伝承では、ハチ蜜の豊かな象徴的意味が、すべて表現されている。「霊感を与える」食べ物であるハチ密は、ピンダロスに詩の贈り物を与えたが、ピュタゴラスに学問の贈り物をしたのと同じである。広い意味では、ピンダロスもピュタゴラスも、秘儀を伝授された人である。ギリシアの宗教でハチ蜜は、「死と生のシンボル、麻痺(ハチ蜜は、人を静かな深い眠りにまどろませる、といわれるが)とよい視力のシンボル」といわれる。そのとき、秘儀伝授の儀式の重要な段階、闇と光、死と再生が、暗示的に表現されてないのか。エレウシースの秘儀が、この仮説を確証する。ハチ蜜は、「より高度な秘儀伝授を受ける者に新しい生のしるしとして」与えられていた(MAGE、135-136)。ハチ蜜は、秘儀伝授の春の目覚めでも、ある役割を果たす。ハチ蜜は、死と再生が永遠に循環して、その色(黄金色)の不死性に結びつく。
〔精神分析〕 近代の分析的思考では、ハチ蜜は、「精練過程の結果とみなされ、自己自身に対する内的作業の最終的帰結として、より高次元の自己、つまり自我のシンボルとなる」(TEIR、119)。ハチ蜜は、はかない花粉の変容の結果であり、不死の美味な食物であり、秘儀伝授による変貌、魂の転換、人格統合の成就を象徴する。実際、ハチ蜜は、無数に分散した要素を平衡状態にある存在の統一性へ変換する。この生化学上の変容の過程は知られていない。それと同様に、神秘的な恩寵の行動、魂を社交で浪費すること、(それはつぎつぎと花をあさることだが)この浪費から神秘的な集中(ハチ蜜)へ移行させるために精神を働かせることなどは、まさに現実にあるが、隠されている。同じく、個性化の途上にある自我の統合過程も漠然としている。秘儀伝授による変容も同様である。
精神分析が、ハチ蜜を「自分自身に対する内的作業の最終的帰結、より高次元の自己、つまり自我のシンボル」と考えるのも、この関係から出発している(TEIR、119)。
(『世界シンボル大事典』)