「言葉」の意のギリシア語。ロゴスは、タントラから発して新プラトーン主義の哲学を経由し、キリスト教に伝えられた創世理論。この理論によると、神は、言葉の魔力によって、自分以外の神々や世界や生物など、ありとあらゆるものを創造することができた。すなわち、名前を唱えると、その名前を持つ実体が出現した。それゆえロゴスは、神の本質が「言葉」の中に凝縮し、それが具体的な形をとって発現したものであり、その1例が「言葉の化肉」と言われたイエスだった。『ヨハネによる福音書』は、次のように述べることによって、神々と同じ永遠の生命をイエスに与えた。「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(『ヨハネによる福音書』 1: 1)。
ユダヤ・キリスト教の思想家たちから実にさまざまな定義を与えられたため、ロゴスは、実質的には意味のない言葉となり、「深遠な神秘」という所にまで追いやられてしまった。すなわちロゴスは、キリスト、ヤハウェの英知、大天使、真理、大祭司、律法、契約、聖典、モーセ、創造力、世界霊、太陽等々、そのいずれをも指すということになってしまった[1]。オルペウス教、ピュタゴラス学派、新プラトーン主義などに属する哲学者たちが、ロゴスの理論を解説してくれたにもかかわらず、後世のキリスト教哲学者には彼らの言うことが十分に理解できなかった。キリスト教の哲学者たちは、異教の哲学者たちの精妙な意味体系に取り組んでみたものの、結局は無駄に終わった。
異教徒たちの「言葉の化肉」は一般にへルメース Hermesとされ、へルメースは「産出力を持った聖なる言葉」Logos spermatikos (種子的ロゴス)の表象だった。この聖なる「言葉」はゼウスの口から生じ、地上における彼の代行者へルメースの力を経由して、万物を生んだ[2]。『へルメス文書』はこの「言葉を担う者」(へルメース)を賛美して、「御身は聖なるかな、御身は言葉もて地上の万物を生み出したまえり。御身は聖なるかな、あらゆる自然は御身の似姿を形づくれり」と記していた。殉教者聖ユスティヌスは、彼の『弁証論』において、「へルメースの英知のゆえに」、「ロゴスとしてのへルメース」に備わっていた属性をイエスのものにしようと全力を尽くし、イエスは神の子であり、神の使者であり、神の言葉であるという点でへルメースと全く同じであると主張した[3]。
言葉による万物創造というロゴス理論に男性たちがこれほど熱中した理由の1つは、それまでは出産を行う女神だけの大権とされていた創造の手段が、ロゴスのおかげで男神たちにも与えられたからである。「ロゴスとしてのへルメース」は、母神アプロディーテーとの両性具有的結合の生活から得た女性の魔力を行使して、「創造者としてのへルメース」になった。『完全な言葉』(3世紀にギリシア語で書かれたへルメス・トリスメギストスの啓示文学のテキストで、ライツェンシュタインによって『ミマウトのパピルス」の中から発見された)の中では、へルメースは「人間の生命の光」と呼びかけられていただけでなく、「実り豊かな万物の子宮」とも呼ばれていた[4]。
同様に、エジプトにおけるへルメースの同格神トートも「力ある言葉」を修得し、ときには彼の妻と呼ばれた「真理の言葉を語る」女神マー卜の属性を自分のものにした。ギリシア人からへルモポリスと呼ばれていたトートの聖なる都市の聖職者たちによると、トートは、メト met†(「創造の言葉」)を話す万物の創造神(デーミウルゴス)で、最初の神々を「生んだ」という[5]。
メト met
metは、母親を表す語で、女神マート Maatや、ギリシア語の metls 「知恵」、サンスクリット語の medha 「女性の知恵」などと関連があった[6]。
東洋の最古の父神たちは、言葉によって「子を生んだ」とされたが、それは、これらの父神を初めて考え出した人々が、出産の生理について正しい知識を持ちあわせていなかったからである。サンスクリット語で、父親から与えられた霊魂、すなわち、ブラフマーから与えられた霊魂を指す言葉は、「大気」すなわち「息」の意の atman であり、この語はドイツ語の atmen やギリシア語の atmos (「大気」)と語源が同じだった。今でもバラモン階級に属する父親は、赤子の顔に向かつてその子の霊魂-名前を3固ささやき、それによって子供に対する自分の父権を確立している。このような仕草によって、肉体の中に霊魂が吹き込まれると考えられているのである[7]。
聖書に登場するヤハウェも、彼の息(すなわち、「風」)の力で生命を与えることができると主張し、息を使って死者たちの枯れた骨に生命を吹きこんだ。「見よ、わたしはあなたがたのうちに息を入れて、あなたがたを生かす」(『エゼキエル書』 37: 5)。この挿話はたぶんバビロニアの『エヌマ・エリシュ』(天地創造物語)から借用されたものと思われる。『エヌマ・エリシュ』に出てくるマルドゥークは、彼の発する「聖なる言葉」†の力で破壊と再創造ができることを示し、神々の間に自らの王権を確立した[8]。
「聖なる言葉」
メソポタミアの最古のテキストの中にも、「聖なる言葉」を具現している神々の物語があった。『ギルガメシュ叙事詩』においては、「大気」すなわち「息」の神エンリルが、同時にロゴスの化身だった。「聖なる言葉の精は。アヌ(天)の心臓の精エンリル」であり、エンリルは、「上天を静める言葉」を体現していた[9]。
ロゴスの観念を人々の間に広めたのは男神たちだったが、「聖なる言葉の力」によって破壊や再創造を行う能力は、本来は女神のものだった。女神こそが、さまざまな言葉やアルファベット、ならびに「力ある言葉」として知られている秘密のマントラ(真言)を創造したからである。エジプト人のへカウ(呪文)も、女神へカテー(すなわち、マート)によって生み出された。命あるものすべては、太女神カーリーが彼女自身の「豊穣の子宮」の呪文オーム Om を唱えたときに、具体的な形をとって発現した。オームは原初のロゴスであり、「最も尊い音節で、すべての語音の母」†だった[10]。
すべての語音の母
カーリーが生んだサンスクリット語アルファペットの50の文字は、「母親たち」の意の matrika と言われた。ヒンズー教の聖典には、「母親から子供が生まれるのと同じように、 matrika すなわちアルファベットの語音から、世界が生じる」と記されていた[11]。オームは「マントラの母」 mantramatrikaであり、カーリーがこれらの聖なるマントラを唱えることによって、神々を含めた万物が創造され破壊された[12]。
カーリーの創造の声は擬人化され、「宇宙樹」の頂で天界の水から生まれた女神ヴァーチュ(「声」)になった[13]。ヴァーチュは、宇宙に存在する万物のみならず、「万物の父」と自称する男神まで生んだのだった[14]。この女神はギリシア神話に再登場し、肉体から分離された声、すなわちニンフのエーコーになった。エーコーは花の神ナルキッソスの霊魂を彼女の「水の鏡」の中に捕えて、ナルキッソスに死をもたらした。アラビア語では、カーリーのオームは、母親・母体・根源・原理・原型を意味するウーム Umm になった。ウームはスーフィー教のロゴスだった[15]。
オームという語音は広く知られていた。ケルト人は、自分たちの「月なる母」をオムー(「現にまします女神」)と呼んだ。シバ人たちは、マリブにある彼らの「月の神殿」をアウム Aum (「世界の子宮」)と呼んだ。リュディア人も同じ「世界の子宮」を自国の中に位置させ、オムパロス(へそ-石)と称した。オムパロスは宇宙の中心であり、彼らの「女神-女王」オンパレーはオムパロスの「化肉」だった。この風習は単にリュディアだけにとどまらず、ギリシアでもすべての神殿がオムパロスを隠し持っていた。
オームは、創造の文字アルファであるとともに、破壊の文字オーメガ Omega としてアルファベットの最後に再度登場した。オーメガの文字通りの意味は、「大いなるオーム」である。オーメガのギリシア文字は馬蹄形をしていて、ヒンズー教の女陰の門のしるしが基になっていた。聖書の中で予言者が、「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルパでありオーメガである』」(『ヨハネの黙示録』 1: 8)と高らかにほめたたえているが、このときその予言者は、サイスにあった太母の神殿から借用した言葉を使っていたのである。この神殿では、聖書が編纂される何世紀も前に、すでにその言葉が石に刻まれていたのだった[16]。
ロゴスの観念は、実質的には、東方における「大霊」の観念と同ーだったのであり、当初は太母の本賓とされていたものが、やがてその定義が改められて、「大いなる父」の本質、あるいは、その息子である「救世主」の本質になっていった。オリゲネスは、「我々の肉体が各種の器官から成り立っていながら、しかも1つの霊魂によって統一されているのと同じように、宇宙もまた1つの霊魂(すなわち、ロゴス)の力によって統合されている1個の巨大な生命体と考えられよう」と言った[17]。ロゴスの称号を自分のものにしたいと熱望した人物は数多く、キリストはその中の1人にすぎなかった。キリスト以前にはアッティスが、「宇宙を1つに統合している」ロゴスとして、人々から歓呼の声で迎えられた[18]。しかし、誰にもましてロゴスだったのは、太母である。「至高のシャクティは、シヴァとシャクティが合ーして具現する際の、種子であり芽である。シャクティは、アルファベットの最初と最後の文字にはさまれているすべての文字の中に、この上なく精妙な形で宿っており、このアルファベットには、世界の万象の名を合成してくれる原基が備わっている」[19]。
キリスト教はキリストを神の「言葉の化肉」と考えていたが、この種の考え方は単にキリスト教だけのものではなく、古代の異教世界全域に共通した考え方だった。王はみな、実際の支配者であれ、あるいは供犠のときの身代わりの支配者であれ、文字通りの意味で「神の化肉」だったのである。通常、王は「救世主」と呼ばれ、神殿処女から生まれた神の子だった。選ばれた神の子は、聖なる言葉と聖なる名前-霊魂を付与された。たとえば、シリアのアンティオコスは、「(化肉として)顕現した神」の意のエピファネスという神聖な添え名を与えられていた[20]。
しかしキリスト教徒にしても、ロゴスからその本来の女性的合意をすっかり除去してしまうことはできなかった。アレクサンドリアの教父クレメンスはロゴスを親に見立てて説明しようとしたが、このときの彼の象徴的表現は、歪められた極めて不自然なものになってしまった。「聖なる言葉(ロゴス)は、子供(キリスト教徒)にとって何よりも大切であり、それは、父であり母であり、師であり乳母である。……子供を養い育ててくれる食物は父親の乳である。……しかも、聖なる言葉だけが、我々子供たちに愛情の乳を与えてくれる。……したがって、(信仰を)求めることは乳を飲むことと言われており、聖なる言葉を求める幼な子たちに、父親の愛情豊かな乳房が乳を与えてくれるのである」[21]。
このような(すなわち、「父親の乳房からの乳」というような)奇妙な見解が生まれたのも、母親は、乳房から初めて乳を飲ませるとき、乳と一緒に霊魂の宿る名前を子供に与えたという古代の考え方が土台にあったからである。子供の性質を規定し、子供を象徴することになる「聖なる言葉」をささやいたのは、母親であると考えられていたからである。旧約聖書の場合も、子供に名前をつけたのは母親であり、父親ではなかった[22]。したがって、万物の親にしても、宇宙の乳房から乳を飲ませる際には、被造物たる万物に、それぞれの霊魂を宿した名前を乳と一緒に与えるのが当然と考えられていたのであろう。
乳を与える者は「法」を与える者でもあった。「法」 Law とロゴスは同ーの語根から派生していたのである。アイスランドの Althing(全部族の最高統治機関)の首長を兼ねた聖職者はlögsögutmathr という称号を持っていて、この称号は今日では「法を語る者」と訳されている。しかし、このアイスランド語の字義通りの訳は「法を語る者」ではなく、「聖なる言葉を語る母親」がその本来の意味である[23]。
ロゴスの理論は極めて広く普及しており、したがって、キリスト教徒といえどもそれを無視することは不可能と思われた。そこで、他の多くの異教の観念と同じく、ロゴスもまた教会によって積極的に取り入れられることになった。中世のスコラ学者たち(11世紀から15世紀にかけて、いわゆる「スコラ哲学」運動に加わった哲学的・神学的思想家たちのことで、アベラール、トマス・アクイナス、ドゥンス・スコートゥス、オッカム、アルベルトゥス・マグヌスといった大家たちが含まれていた)は、ロゴスによって信仰と理性を調和しようと努力し、信仰と理性は同じ根から発しているのだから同ーのはずであると主張した。「これまでに実在している真理の源泉は、唯一、ロゴスのみであり、人間の知恵(とくに、ギリシア哲学)の中で何らかの価値を持つものはすべて、この唯一の源泉から流出していると主張された。プラトーンまでがモーセの教えを盗用したと言われた」[24]。
スコラ学者たちは、古代の「聖なる言葉」logoi、すなわち、オルペウス教の聖なる文書(プラトーンやその他の哲学者たちから、真の意味での「聖書」に相当すると言われていた一群の文献)については、何も知らなかった。これらの文書は、西暦1、 2世紀の間に、すべての破棄されてしまっていたからである[25]。しかし、オルペウス教を模倣したキリスト教グノーシス派の文書の方は残っていて、これらの文書は、「異端」を宣告されたあとも、ロゴスの観念をキリスト教の教義に伝えたのだった。たとえば、『真理の福音』(グノーシス派の聖典で、西暦150年頃に創設された初期キリスト教のヴァレンティノス派と関連づけられていた)には、1人々の心に宿っている聖なる言葉は、口で唱えられて外に現れると、……単なる音に留まらず、肉体を獲得した」と記されていた[26]。キリスト教徒たちは、この種の主張をかなり単純に解釈し、そこで言われている肉体はキリストの身体を指すと考えた。しかし、古代の哲学者の中でも一段と明敏な人物たちが言いたかったのは、人間、すなわち、言葉を用いる動物は、実は、自分たちの聖なる言葉から自分たちの神々を創造するということだったと思われる。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)