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ピュートーン(Puvqwn)

 母神ヘーラーからゼウスの助けを借りずに生まれた「大いなるヘビ」。このことは,創造女神エウリュノメーであり、また子供である「大蛇オピーオーン」と同じように、ピュートーンが、すべての父親-神が存在する以前の時代に母神から最初に生まれたヘビserpentであったことを意味する。またルシフェルと同じように、女神を豊穣にするために「深淵」に降りていった稲妻ヘビでもあった。母神ヘーラーはまた、いかなる男性の神の助けも借りずに、へーパイストスを生んだ。へーパイストスも、「天界から堕ちた」同じような稲妻神であった[1]

 ピュートーンはデルポイ神託所の予言を行う霊の化身であり、神殿の巫女たちは、神殿がアポッローンに引き継がれたときでさえ、つねに変わらずピュートーネス(神託を受けて予言する巫女)と呼ばれた。ピュートーンは大地子宮に住み、その秘密を知った。彼が神託ヘビであった理由はここにある。いくつかの神話は、アポッローンがピュートーンを殺したということから、ピュートーンは「の神」であったと述べている。しかし他のすべての光と闇の双子神のように、アポッローンとピュートーンは本当は同ーの神であった。デルポイ聖王たちはつねに先任者の王を殺し、殺された先王は、ピュートーネスが座って、神託を告げる霊と語り合っているオムパロスomphalos(世界の中心に置かれたへその石)の下に横たえられて、永遠の休息についた[2]

 ときにはピュートーンはアポッローン自身の冥界の相、天の太陽に対応する「黒い太陽」であった。ヘビの姿をとるものには、使いの精サタ、トート、ウゥロボロス、オーケアノース、へルメース、その他地下に住む神々があった。


[1]Guthrie, 73.
[1]Graves, G. M. 1, 80-82.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 ピュートーンは、母ヘーラーゼウスを苦しめるために、男性と交わることなくひとりで生みおとした大蛇(『ホメーロスのアポッローン讃歌』三〇五)だが、ここでヘーラーレートとたたかわせるためにつかわしたことになっている。アポッローンは、ピュートーン(と、おそらくはその連れ合いのデルピュネーも)を殺したあと、デルポイにある大地母神の神託所を占領した。というわけは、ヘーラーは大地母神だし、ヘーラーが巫女としての姿をあらわしたのがデルビュネーだからであ る。
 北部のあるへレーネスが、トラーキアのリビア人たちの加勢をえてギリシアの中央部とペロポネーソス半島に侵入したとき、大地母神を崇拝するプレ・ヘレーネスの抵抗にぶつかったが、結局、母神の主な神託所をいくつか占領したものらしい。デルポイでは、彼らは神聖な神託のを殺し — それとおなじようながアテーナイのエレクティオン神殿にも飼われていた — 彼らの神アポッローン・スミンテウス の名において神託を奪いさった。スミンテウス(「鼠の多い」) は、カナアンの治療の神エシュムンとおなじく、力ある鼠を象徴としていた。侵入者たちはスミンテウスを、自分たちに加勢してくれた種族の崇拝するアポッローン、つまりヒュペルポレイオスのヘル〔ホルス〕と同一視してもいいという気持にすでになっていた。ただ、デルポイ付近の人心をなだめるために、死せる英雄ピュートーンを記念する葬礼競技を定期的に催し、ピュートーンの巫女たちはひきつづきその地位にとどめたのである。

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 アポッローンがピュートーンをうち殺した話は、しかし一見してそう見えるほど単純な神話ではなさそうである。というのは、巫女のピュートーニスがその上に坐っていたオムパロスの石は、口碑によると大蛇に化身した英雄の墓で、そのの口からでるお告げを巫女がつたえたわけだから(ヘーシュキオスの辞典・アルコスの塚の項、またウァロー『ラテン語について』第七書・一七)。アポッローンに仕えるへレーネスの祭司は、聖王 — それまでつねに先任者の英雄を合法的に、そして 祭式にしたがって殺してきた聖王 — のかずかずの権限を奪いとってしまった。このことは、プルータルコスの『なにゆえに神託は黙して語らないか』(一五)のなかに記録されているステプテリアの祭式が証明してくれる。それは、こうだ。 — 九年目ごとに、王の住居をあらわす小屋がデルポイの脱穀場に建てられ、つづいてとつぜん……〔記録は、ここが欠字になっている〕……が、この小屋に夜襲をかけてくる。はつものの果実を盛ったテーブルがひっくりかえされ、火が小屋に放たれ、松明をもったものたちは、あともふりかえらずに、この聖所から一目散に逃げだしてゆく。それがすむと、この行事に加わった若ものたちはテムぺ一に赴いて身のけがれをきよめたのち、冠をいただき、ゲッケイジュの枝をかざして、はなやかにデルポイへ凱旋する。

 小屋のなかに住んでいる者に、とつぜん大勢のものたちが襲いかかったという話は、ロームルスを彼の仲間のものたちが寄ってたかって殺したあのふしぎな殺人事件を、私たちに思いおこさせる。それとは別に連想されるのは、毎年アテーナイで催されるブーポニアの生贄の儀式のことである。この儀式では、ゼウスの神獣である雄牛を両刃の斧でうち殺した祭司たちがあともふりかえらずに逃げさり、そのあと、たくさんのひとたちのあつまる宴席でその肉を食い、雄牛の生きかえる物真似劇を演じ、そして両刃の斧を涜神の罪によって裁判にかけるのである。

 クノーソスとおなじく、デルポイでも聖王は任期の九年目まで統治したにちがいない。若者がテムペーへ赴いたのは、疑いもなく、テムペーからアポッローンの信仰が始まったからである。(グレイヴズ、p.123-124)
〔右上図は、デルポイの三脚台の横にあるオムパロスの上に座ったアポッローンと、その前に立つ、デルポイの神苑のピュートーン。アポッローンは矢を番えてピュートーンを狙っている。ピュートーンは、詩人ヘーシオドスがエキドナについて歌っているように、「半身は、燦めく眼の頬美しいニュンフ」(神統記298)。前470年頃のレキュトス。〕