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平成13年1月  2月分

 


お正月


子供の頃,お正月になると新しい年を迎える為の準備に年末の12月31日までは大忙である。

祖父か゛生きて居た頃だったと思う。正月だけの神棚がしまい込まれていた二階から出されきて,

居間の天井の真中に縦1メートル横50センチの長方形の神棚がらぶら下げるような形にしつらえられた。 

鏡餅が 表の間 井戸のある場所 奥土さんのある場所,床の間などに飾られ 

勿論,普段からある神棚 ,それに仏壇にも小さな鏡餅が飾られた。元旦から正月3ヶ日になると

鏡餅の前に用意された(カワラケ)土器に灯明が灯され,それもあってか新しい年が始まろうとする荘厳で新鮮な気分になる。

一番大きな飾り餅は奥土(オクド)さん(今の若い人達には分らないと思うが必ず何処の家にも土間に煮炊きする場所がしつらえられて有り

4-5箇所の煮炊きする種類によって違う大小の鍋とその炊き口を備えた煮炊きする場所があった)

丁度鍵形¬になつた土間の一角に設置されており,

炊事場の丁度横にあたり,その反対側は井戸になっていた。奥土さんは陶土で,炊事場はタタキで作られていた。

奥土(オクド)さんに餅を三個重ねた三宝さん?サンポウさんと言うものが飾られた。あとの場所は二個重ね餅で二重餅だった。,

此処だけが何故にサンポウさんになるかは分らない。長男だった兄は多分に知っていたと思うが,48才で突如亡くなってしまっている。

昔は長男に代々,家のしきたりをば伝え受け継がせて行く慣習があった。

父が早く亡くなった為,祖父が兄に教えを色いろと授けていたが,幼かった自分はなにも知らない。

母は31日までは元旦の準備のため夜遅くまで起き,家中隅々まで掃除し全ての正月の準備し終わって休んでいたようだ。

お正月に掃除をすると年中掃除することになるからとて正月3ヶ日は掃除しないしきたりかあつたようだ。

元旦は全員が新調の服装で祝い膳の前に座り,皆が改まった形で 「新年おめでとうございます」 と日ごろ気安く話しているもの同士

挨拶するのが恥ずかしい気持ちを抱いた記憶がある。

女性が黒い色の祝い膳 男性は赤の祝い膳でお雑煮を食べた。

男はお餅を出世するため三ヶ日徐々に1箇つづつ増やし食べないといけないとかで,

又人のカシラになる為にと頭(カシラ)芋を食べたものだ。

第二次大戦前まで元旦には学校へ行き,お祝いの式だけがあり紅白の饅頭をもらつて帰ったものである。

元旦(一日)は殆どの家が寝正月をする家が多くて,布団は敷いたままである。午前は氏神神社(藤森神社)に参り,午後にはお稲荷さんに参った。

お正月の間,稲荷神社は家から歩いて20-30分と近くなので何度も通った覚えがある。

全国から大勢の人たちの参拝で賑わい,その多勢の人たちの中をもまれながらて,何を買うでもなく歩いて店を見て廻るのが楽しかった。

沢山な店がノキ(軒)を連ねて出ている様子は現在も同じのようだ。

今は見ることが少なくなってきている凧上げ 双六 トランプ 羽子板 駒回しなどに興じ,楽しい正月も夢のように過ぎ去ってしまったものである。

今でも一番印象に残るのは年中働きづめだった母と正月だけ一緒に遊んでもらったことが大変嬉しかつたことを覚えている。

誰にとっても親の生き方の影響は大きい。子供は親の背中を見て育つと言われている。

母の父親(外祖父)も一月の30日を35日働くと言われていたような人で,又その母親(外祖母)はその夫を支えてのしっかりものだったことを

母並びに10歳年上の従兄弟からもよく話として聞かされている。




医療従事者自身に問題があった


1月12日の天声人語より


 重体となっている少女の家族が、自宅の玄関に心のうちをつづった紙を張り出したそうだ。

〈事件後2カ月以上経過した現在も、意識は戻りません〉〈過去を振り向けば、涙は止まりませんし、過去には戻れません〉。

 少女は、仙台市のクリニックで起こった筋弛緩(しかん)剤混入による殺人未遂事件の被害者である。

〈子供のために出来る事は、家族全員力を合わせて、精一杯の心地よい介護に努めることだと思っています〉。記事を読みながら、ことばもない。

 被害者は何人にも及ぶ、という見方がある。容疑者の准看護士は病院での待遇に不満を抱いていた、といった報道もあった。

だとしても、それが何の関係もない人を標的とした恐るべき凶行の動機になるとは、とても考えられない。

 前後して海外でも、医療従事者がからむ大量殺人事件が報じられている。

患者15人にヘロインを注射し殺害したとして終身刑に服している英国の元医師について、

保健省は24年間に297人を殺害した疑いがある、との報告書を公表した。

 米国では、少なくとも6人の患者を故意に死亡させたとして、元看護士が逮捕された。

この男は病院に勤務中、筋弛緩剤を注射したり人工呼吸器を操作したりして四、五十人を安楽死させたと自白したが、その後否認に転じている。

2件とも、なお動機は不明だ。

 仙台の事件では、管理を含めたクリニックの態勢の緩みも指摘されている。

しかし、どんなに周辺を固めても肝心の医療従事者自身に問題があれば、この種の犯行を完全に防ぐのはむずかしい。

事件後、英国の開業医団体は「医師として屈辱感はあるが、公共機関による監視を受け入れる」との立場を明らかにした。

 医師や看護士らの適格性審査を定期的に実施するなど、日本でも外からの監視制度を採り入れる必要はないか。



癒すべき立場の医療者が患者を殺すとは想像もつかないことが公になった。どんな理由があろうとも殺すと言う行為は異常である。

異常者が医療の現場に携わっていただけのことである。医の倫理は医者だけのものでなく,全て医療従事者全員が充分に

心しなくていけないことだ。

一方安い収入で厳しい労働に携わている環境は厳に改善して欲しいものである。

声なき声が異常行為へと発展したとは思いたくない。なんと言っても異常行為をする人は異常者である。

全国的に確かに医療経済環境か厳しくなって,兼業に走っている病院の医療従事者が多いのは事実である。

他の病院に経済的な理由で勤務しなければならないこと自体が既に間違っている。

大勢の病院兼業従事者が大勢出ている社会構造は異常である。

そのこ自体はあまり社会問題化されてこない。何故だろうか。?

他の病院で兼業従事し,疲労困憊しながら,それで尚且本業で充分なことがなしえるだろうか。?

昔から国公立の給与体系は少ないことは聞いている。その多くの人達が兼務しているとも聞く。

普通の生活が,医療従事者も人並みに少なくとも心の余裕が持てるような医療環境にすべきである。

国公立,大学病院それに準ずる病院くらいは余裕を持って診療できる環境を政府は援助すべきことを以前から主張している

大学病院並びに国公立病院の医療従事者が兼業するのは欲だけのものではないと思う。

ただ人並みの生活を維持するためのものではなかろうか。





苦情から縁がむすばれる


松下幸之助の言葉より


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 需要家の方からいただくおほめの手紙はもちろんありがたいけれども、苦情の手紙をいただくのもありがたいことだと思います。

かりに苦情を言わない方はそのまま「あそこの製品はもう買わない」ということで終わってしまうかもしれません。

しかし不満を言ってくださる方は、そのときは「もう買わない」というつもりでも、こちらがその不満を丁寧に扱って、

不満の原因をつかむとともに、誠心誠意対処すれば、その誠意が通じ、かえって縁がむすばれる場合が多いと思います。

 ですから、苦情を受けたときは「縁がむすばれる好機」と考え、一つの機会として生かしていくことが大事だと思うのです。



世の中の人たち全ての経営者並びに政治家もこのような気持ちで対処してもらえる社会になって欲しいものです。




外交にはとかくお金がかかる??



1月23日,1月26日の天声人語より

 政治、なかでも外交には、古来とかくお金がかかる。

 古典的な例は、1814年のウィーン会議だろう。ナポレオン戦争後のヨーロッパを再編成するため、

合わせて百数十の王国や公国の代表が集まった。

しかし、交渉は大国の間だけでひそかに進められ、表だった行事といえば連日の宴会、舞踏会、観劇会。

 主人役のオーストリア皇帝は湯水のように金を注ぎ込んだ。年を越しても結論は出ない。

「1日の4分の3はダンスと宴会だった」とある外交官は書いている。

ロシア皇帝は交渉をさえぎって劇場に出かける始末。「会議は踊る、されど進まず」という有名なことばが生まれた。

 同じ19世紀の終わりにできた日本の古い会計検査院法には〈政府の機密費に関(かかわ)る計算は会計検査院に於て検査を行ふ限に在らず〉

といった条項があったそうだ。外交、軍事などでは、表に出せない性格の金が動く。

いちいち目くじらを立てては国益に背く、という理屈である。あの鹿鳴館の夜会費用も、機密費から出たのだろうか。

 発想は、いまに受け継がれる。たとえば外務省の機密費(報償費)に関して、領収書を添える義務はない。

会計検査院の目も届かない。しかもその予算は、省庁のなかで群を抜いて多額だ。

その機密費を実質的に仕切っていたのが、いま疑惑の渦中にある元要人外国訪問支援室長(55)だった。

 いくつもの銀行口座、高級マンション、競走馬……。そうした乱行を見逃してきた上司たち。

報じられるあれこれは、あまりに常識を逸脱していて、驚くばかりだ。が、湯水のように使われたその金の出所は、すべて国民の税金である。

事実を精査して、責任を取ってもらわねばならぬ。

 なぜ、そんなことになったのか。政治、なかでも外交には、とかく金がかかる――その発想を再点検する必要があるかもしれない。



 機密費疑惑で告発された外務省の松尾克俊・元要人外国訪問支援室長(55)は、「ノンキャリアの星」だった。

8年ほど昔、室長になる少し前に、彼は自分と同じ高卒や大卒の3種(かつての初級職)職員を対象として、研修用の冊子を書いた。

 ふつうの単行本の大きさで92ページ。〈外務省組織を「縁の下」から支えている3種職員〉が、誇りを持って仕事をしていくにはどう振る舞うべきか。

その心得が、具体的なエピソードを織り交ぜ、ときに小説めいた文章でつづられる。

 たとえば早朝に登庁し、昼休みもつぶしてワープロを習得した女性。

家族の分を含む帰国旅費はいくらか、との突然の質問に、よどみなく答えた若手職員。

常に上司を立て、逆鱗(げきりん)に触れぬよう努める課長補佐。そうした気配り、努力、工夫が、生きた教訓として並ぶ。

 某外相が訪米したときのこと。ワシントンまでの飛行機で、ファーストクラスの外相の隣の席が予約でふさがっていた。

本省からは「空けるべし」と訓令電が届く。領事館員の懸命の交渉にも、航空会社は冷たい。それでも懇願する。

〈ついに「YES」。当然、彼の活躍は幹部の耳に入ることになり、中級に採用された〉。

 首相以下が外国に向かうが、ホテルの部屋が足りない。

どう処理したか、その手柄話も登場する。華やかな外交の陰には、会議の設営、宴会の準備、切符や宿の予約、土産の手配、

その他もろもろを担当する地味な庶務的な仕事がある。

多くの場合、その主力はノンキャリ組であり、なかでも松尾元室長は超ベテランだった。

 長年、「縁の下」で支えてきた。しかし、どこかで、その役割に耐えられなくなった。

非常識きわまる彼の行動に、あるいは、そうした側面もありはしないか。

願望を込め『翌檜(あすなろ)』と題された冊子を読んでいると、そんな気がしてくる。


国民に明かさない,機密費が昔からあるようだ。第二次大戦中は外国に知らせない軍艦などの兵器生産に必要な費用も

機密費だったらしい。国家予算の匹敵する費用が機密費で公然と使われていたようだ。

今回も同じように国民に知らせずに外交を円滑にするための費用が機密費として乱用,それが公然と悪用されていたのが

公になった。ひどいものだ。!我々国のため国民のためにと思い収めていた税金が個人の競走馬 高級マンションに買うため使われていたとは。!

情けない気持ちが通り越してなんとも言いようのない怒りを感ずる。

税金は使う者の勝手で政治家,官僚が色んなところで個人の利益のために悪用されているのが目に付く。

真面目に税金を支払いさせられている国民は,そんな所に払いたく無いと言い,支払いわなければ加算税が加わって

より多くの税金を強制的に多く支払いさせられるのがオチである。

税金を徴収する熱意をもって政治家,官僚も使い道にもっと熱心に追求して欲しいものだ。

機密費なんという費用は廃止して公だけのお金では外交が円滑に出来えないと言うのた゛ろうか。?

所詮機密費と名のつく費用は碌なことにしか使えないお金だと思う。1月26日の天声人語に書かれているような費用は

どうして機密費でないといけないのだろうか。




よくないことをする人もいるが、善い人も少なくはない。


1月28日の天声人語より

 〈心の優しいものが先に死ぬのはなぜか〉と詩人、中桐雅夫は歌った。ニュースの詳細を知って、この一節が鮮烈に浮かんでくる。

東京のJR新大久保駅で、ホームから転落した人を助けようとした2人の男性が、電車にはねられて亡くなった。

 「彼ならやるかな」。その1人、カメラマン、関根史郎さん(47)の知人が語っていた。

「生きるのが下手だった。何でも一生懸命だった」とも言った。


もう1人、韓国からの留学生、李秀賢(イスヒョン)さん(26)の友人は「弱い人を見ると放っておけない、彼らしい行動だった」と、しのんだ。

 とっさの場合どう振る舞うかに、人の本質がしばしば表れる。

2人はちゅうちょなく、見ず知らずの男性を救うために動いた。

なかなかできることではない。が、ここに、それをした人たちがいた。心ふさぐことがらが充満しているなか、ポッと明かりがともった。

 人間は素晴らしい一面を持っている。よくないことをする人もいるが、善い人も少なくない。

いや、善い人の方が多いに違いない。そんな気持ちになってくる。けれども、無念きわまりないことに命が消えてしまった。

限りなく高い代償である。

 きのう、現場のホームに立ってみた。折からの雪で、ホームの端はひときわ滑りやすい。線路に落ちかねない。ホームの幅も広くはない。

右、左と、つぎつぎ電車が入ってきて、出て行く。あらためて怖かった。

 この駅だけが特殊なのではない。全国の駅の、これが日常の風景である。

利用者はつねに危険と隣り合わせている。実際、転落事故は後を絶たない。ホームの下に待避できる余地を設けるのも大切。

さらに、ホームに転落を防ぐさくを作るといった方法も真剣に考えるべきだ。

 「相手も救えず、これでは無駄死にだよ」。のこされた関根さんの母、千鶴子さん(76)のことばが頭を離れない。


人は咄嗟の場合,本来の善意が発揮され人間の持つ素晴らしさを国境を越えてどの人にもある事を報じている。

読んでいて涙がでてくるような話である。

こんな人たちが多くいる世の中に是非なっていって欲しいものだが。

なんとも清清しい話だが,亡くなって行った人その家族のことを考えると暗澹ととした気持ちになる。




日本も政治に風通しよくする方法を見習うべきか


1月27日の天声人語◇より

 選挙で敗れたアル・ゴア前米副大統領(52)が、コロンビア大ジャーナリズム大学院の客員教授になる。

 ピュリツァー賞を授与する名門での週1回の講義は「情報化時代の国内報道」。

ゴア氏は若いころ陸軍報道班員としてベトナム戦争に従軍し、のちテネシー州の新聞で記者をした。

ただし、政治家としては記者会見嫌いで通っていた。この授業、聴いてみたい。

 クリントン政権を担った女性閣僚、ジャネット・リノ前司法長官(62)とマドレーン・オルブライト前国務長官(63)は、

ともに「のんびりドライブしたい」と願う。

リノ氏は全米を旅しようと、すでに赤いトラックを買った。オルブライト氏は娘や孫に会いに行きたいが、「運転は7年ぶり。もう一度習わないと」

 ワシントンで「民族大移動」が進行中である。連邦政府の公務員のうち、政策決定に携わる二、三千人は、ときの政権によって「政治任命」される。

8年ぶりの政権交代で、そのほとんどが入れ替わる。新政権のもとには、売り込みの履歴書がすでに数万通積み上げられた。

 逆に今回職を失っても、高官なら引く手あまただろう。企業や大学、労組など出身母体に戻る例もある。

一方で、首都に残り政治にかかわる職を探す者もいる。ワシントンで取材する同僚は「この街には磁気がある。

政治を動かす魅力を一度味わうと、簡単には離れがたいようだ」という。

 仕事が見つからなくても、悲そう感はあまりないそうだ。

雇用の流動性が高く、二、三年で職場を変わる人が珍しくないせいもある。

この交代劇、移行期には政府の機能が鈍る、などの欠点もいくつか挙げられる。

しかし一定期間ごとに政治、行政の風通しがよくなるのは、なかなかの効用ではないか。

 不祥事を起こす確率もたぶん減るに違いない。と、不祥事があいつぐ日本で考える。



自民党はあまりにも長期に政権を担ってきた。それが政治腐敗する最大の原因である。

小手先の治療法では健全な政治を遂行するのは無理な状態になっている。

同じく他の政党が政権を担っても長期になれば色いろな腐敗現象が起きると考えるの必須である。

是非政権は交代して担うのがベストである。

国民のためにも選挙に勝つためだけでは決してよくないことを良識ある政治家諸氏も是非に知ってほしいものだ。





天は一物を与える

松下幸之助の言葉より

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 この世に100パーセントの不幸というものはない。50パーセントの不幸はあるけれども、反面そこに50パーセントの幸せがあるわけだ。

人間はそれに気がつかなければいけない。

とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。

これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、いつの場合でもたんたんとやる。

信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。

「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。

その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。


ないものネダリするのが普通の人である。与えられているものに感謝して生きる方がどれだけ毎日明るい生活が

出きるかは判つてはいるが,中々にそのような気持ちになれない。悲しい事である。




発表の場としてのインターネット


国民の多数がホームページを開設し,自分の考えとか思いを続々と発表しだすと悪い事を企む人たちは

少なくなって行くと考える。是非誰もがど゛んなことでもよいから いつも考えていることを発表することだ。

それによって次第に世の中が変わって来て住み易い世の中に変わると信ずる。

本来人間には信念(隠された良心ともいうものか)というものがあり,悪いことをしているのだという事が判れば止めるものである。

何が悪いかが判断つきかねる人たちも沢山いる。時には悪いと知っていても悪い事をばする人も世の中には

いるかも知れないが。でもそのような人たちは少数だと思う。そのような人は本当の正真正銘の悪人である。

いずれ司法の手にかかり獄中に入るようなことがあっても仕方がない。

でも大方の人たちは良い事をしているような態度を取りながら悪い事をしている人たちばかりである。

そのような人たちにとって誰もが目にする事が可能なインターネットに取り上げられ悪い事が判れば致命的である。

だから自然に悪い事はしなくなってくる。良いと考える人達は生きるのに真正直に毎日を過ごし,嘘はつけなくて生きるのに

不器用な人たちである。地道にコツコツと物事を積み重ねられる人たちである。飲む打つ買うの道楽にはほど遠い人たちである。

世の中は決して悪い人ばかりではない。

必ずにそれ以上に沢山な良い人たちがいると信じたい。悪いことをするような人には出きるだけ近ずかないことである。

これから是非大勢の人たちが自分の考えとか,思いを何でも気軽にインターネットで発表するようになれば世の中明るくなるに違いない。

政治家に任せずに誰もが世の中を変えるのは自分たちだと知ることである。




冬の後には必ず春はやってくる


春は必ずにやってくる。いつまでも冬が続く筈がない。最近特に感ずる事は決して世間で立派だと認知されている人だけが

立派な人ではない。幸運にもたまたまにそのように認知されただけの事であって,それ以上の立派な人たちは沢山おられる。

ただ埋もれた形で世の中におられるだけである。厳密には一人一人の甲乙は決してつけがたいものである。

この世に人として生まれてきて,一人一人がこの世では主人公で他の人たちには真似が出来ない素質を持っておられる。

だれもは卑下して生活をする必要はない。誰にも同様に悪い事をせず怠けもせずに真面目に生活していれば冬の後には必ず

春がやってくる。そのような社会でありたいし,是非実現させたいものだ。





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