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プレイアデス、昴(PlhiavV or PleiavV. pl. PlhaivdeV or PleiavdeV)

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 プレイアデス(「7人の姉妹」)の複雑なシンボルは、極端に古い伝承を暗示している。この薄暗い星の小さな一団に付加された重要性は、見た目の目立たないことを考えると不釣合に思えるほどである。

 メキシコの救世主シぺ・トテク、(「皮をはがれた者である我らが主」)の供犠は、プレイアデスが「大年」の周期の最後の夜に天頂に達したその瞬間に、「星の丘」の上で行われた。もし7人の姉妹たちが、生贄を喜ばなかったならば、宇宙はばらばらに崩れ落ち、世界は終末を迎えると信じられていた[1]

 ヴェーダ以前のインドもまた、「世界の7人の母たち」あるいはクリッティカーたち(「かみそり」あるいは「切るもの」)と呼ばれたプレイアデスに、生贄と関係のある意味を与えていた。これらの星はまた7人の巫女であり、彼女たちは男たちを「裁き」(クリッティカーはギリシア語の「裁く」kritikosと同語源)、ときには、彼らに危険な(critically)傷を負わせた。彼女たちの持つかみそりは、去勢を行うの鎌であったからである。火の神アグニは、月経中の「7人の母」と交わった。これは一般に行われていたタントラの儀式であったが、のちにヴェーダの聖職者によって禁止されるようになった。

 彼女たちは、稲妻(男性のシンボル)の突き刺す大きい赤い雲(女性のシンボル)に包まれた太陽英雄を生んだ。この英雄は、脇腹を槍で傷つけられて、生贄として殺され、その身体から、彼に似たもう1人の英雄である彼の化身が生じた[2]。この神話には、父性の発見より以前の、血が再生の本賓とされたきわめて古い時代の儀式が認められるかもしれない。

 プレイアデスは、初期のアプロディーテー崇拝においても顕著に認められる。アプロディーテーは、プレイオネーの名のもとに、プレイアデスを生んだとされた。アプロディーテーは「聖なるハト」であるとともに、去勢を行う「老婆-女神」であり、プレイアデスは「ハトの群れ」であった[3]。彼女たちは、中央アメリカやアジア南部と同様に、ギリシアにおいても、新年の生贄を捧げる儀式と結びついていた。「7人の姉妹」は、「新しい1年」の神を選ぶかのように、新年の前夜、天頂に立った。古いバビロニアの書は、新年を「すばる座」(プレイアデス)から始めている。のちになって、新年を示す黄道十二宮は、「白羊宮」 (「牡羊座」)となったのである[4]

 エジプトの書物はクリッティカーたち(男たちの裁判官)という、プレイアデスの持つ古い意味について、それとなく言及し、またプレイアデスに、「7人のヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕」である7つの惑星をあてはめた。死者は、きびしい(critical)検問を通って天国に入るためには、これらの女神の名を言わなければならなかった。「いざや、汝判決を下す7人の女神たちよ。ウチャト(万物照覧の目)の裁きの夜に秤を保ちたる者、頭を切り離す者、喉をかき切る者、力によりて心臓を手に入れ、心臓の付着せし肉体を引き裂く者。『火の湖』にて殺戮を行う者よ、我は汝を知れり。汝の名を知れり、しかるがゆえに、汝は我を知れり、我汝の名を知るが如くに」[5]。心臓を引き裂くことへの言及は、明らかにアステカ族の宗教の慣習を喚起させるものである。「判決を下す7人の母神」はまた、アラビアにおいても、「7人の賢者」imams(「母親」 imaに由来する語)として姿を見せた[6]

 ギリシア・ローマ神話では、プレイアデスは、 1年の中の相対する時点に行われる、生命の5の季節の祭りと、の11月の祭りを表した。プレイアデスは「女神」から放射されたものであり、女神は、「交互に『死の中の生』と『生の中の死』の姿をとる女神として、夏至と冬至のときに崇拝され、11月の初め、プレイアデスが沈むとき、聖王の宣告を送る」女神であった[7]。死者のための祈りが、11月1日に、プレイアデスの前で誦せられ、それが、「万霊節」となった[8]

 ギリシア人は、プレイアデスを率いる星は「ハトの女神アルシオーネ(Alkyone ← Halkyone)」であると言った。アルシオーネは、種を蒔く季節に好天をもたらすhalcyonすなわちショウビン(カワセミ科ショウビン属)である。他のプレイアデスの中の1人は、伝説上のトロイの創始者ダルダノスの母の「エーレクトラー」であった。ダルダノスの名は現在もなお、ダーダネルス海峡として残っている。別のプレイアデスは「メロペー」 (「ハチを食べるもの」)で、アプロディーテーに仕える雄バチを食い尽くす女王バチの添え名である。一説にはメロペーは「復讐の女神」の1人であると言い、他の説では、彼女は死ぬ運命にある太陽英雄シーシュポスと結婚したと言う。さらに他のプレイアデスの1人は「マイア」(「作る者」あるいは「太母」)という名で、「啓示を受けた者へルメース」の母親である。ヒンズー教においてマイアに当たるマーヤーが、「啓示を受けた者」ブッダの母親であるのと同じである[9]

 ギリシア・ローマ時代の著作者たちは、プレイアデスの本当の性格を隠すのに苦心しているように見える。ある物語は、彼女たちがみな処女であったという。狩人のオーリーオーンが彼女たちを凌辱しようとしたが、ゼウスが守り、ハトに変えて天空に置いた。これは明らかにおかしな話で、プレイアデスにはみな愛人かがおり、その中の3人はゼウスその人と交わっているのである。もっと初期の神話では、狩人オーリーオーンは、彼女たちを襲った者ではなくて、プレイアデスに捧げられた生贄であったと言う。「7つの星の女狩人」アルテミスは、海の中にいるオーリーオーンを射て、にいたらしめたが、これは、生贄がときには矢をハチの巣のように射込まれて、海に葬られることを暗示している[10]

 アルテミスは、もう1組の7つ星からなるかなり大きい星座「大熊座」 (「大きな雌グマ」)の化身であった。「大熊座」は7人姉妹のもう1つの姿であったかもしれない。アルテミスアプロディーテーは、ともに「知恵の7柱」の古代の祭儀に関係があった。「知恵の7柱」は、「7つの門を持つテーバイ」の、予言を行う7人の巫女のことであった。テーバイは、かつて7人のヘ(ウ)ト=ヘル〔ハトホル〕が支配していた都市であり、聖王が7年ごとに殺され、またテイレシアース去勢されて神殿娼婦として、7年間住んだ地である。

 同様の魔術を持つ7人の女性は、エジプトとオリエントにおいては、「 7人の産婆」と呼ばれた。彼女たちは、父権制社会が確立する以前のエルサレムにおいては、おそらく聖なるメノラ( 7枝の燭台)によって表されていたと考えられる。メノラは、ユリやアーモンドのような女性の生殖器に似た装飾が施されている(『出エジプト記』25: 33)ことに示されるように、 7体のメノラ(Men-Horae、すなわち「の神殿娼婦たち」)を象徴していた。

 中世の迷信は、 7人の女性のグループに対する恐怖をそれとなくに示しているが、おそらく「7姉妹」に対する古代のイメージの名残りであろう。東フリースランド(オランダ北部の州)の人々は、7人姉妹のいる家族では、 7人の中の誰か1人が吸血鬼か、オオカミ人間であると信じていた[11]。 7からなるグループは家系に当てはめた場合にもまた成立し、たとえば、7人目の娘の生んだ7人目の女の子はつねに魔女であると広く信じられていた。


[1]Tannahill, 82.
[2]O'Flaherty, 346, 187, 110-15.
[3]Graves, G. N. 1, 71. ; 2, 405. ; W. G., 194
[4]Lindsay, O. A., 56.
[5]Budge, E. M., 165.
[6]Briffault 1, 377.
[7]Graves, W. G., 194.
[8]Jobes, 336.
[9]Graves, G. M. 1, 165. ; 2, 259, 400
[10]Graves, G. M. 1, 1521-52.
[11]Baring-Gould, W., 113.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



一般〕 7つの星から構成される、小さな星団である。その中心は、アルシオーネ星であり、〈平和〉を意味する3等星である。古代および近代の天文学者たちは、我々の銀河系の中心的な星と考えた。

 興味深いことに、バビロニア人は、この星のことを礎石《Temennu》と呼び、アラブ人は中心《AI Wasat》、ヒンズー教徒は母《アルバ》と呼んだ。

 プレイアデスに属する星群について、アッシリア人は家族《Kimtu》と呼び、ヘブライ人とアラブ人は、Kimahと呼んだ。ヘブライ語では〈山〉、アラビア語では印(いん)の意味である。

 ギリシア人たちは、この星座を、7人の娘、あるいはアプロディーテーの7匹のハトで象徴した。占星術的に見て、彼らはこの星団は不吉な影響を与えると考えた。

 ヒンズー教徒は、この星団を、クリッティカーと呼び、軍神マルスと同類のカールッティケーヤの乳母にあたった。このことから、占星術者がこの星団に軍神の特徴を付与することが理解される。

 オーストラリア原住民にとっては、古代ギリシア人同様に、この星団は、元気よく遊ぶ聖少女であった。北米インディアンにとっては、聖なる踊り子、ラップ人にとっては一群の処女であることも注目される。

占星術〕 プレイアデス星団の、占星術上の重要性は、紀元前3000年頃、この星団によって、人々が春の到来を知っていた事実に由来する。中国の、太陰による黄道十二宮の第1の宮は、プレイアデスの名を持つ(昂)。

 ペルーでも、ポリネシアでも、この星団が水平線上に初めて出現したときに、1年が始まる。この2地域では、古代ギリシアのように、今でもなお、農業の守護神と考えられている。

インカ〕 この星団は、インカの宇宙創成譚や宗教で、第1級の重要な役割を果たした。農業のサイクルと関連を持つので、神格化された。新年の始まりである、6に出現した際には、人々に崇められた。人身御供が行われ、滝に自らすすんで投身す るものもいた。収穫の守護神とも考えられた。「果実の成熟を司る女神、トウモロコシの乾燥を防ぎ、病気とりわけマラリアから人々を守ってくれる神」であった。

 アヴィラのフランシスコ神父は、インカの人々が、この星団の出現を注意深く観察していたと述べている。「彼らは、もしこの星団が少しでも大きかったならその年は豊作だとし、逆に小さかったなら、飢饉のしるしという結論を出した」(AVIH)。

他の民族〕 中央アジアのトルコ民族にとっては、この星団が出現することが、冬の到来の知らせであった。同じような信仰 が、ヨーロッパにも、ラプランド(スカンジナヴィア半島北部)にも存在した。

 ヤクート人や、その他多くのアルタイ民族の人々は、この星団の中心部には、天の円天井を貫く穴があいていて、その穴から寒気がやってくるといっている(HARA、 129)。

 東部スーダンのマンダリ族は、この星団を、美しい女性の死後の住居としている。彼らの別の神話では、文明を人間にもたらした、英雄セトSetoにねらわれる、若い処女たちを表す。セトは、トリクイグモで、天空ではオリオン座で表される(TEGH、 110-111)。

 意味が拡大して、この星団は、7人の賢明で美しかったり有名であったりする人々の集団を表すようにもなった。