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皐月
毎年5月は来るが,同じではない。世界の情勢 国内の情勢 自分の身の回りの環境も変わって行っている。
同じである方が変なのであって,変わるのが当然かと思う。
アメリカによる一極支配は変わらないが,アメリカ大統領がクリントン氏からブッシュ氏に変わった。
しかし選挙戦は接戦であった。日本国内では不人気だった森首相が日本の政治の革新・改革を唱えて自民党内での選挙に勝った
小泉首相の世論調査による支持率がさらに高まりつつある。
どれだけ国民の為の政治をしてもらえるのか,国民が息を詰め見守っているのが現在の状態のように思える。
田中外務大臣が我々庶民が誰でもが考えつくであろう発言が従来からの日本の政府の方針と異なっているとのことでマスコミで
話題になっている。今までの日本政府のやり方が間違っている為,日本の政治の革新・改革を期待し国民が支持しているのだから,
ここの所は大いにやって欲しいものである。 そこの所を議員達も判っていただき,世論が何を求めているかを感知し
従来の自己の説にこだわらず,住みよい世界・世の中にするのだとの一点では政党・派閥越え誰も異なる所がないと考える。
住み良い世の中への曙が少しづつ見えて来たものと期待したいものです。
政治は良い方向に変わってゆくのだろうか、小泉首相
平成13年5月08日の天声人語より
演説は難しい。小泉首相の所信表明を聞きながら改めて思った。型破り演説への期待はあったが、そうはいかなかった。
簡潔さへの工夫は感じられたが、ほぼ従来型にとどまった。
ロンドンのハイドパークには、昔から有名な演説コーナーがある。いろんなテーマで、さまざまな弁士が演説する。
「マルクス主義は死んでいない」と声を張り上げる白人青年の隣で、白人による差別の歴史を告発する黒人がいて、
その隣では宗教家が「聖書に帰ろう」など百家争鳴だ。
ここで厳しいのは、演説が単調になると聴衆はすぐ別の弁士のところへ行ってしまうことだ。
入れ代わり立ち代わり弁士がやってくるから競争が激しい。
約90年前のハイドパークを長谷川如是閑が描写している。
「こちらには職工然たる背広の弁士が……声を枯らしている。
隣にはシルクハットの紳士が……聴衆と押問答をしている。その隣では聴衆がワイワイ騒いで、
胡麻塩髭(ごましおひげ)の弁士が途方に暮れて苦笑している」(『倫敦(ロンドン)!倫敦(ロンドン)?』岩波文庫)。
いまとそう変わりはない。その変わりなさに驚く。
米大統領を例にとれば、61年のケネディ就任演説をはじめ数々の名演説があった。
新しい大統領は、常に過去の名演説と比較されるからたいへんだ。
演説が歴史に残るという意識が強い。その晴れ舞台を大事にする。
日本の政治家の演説はいつごろから魅力が薄れてきたのだろう。手近にいい手本がない、競争が厳しくない、そんな環境のせいかもしれない。
こちらの壁の方は、小泉首相にしても突破は容易でないようだ
国民への説得、納得から国民の為の政治が始まる。その手段は演説か。内容の無いもの実行の伴わない嘘の演説は今までに嫌というほど
国民は聞かされ続けてきている。
戦争は悲惨である
平成13年5月13日の天声人語より
「32年間悪夢につきまとわれた」といってベトナム戦争のことを、そこで犯した「虐殺」を、ある男が告白した。
アメリカで、大きな論議を呼んでいる。
その男が、あちらではだれもが知っている「英雄」だけに衝撃が大きかった。
また、アメリカ人にしてみれば、癒(い)えかけた傷をひっかかれたような痛みを感じたのだろう。反響は複雑だった。
男はボブ・ケリーといい、事件は69年2月のことだった。ベトナムのある村で、男が率いる特殊部隊が十数人を殺した。
多くが女、子供、老人、つまり民間人だった。どうやらここまでは事実のようだ。
ただし、まさに「薮(やぶ)の中」で、証言は食い違う。
男の証言は、向こうから撃ってきたから応射した。死体を見たら武器を持たない民間人だった、という。
別の関係者は、民間人とわかっていて、男が射殺を命令した、という。「すべてがでたらめだ」という関係者もいる。
男はその後、戦闘で片足を無くし、名誉勲章を受け、後に政界入りし、上院議員になり、大統領選予備選にも出馬した。
そのケリー氏が語る。「私たちがしたことは、軍事的にも倫理的にも正当化できない。しかし、間違いなくあの戦争の一部だった」。
つまり彼の「汚辱」はあの戦争全体の「汚辱」だった、と。
おりしも東京・銀座で大石芳野さんの写真展「ベトナム凛(りん)と」が開催されている(ニコンサロンで19日まで)。
戦争の傷跡をたくさん残しながらも、きらきら輝く目が美しい若い世代が写しとられている。
「ベトナム戦後」の世界にいる、と実感させられる。
戦争は何時の世も有り,今も世界のどこかで続いている。日本も第二次大戦で酷い目に会っている。
でも時代と共に風化しつつある。是非戦争体験は次の世代へと語り継ぎ受け継いでもらいたいものです。
小泉政権批判は許さない。それこそ危険だ。
平成13年5月19日の天声人語より
「三遠」という言葉がある。山水画の構図法で、山の連なりの見方だ。
ふもとから山頂を見上げるのを「高遠」といい、前の山から後ろの山々を眺めるのが「平遠」で、
手前から山の背後をうかがうのを「深遠」という。
高支持率に支えられた小泉政権のことを考えていて思った。「三遠」の見方が参考にはならないか、と。
まずは、その高さに目を見張る。だれしもそうだろう。続いて背後に連なる山々を眺める。いわば歴史的背景を見る。
そして山の裏側をうかがう。
いまの支持の高さには一種の逆説がある。人々は小泉氏の一匹オオカミぶり、反逆児ぶりに声援を送った。
少数派だった小泉氏への支持でもあった。それが、少なくとも世論の上では圧倒的な多数派になってしまった。
こんどは少数派にどう対するか。 少々気がかりである。
圧倒的多数を背景にしたときにこそ重要なのは「少数意見の尊重」である。
小泉政権批判は許さない、といった風潮が広がるとすれば、それこそ危険だ。
次に「平遠」だ。背後に連なる山々、つまり過去を振り返る。前政権の谷の深さには目がくらむが、それ以前も山あり谷ありだった。
高い山が急激に谷に落ち込んでいく例も少なくない。この歴史は冷静に見ておく必要があるだろう。
そして、背後をうかがう「深遠」である。タカ(派)の巣ではないか、とは野党が警戒するところだ。
首相には勇ましい発言が多すぎる、と。つまり政権のあり方を見極めねばならない。
いずれにしても、人気が過熱気味なだけに、冷静な目をもちたい。
小泉首相の靖国神社参拝一つとってもタカ派的側面を見る。誰も支持している人たち全部が右派的側面をも支持しているとは
思わない。人間は多面的な要素を持つのは仕方がない。
でもそれ以上に改革を現状をなんとか庶民の目線で見る政治をして欲しいとの思いで支持している人たちが多いと考える。
小泉首相を始め政治に直接携わっている政治家達は是非このことをよく知っておいて欲しいものです。
叱ってもらえる幸せ
松下幸之助の言葉より
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叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。叱ってくれ手のないことは寂しいことである。
どんな人でも、より多く叱ってもらうことにより、進歩向上が得られるのだ。
叱られて反感を持ち、不愉快な態度を示すことは、再び叱ってもらえる機会を失うとともに自己の進歩はもうそれで行き詰まりとなる。
叱ってもらうことは自己向上の一大資料であることを感じて、これを受け入れてこそ、そこに効果が生まれるのである。
修業途中にある諸君は、叱ってもらうことの尊さを知り、叱られることに大いなる歓びを感じる境地に到達しなければならないと思うのである。
叱られたり批判される事は人はあまり嬉しく思わないのが普通である。向上してゆくには必要な事で有って,
放置しておくと「裸の王様」になりかねない。
マスコミの影響は大きい。
平成13年5月30日の天声人語より
最近の言葉から。「風邪薬をやめたら風邪が癒(い)えた。こんなこともあるのかと、今でも首をかしげている」と作家の吉村昭さん。
医師の浜六郎さんは「発熱は、ウイルスや細菌の侵入に反応し、それらの病原体を排除しようとする防御反応の一つ」とし、
対症療法について「症状を抑えるだけで、本来の病気に悪影響がない場合はよいが、
症状を抑えると、もとの病気を悪くすることがしばしばある」
桂三枝さん主宰の「笑ウインドウ」から、似たような?話。家族で“くるくるずし”に行っての食後。
「主人がつまようじを使って……『チッ』とか『とれへん』……何本もつまようじを使うので『……何が詰まったん?』と聞くと『つまようじや』」
薬でなく、こちらはコンピューターの副作用の話。「危ないのはマクドナルドでもコカコーラでもない。……見たり聞いたりがもたらす影響は、
食べたり飲んだりとは比較にならぬほど大きい」とインターネットによる米国支配を憂慮する都市計画研究家P・ヴィリリオさん。
これはどう?「テレビで昔の白黒画面を見て不思議がる息子に『お母さんが子どものころは白黒でしか映らなかったのよ』と言うと、
『じゃあ、お母さんも子どもの時は白黒だったの?』」(あのね−子どものつぶやき)
さて小泉首相を野党はこう励ましたら、とは永六輔さんだ。
「行きなさい! 広島、長崎、沖縄にも行って、東京大空襲を始めとする各県の戦災地、アジアまで足を延ばして
戦没者にお参りしてきたことを靖国神社に報告しなさい」
医者として風邪の患者は大勢診ている。患者さんの高熱とか咳 痰 鼻汁などに対処療法をする場合が多い。
だからといって病気が悪くなったとは決して思わない。この記事を読んで本当に風邪薬を服用せずに我慢する人があれば
大変である。マスコミにて報道する場合は余程しっかり確信を持った事を報道してほしいものです。
インタネットはミニコミで特にインターネットを読んだ人にしか影響を与えない。
食べたり飲んだりとは比較にならぬほど大きい」とインターネットによる米国支配を
憂慮するようなそのよえなインタ-ネットになればうれしい。
マスコミの方がまだまた日本ではインターネットで見たり聞いたりする以上に弊害をもたらす事が多くあると考える。
冷戦型のブッシュ大統領
平成13年6月05日の天声人語より
ブッシュ政権の保守化が話題にのぼる。つい先日も、米紙コラムに「冷戦型のブッシュ」の見出しがあった。
当初予想されたよりも右寄りにつき「ご用心」というわけだ。
ただ、あの国の保守というのは日本とはずいぶん違うから、その点も「ご用心」だ。
たとえば「個人主義、自由市場、地方分権」と並べてみる。日本の感覚では、保守の考え方とは言わないだろう。
しかし、あちらでは、どちらかといえば保守の側の言葉だ。草の根民主主義もまたそう。保守とは建国のころに原点を見るのだから。
もちろんそれだけでない。いろいろな流れが保守に流れ込んでいる。白人優位をいう極右もいれば、妊娠中絶反対の宗教団体もいる。
軍需産業も含めた大企業の多くもまた保守陣営にまとめられる。そのなかでブッシュ政権はどのへんに位置するのか。
ブッシュ氏が去年の選挙期間中、盛んに「私は民衆を信じる」を繰り返したのは、保守の「草の根」への呼びかけだった。
「思いやり保守」といった宣伝文句も使った。いかにも穏健な保守路線をとりそうな感じだった。
ところが政権につくと、京都議定書離脱からはじまって、こんどのミサイル計画に至るまで、
その目は「草の根」より、むしろ利益集団に向いているようだ。しかも自国中心主義のにおいが強い。
わが田中外相がミサイル計画に懸念を抱き、また大統領と石油資本とのつながりを危惧(きぐ)するのは、素直な感覚だろう。
が、困ったことに、手順前後だ。まず、日本政府の内部で問題を提起し、議論を起こすのがスジだった。
従来からのアメリカ一辺倒の日本であることをを続けるのは如何なものであろう。ブッシュ大統領が生んだようなアメリカを全世界が
軌道修正させるように,日本もアメリカ以外の世界各国と対話をしながら世界の叡智でもって危険なアメリカになるのを防ぐ努力する
のもこれからの日本の大きな役割ではなかろうか。
苦労を希望に変える
松下幸之助の言葉より
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仕事のコツを体得するということは、決して楽なわざではないと思います。
相当精魂を込めてやらなければならないと思うのです。それはやはり一つの苦労だと考えられます。
しかし苦労であっても、それをやらなければ一人前になれないのだということを、青少年の間から、
常に先輩に聞かされていますと、それは苦痛でなくなってくるのです。それは希望に変わるのです。
ですから、そのコツを体得することに対して精魂をかたむけるということができてくると思います。
そのように、いろいろむずかしい問題にも、心を励まして取り組んでいくところに、自己の完成というか、自己の鍛えがあると私は思います。
苦労はできるだけ避けたいと思うのは我々凡人の考えることたが。
インタ−ネット人口
インターネットする人口は日本でも急速に増加してきている。身近な人たちの中でも次第に増えてきた。
インターネットには接続するが,ホームページまで持とうとする人たちは幼稚園 小学校 中学校 高等学校 大学と学年度が進むほどに
増加傾向にある。大学ではホームページを持たない所が殆どない,高等学校 中学校 小学校 幼稚園になるに従い少なくなっている傾向に
ある。何処の家庭もホームページを持つようになるとご無沙汰していて近況が判らないということもなくなる。
パソコンの前に座り,あの人はどのようにしているか知りたくなればその人のホームページを訪問すればどんな状況で現在生活しておられるか
を知ることができる。ご近所のあの方はどんな考えをもつておられるか,そしてどんな趣味を持った人かも判る。
次第に疎遠化しつつあるご近所同士の情報交換に最も良い。
なお更,遠方で訪問する事が容易でない人のホームページへの訪問は簡単に出来る。
それで一言でも挨拶したくなればホームぺ−ジの中かのメールへ自分の近況を知らせれば意図も簡単にご無沙汰している事が
解消される事になる。もっとインターネット人口が増えてくればそんな世の中に変わるであろうと考える。
信用とは
人を信用していて信用を裏切られるような事が今までの人生の中で沢山あった。信用をしている人を騙す事は簡単である。
一度騙された人には用心するから騙される事は少ない。信用している間は騙されていることを知るのは困難である。
騙すような人はまず信用させてから騙す。疑って掛かっているような人を騙すことは中々に容易な事でなく困難である。
まずそのような人には出きるだけ近かずかないようにしたほうが良い。
嫌がらせするような人にも同じ事が言える。まず近かずかないことである。その見極めは一種の本能的な勘のような部分も
ある。自分自身に当てはめると一瞬たりとも信用を落とすような事は決してすまいと心に常に心か゛けていることである。
医師ほど信用が大切な職業は他には無いと考えている。他の職業についている人も同様そのように考えている人達でいるのが
当然と考える。全員がそのような社会ならば世の中本当に住み易い世の中になっているはずなのだが。
素直さ
年を重ねると共に素直さが少なくなってきているのに気ずく。若い頃は何かについても素直に心の中にス−と入っていったものが
年齢を重ねるとそれが少なくなってきている。あれやこれやと考えすぎる傾向にある。
何故か?。色いろと痛い目 苦しい立場に置かれた事などの記憶が本能的に作用しているのかも知れない。
素直さが次第に失くなって行くのも人間としての老化現象の一つではないかと考える。
人によっては未熟さからの成長したとも言われるかもしれないが,僕にとっては悲しい事,情けないことだと
思えて仕方がない。
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