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梅雨の頃



毎日が鬱っとしい雨の日が続くかと思うと,暑くて真夏を思わせる日もあり次第に夏へと移行して行く。

夜中、暑さの為に布団を蹴って寝てしまい,翌日喉がカラカラになり風邪をひいてしまった。

季節はずれの風邪で受診する患者さんを時々みかける。

気分的にはあまり晴れない季節だが,改革を掲げての庶民的政治による人気の小泉内閣に期待したいものです。

でも圧倒的な参議院選挙勝利だけには余りなってもらいたくはない。

参議院選挙勝利で再びぞろぞろと数による古い体質の自民党的利権誘導政治が堂々と罷り通る事だけはマッピラご免である。

小泉内閣がどうして人気があるのか、その本質が何であるかをば与野党をも含め全部の政治家が知ってもらいたいものです。

森内閣から小泉内閣への違いが何処に有ったかを知れば民意がどのような政治を求めているのかが

自然に理解出きるのではないでしようか。




日本音楽著作権協会(JASRAC)の規制


JASRACが色いろとホームぺ−ジでの音楽の配信の規制をしだした。

7月1日より課金するとの事でMidiをもらっていたホームページからの音楽を取り込む事ができなくなった。

MIDIを自分で作らなければならなくなって,これは大変な事になった。

MIDI音楽ならば,別に作ることができる人から音楽をもらう事がどうしていけないのか。?

ホームページを飾るだけとか,親しい人にメールに音楽を添え送ったりするだけなのに

何故にそこまで規制されるのかが判らない。

楽とは世の中に,又人々の心の中に豊かさと潤いを与えるものではないてしょうか。?

これでは本末転倒,JASRACはもっと心の広い見地から緩い規制をして欲しいものです。

多分いつも買っているCDの代金の中には著作権料は含まれており,又レンタルCD屋にはCDを使用される頻度に応じて

課金されているものだと思いますが。





大きな時間の流れ



平成13年06月08日の天声人語より


 石川直樹くんという若者の話を聞いていて、「時間の大きな流れ」という言葉に強い印象を受けた。

チョモランマ(エベレスト)の登頂に成功して帰国したばかりだ。

 彼はこれで7大陸の最高峰の登頂に成功した。23歳の早稲田大学4年生で、世界最年少記録という。

ほかにも北極から南極まで旅をしたり、いろいろな「冒険」をしてきた。しかし、本人は「冒険」と言われるのを嫌がる。

「行きたいところへ行っているだけです」

 そうした極限の体験で、何に一番感動するのか、の質問に、彼は「大きな時間の流れ」と答えたのだった。

北極の強風に吹かれているとき、チョモランマの山頂に立ったとき、人間を超える時間の流れを感じるという。

「東京には、そんな時間の流れはないでしょう」

 むきだしの大自然と向き合う機会などめったにないこちらは、極限の想像力で対抗するしかない。

せいぜい、どこか田舎で深夜、満天の星を仰いだときに感じる畏怖(いふ)の感情に近いのではないか、など。

 彼はこうも言う。「風がもうちょっと強かったら、確実に死んでしまう、そんなときに何と自分は弱く、ちっぽけなのかと感じる」。

あえて危険を求めはしない。しかし、そうしたエッジ(限界)経験には一種の魔的な魅力があるらしい。

 同世代の日本の若者と変わりはないと自分では思っている。

時代の閉塞(へいそく)感を感じてもいるが、ひょいと脱出してしまうところがちょっと違う。

「皆、単にきっかけがつかめないだけでしょう」とはいうものの。静かな意志を感じさせる石川くんだ。



人間とは悠久の時間 空間から考えるならば小っぽけな存在である事は少し落ち着いて考えれば

誰も直ぐにわかることである。

毎日のあくせくとした日常生活からそのような心は湧いて来ない。

大きな自然と対峙した時にフッと気が付くことが有る。

人にはそのような体験が必要なのだろうか。



批判はあとでよい


松下幸之助の言葉より
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 賢い人は、ともすれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれないことが多い。

このためせっかく優れた頭脳と知恵を持ちながら、批判ばかりして、結局は簡単な仕事も満足にできないことがある。

ところが逆に、人が見ればつまらないと思われるような仕事にも「バカの一つ覚え」と言われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。

この姿は全く尊く、見ていても頭が下がる。

 仕事に成功するかしないかは第2のこと、要は仕事に没入することである。

批判はあとでよい、とにかく一心不乱になることだ。こうした努力は必ず実を結ぶと思う。

そこからものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。


兎に角全身全霊を打ち込めるものをみつけたい。

このホームページも読んでもらえるかどうかは別にしていつまでも続けて行きたいものです。

愚直に生きるということでしょうか。



他山の石



平成13年6月15日の天声人語より


 「情けは人のためならず」。このことわざの意味を問う。文化庁が実施した「国語に関する世論調査」の中の1問だ。

(1)人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない

(2)人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる――のどちらか。

 回答は(1)が48.7%で(2)が47.2%だった。本来の意味は(2)だから、誤答が正答を上回ったことになる。

さすがに年齢が高くなるほど正答率が高まり、60歳以上では60%を超えた。

 意味を取り違えやすい故事やことわざというのはあるものだ。

たとえばである。「対岸の火事」のつもりで、だれかが「他山の石」と言ったとする。

そういう例に出合ったら「対岸の火事」とは考えず、「他山の石」とすべきだろう。

「天に唾(つばき)す」はどうか。不届きなやつ、と一瞬考えてしまうが、

天に唾すれば自分に戻ってくるのだから、自分がひどい目にあうこと。

 世の中の変化とともに消えていく故事・ことわざもあろう。

「竹馬の友」はどうだろうか。

もうほとんど目にすることはない光景である。

といって「竹馬」を「ゲーム」や「メール」などのカタカナ語に置き換えては感じが出ない。

さらに「塗炭の苦しみ」や「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」はどうか。身のまわりから炭や薪(まき)が消えてしまっては実感がわかない。

 時代とともに言葉は移りゆく。その中で、故事・ことわざはしぶとく生き残った。

世の中の変化が一段と急で、言葉の使い捨ての感が強まっている現代、はたしてどんな言葉が生き残るのか。

「行雲流水」の境地とはいかない。




「「行雲流水」の境地とはいかない」との気持ちもよく判るが言葉も生き物である。

時代と共に移り変わるのも仕方がない。「諸行無常」「行雲流水」の気持ちでいる以外に仕方が

ないことはいくらでも有る。誰にとってもどうしてもせき止める事が出来ない不可能な事は沢山ある。





上には上がある


松下幸之助の言葉より

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 剣術でも、習い始めて少しうまくなってくると、みんなが自分より弱く見えて、太刀さえとれば自分が勝つように思う。

しかしその域を脱すると、自分もまあ相当修行できたかもしれないが、しかし上には上がある、

自分より上の人がたくさんいるということがわかってくるから、自然謙虚な心持になり、

その人たちを手本としてその本質を究めようとします。

経営もこれと同じで、経営者としての経験を積めば積むほど、経営というものの幅の広さ、奥行きの深さがわかってくるものです。

常に、もうこれでいいというのではなく、よりよき方法、よりよき道を求めるという姿勢が大切だと思います。



ある時期、自分にはやればやれない事は何もないと思った時期もあったが,次第にそのような気持ちは薄れてきた。

最近は取りあえずにやれるだけの事はやろう。後は天に任せるの気持ちでいる事の方が多くなってきている。





美と醜

松下幸之助の言葉より

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 私の宅の近くに水のきれいな池がある。水面に周囲の樹々の姿を映し、まことに風情がある。

ところがこの池がひところ雨が降らなくて、底の大半を露出してしまうまでになった。

映すべき何物もなく醜い底を露呈するばかりである。

美の反面には醜がある−−そんな思いである。

お互い人間も、これと同じことではなかろうか。美と醜とが相表裏しているところに、人間の真実がある。

とすれば、美の面のみにとらわれて、その反面の醜を責めるに急なのは、人間の真実というものを知らないものである。

暖かい寛容の心を持って接し合うことが、お互いに明るく暮らすための、一番大事なことではなかろうか。




世の中表裏一体のことが多い。全てがそうであると言っても良いかもしれない。美醜 善悪 福禍 栄衰 生死など

常に表裏一体つきまとっているように思える。 




策を弄する


松下幸之助の言葉より
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 世の中には、事をなすに当たって、いろいろ策を弄する人があるようです。

「弱肉強食は世の習い」とかで、ボヤボヤしていたのでは激烈な生存競争に敗北してしまうということから、

何としても人より一歩でも先んじたいという気持が嵩じて「策を弄す」ことになるのかもしれません。

しかし、こうした小細工は自然の理に背く場合が多く、結局成功することも少ないのではないかと思います。

 「策を弄する」とは、私は智恵才覚をもてあそぶことだと思います。

智恵才覚は人間に与えられた偉大な特質ですが、これはあくまでも正しい目的のためのみに使われるべきもので、

よこしまな策謀に使ってはならないと思うのです。



「根回し」 「策を弄する」といった事は私には全く出来ない,本能的に嫌悪感を感ずる。

そのような事ができる人を立派だとも思わない。又思いたくない。

逆にそのような人は浅はかで猿智慧の人だと考える。

政治の世界ではよく「策を弄する」といった風景はよく見かける。



競って欲しい政治改革--評判倒れが恐ろしい



平成13年6月26日天声人語より

  東京の築地界隈(かいわい)での話だ。閑散としたどんぶり屋があって、時々のれんをくぐった。味は悪くない。

でも、このままではつぶれるのでないかと心配だった。

 ある日、店の前を通ってびっくりした。行列ができている。

どういうことかと尋ねると、理由は簡単で、テレビで紹介されたからということだった。

「小泉効果」歴然の都議選結果に、あのどんぶり屋を思い浮かべたのだった。

閑散とした森店長時代から一転、長蛇の列の小泉改革店である。

際立った味とは思えないが、客が吸い寄せられる。

 選挙結果の分析はいろいろある。「有権者は思ったより冷静だったのではないか」。

これは本紙の締め切りの早い版に出た三和総研主席研究員の森永卓郎さんの見解だ。

遅い版になると「恐ろしさを感じる」に変わった。取材した同僚の話ではこういうことだった。

 開票の早い段階では、小泉人気が自民支持にそれほどつながらない見通しがあった。

森永さんの考えでは、構造改革は既に始まっていて、企業倒産など「痛み」がそろそろ現れ始める。

都議選でこの程度なら、参院選では自民党は苦戦を強いられるだろう。

 開票が進み、小泉改革に正面から異論を唱えた共産党が敗退していくのを見て、森永さんは考え直す。

改革への期待感は予想をはるかに超えていて、これでは失敗したときの反動の方がこわい。

 どんぶり談議に戻れば、実際に食べてみて「やはり評判通りだ」か「この味では、わざわざ並ぶこともない」と思うか。

小泉店に列をなした客の「改革の味」評価は、これからだ。


小泉店に並んだ人だけが「改革の味」を食べさせられるのではなく,国民全部か゛食べさせられ味わなければならない。

政治のトップに位置する人は権力だけでなくそれに伴う責任も極めて重大である。

選ぶ側の国民にもそれだけの自覚が必要だ。今の各政党の中身はゴジャゴジャしていて

素人目には何がなんだか判りずらい。個人個人の政治家を選別する時代になってきているように思う。

だから政党自身も政党内での個人の意見・行動を束縛する時代ではなくなってきているのではなかろうか。

政治の話だけでなく,どの分野においても言えることで重大な責任の有る人たちは権力も伴うが

当然それにつれ常に大きな責任を心しなければならない事である。




五月のように


6月の随想を書いている中に「5月のように」はあまり似合わない。

だが以前竹内浩三のことに書いていた縁で「5月のように」を知った。

心に引っかかる歌なので竹内浩三の「骨のうたう」を全部を再録してみました。


戦死やあわれ兵隊の死ぬるや あわれ遠い他国で ひょんと死ぬるや

だまって だれもいないところでひょんと死ぬるや

ふるさとの風やこいびとの眼やひょんと消ゆるや

国のため大君のため死んでしまうやその心や

白い箱にて 故国をながめる音もなく なんにもなく

帰っては きましたけれど故国の人のよそよそしさや

自分の事務や女のみだしなみが大切で骨は骨 骨を愛する人もなし

骨は骨として 勲章をもらい高く崇められ ほまれは高し

なれど 骨はききたかった絶大な愛情のひびきをききたかった

がらがらどんどんと事務と常識が流れ 故国は発展にいそがしかった

女は化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ

兵隊の死ぬるや あわれこらえきれないさびしさや

国のため大君のため死んでしまうやその心や



「骨のうたう」は何度読んでも心を打つ歌である。

5月のようにの題名をつけられたのは次のような理由だからだそうです。

竹内浩三の詩で私が好きなのは、「五月のように」という詩です。

「ひとを信じようひとを愛しようそして いいことをうんとしよう

青空のように五月のように」

という一節が私の心情にぴったりとくるのです。


彼は5月12日生まれです。それでそういう題にしました。

たった一人の会も「五月会」なんて名を付けました。

深刻になっても、また希望を持ち、人を愛し、信じていこうという

気持ちで生きていきたいと思うのです。


少しでも大勢の人達が竹内浩三の詩を知っていただければ

それだけでも世の中が少しでも良くなって行くのではないかとの思いを持っています。

彼は23歳で亡くなっていますが良寛並びに宮沢賢治に影響を受けているようです。

自分自身も両人には共鳴する所が大です。 




   
京都議定書

将来の温暖化防止の為の京都で議論された書類がアメリカ一国の反対の為に反古にされようといている。

ミサイル防衛システムにしてもその完成をアメリカが特に熱心のようだ。

欧州 中国 ロシアは前者について賛成 後者については反対の態度をとっている国が多い,

日本の小泉内閣の態度はどうもはっきりしない。田中外相も小泉首相も訪米すると途端に軟弱になる。

沖縄問題を含め,どうも現在の日本は未だにアメリカの支配下にあるように思える。

今までの慣例からすると総理大臣に就任すると.まず始めにアメリカ詣が行われているように思えて仕方がない。

恰も丁度江戸時代,徳川幕府の意向にさからわない意思表示するための参勤交代のようだ。

日本は第二次大戦に負け50年以上経って,尚もアメリカの半植民地状態でおらねばならないのだろうか。

日本は何時になればアメリカに対し,よい事にたいしてはイエス,良くない事にたいしてノーと言える国になれるのだろうか。

ブッシュ大統領は国民の圧倒的な支持で大統領になった人ではない。

アメリカに有る一部の産業界とは何かと色いろな黒い噂がつきまとっている人のようである。

其の点を考えても欧州 中国 ロシア等と協同歩調を取りながら日本の正しい主張をば正々堂々通うすよう,

そして多数のアメリカ国民の共感を得られるように努力してゆべきではないだろうか。

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