祇園祭2005 祇園祭で感じた京菓子の粋 あばれ観音
祇園祭 2005 祇園祭で感じた京菓子の粋
お囃子の味わい
平成17年、今年も梅雨前線とにらめっこしながらの祇園祭が始まっています。先日の新聞に掲載されていたのですが、 菊水鉾の関係者の方が16年の歳月を費やして全44曲、890ページに及ぶ菊水鉾囃子譜本を完成されたそうです。
1968年頃に録音されていたお囃子のテープと、現在のお囃子を聴き比べると、少しずつ演奏が変化しているのに気づかれたことがきっかけだそうですが、譜本に残して正確にリズムを伝えようとする反面、「鉦、太鼓、特に笛に生じるずれが祇園囃子の心地よさを醸し出しているのだろう」とコメントされていたのが印象に残りました。
似通った話で、平成女鉾のお囃子を指導された方が、「囃子方の中には、音楽関係の仕事をされる方がいて、早く覚えるけども、メトロノームのようにきっちりしていてどこか違うんや。」と感想を述べておられました。「やっぱりこれは長年にわたって、扇子でポンと膝をたたくような間合いのニュアンスを経験しんとあかんやろな〜」とも。
京菓子の粋
今年は機会あって、祇園祭に因んだ京菓子をいただくことがありました。お題は『鉾進む』と記された懐中しるこです。
懐中しるこは、米粉で作られた皮を割り、熱湯を注いでいただく夏の菓子のひとつですが、その皮には焼印で祇園祭のさまざまが
印されてありました。たとえば、鉾の一番上に位置する鉾頭を印したものは3階ぐらいの高さから見たものと言っていいでしょうか、
後に続く月鉾や函谷鉾までが動いているかのようで、ビルの無い時代だとすれば驚きの構図です。
ほかには車輪があったり、網隠しはほんのり赤く色づけされた皮で作られていました。そして一番の感動は、山鉾巡行のハイライトである注連縄切の注連縄が印されていたことです。
「お稚児さんのように一刀両断に割って下さい」といった添え書きが入っていたので、自分が鉾に乗っているような気分になりながら、眼の前に迫ってきた注連縄を浮かべ、注連縄切を執り行ったことは言うまでもありません!! 単に技術的なことだけを言えば焼印の話かもしれませんが、改めて考えますと、事物の一部を上品に採り上げ、焼色のみで遠近感や動的な表現をし、更にあたかも注連縄切を行っているかのような気分になれる遊び心まで兼ね備えた世界は、洋菓子にはない素晴らしい伝統だと感じました。
日和神楽(ひよりかぐら)
宵山の人出がピークを迎えるころ、お囃子のある12の鉾町では日和神楽の用意が始まります。
日和神楽は明日に控えた山鉾巡行の好天を願う行事で、それぞれの山鉾が町内から八坂神社のお旅所(四条寺町)
に出向き奉納囃子を行うのですが、お旅所までの往復は、台車に鉦や太鼓を据つけて歩きながらのお囃子が続きます。
(長刀鉾は別格で八坂神社へと向かいます)
一般には「コンコンチキチン・・・」で親しまれているお囃子ですが、曲数は数十曲にも及び、たとえば道中に囃されるものと、奉納されるお囃子とを聞き比べますとリズムや神妙さが異なります。
南観音山のあばれ観音
ここは南観音山があります百足屋町です。日和神楽の一行が町内に戻って間もなく、他の山鉾は明日の巡行へ向けての準備に取り掛かる中、ここ南観音山ではあばれ観音が行われます。11:30を少し回ったころ、拡声器を持ったガードマンが「間もなく観音様が通られます。危険ですから歩行者の方はもう少し道を開けてお待ちください。」と繰り返されます・・・
何気なく聞いておりましたが、観音様が通られるとは一体どう言うことでしょう? しばらくすると会所の方から喚声が沸き、囃子方からの選抜組が登場しました。台座にひもでぐるぐる巻きにされた観音様は「わっしょい わっしょい わっしょい」の掛け声とともに高々と持ち上げられます。観音様と同じように布で巻かれて先頭を行かれるのは善財童子です。上の四つ角まで行って持ち上げられ、次は下の四つ角。そして元の場所でと繰り返すこと3回も町内を走り抜けられます。このあばれ観音の由来の確かなものはありませんが、神事ごとと町衆のお祭りが上手く溶け込んだものだと感じました。
御手洗井
以前から通る度に気になる場所がありました。四条烏丸を百メートル程上がった東側にビルに囲まれて存在するのですが八坂神社 御手洗井と記されています。
宵宵山の7月15日から24日までの期間だけ木柵が開かれているのですが、普段は、なにか祇園祭と関係があるのかなと思いつつも通り過ごしていました。駒札にはこの地は祇園社御旅所社務の屋敷地で庭前に牛頭天王社を建て毎朝この霊水を奉供していたことや、信長がこの井戸水が格別であることを聞き普段は施錠して祇園会の時のみ開いたこと、秀吉の頃、町民の申し出により手洗水町となったことなどが記されています。