剣鉾から祇園御霊会を想像する
剣鉾から祇園御霊会を想像する
京都のお祭り 剣鉾と祇園祭の山鉾
四条お旅所に鎮座される三基の神輿
お客さんから、山鉾巡行に関する話はよくお聞きするのですが、たとえば、17日に八坂さんからお神輿が出て、24日までの間、四条のお旅所に
鎮座されているといった祇園祭が一ヶ月間に及ぶ多彩なお祭りだということは案外知られておりません。
折角の日本三大祭のひとつに触れる機会ですから、多少の知識は詰め込んで、祇園祭のスケールの大きさや奥深さを感じたいですね。
ここでは、剣鉾(けんぼこ)に注目し、そこから祇園祭を感じてみようと思います。
祇園祭は、古くは祇園御霊会(ごりょうえ)と呼ばれ、疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、
祇園の神を祭り、さらに神輿をも送って、災厄の除去を祈ったことに始まるとされています。
嵯峨祭
広大な庭園に66本もの鉾を立てた様子・・・
いにしえの人々は、どのような面持ちでそれらを仰いだのでしょうか。
写真の中にある5本の鉾、剣鉾を立てている様子から、皆さんの頭の中にも祇園祭の原点ともいえる様子が浮かび上がってはきませんか?
剣鉾とは京都にだけ存在する独特の祭具で、祭礼の神輿渡御(みこしとぎょ)の先導を務め,悪霊を鎮める役割を持つものです。その歴史は古く、
平安時代につくられた「年中行事絵巻」に描かれており、現在見られる山鉾は、この剣鉾が著しく発展したものと考えられています。
剣鉾と長刀鉾
剣鉾が神輿渡御の先導を行くことは先に記しましたが、長刀鉾と色々照らし合わせてみますと・・・
長刀鉾が32基の山鉾の中、巡行の先頭を進む古例となっており、
山鉾の中で最も早い時期に創建されたこと。
さらには剣と長刀であり、長刀が疫病邪悪を祓うものとされていて、剣鉾の剣には神様が宿る
とも理解され祭具として使用されてきたこと・・・
お互いが似通った存在であると思いませんか?
剣鉾と神輿によるお祭り
愛宕神社 ・ 野々宮神社
京都には、剣鉾と神輿の巡行による祭が多くあります。剣鉾の数は、市内の三十五社、約百八十本余りが確認されており、留守鉾と称する
複数の鉾を有するところも含めますと、総数は三百本にも達するそうです。
還幸祭 御供社にて
四条のお旅所に対して、又旅所(またたびしょ)
今日(24日)は、神幸祭(17日)で八坂神社からお旅所に迎えた神々を、三基の神輿に乗せて、氏子地域を巡りながら八坂さんへとお帰り頂く日です。
芝生の上に立てられた3本の御幣は、御供社(ごくうしゃ:三条通黒門)に設けられたオハケとよばれる祭場で、三基の神輿をお迎えする際、神様が鎮まる場所として立てられているものです。また芝生は神泉苑の水を表しています。
通りに響く鳴り環の音
神輿は5時にお旅所を出発するのですが、3時頃ともなりますと、「今から担ぎに行くで!!」といった若い衆が「よーい、よーい、よーい」の掛け声と共に前蹴り(神社によって異なる進み方)を踏み、鳴り環を鳴らしながら、お旅所へと集まって行きます。
ホイット ホイットの掛け声勇ましく!
午後5時、いよいよ神輿がお旅所から担がれていくのですが、その時の雰囲気は何とも言い表せないものがあります。
お旅所の中で静かに鈍光を放っていた神輿。それが一歩担ぎ出された瞬間、神輿から力が湧き立ち、辺りを満たしながら
「ホイット ホイット」 と民衆の中を進んでいくのです。