担ぎ屋
京都 錦市場にて食を支える
担ぎ屋って?
2006/8/21
タイトルに書きました「担ぎ屋」でいったい何人の方がピンとこられるのか興味があります。
担ぎ屋とは、元々漁師であった人が、漁師を辞めて直に市場や一部料亭などへ行商をされている鮮魚卸の方をいいます。
今でこそトラックで往復されていますが、数十年前は竹で編んだ籠にブリキの缶を入れ、海水がこぼれない様にしたものを文字通り担いで
電車で往復されていました。なかにはマグロ専門の担ぎといった方も居られ、刀のように長い包丁で大きなマグロの柵
を切り分けている光景も見かけたました。
まじめに頑張る!
今回は、ご夫婦で『鮮魚卸 まる友』を営まれている鎌野夫妻に、お忙しい中いろいろとお話を伺わせて頂きました。
まる友さんは親の代からここ錦市場で商いをされており、彼是60年にも及ぶのだそうです。ご自身の代となっても47年。色々とお話をさせて頂きながら、
ひしひしと伝わってくるのがこの道一筋で生きてこられた迫力です。
一日が漁港で始まり、市場で、料理屋で ・・・ さまざまな場所から京の台所というものを見据えてこられました。
近年では、流通そのものが大きく変り、京都中央卸売市場でも個人で買い付けにいけるようになってきたり、大量仕入れによる低価格化で太刀打ちできない時もあったりと、
取り巻く状況は厳しいものであるとおっしゃいます。ただ、ご夫婦が長年にわたって蓄積されてきた経験やそれに基づいた勘によって仕入れられた鮮魚は、
あきらかに極上の品をお届けされており、古くからのお馴染みさんが今でも買い求められていることでその良さが分かります。
胸板厚き担ぎ屋さん
まる友さんの一日は、早朝というには早すぎる午前3:30に起床され、市場へ買い付けに行き(午前5時)、ときには漁船から直に仕入れて、泉佐野から車で2時間半。
ちょっとした渋滞にはまれば、片道で3時間半・・・といった感じで始まります。
お正月以外は年中無休。さらに運ぶ品物は鮮度が勝負であるなど、書いているだけでも、一体どこに息つく暇があるのかと思ってしまいます。
飲食店の心の内には、「ごちそうさま」のひと言ですべてが報われたと感じる時があるのですが、かつぎのお仕事は、「支えているんだ」という気概こそあれ、
どこまでも“ 縁の下の力持ち ”的な存在に思われます。長年にわたってここまで大変なお仕事に活力を与えているのは一体何なのでしょうか?
生意気を承知の上、まな板の上のハモになったつもりでお聞きしました。
しばらくして「得意先に持って行った商品が良ければそれでいいんや。別に黙ってはってもええ。黙ってはったら美味しいっちゅうこっちゃ。」
「あんまり、そんなことは考えへんな。生涯現役でがんばるで!」
テンポ良く投げられるご主人の言葉と、横で奥さんがニヤリと笑われているのが印象的でした。
〓 追記 〓
後日、まる友さんに文面等に問題点がないかをお伺いさせて頂きました。
「ホームページ見たよ。全体的にはええんとちゃうかな。ただ、家族とも色々言うてたんやけど、縁の下の力持ちとは違うな。私がこの仕事を通しての思いは
裏方としてやらせてもろてる。」
「私には、縁の下の力持ちって言うたら、ずっと支えてるというか動かへんような印象なんやけど、そうとは違って、もっと自分から積極的に関わってる意味合い
の言葉が合ってるように思うな。」とご指摘いただきました。 おっしゃって頂いて、はっとしました。まる友さんの活きの良さや担ぎ屋としてのプロ意識、
プライドが真っ直ぐに感じられたのです。
話はややそれますが・・・
歌舞伎の世界での黒衣(くろご)や裃後見といった役者のお仕事があります。分かり易く言えば、顔まで隠した黒装束の方を思い出してください。
どちらも舞台では見えないものとして扱われるのですが、阿吽の呼吸で演じていかれます。場合によっては大御所の俳優さんが格下の役者に花をもたせるのに
裃後見を務める場合があり、このことを『ご馳走』と言うのだそうです。
さて、今宵、清水辺りの料理屋に運ばれた担ぎの品々を想像しつつ、お客さんが観衆で、料理屋が舞台。板場さんとかつぎ屋さんがそれぞれに役者や後見などと
考えていくと、今回のいろいろなお話をお聞かせ頂きました鎌野夫妻、ファミリーのみなさまに、改めて「ご馳走さまでした。」と申し上げる次第です。