柱の信仰を知り、祇園祭を楽しむ

大黒柱・京都 吉田神社の柱・伊勢神宮/出雲大社の柱

嵯峨祭で境内に立つ鉾 嵯峨祭
昨年は、『祇園祭は、古くは祇園御霊会と呼ばれ、疫病が流行したとき、平安京の広大な庭園であった神泉苑に、 当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祭り、さらに神輿をも送って災厄の除去を祈ったことに始まる。』 ということから、 剣鉾のことを記しました。
「わぁ〜 あんな長い棒、ひとりで持ってはるわー」と、鉾差しに沸く子供の歓声や、宵山で、真木の先に浮かび上がった鉾頭を仰ぐ年配の方。そのような光景から、 ふと、誰もが柱≠目の前にして思う素朴な信仰心が気になり始めました。 今回は「柱の信仰」を考えたいと思います。

大黒柱

大黒柱の思い出に、子供の頃、相撲の稽古の真似で突いたり、伸び盛りだった背丈をチョークで印したりしたことがあります。 今から思うと、そこにはびくともしない丈夫なものがもたらす安心感や、家族の成長を見守る柱の姿があったかのように思えますが、近年はマンション開発などが進み、 あの頃の様な太い柱に触れる機会は減ってきているのかもしれませんね。

大黒柱に関連した儀式には、たとえば、えびすさんや大黒さんといった神様を祀ったり、しめ縄をめぐらせたり、蓑と笠をぶら下げたりといったように 様々なものが各地に見受けられます。これらのことは、大黒柱が単なる構造物にとどまらず、精神性に重きをおいたシンボルであることを意味しています。

吉田神社 大元宮(だいげんぐう)

大元宮の宝珠 吉田神社 大元宮
「京都大学の近くに在る、節分で有名な吉田神社」と言えば、お分かり頂けるかと思いますが、その境内に大元宮というお社があります。 この大元宮には、吉田神社の主神と日本国中の八百万の神が祀られ、後方右側には伊勢神宮の内宮、後方左側には外宮が勧請されているなど、要するに、ここへお参りに来れば、 すべてに詣でたことになるという大変ありがたく、便利な?お宮さんなのです。

さて、大元宮の心柱は、礎石から天井を貫き、棟の中央、さらに覆鉢を貫いて宝珠に達しています。そして、心柱は節を抜いた竹筒であり、 天の雨水がこれを通って地下に達するということを表すことによって、天と地がひとつになっていることを示しています。

大元宮正面に立つ厄塚

厄塚 大元宮正面に立つ厄塚は、参拝者の厄をあずけるという感覚の節分信仰の中心をなすもので、分かりやすくは、手前の柱に手を触れて厄を置いていくといったところでしょうか。


厄神や心に潜む鬼を塚に封じ込め、社殿と繋がった注連縄により八百万の神との感応を願い一年の健康を祈るものであるとされています。




伊勢神宮・出雲大社の心御柱(しんのみはしら)

心御柱とは伊勢神宮正殿、出雲大社本殿の床の真下に建てられている柱のことで、 「万物の根源であり、天皇の命、国家のもと、富の源、永遠に不動の存在であり、大地の底の岩に大宮柱として建立してうやまう」 といったことがうたわれており、唯一無二のものとされています。それ故に、これに欠損が見られると天災がおこるとされ、持統天皇の代以来、 20年に一度の式年遷宮を機会に新たに建立されています。
寛文年間(1661−73)に書写された「大神宮心御柱記異本」によると、心御柱にする檜は、朝廷に差し出し、天皇の身長のところに印をつけてもらって、 そこで切ったと書かれているそうです。このことは、心御柱は天皇のからだそのものであることを意味し、古くから特別に神聖視された柱というものを伺い知れます。

鉾の真木

鉾の真木 大黒柱のように身近に感じる柱
大元宮のように天と地を繋ぎとめる役割の柱
心御柱のように特別に神聖視された柱 ・・・


柱の信仰には様々なものが見られ、大きな木や石などを信仰するのと同じ自然な気持ちの表れなのでしょう。 鉾の真木もこうした聖なる柱の一種であり、疫神の依り代として用いられてきました。
祇園祭を観るとき、柱の信仰を念頭におき、山鉾の意匠を凝らして発展してきた部分を取り払っていきますと、祈祷以外に頼る手段のなかった時代の、 疫病への恐怖心が浮かび上がり、観光やイベントといた観点の入る余地のない魅力を感じます。